役立たずと笑われた息子
「……体術」
鑑定水晶に浮かんだ文字を、神官がかすれた声で読み上げた。
続いて示されたのは、攻撃魔法を持たないとされる《無属性》と《耐性なし》。大勢が集まる神殿から、音が消えた。
私は祭壇の前に立つ息子――アレスの背中を見つめていた。
十二歳の《鑑定の儀》は、その者が歩む道を大きく左右する。ましてアレスは、アークハルト男爵家の嫡男だ。
我が家は代々、王国北部の魔の森を監視してきた。魔物があふれれば、当主自ら騎士の先頭に立つ。それが領民と交わした約束である。周囲がアレスにも剣術や槍術、強力な魔法を期待していたのは当然だった。
能力だけで家を継ぐ者を決めるつもりはない。けれど、辺境を守る家では、当主の強さが領民の安心へ直結する。幼い頃から何を授かるのかと注目されてきたアレスは、誰よりそのことを知っていたはずだ。
今日の結果は、本人だけの問題では終わらない。他家は我が家の将来を測り、領内では後継者への不安が広がるだろう。その重みを十二歳の息子へ背負わせなければならないことが、父として苦しかった。
だが、授かったのは《体術》。武器を持てば、かえって動きを妨げられる。剣と魔法が力の中心となるこの世界で、素手で魔物へ挑む者などほとんどいない。
――アークハルト家の嫡男は、役立たずだった。
誰もそう言い切ってはいない。それでも、静寂の中にその言葉だけが聞こえる気がした。
「武器を扱うスキルが一つもないのか」
「五属性の適性までないとは……」
「あのガレス様のご子息が」
やがて、ひそひそと声が広がり始めた。中には、口元を隠して笑う者までいる。
私は拳を握った。
領主として、驚きまで封じることはできない。だが父親としては、今すぐすべての声を黙らせたかった。
隣に立つ妻のエレナは、胸元へ手を添え、ただ息子を案じている。少し後ろでは、専属侍女のニーナが青ざめていた。
そして私は、何よりアレス自身を警戒していた。
これまでの息子なら、この結果を受け入れられなかっただろう。他人から見下されることを嫌う一方で、努力からは逃げた。注意をすれば反発し、使用人にも傲慢に振る舞ってきた。
もちろん、最初から見放していたわけではない。剣を教えようと騎士をつけ、領主学の教師も選んだ。私も時間を作って話しかけた。しかし、叱れば扉を閉ざし、優しくすれば許されたと考える。いつしか私の言葉は注意と命令ばかりになり、親子の会話はほとんど消えていた。
父として導けなかった責任を棚に上げ、また問題を起こすのではないかと疑っている。そう分かっていても、過去に傷つけられた者たちを守るためには、警戒せざるを得なかった。
水晶が壊れていると騒ぐかもしれない。自分より良い結果を得た者へ、怒りをぶつけるかもしれない。
「アレス・アークハルト。以上が、あなたへ授けられた力です」
神官が気まずそうに告げる。
アレスは黙って聞いていた。肩は震えていない。振り返った顔にも、怒りや絶望はなかった。
「分かった」
それだけを答え、素直に水晶から手を離す。
神官が目を瞬いた。私も、すぐには言葉を発せなかった。今朝までのアレスからは考えられない反応だったからだ。
それでも、何も言わずにいれば、周囲はあの静けさを諦めと受け取るだろう。
「アレス」
私が呼ぶと、息子は真っすぐこちらを見た。
「鑑定で分かるのは、今のお前が持つ可能性の一部にすぎない。剣術を授かった者の全員が、剣豪になれるわけではないのと同じだ」
息子だけでなく、神殿にいる全員へ聞かせるつもりで続けた。
「《体術》であっても、鍛え上げれば人を守る力になる。水晶に何が映ったかだけで、その者の価値が決まるわけではない」
父親のひいきだと笑いたい者は、笑えばいい。授かった才が道を左右することは事実だ。だが、力があるだけで誰かを守れるほど、魔の森は甘くない。最後にものをいうのは、その力をどう磨き、何のために使うかだ。
笑い声は消えていた。神官も、集まった貴族たちも、私を見ている。領主としての発言を値踏みしているのだろう。
それでよかった。誰かが今日のアレスを思い出すとき、役立たずと笑われた姿だけを残したくなかった。たとえ息子自身が諦めても、父である私まで人々と一緒に価値を決めつけることだけはできない。
問題は、これまでのアレスが最も嫌っていたものこそ、その努力だったことである。
せめて今日の悔しさが、息子を変えるきっかけになればいい。そう願って返事を待った。
「はい、父上」
アレスは静かにうなずいた。
「この力にどれほどの価値があるのか、これからの努力で私が証明します」
一瞬、聞き間違えたのかと思った。
誰かに力を求めるのでも、自分を笑った者への報復を口にするのでもない。アレスは、自ら努力すると言い切った。その声にも、表情にも、虚勢は感じられなかった。
昨日までと同じ顔をしている。それなのに、私の知る十二歳の少年より、はるかに長い歳月を生き抜いた者のように見えた。
「ア、アレス様……申し訳ございません」
近づいたニーナが深く頭を下げる。アレスの機嫌が悪くなるたび、自分に非がなくても先に謝る。それが彼女の身を守る方法になっていた。
「頭を上げろ、ニーナ。お前は何も悪くない」
「ですが、皆様が……」
「言いたい者には言わせておけばいい。俺は気にしていない」
たった一度、使用人へ穏やかな言葉をかけただけで、ニーナも私も驚いている。その事実が、鑑定結果より胸に重かった。
それでも、小さな期待が生まれてしまう。
すぐに信じるには、これまで積み重なったものが多すぎる。だが、変わろうとしている手を父親の私が最初から振り払えば、二度とやり直せないかもしれない。
◇
屋敷へ戻ると、玄関には執事長のオルドをはじめ、使用人たちが並んでいた。鑑定結果はすでに早馬で届いている。誰も顔には出さないが、空気は硬い。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様、アレス様」
「ああ。ただいま戻った」
オルドの頭が、わずかに止まった。
挨拶を返した。ただそれだけだ。だが、これまでのアレスは、どれほど丁寧に迎えられても当然のように通り過ぎていた。
使用人たちの間に、戸惑いが広がっていく。ほんの短い返事一つで、これほど皆を驚かせてしまう。息子が屋敷の中で失ってきたものの大きさを、私は改めて突きつけられた。
「父上。お話ししたいことがあります」
「分かった。執務室へ来なさい」
エレナと目を合わせると、彼女は静かにうなずいた。
今日の息子に何が起きたのか。今度こそ、逃げずに向き合わなければならない。
◇
執務室へ入ると、私は盗聴を防ぐ魔道具を作動させた。
「それで、何を伝えたい?」
「父上。俺には、鑑定水晶へ映らなかった力があります」
「水晶に映らなかった力?」
「ギフトです。名は《超再生》」
ギフトは、魂そのものに刻まれた特別な力だ。他者の鑑定では見つけられず、持つ者も極めて少ない。
アレスは机にあったペーパーナイフを取った。
「何をするつもりだ」
「見ていてください」
刃を自分の手のひらへ滑らせる。皮膚が裂け、赤い血がにじんだ。
「アレス!」
椅子を蹴るように立ち上がる。
「問題ありません」
「《再生》」
温かな魔力が手のひらへ集まり、傷が端から閉じていく。数秒後には、傷跡さえ残っていなかった。
私は息子の手を取り、何度も確かめた。
「痛みはなかったのか?」
「切った瞬間は痛みました」
「ならば、なぜ平然としていられる」
「我慢強いので」
「昨日まで、紙で指を切っただけでも騒いでいただろう」
「人は変わるものです」
「一日でか?」
アレスは小さくせき払いをした。
何かを隠している。しかし、傷が消えたことは疑いようがない。
《超再生》は傷を塞ぐだけではなく、損傷した部分を以前より強く作り直すという。さらに、効力は落ちるものの、他者の傷や壊れた物まで再生できるらしい。
強力な力だ。同時に、使い方を誤れば、アレス自身を終わりのない苦痛へ追い込む力でもある。自ら手を切ったときの迷いのなさが、ひどく気にかかった。
傷つき、治し、以前より強くなる。その仕組みだけを聞けば、際限なく肉体を鍛えられるように思える。だが、再生するたびに痛みを受けることまで消えるわけではない。強さを求めるあまり、自分を傷つけることへ慣れてしまえば、いつか心の方が壊れてしまう。
「力を示すためだけに、二度と自分を傷つけるな」
「申し訳ありません」
叱られたことへ反発せず、アレスは素直に頭を下げた。その姿に安堵しながらも、私は手のひらから目を離せなかった。傷跡はない。だが、あの刃をためらいなく引いた息子の中には、私の知らない痛みが残っているように思えた。
世に知られれば、王家も神殿も放っておかない。保護を理由に身柄を求められるかもしれない。力を巡る争いに、家族や領民まで巻き込まれる。
「このことを、ほかに誰が知っている?」
「今は父上だけです。母上には伝えてもよいと思いますが、それ以上は伏せるべきかと」
その判断にも驚かされた。以前なら、希少な力を得たと屋敷中へ言いふらしていただろう。
「正しい判断だ。エレナには私から話す。外には決して明かすな」
「承知しています」
自分の力が周囲へ何を招くのかまで考えている。これは、私が何度も望んだ息子の姿だった。あまりにも突然で、喜ぶより先に戸惑ってしまう。
「話は、それだけではありません」
「まだ何かあるのか」
「水晶へ触れたとき、女神ルミエラ様の御心に触れたように感じました」
「神託を受けたというのか?」
「そう呼べるかは分かりません。ただ、何かを託された。そう感じています」
浮ついた様子はない。その目には、重いものを背負う覚悟が宿っていた。
「俺には、この領地の外へ出て成し遂げなければならないことがあります。そのために、後継者を辞退し、冒険者になりたいと考えています」
今朝までのアレスは、責任を嫌いながら、後継者が得られる地位と権力には執着していた。その息子が、自ら手放すという。
「鑑定結果から逃げたいのではないな?」
「違います。俺が守るべきものは、領地の外にもあるのです」
止めるべきだと思った。父親としては安全な屋敷にいてほしい。領主としても、一日の変化だけで認められる話ではない。
冒険者は自由な英雄などではない。野営し、魔物と戦い、時には帰らぬ者となる。希少な力を隠した十二歳の息子を、その世界へ送り出す判断を、勢いだけで下すことはできなかった。
だが、《体術》《超再生》、そして女神ルミエラ様の導き。その三つの言葉に、古い記憶が引っかかった。
私は執務室の奥にある木箱を開け、黄ばんだ古書を取り出した。
「アレス。お前に見せなければならない記録がある」
「何の記録ですか?」
古びた表紙を机へ置き、息子の目を見た。
「我が家を興した初代当主、レグナス・アークハルトの記録だ」
「なぜ、今それを?」
「初代レグナス様もまた、お前と同じ道を歩んだ方だからだ」
神殿では、《体術》しか持たない息子を、人々が役立たずと笑った。
だが、アークハルト家の歴史は――剣を持たぬ一人の男から始まっていた。
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