表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
156/208

第156回:ブイブイ言わせる武韋の禍

ミニコラムの続きです。

 とう王朝の皇帝になった中宗ちゅうそうは、母の独裁に対抗できませんでした。生母である武則天ぶそくてんが生きている頃は、母のいいなりだったのです。

 ですが、少しでも抵抗したいと考えます。このため、中宗ちゅうそうの正妻である韋皇后いこうごう外戚がいせきを頼りました。母の武則天ぶそくてんの一族である一族がエラそうなので対抗できる存在を作りたかったのです。

 しかし、この勝手な行動が武則天ぶそくてんの怒りに触れます。中宗ちゅうそうはわずか55日間で辞めさせられます。皇帝の権威もクソもあったものではありません。おっと、お下品な表現で失礼いたしました。

 さらに追い打ちをかけるように、中宗は遠方の湖北こほくに流刑になりました。韋皇后いこうごうも流刑先まで随行する事になります。流刑先で韋皇后いこうごうは末っ子の娘である安楽公主あんらくこうしゅを出産します。

 夫婦は流刑先で苦しい生活に追い込まれました。同行した韋皇后いこうごうの親族はバタバタと亡くなります。それに中宗も将来を悲観して自殺を考えるようになります。

 しかし、韋皇后いこうごうは何度も中宗を励ましました。中宗と韋皇后いこうごうは夫婦仲睦まじかったのです。中宗は励ましてくれる皇后に感激します。

 そして、「もし、私が再び復権できるような事があったら、キミは好きな事をしなさい。ボクはなんの制限も加えないよ」と誓うのです。

 一方その頃、武則天ぶそくてんにより次の皇位は中宗の弟の李旦りたんが選ばれていました。睿宗えいそう皇帝と呼ばれる人物です。でずが、どちらにしても皇帝は武則天ぶそくてんの操り人形でした。

 その後、武則天ぶそくてんは自ら皇帝になります。武則天ぶそくてんは中国史上唯一の女帝となったのです。国号も「しゅう」に改められました。武則天ぶそくてんは敵対者には残酷な行動を行いました。しかし、国を治める政治家としては有能でした。長期にわたり政権を維持します。

 しかし、武則天ぶそくてんも寄る年波には勝てず、死の直前には権力を失って退位させられます。そして、失意の中で武則天ぶそくてんは亡くなります。

 武則天ぶそくてんの没後は改名していた「しゅう」の国名は「とう」に戻されました。今より遥かに男尊女卑だんそんじょひの時代ですから「女が作った新王朝など認められるか」という宮廷重臣たちの考えがあったのでしょう。

母:武則天の死後、側近たちの働きかけで皇位は中宗ちゅうそうに戻りました。中宗は流刑地から呼び戻されたのです。中宗はウキウキしていました。

 中宗は韋后いこうとの間にもうけた娘の安楽公主あんらくこうしゅを自分の補佐として、政治に参加させました。中宗は気弱で病弱で自分で政治をできる状態ではありませんでした。

 さらに、中宗は妻の韋后いこうと娘の安楽公主あんらくこうしゅを深く信頼していたようです。通常なら「女に政治に口出しさせるとはけしからん」となって反対意見がでます。しかし、当時は女性がパワーあふれている時代だったのです。

 妻の韋皇后いこうごうと娘の安楽公主あんらくこうしゅは、政治を補佐する、つまり政治に口を出すうちに権力の魅力に取りつかれます。そして、女帝として力強く君臨した武則天ぶそくてんの時代にあこがれます。自分達も、もっと権力を得たいと思うようになりました。

 ちなみに、韋皇后いこうごうは自分の長男と三女を武則天ぶそくてんに殺されています。「反乱を企てた」という理由です。このため「権力を得ないと自分の大切な者を守れない」という苦い想いもあったのかも知れません。

 しかし「韋后いこうはいかがわしい行為をしてまっせ」という告発がなされます。韋后いこうは「ヤバいわ、罰を受けるわ、権力を失ってしまうわ。」と焦ります。そして、何を血迷ったのか「そうだ、私が権力者になればいいのよ。私も皇帝を目指しましょ。ダンナは邪魔だから殺しましょう」と思ってしまったのです。

 焦った韋后いこう安楽公主あんらくこうしゅは、夫であり父である中宗を毒殺してしまいます。彼女たちの権力の根幹は中宗の信頼です。しかし、その権力の支えである皇帝を殺してしまいます。これは本末転倒です。ましてや自分が皇位につくなど政治力の不足している彼女には無理な事でした。

 しかし、韋后は傀儡かいらい。つまり、:操り人形となる皇帝を立てるなど暗躍するようになります。これに、腹を立てたのが、皇族の李隆基りりゅうきです。彼は後に玄宗げんそう皇帝になる人物です。

 なお、李隆基りりゅうき睿宗えいそうの息子であり、武則天ぶそくてんの孫にあたります。

 李隆基りりゅうきは、当時強い実権を持っていた自らの伯母の太平公主たいへいこうしゅと手を組みます。言い方を変えると、太平公主たいへいこうしゅは、武則天の娘です。しかも、一番お気に入りの娘だったそうです。

 李隆基りりゅうきは、太平公主たいへいこうしゅの力を借りて後宮へ手を伸ばします。当時権力をもてあそんでいた、韋皇后、安楽公主とその郎党(仲間たちのこと)を粛正します。つまり、暗殺したのです。

 武則天に憧れ、もう一度女性の支配する時代を望んだ母娘でしたが、能力は武則天ぶそくてんとは比べるべくもありませんでした。人材を育成して優れた政治力を発揮した武則天ぶそくてん

 かたや、ただ権力をもてあそび、贅沢三昧ぜいたくざんまいするだけの韋皇后いこうごう安楽公主あんらくこうしゅ。差は歴然です。

 韋皇后いこうごう安楽公主あんらくこうしゅは、人心を得られなかった事により、みじめな末路を辿りました。

 なお、唐初期の「」則天が皇位につき「」皇后がその栄光を真似しようとした時代を武韋ぶいといいます。彼女たちが権力をゲットしてブイブイ言わせていた時代だった。と覚えて下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ