第22回:孫氏兵法は子々孫々に伝わって孫臏へ
ミニコラムの続きです。
孫臏は孫氏の兵法書で有名な孫武の子孫です。孫臏は、兵書家としても兵法家としても偉大なる先祖に遜色ない実績を挙げました。とは言え、孫臏の人生は決して順風満帆ではなく苦難の連続でした。
孫臏は若い頃、龐涓という友人といっしょに兵法を学びました。龐涓は先に魏に仕えました。そして主君の恵王の元で、将軍になるという幸運をゲットします。
しかし、内心は恐れていました。「孫臏は俺より遥かに軍略に優れている。味方であっても、敵であっても、俺は奴の下風に立つことになるだろう」と。そして「ならば殺してしまおう!」と思い立ちます。
何にも知らない孫臏は魏で出世していた友人の龐涓に招待され、喜んで向かいました。しかし、彼は魏に到着してすぐに無実の罪で捕まります。さらに、有無を言わさず、臏刑を受けてしまいます。
これは、両脚を切断する刑の事です。孫臏という名は臏刑になった孫さんという意味で、本名ではありません。更に、額には罪人の印である黥まで入れられてしまいました。
ここで孫臏は考えます。「魏に入国するなりこの仕打ち、これは龐涓の仕業としか考えられないぞ!」という正しい推測を行います。そして龐涓へ復讐することにします。
魏の牢獄から脱獄すると斉国に逃げます。そこで、有力者である田忌の食客となります。そして、馬の特性を見抜いた競馬予想で田忌を大儲けさせます。
気をよくした田忌は斉王に孫臏を紹介します。孫臏は軍事知識を評価され、斉の軍師に任命されました。そして、魏に侵攻されて苦しむ趙からの救援要請による派兵で大勝利しました。桂陵の戦いといいます。
この時、魏の軍師は因縁の相手龐涓です。孫臏はライバルの性格を考え「趙に助けに行くのは愚策です。がら空きの魏の首都大梁を攻めましょう」という策を考えて的中させました。斉軍は勝利し救援に成功します。
孫臏は軍師として大いに名を挙げました。そして、その13年後、今度は魏は韓に侵攻します。馬陵の戦いといいます。
韓は斉に救援要請を行いました。斉はこれに応えて出兵します。今度も田忌が主将、孫臏は軍師です。
そして、また魏の軍師は因縁の相手龐涓です。ここでも孫臏は、韓ではなく魏本国を攻めます。しかし、今度は龐涓も魏本国への侵攻を予測していました。
「バカめ、二度も同じ手を食うか!」と、本国にも強い兵を配置していました。斉軍を遠征軍と本国軍の間で挟み撃ちにしようとしたのです。斉軍は敗走します。逃げる間にもどんどん兵は減っていきます。
しかし、この逃亡は孫臏の策略でした。孫臏はある大樹に大きくメッセージを刻むと、兵たちにこう命じます。
「日が暮れたらここに火がともるハズだ。それに向かって矢を放て」と。
一方の龐涓は敵兵たちの敗走がウソ逃げだと気づきません。夜になるまで、全力で追いつめます。息が切れた所で、その場にあった大樹に何か文字が彫ってある事に気づきます。
そして言います。「なんだこの文字は?暗くて見えないから火をつけろ」と。兵が火をつけると大樹には「龐涓はこの樹の下で死ぬよ。にゃはは」と書いてありました。
龐涓は「あっ!」と思いました。しかし、時すでに遅しでした。体中を矢で射られハリネズミのようになっていました。最後に「これでまたあいつに名を上げさせてしまった…」と言って死にました。
待ち伏せに遭って軍師も殺され、魏軍は敗れます。見事復讐を果たした孫臏の名は天下に轟きました。彼は後に「孫臏兵法」という兵法書を残しています。




