30 決別
「小さな魔法石ですが、どんな魔法が刻まれているかは見る人が見ればわかるものです。そして現在の状況的にも、あなたは盗聴をしていた」
ベティーナはぐっと拳を強く握る。
「気がついていましたよ。ベティーナ。だからこそ、私はわざとアイロスにあなたが勘違いさせるような言葉を言わせていたのですから」
「……」
「まぁ、私のシナリオでは、侮辱に燃えたあなたがわがままを言って婚約を破棄、関係がなくなったところで証拠を使って追い詰めると言う予定でした」
そうすることによって彼女の行動によって、その企みが公になり、アイロスにもきちんと理論立てた説明ができる。
アイロスに、理解してもらうこれがこの作戦の肝なのだ。
「しかしまぁ、あなたは、手順をすっ飛ばして、自分の怒りにまかせて戻ってきてこうして証明してしまったわけですから、もうどうにもなりません」
「っ……」
「私たちの話を聞いて、怒鳴り散らすあなたは、私からすると『盗聴していました、私はあなた方の秘密を狙って近づきました』とそう言っているようにしか見えません」
「それ、それは……」
「さらに自分に正当性があると思って乗り込んできたのだと思いますが、そんなものはありません。先ほど聞いた言葉はすべて私が言わせていただけのくだらない戯れ言ですから。アイロスはなにもあなたを傷つけるようなことなど企んでいませんよ」
ベティーナは、ヘルガの言葉に、ゆっくりとアイロスへと視線を向ける。
彼らは無言で見つめ合っていて、ベティーナは必死になって考えを巡らせているようだった。
しかし、どうあってももう手遅れ。
ベティーナは選択肢を著しく間違えていた。そもそも最初から、今だけに限らずずっと間違え続けている。
そしてこれはただの罪に対する罰であり、報いでしかないのだ。
「ただ、あなたが醜く浅ましく人を欺き、権利を侵害しようとしていただけです。この場で糾弾されるべきはたった一人。あなただけなんです」
「……わ、わかったようなことをっ」
「少なくとも、バレているとも知らずに他家の情報を盗みだそうとするようなあなたよりは、多くの事がわかっています」
「っ、は? 偉そうなこと言ってっ」
「……」
「…………っ、わた、わたくしは……」
なんとか、余裕を持って返そうとするが、素晴らしい言い訳も言い逃れの方法も思い浮かばないらしくしどろもどろだ。
盗聴がバレていたという事実が相当予想外だったのだろう。
怒りにまかせた勢いもなくなって、盗聴がわかっていた上での行動だったと言われてしまえばベティーナに糾弾する権利はない。
しかし、往生際が悪く彼女はヘルガに食ってかかる。
「あんなっ、こんなこと ……あり得ない、こんなこと、仕組むなんて、あなたって、すごく最っ低じゃない」
絞り出すようにベティーナはそう口にした。
それにヘルガは、当たり前の言葉を返す。
「人を利用しようとした人間が何を今更。最低な事をしてでもおとしめようとしてくる人間がいる以上、対抗する権利がこちらにはある。簡単に思い通りにできるなんて思うのはさすがにお花畑ですよ」
「馬っ、馬鹿にするんじゃないわよっっ!! このっほんっとうに許せないっ」
「何とでもおっしゃってください。……事情はこういうことです。アイロス、今の内容で理解できましたか?」
完全に勢いを失って、小刻みに震えているベティーナを気にせずヘルガはアイロスに声をかけた。
アイロスは、チラリとヘルガを振り返って、魔法石を見つめてそれから目の前に居るベティーナに視線を戻す。
「こういう人は居るものです。これからも出会うことがあるでしょう、あなたなりに彼女を尊重していたと思いますが、他家に伝声の魔法具をしかけ情報を奪おうと画策したことは重大な犯罪です」
「……」
「彼女は悪意の塊なんです」
そして、外見とは違ってとても醜い存在だ。
アイロスは素直に受け取っていても、結局ベティーナの真の姿は醜く自分勝手な自己愛の塊だ。
それを理解してほしかった。
(心は痛むかもしれませんが……)
毅然とした態度だったヘルガだが、黙り込むアイロスに、少しばかり不安な気持ちになる。
はっきりとわかりやすく彼女の真意を明らかにし、状況的にも追い込んだ。
それはアイロスを納得させるためのいわば教育に近しいものだったが、彼はそれを飲み込めるだろうか。
ヘルガがそう思わなかっただけで彼の中にも絆があったのだろうか。そう思うとヘルガも少し心が痛んだ。
それと同時に、ベティーナもまた、黙り込むアイロスの眼鏡のガラス越しの瞳を見て、瞳の色を変えた。
「……わ、わたくしは……アイロス、それでもあなたを愛していたんですの」
優しくそして明らかな嘘を口にするベティーナに、オリヴァーが青筋を浮かべて、チラリとヘルガを見た。その目にヘルガは首を振る。
また騙されることをオリヴァーは酷く心配しているらしい。
「ただ……そう、そうですわ。ただ、ちょっとした遊びの、つまらない行きすぎた流行の遊びのつもりで」
「遊び? ですか」
「そうですの、あなたは知らないかもしれないけれど、そういう遊び、決してヘルガ様の言うようなことを望んだつもりはありませんわ」
「……」
「だから、ごめんなさい。謝罪に免じて許して、くださいませ。些細な失敗だと許してほしいと彼女にも言ってくださいませ」
ベティーナは薄ら笑みを浮かべて、アイロスに語りかける。
「だってあなたは、わたくしのこと……特別想ってくれているでしょう? 婚約者としては長年の付き合いでしょう? わたくしはあなたのこと、厳しく接するぐらい、あ、愛してますわ」
この場にいるアイロスを味方につければ何か状況が変わるかも。
そんな気持ちが見え透いた言葉だった。
しかし、それがわかっていてもヘルガはアイロスが心配だった。きっとオリヴァーはヘルガの十倍は心配しているだろう。
ドキドキと妙な動機がやってきて、アイロスはやっと口を開いた。
「未だ混乱している部分もありますが、さすがに自分もその言葉が嘘であることぐらいはわかります」
アイロスの言葉にベティーナの笑みは引きつる。
「それがまかり通ると思われるほど自分が侮られていたから、この件は起こったのでしょう。……ふがいない限りです」
「ア、アイロス?」
「ですが、ヘルガさんがお膳立てをしてくださった以上、今は腹をくくります。ベティーナ」
アイロスはうつむき気味になっていた顔を上げて、ベティーナのことをまっすぐ見つめた。
「自分はあなたのことを婚約者として自分にできる限り尊重してきました。どんな態度だとしても、意思表示してくださる以上、受け止めて実践し満足の行く相手だと思ってもらいたかったのです」
「……」
「そのための誠意のつもりでした、しかし、それで自分が守りしたかったのは生涯の自分の家系とそれを支えてくれる人々の生活です。いくらあなたを尊重する必要があるとしても、自分の願いを根本から崩壊させるようなことをする人間を自分は許せません」
「はっ、はぁ?」
「一線を越えてなお、自身の器量を信じ込み、自分を思い通りにできると考えて居るあなたは、うぬぼれているとしか言い様がない」
ベティーナの眉間にきつくシワがよる。
目を見開き、アイロスの言葉を拒絶しているのがよくわかる。
「自分は馬鹿ですが、そんな自分にすらこんなことを言われてあがくあなたは無様です」
「っ、」
そして言葉の切れ味は酷く鋭かった。
もしかすると先ほどの言ってはいけない言葉が彼の脳裏にこびりついているのかもしれない。
「ですから、罪を認め――」
続くアイロスの言葉はすでにベティーナに届いていないようだった。『無様』と言われてあまりに屈辱的過ぎたのだろう。
彼女は素早い動きで振りかぶって、魔力の光の粒がきらりとひらめく。
振りかぶった手のひらの中に炎の玉が生成されて、ヘルガはとっさにアイロスに手を伸ばした。
「ぎゃあっ」
それと同時に、ズドンと何かが壁に激突する音がして、ベティーナの手がバチンとはじかれたように見える。
きっと魔法だ。オリヴァーの。
生成された火球はあらぬ方向へと飛んで行く。
一つ瞬きする間に、鞘をつけたままの短剣を持ったオリヴァーはベティーナの手を取って、即座に壁に押さえつける。
その様はなんだか流れるように鮮やかで、彼の金髪とそれを結ぶリボンがひらりと揺れて、鋭く獲物を仕留める獣みたいな瞳がとても美しい。
胸がズキリとするほど凜然としていて、少し心臓の鼓動が早くなった。
「貴族用の拘束具と、騎士団に連絡を! ヘルガ!」
「はいっ」
「まだ何かするかもしれない、アイロスを連れて部屋を出てくれ、早く」
指示されて、ヘルガはそのまま父の元へと向かって、急ぎ対処に当たるのだった。




