38 馬車で出発
「ここまでのようね。私たちは会わなかった。これでいいでしょう?」
どういうことだろう。理解していない俺を見て、もう一度メリジェーヌ様は溜息を吐く。
「なにも話さなかったということだ。この会話はなかった。奴隷に関しての話はフェルス様の決定からなにもかわらない」
「ああ。そういうこと」
ダイオンが説明してくれて納得した。
「ずいぶんとあっさり引き下がりましたね」
「最初から交渉が上手くいくとは思っていませんでしたからね。上手くいけば儲けもの程度の期待でした」
「ではなぜ交渉を? そのまま去っていけばよかったのでは?」
あの会話は上位貴族の決定に逆らうような、わりと危険な真似でもあると思う。
「母として息子に最後に一度くらいは初恋相手の顔を見せてあげようかと」
「そうでしたか」
傲慢な言動であったけど俺はその説明で納得できた。でも少年はそうではないようだ。
「母上!」
「馬車に戻りなさい」
「でもっ」
「あなたはこれ以上なにもできないわ。あの奴隷を手に入れるだけの力がなかったということ。あなたがもし当主であればどうにかできたかもしれない。でもあなたには今その力はない」
「父上の力ならば平民から奴隷を取り上げることくらいっ」
「そういった我儘を許す人ではないわよ。それに奴隷を取り上げるのはあなたが思っている以上の労力を要する。今のあなたのためにそこまでする価値を、父上は認めていないわ」
息子を甘やかす人かなと思ったけど、そうでもないな。すっぱりと言い切られて少年はショックを受けてるぞ。
「では失礼するわ」
息子の背中を押して馬車に乗り込んで、そのまま去っていった。
「なんだったのか。厄介事にならなくて良かったとは思うけど」
「交渉成立しないとわかっていたと言ってたし、息子の成長のために教材にされた感じだな。あれであの息子は権力を欲して当主になることに熱が入るだろうさ」
貴族にはそういった強欲さが必要ってことなのかね? それを理解させるため利用されたか。
「うーん、やっぱり身内に優しい人なのかな? 厳しい優しさって感じ」
「そんな感じだろう」
「まあなんにせよ、これで以後あれらに誘われることはないし良かったな」
そう言いまだ服を掴んでいたシャーレの頭をなでる。
安堵したようにシャーレは頷き、手を放した。
屋敷に入り、まずはフェルス様に会いに行く。部屋に入り挨拶を終えて、近々出発することを告げる。
フェルス様は使用人に二つの報酬を持ってくるように言ったあと、こっちの予定を聞いてきた。
「次はどこに行くかとか決めてあるのかな」
「西か東か。棒でも投げて決めます。どちらにしろまだ国内を移動するつもりです」
「ここからだと北へと抜けることもできるけど」
北は寒冷地帯だしな。ちょっと行く気はしない。
「これから寒くなるから寒い地方はちょっと。北の国に行くなら春になってからですかね」
「たしかに行くなら暖かい時期に行きたいね」
フェルス様は北の国シートビに行ったことがあるようで、報酬が届くまでの話題として向こうの名産や名所などを話していく。
鮭のように海から川へと上がってくるシャラマットという魚が美味しいらしいというのは気になった話題だった。ダイオンが気になったのは酒の話題で、シャーレは家事の際の防寒対策を熱心に聞いていた。
話しているうちに報酬が届く。絨毯は丸められて柄などはわからない。箱はゲームに出てくる宝箱のように上部が開閉するようになっていて、色が青色に塗られている。
「受け取ってくれ。約束の報酬だ」
「ありがとうございます」
「これらはたまに魔力を注ぐ必要がある。でないと効果が続かないからね。一応注意として言っておく」
なんらかの効果を発揮するなら消費するものがあるわな。言われてみれば当然だ。なんとなくそういったことをせずに延々と効果が発揮されるって思っていた。ここでフェルス様が言わずとも、ダイオンが教えてくれただろうけど忠告には感謝だ。
フェルス様も仕事があるので、ここらで帰ることにして部屋を出る。最後にまた会いたいと言ってくれたのはリップサービスだったんだろう。
俺とダイオンで報酬を持ち、シャーレは世話になったメイド長に挨拶してくるということで玄関で待つ。そこまで時間がかからず戻ってきたシャーレと一緒に屋敷を出る。
そのまま馬車の店に行く。馬車は牧場の方に準備できているということで、店員と一緒にそっちに向かう。
「あちらがお買い上げいただいた馬車です。ご確認ください」
牧場厩舎の近くに箱馬車がある。色はマホガニー色というのか落ち着いた赤茶だ。
天井は丸みを帯びていて、側面には小さな窓がある。乗り降りは後部からするようになっていて、荷物の出し入れのためか後部の壁自体が開くようになっている。その壁にドアがついているので、出入りはそちらを使えばいいようだ。
内部は六人が入れそうな広さで、これから荷物を積み込むと四人が入れる広さになるのだろう。荷物を入れても二人くらいなら寝転べそうだ。板を使えば、即席のベッドも作れて、三人が内部で寝ることも可能だろう。あとは魔物を世話するための道具が隅に置かれている。
「一度魔物に馬車を引いてもらって、動けることは確認しています。隙間風や雨漏り対策はきちんとしていますし、頑丈さもそれなり。ですが頑丈さを過信しすぎると痛い目をみますから、魔物の攻撃を受けたときはすぐに職人に点検をお願いしてください。あとできれば月一で点検をしてもらった方がいいですね。半年も放っておくとどこかしらにガタがきます」
一緒に来た店員が説明をしてくれて、ダイオンが質問をして答えている。車輪や軸の耐久年数などを聞いていた。
その間に俺とシャーレで絨毯を床に敷いていく。少しばかり絨毯の方が大きかったが床全体をカバーできるので、小さいよりはましだろう。
「ラックなり小さなタンスなり買った方がいいかな?」
「収納できるものがあるのは助かります。あの箱も便利だとは思いますけど、あれだけになにもかも入れてしまうと出し入れが大変かもしれません」
「じゃあ買うことにして、敷布団もあれば野営のときに楽かな」
話しながら降りると店員が帰っていくところだった。
「確認は終わった?」
「ああ、特にこれといって不満はなかったよ」
「それじゃ買い物行こう」
町に戻り、必要と思ったものを買っていく。折り畳みできるテーブルや椅子なども買い、馬車に積み込み、準備が終わる。食料を買えばいつでも出発できる。あと二時間ほどで夕方という時間なので出発はしないが。
三人で宿に戻り、俺だけが出かける準備する。
「俺はコーダーさんに本を返すついでに挨拶してくる」
「遅くなりますか?」
「いや挨拶だけだし、夕食頃には帰ってくるよ」
宿を出て、昨日より静かになった町を歩く。
この町でもいろいろあったなぁ。辺境伯っていうお偉いさんと知り合うことになるとは思ってなかったし、誘拐事件に遭遇するのも予想外。レイレーンが無事でよかったよ。
レイレーンといえばシャーレは別れるのは寂しくないかな。泣いたりするだろうか。そのときはまた来るからと慰めよう。この町は嫌いじゃないし、また訪れてもいい。
ダイオンのことも少しわかった。すごい大会に出て、辺境伯様と繋がりがある。病気になる前はなにをしていたんだろう。貴族に雇われていたのかな。そのときにパローン様と顔見知りになったりしたんだろう、たぶん。
コーダーの家に着いてドアを叩く。いつものように少し遅れて奥から足音が聞こえてきた。
「お前か」
「そろそろ町を出るから本を返しにきたよ。ありがとう、ためになった」
「そりゃよかった。離れるなら霊水を補充していってくれ」
「あいよ」
祭りでなにか掘り出しものはあったかと話しながら屋内を移動し、霊水を補充する。
祭りでお金を使って支払う金がないということで、返した薬草本を報酬にもらうことになる。
「本はありがたいけど、いいの?」
「それはもう一冊あるんだ。以前間違えて買ってな」
「それなら遠慮なく」
書き写したのが無駄になったけど、これがあれば助かるのも事実でもらえて嬉しい。
「いつかこっちにまた来るのか?」
「いつになるかはわからないけど、来ると思うよ」
「だったら医療関連の本を仕入れてくれ」
「すでに持っているものを買うかもしれないぞ」
そう返すと意表を突かれた表情になる。
「あーそっか、少し待っててくれ。有名どころをメモに書きだす。それ以外を買うようにすれば持っている確率は下がる」
メモをとってきたコーダーはさらさらと文字を書いていく。
十五分ほどで書き上げて、近くの棚にあった本を抜いて一緒に渡してくる。
「メモはわかるけど、なんで本も渡すのさ」
「前金代わりだ。錬金術の初歩が載っている。それを読んで練習すれば、低品質のポーションをいくつか作れるようになる。旅に役立つだろうさ」
「おーっありがとう」
前金以外にも旅の餞別という意味もあるのかな。
ぱらぱらっと中身を見ると怪我治療のほかに毒や痛み止めといった文字も見えた。低品質でもそれらの薬が作れるようになるのはありがたい。
再度礼を言うと、コーダーは片手を振り気にするなと返す。
「師匠のことなど世話になったのはこっちだ。また会えることやお前が買ってくる本を楽しみにしている」
少しだけ照れたように見えたのは気のせいだろうか。
コーダーに別れを告げて宿に戻る。
そして翌朝、荷物をまとめてフロントに鍵を返す。そのときのシャーレとレイレーンの別れはなんともあっさりとしたものだった。
宿から出てあの別れでよかったのか聞いてみる。
「しっかりとした別れは昨日きちんとしました。それにレイレーンはこれまでも同じように別れを経験しているみたい」
「宿の娘なら仲良くなった子がまた旅にでるなんて経験はしょっちゅうかもしれないな」
ダイオンが納得して言う。
言われてみればそのとおりだな。シャーレも奉納殿を出るときに別れは経験している。それなら別れに大騒ぎすることはないか。でも寂しさが皆無ということもないだろう。ゆえにまた来ようとシャーレに言うと、笑顔で頷きが返ってきた。
食料を買い、それを持って牧場に向かう。職員に声をかけると魔物を馬車に繋げてくれた。
「出発だ」
現状御者はダイオンしかできないので、御者台に乗ってダイオンが声をかけてくる。
向かうのは東だ。牧場に来る前に棒を投げて東を示したのだった。
馬車が動き出す。絨毯のおかげかラジィさんたちの馬車のときと違い、振動を感じない。道が荒れていないおかげでもあるんだろうけど、これなら荒れていても大きく揺れることがないと期待できた。
早足くらいのペースで馬車は進み、開けた後部ドアから見える町が遠ざかっていく。
次はいつ来ることなるのか、町が見えなくなるまでそんなことを考えているとシャーレが一つ提案をしてくる。
「山羊の魔物に名前をつけませんか?」
「いつまでも山羊の魔物じゃちょっと不便だよな。いいよ、つけよう」
といっても俺に案はない。犬や猫ならそれっぽいものは思いつくけど、山羊はぱっと思いつくものはなかった。
「俺には案はないからシャーレとダイオンで決めていいよ」
「俺もこれといったものはないな」
馬車前方に開いている小窓からダイオンの返事が聞こえてくる。
「シャーレはなにかある?」
「私はマプルイという名前でいいのではと思いました」
「それはたしかおとぎ話に出てきた名前だな。旅人が騎乗していた魔物だ」
すぐに由来に気づいたダイオンが言ってくる。
「はい。私たちにぴったりだと思って」
「マプルイか。うん、いいと思う」
「俺も賛成だ。お前は今日からマプルイだ。おとぎ話のようにどこまでも共に旅を続けてくれよ」
御者をしながらマプルイに声をかけている。
そのおとぎ話はどんなものなんだろうか。シャーレに聞くと、語って聞かせてくれる。
馬車を使った旅はそんな感じで始まった。
誤字指摘と感想ありがとうございます




