70
「話は聞かせてもらった。壁も何もない屋外なんだ、盗み聞きなんて言うな。2人は教諭なのだろう。ならば、教え子に頼らず自分たちで学校を取り戻せばよかろう」
今日初めて軽く挨拶した程度の老人に、無理難題を言われた田上は切れた。
「私だって、好き好んで子供たちに危険な事をさせたくはありません。でも、仕方がないじゃないですか。私にはなくて、彼にはそれが出来る力があるんですから。恥を忍んで頼みに来たんですよ。ううっぐすっ」
田上は、一気に捲し立てると、その場に屈み込んで両手で顔を覆ってすすり泣く。避難生活でのストレスに、上司からの理不尽なお願い。それに加えて、教え子に頼らざるを得ない己の無力感。それらを抑え込んでいたのに、春人に現実を突き付けられて落ち込んでいるところへ、老人からの追い打ち。
事情を知らない離れた場所にいる者は、何事かとこちらを窺っている。そんな田上に、かける言葉がなく所在なく佇む田中。田中とて田上と同じ気持ちなのだから。
しかし、孔老人はなおも話を続ける。
「本当にそうか? 上司の命令を断れず、流されただけじゃないのか。違うというのなら、儂が少しばかり力を貸してやるから、自分たちでやってみせい」
図星をつかれた田上は、声を上げて泣き出したが、田中は孔老人の言葉に微かな希望を感じた。安い挑発だろうと、それにより多少は発奮した田中は、孔老人へと問いかける。
「力を……。失礼ですが、貴方は一体」
「昨日新人族になったばかりのまだまだ駆け出しよ。ここにいる者は、お主らを除いてほぼ儂の関係者よ。ちょうどあのウイルスに罹患している者が沢山おるから、やる気があるならお主らが新人族になるまでは面倒を見てやろう。もちろん、モンスターと戦える程度にはしてやるぞ」
孔老人の言葉に、田中は複雑な気持ちになる。新人族になれるという期待と、モンスターと戦うという不安。1歩間違えば、殺されるのは自分なのだ。怖気づいてしまうのも仕方がないだろう。しかし、すぐそばにその恐怖に打ち勝ち、新人族として活躍したり、し始めた生徒たちがいる事に気が付いた田中は、新人族になる事を決意した。
「孔鳳鳴さん、あなたの力をお貸しください。不肖ながらこの田中 時生、精一杯頑張りますので、ご指導ご鞭撻のほど、どうぞ宜しくお願い致します」
「あのっ、私もお・おね・お願い致します」
田中の言葉に続いて、田上も孔老人へと頭を下げた。
智一は、学校が再開すればサッカーも出来るようになるので、同名の田中に協力したい気持ちになるも、今は応援するだけにした。自身は春人に協力して貰っている身であり、まだ訓練期間も終わっていないからだ。それに訓練期間が終わったあとは、家族をレベル10までサポートすることになっている。また、ここにはいない友人たちに協力することも約束しているので、予定は詰まっているのだ。
これは智一に限ったことではなく、他の5人も似たような状況にあるので、2人の教諭に対して安易に協力するとは言えないのであった。
春人たちがダンジョンへと出発してから、如月家の主である武彦が皆の前に姿を現した。その場にいる者たちは、一様に朝の挨拶をする。
孔老人は武彦に謝罪から入り、罹患者とそうでない者との選別をお願いした。理由を聞いた武彦は快諾し、左右に割り振っていった。右側が罹患している者54人で、左側が非罹患者7人である。その7人の内、ファミリーホームの者が2人。やはりあのウイルスの感染力は強い。
孔老人は、罹患者から38人を選び出し薬を与えた。残りの者は戻って、全員が罹患しやすいようになるべく固まって、お昼まで過ごさせることにした。2人の教諭とファミリーホームの5人も待機組に同行していった。
新人族へとなった38人の中から選ばれた8人と、孔老人とその孫娘の璃桜を含めた10人が、武彦とともにダンジョンへと入ることが決まった。想像以上に戦闘職および戦闘に向いたスキル持ちは少なかったのが理由だ。
しかし、レベルが上がればよほど不向きでない限り、戦闘系のスキルも習得できると武彦に勇気づけられた者たちは、俯くことを止めダンジョンへと向かった。従魔の追っかけたちに見送られて。
なお、璃桜は薫が出てこなかったので、ちょっぴり拗ねていた。