65話
◇◆◇
「――は?」
低く、重い声がウィルバートの口から洩れる。
先ほどまで合成獣を注視していたクォンツは、アイーシャの下に駆け付けようと必死な顔をしているのが分かる。
マーベリックやリドルも合成獣が人語のようなものを発した事に驚いていて。
「まさか……アイーシャの名前を呼んだ、のか? 合成獣が?」
口にして初めてその異常性にウィルバートは顔色をさっと変えた。
教団の男が合成獣に変貌した、とマーベリックが言っていた。
ならば、なぜ教団の男はアイーシャの名前を知っていたのか。そしてなぜアイーシャに反応し、アイーシャの方へ向かうのか――。
「……っ、ふざけるな!」
嫌な予感にウィルバートは悪態をつき、勢い良く駆け出す。
視界の先では、クォンツが雷魔法を発動し、合成獣に叩き込んでいる。
魔法は合成獣に直撃し、合成獣の体が千切れ、吹き飛ぶ。それでも合成獣は痛みなど感じていない様子でただただ一直線にアイーシャの下に向かっている。
あの合成獣も、元は人間だという事は分かっている。
だが、同じ人間とは言え、この国では「邪教」の名を口にするのも憚られるような教団に所属し、人道に反した行いをするような人間。
――そんな人間など、この世からいなくなっても構わないだろう。
――家族に害をなす存在など、生きていてはいけない。
ウィルバートは無意識にそのような事を考え、闇魔法の魔力を練り上げていく。
ずきり、と痛む頭には気付かない振りをして、アイーシャに迫る合成獣の両足目掛けて魔法を発動した。
◇◆◇
──私は優れていて、お姉様は愚図。
──私には沢山人が集まるけれど、お姉様には誰も集まらない。
──お姉様が得るものは全部私のもの。
(だって……! だってだってだって……! お父様も、お母様もそう言った……!)
エリシャ・ルドランは目の前に倒れているエリザベートを涙を流しながらみつめる。
(なんで私がこんな目に遭うの、何で捕まっているのっ、何でお姉様の周りには人がいるのっ)
今すぐエリザベートを助け起こし、怪我を治してあげたい。
そう考えるエリシャだが、自分の口には口封じの布が嵌められ、両手は手枷を嵌められているせいでエリザベートを助ける事ができない。
(王太子殿下もっ、リドル様も酷いわ! このままではお母様が!)
エリザベートの手当をして欲しい。
そう考え、縋るように頭上を仰ぎ見るエリシャにはマーベリックもリドルも気付かない。
マーベリックも、リドルもある一点を凝視しているように見えて。エリシャも同じようにマーベリック達の視線を追った。
(あっ)
何をそんなに見ているのか、と思ったのも束の間。
合成獣に変わってしまった教団の男がアイーシャ目掛けて迫っているのが見える。
(そっか、そうだわ……! なんかお父様があの男の人にお姉様の事を言ってた……! お姉様を捕まえたいのね)
未だに教団の男の意識のようなものが残っているのだろう。
だからこそアイーシャに執着し、アイーシャを手に入れようとしている様を見てエリシャは納得した。
(今なら、王太子殿下達の注意が逸れてるわ! お母様を連れて逃げれるかしら!)
何やら合成獣を二人が追っている。
こちら側にはマーベリックとリドルしかいない。
合成獣はきっとアイーシャを連れてくるだろう。
そうしたら父ケネブはきっととても喜ぶ筈だ、とエリシャは考える。
(お母様を連れて逃げて……近くにはきっと教団の他の人も来てる筈だし! そしたらお母様を治してもらって、お姉様も運んでもらえばいいわ! この布さえなくなってしまえば、王太子殿下やリドル様とお話してお願いを聞いてもらえるのに……)
ここにベルトルトがいたら、とエリシャは考えてしまう。
ベルトルトだったら、すぐにエリシャのお願いを聞いてくれたし、エリザベートを助けるためにすぐ医者を手配してくれただろう。
(でも、大丈夫だわ。そのうち王太子殿下やリドル様もお姉様じゃなくって、私の言う事が正しいと気付いてくれる!)
だから今は我慢してあげよう、とエリシャはエリザベートに近付いていった。
◇◆◇
「アイーシャ嬢! 伏せろ!」
すぐ側までやってきていたのだろう。
クォンツの声が合成獣の向こうから聞こえ、アイーシャは咄嗟にその場にしゃがんだ。
次いで、しゃがんだアイーシャの頭上を雷を纏った刃先が通り過ぎる。
合成獣の体を感電させ、同時に上半身にあたる部分をぶつん、と切断したクォンツがしゃがみこむアイーシャを見つけ、安堵した。
ぱっと見た限り、アイーシャに怪我はなさそうで、クォンツは合成獣の頭上を一足飛びで飛び越え、アイーシャの側に駆け付ける。
「クォンツ様!」
「どこにも怪我はねえな!?」
こくこく、と頷くアイーシャを見て、クォンツはそのままアイーシャを抱き上げた。
背後では既に合成獣の再生が始まっている。
粘着質な、不快感を誘う音が背後から聞こえ、クォンツは眉を顰める。
明らかに先ほどの戦闘での再生速度よりも今の再生速度の方が上がっている。
クォンツはアイーシャを抱えたまま、合成獣から距離を取ろうと駆け出す。
少しでも距離を稼ぎ、アイーシャを巻き込まない場所で合成獣の相手をしなくては、と考えていたクォンツの後ろからウィルバートの声が聞こえた。
「クォンツ卿! アイーシャを連れて更に離れろ!」
「ウィルバート卿か……! 助かった、了解した!」
ぱっと顔を輝かせたクォンツは、ウィルバートの言葉に素直に従う。
アイーシャをしっかり抱き直し、速度を上げて合成獣から離れる。
クォンツの雷魔法によって感電し、切り落とされた体の再生はまだ終わっていない。
今はクォンツとアイーシャよりも、ウィルバートの方が合成獣に近かった。
ウィルバートはアイーシャとクォンツが闇魔法に巻き込まれない距離に離れた事を確認し、練り上げていた魔力を解放した。
再生もさせずに消滅させる。
先ほど合成獣の腕を消滅させた時と同じような魔法を放つと、合成獣の巨体を黒い粒子が覆った。
ばたばた、とのたうち回る合成獣に一歩一歩近付いて行く。
合成獣から三歩程離れた場所で足を止めたウィルバートは、合成獣を真上から見下ろした。
何の感情も映っていない、冷たい視線を合成獣に向けたウィルバートの頭の中で、何かがぷつり、と弾けて消えた感覚があった。




