第八話
虚ろな日々。私の中には何も無い。
私は魔法を行使するだけの歯車となった。
廊下ですれ違う貴族たちも私の姿に鼻白むが、もはや関係のないことに思える。
背後から叱る声。
「淑女に相応しくない振る舞いですよ? 背筋を伸ばされてはどうですか?」
まるでフランのような言葉遣いに思わず振り返る。
だけどそこには、見慣れない髪色をした侍女がいるだけ。落胆を隠せない。
「な、なんですか。その顔は! 誰も聖女様に付きたがらないから私は仕方なく臨時でついているだけであって……」
「分かっています」
いつまで経っても、どこかにフランの面影を探してしまう自分にも嫌気が刺す。
フラン以外の侍女に「淑女ではない」と叱られるのはとても耳障りだ。そう思わなければ、この状況を否定し続けなければ私の心は保てなかった。
私はあらゆるノイズを遮断して無為の日々を過ごす。
そんな中、陛下が裁定を下すため全ての貴族を招集した。
◇◆◇◆◇
貴族たちの集う謁見の間。
誰の顔も見たくない。だけど、私は最後の気力を振り絞ってここにいる。
フランの居ない世界で唯一の心残りは、クローテッドのことだけ。
たとえ聖女の立場を剥奪されたとしても、彼の減刑だけは勝ち取りたい。
陛下が現れて、周囲の雑音は止む。
私は陛下の着座を待ってから勢いよく叫んだ。
「陛下! プロヴァンス陛下! どうか、クローテッド様の減刑を! 私はどうなっても構いません。どうか彼の減刑をお願い致します」
突然の嘆願に謁見の間は騒然となった。
ギモーヴが踵を大理石の床に打ち付けて一喝する。
「陛下の御前で無礼であろうが! 教養がない平民は礼儀も知らぬのか?」
薄い笑みを扇子で隠したアマレッティは体にしなを作る。
「あら、ギモーヴ殿下。平民聖女にはまともな教育係の侍女すら付いていなかったのですから当然ですわ」
「あぁ、確かにそうだな。恥知らずな侍女では淑女の教育など無理であったか」
許せない。
血液が沸騰して煮えたぎるように私の全身は熱くなる。
私が落ちこぼれで淑女らしくないことは認めたとしても、フランのことを悪く言うのは許せなかった。
「ふざけないで! 私は陛下に願い出ているのです! それに私が不出来なのと、フランは関係ありません!」
ギモーヴとアマレッティは楽しそうに嘲笑を始める。
「滑稽だな。無能な平民は出来損ないなことを理解するのも遅すぎる。そもそも王族に減刑を願い出る立場にすら無い。少しは物の道理を弁えろ!」
「あー可笑しい。品の無さは伝染するのね。貴女につくと、侍女も愚かになるに違いないわ」
二人の笑い声につられ、周りの貴族たちからの嘲りの声も混じっていく。
それを陛下が手で制した。
「静かにせよ。裁定は既に定めた。余がそれを覆すことはない」
一瞬で血の気が引いた。
私がこの世界で聖女として頑張り続けたのは、一体なんだったのか。こんな虚しさだけが残る国に奉仕し続けたことに悔しさが滲んでいく。
突如、ギモーヴが高笑いを始めた。
「フハハ! やっとその汚らわしい口を止めたか! 媚びへつらうしか出来ぬ癖に生意気だったな。ま、幾ら泣こうが喚こうが、下した決定が覆る訳……」
「黙れ」
陛下の怒りを孕む声が響き、水を打ったように静寂が戻る。
「ち、父上……」
「黙れと言っておるのだギモーヴよ。お前の言う通り覆ることはない。余は聖女アン様と騎士団長クローテッド卿の無罪を決めておる」
……無罪?
私の耳にはそう聞こえた。
一瞬の間を置いてギモーヴが食い下がる。
「父上、冗談は……」
「くどい! 余の決定に否と言うのか?」
ギモーヴが押し黙ると陛下は続けた。
「とある一人の侍女が命を賭し、聖女の身の潔白を証明した。余が間違っていた。一時の流言に惑わされてアン様を疑うなどあってはならぬことであった」
間違いに気付くのが遅すぎる。無罪を勝ち取ったことより、虚しさが残った。
涙が零れ、床に滴り落ちる。
そこで陛下が立ち上がり、高らかと宣言を行う。
「よって、聖女を貶めた罪でギモーヴ第一王子を廃嫡とする」
場の誰もがその宣告に息をのんだ。
凍り付いた状況から、真っ先に動き出したのはギモーヴ。
「父上、何を仰っているのか意味が分かりません! 私は第一王子! いずれプロヴァンス王になる男だ!」
「無い。その道はお前自身が潰した。それにギモーヴよ。お前が言っていたのでは無いか?」
陛下の問いかけにギモーヴは心底理解できないという表情を浮かべる。
「な、何を?」
「泣こうが喚こうが覆らない……だったか? それだ」
「な!?」
他の貴族たちからも「確かに言っていた」と陛下の言葉を後押しする声が続く。
反対に顔を真っ赤にしたギモーヴは呆けた様子で顔をヒクつかせていた。
不快感を滲ませるアマレッティが、扇子を広げて口元を隠す。
「陛下、廃嫡などと大それたことは国の重要な決定になります。一時の感情に任せてはなりません。わたくしが婚約者として殿下を支持しますわ」
「おぉ、アマレッティ!」
感激した様子でギモーヴがアマレッティに近寄ろうとする。しかし、陛下は眉一つ動かさない。
「ブレデル伯爵令嬢。ギモーヴの罪状は確定しておる。支持をするというのなら貴女も婚約者として裁くことになるが、良いのか?」
「いいえ、犯罪者の伴侶はこちらから願い下げでございますわ陛下。先ほどのことは戯言としてお聞き流しくださいませ」
取り付く島もないと判断したのか、アマレッティは一礼して人垣の方へ下がる。
ギモーヴから強い歯ぎしりの音がした。
「アマレッティーーー!! 貴様! 抱いてやって取り立てた恩を忘れたのか!」
アマレッティは素知らぬ顔で目線すら合わせていない。
するとギモーヴの怒りの矛先は何故か私に向けられた。
「貴様が! 平民聖女に女としての魅力がないからいけないのだ! 私が間違っていた訳ではない! こんな女を当てがわれた私は不運なのだ! そうだろう!?」
あまりに無茶苦茶な理論に、怒りを通り越して憐みを抱いた。私を愚かとさんざん馬鹿にしていたのに、自分のことは見えないのだろうか。
続く罵詈雑言に顔を顰めていると、ふいに視界をマントが覆う。
戦場で見続けた背中。
三日月の夜が、私を守るようにはためく。
「ギモーヴ殿下、それ以上の暴言は感化できません」
「黙れ! 成り上がりが! 貴様は牢にいるはずだろう! どうやってここに!」
その声、その横顔。
会いたくて焦がれたクローテッドが目の前にいる。
乾ききった心が満たされていき、自然と呟きが漏れた。
「クローテッド様……」
クローテッドはギモーヴを鋭く睨む。
「殿下こそ黙って頂きたい。アン様がどれだけこの国に尽力してきたのかを殿下はまるで分かっていない。聖女としての行いは豊穣をもたらす陽の光であり、恩寵をもたらす恵みの雨。私の女神だ。もう誰にもその心は踏みにじらせはしない」
静かな怒りを滲ませて語り終えたクローテッドは、こちらに振り返って微笑む。
「アン様、遅くなりました。ここからは一人で耐える必要はありません。私が居ます。決して一人にはしないとお約束します」
胸が高鳴る。今、大切な人を救えたことが初めて実感できた。
体に入っていた力が抜け、私はその場にへたり込む。
「本当に……良かった」
優し気に一つ頷いたクローテッドは、改めてギモーヴへと向き直った。
「殿下……いや、ギモーヴ。欠片でも誇りがあるのなら受け取るがいい」
投げつけられたのは手袋。
意味を理解したのか、ギモーヴは肩をわなわなと震わせる。
「ふざけるな! なぜ私が平民の成り上がりと決闘などしなければならない! それになんだその口の聞き方は! 王族に対し不敬であるぞ!」
その瞬間、陛下の高らかな笑い声が響いた。
「良い。その決闘は余が立ち会おう。それにギモーヴよ、お前は廃嫡したのだから既に王族ではない。プロヴァンス王国で最強の騎士団長に対し、お前の方こそ礼を尽くすべきであろう」
周囲の貴族たちからもギモーヴに向けた嘲笑が始まる。
「臆病者。前から不遜な態度が不快であった」
「威勢がいいのは王権があった時だけか?」
「男としてのプライドすら無いのかアレは」
ギモーヴは周囲にもさんざん当たり散らした後、標的をクローテッドへ定める。
「いいだろう! その決闘、受けてやる! だが、高貴な私が戦うには及ばない。代理人で充分だ! カリソン、お前がやれ!」
「……なぜ私が?」
「そこの成り上がりを蹴落とすべく、我らは共犯であったではないか! 今さら事実と違うとは言わせんぞ!」
カリソンが共犯?
その部分に引っ掛かりを覚え、私は事実を確かめるべく立ち上がって前に出た。
「カリソン様、まさか……貴方がフランの件に加担したのですか?」
目を見開いたカリソンは、視線を反らして一拍の間を置き「そうだ」と認めた。
私の全身に憤りが駆け抜け、衝動的に叫ぶ。
「何故です! どうしてフランが巻き込まれなければならなかったの……」
兄弟の確執があったとしても、私に優しくしてくれたカリソンのことを信じたかった。いつかは兄弟が手を取り合う未来が来ると願っていた。
望みは願う前から断ち切られていたのだろうか。悔しさが募り、嗚咽を漏らす。
「カリソン様は間違っています!」
「私の行いが正しかったかどうかは、力で白黒つけるのが分かり易い。その代理決闘を受けて証明する。騎士団長に相応しいのも、聖女に相応しいのも私だと」
カリソンが受諾し、決闘のための場が整えられていく。
その短い時間の合間に、クローテッドが沈痛な面持ちで私に向き直る。
「助けにくるのが遅くなってすまない。アン様が泣かなくて済む世界のために、私はこの剣を捧げる」
私は胸元で手を組み、首を緩く振った。
「……泣かせないというのなら、せめて笑ってください」
手にクローテッドの温かさが添えられる。
「泣かせません。だからアンも笑って」
初めて呼び捨てで呼ばれ、私は喜びを噛みしめながら彼の勝利を願う。
抱きしめたい。抱きしめて欲しい。
けれどここは公衆の面前だ。そんなことを出来はしない。
手を放され、温もりが失われたことに不安を覚えていると、そっとハンカチを差し出された。あのときと同じハンカチを。
「……必ず勝ってくださいませ」
場が整い、互いの決闘の口上が始まる。
「我はクロィサーント家の誇りのため、そして力を得るに相応しいことを証明するため、この決闘を受ける!」
「我は聖女と亜麻色の髪の乙女の名誉を取り戻すことをここに誓う!」
クローテッドの宣誓を聞き、私の涙は止まらなくなった。
(フラン、見ててくれる? フランのための戦いだよ……)
陛下が右手を高く掲げた。
「プロヴァンスの誇りを!」
開始の合図と共に、最初の剣戟が火花を散らす。





