32 雑談
「うむ。よくここまでまとめたな。記入漏れもなく必要書類はすべてそろっているな」
「三度確認したので問題ないと思います」
「ああ……それにしても妙な事件が続くものだな。もちろんあちらの跡取り娘の性格もあるだろうがやはり環境が問題だろう。起こるべくして多くの事は起こっている」
「環境とは派閥争いのことでしょうか」
「そうだ。実にやっかいな話だ。我々は巻き込まれざるを得ない立場にいながらも権利は握っておらぬ」
「……疎魔の盾はもとよりあちらの領地のみでも生産が可能なものですから、それを不当とは思いません」
アイロスは父の言葉に、書類を受け取りながら返した。
ベティーナの件があって兄に任せてもらった後処理を初めて一ヶ月ほどたっただろうか。
フィルツ子爵家があれこれと抵抗を図っていたが、小さなものからコツコツと彼らの言い訳を潰していけばなんてはことはない。
事実を組み立てて並べていくだけの単純作業に過ぎない。
ヘルガのようにぱっと思い立ってぱっと解決する素晴らしい能力は持ち合わせていないが、ベティーナは罪人として投獄され、フィルツ子爵家も爵位を剥奪されるところまで運ぶことができた。
今、手元にあるのは最終的に罪が確定した上での書類上の婚約破棄の手続きだった。
なので父の言葉は直接、目の前の仕事には関係がないが間接的には関係がある話だ。
父はアイロスの言葉を聞いて、浮かない表情で深く頷く。
「そのことを嘆いている訳ではない。もとより我々はエヴァーツの守り手だ。生み出す価値の恩恵にあずかりながら、領地の広大さと豊かさから生まれる安定した基盤で彼らを支えている」
「はい」
「相互的に利益のある関係だが、主導権はあちらにある。それは当然のことながらもどかしい思いだ。……本来十年前の出来事があった時点で決着を求めるべきだったのだ」
「……」
「ただ、現エヴァーツ伯爵にはそれだけの力がなかった。フランクは温和な奴で、加えて夫人は娘を残して亡くなっておる」
父はアイロスから視線を外してチラリと窓の外へと視線をやった。
どこを見ているのかはわからないが、アイロスは黙って話を聞いた。
「フランクは、大それたことをやるだけの気力もなかったのだ。……ただ、またあのときのように王族が動き、その魔の手が迫っている。その手を払いのけるのかもしくはうまく交わすのか。それはあの娘にかかってるだろう」
父の声は干渉に浸っているようなしみじみとしたものだったが、アイロスはやっと終わった父の話の意味がよくわからなかった。
いや意味はわかるのだが意義がわからない。
どういう話なのかが曖昧なのだ。人の機微を察知したり、空気を読んだりすることが難しいアイロスには難題だった。
しばらく考えてアイロスは眉間にしわを寄せた。
「見込みのある娘だ。オリヴァーもいる、あれの優柔不断さにはほとほとあきれ果てたが、物理的な盾ぐらいにはなるだろう」
「はい、兄上はベティーナが暴れたときにもいち早く反応していました」
同意できる部分が来たのでアイロスは口を挟んだ。すると父は少し表情を柔らかくする。
「あやつも自身の役目をわかっているのだろう。……ともあれ、何が起ころうと、こちらも今まで通りの役目を果たすまでだ。今度の婚約者はよっぽどのことがない限りはよこしまな企みを持たないだろう」
「はい。ヘルガさんや兄上にも報告しましたが、二人ともからとてもいい人選だとお言葉をいただきました」
「ああ、だが油断しないように。しっかりと責任を持って接することだ。アイロス」
最後に、注意をされてアイロスは、しっかりと返事をした。
彼女とはこれを提出した後にも会う予定なのだ。きっと父の遠回しな話はそこに着地するための迷走だったのだろうと、納得し父の執務室を後にしたのだった。
「……アイロス君……」
「はい、どうかしましたか」
「私……私、ちょっと休憩して甘いものとか食べたいんです……」
「まだ、初めて二時間ほどしか経っていません」
「……しか?」
「あと一時間ほどで小休憩を挟む予定です」
「一時間??」
アイロスは声をかけられて目の前に居るクリスタに視線を向けた。
彼女はだらしなく机に顎を預けて、完全にノートをとる手が止まってしまっている。
そもそもなぜこのようなことをしているのかというと、クリスタがアイロスの次の婚約者になったからだった。
ベティーナの件があって、しばらくして向こうから話をもらったのだ。
元々アイロスとクリスタは仲が良かったが、アイロスはほんの少し前まで跡取りではなくただの侯爵令息だった。
そんな人間に同格の女性を嫁にもらう資格はなく、クリスタとはずっと良き友人だったのだ。
しかしアイロスの立場は変わり、ベティーナとも別れることになった。
そこにちょうど良く打診をもらい、現在に至り、ともに勉強をしていると言うわけだった。
やるからにはしっかりと、と思っていたが彼女はどうやら早々にあきてしまったらしく甘いものと休憩を所望している。
「……」
「疲れちゃいましたよ。さすがに」
「……ですが、婚姻までのペースを考えると休憩をしている時間はありません」
「……うーん」
「週に三回こうする時間がとれるとして、自習する可能性を考慮してもやはり休憩は一時間後がベストだと思います」
論理的に考えて最も正しいと思える答えをアイロスは反射的に口にした。
しかしその後すぐに、クリスタがその通りだと納得しない様子を見て、自分は何か間違いを犯したのだと自覚する。
アイロスの人生にはしょっちゅうこんなことばかりで、いつもひやりとしているのだ。
特に先ほど父に忠告されたばかりなのに。
けれどもアイロスの後悔などどこ吹く風で、クリスタは「んー」と少し考えてからぱっと思いついたみたいに明るい顔をする。
「じゃ、じゃあじゃあ、こうしましょう? ちょっとだけ本を閉じてください」
「は、はい」
「それで、ちょっぴりだけ甘いものを用意してもらって」
「はい」
「それから、結婚したら困って話し合うかもしれないことを二人で話すんです!」
「……?」
「そうすれば、話し合いの先取りですから結婚後に勉強が回ってもだいじょーぶ……なーんて、ダメですか?」
彼女は得意げな笑みを見せてから、数秒後、ごまかしきれないとばかりに気まずそうにして問いかけてくる。
その様子に、アイロスはなんだか妙に安堵してしまって、彼女は元からこういう人だったと思い出す。
アイロスが融通が利かない性格をしていてもそれを気にしないでいてくれる。
笑顔でいてくれる。
それがベティーナとクリスタの決定的な違いである。
ああして、ベティーナに尽くしてそれから別れて、改めてクリスタがそうしてくれたことの温かな優しさを感じた。
そして自分が彼女に心から救われていることに気がついた。
「私、アイロス君とお話しするの好きなんですよ。変なお世辞とか言わないし、整っててわかりやすくて」
「……」
「勉強が苦手な私のことも、助けてくれますし、話してると私も頭が良くなった気がします!」
そう言ってクリスタは力こぶを握ってえへへと笑った。
「だからおしゃべりしましょうよ? ダメですか?」
その様子にアイロスも目を細める。やっと気がついた気持ちを忘れないように好意を示してくれるクリスタに伝えようと決意したのだった。




