9 - 地獄からの脱出2
「ついて来い!」
ランゾの大きく逞しい背中を追いかけつつも、スイはランゾからの脱走の機を見計らっていた。
四方八方、天を衝く石壁に囲まれた王宮は誰かの手助けなしに脱出は困難だろう。
最悪スイなら石壁をよじ登って有刺鉄線で体を抉りながらでも逃げられるが、逃げる前に取り押さえられては意味がない。
「ランゾ様⁉ 斯様な場所に何用で?」
敷地内を巡回する警備兵と鉢合わせた。慌てた表情で訊いてくる。
「城内の巡回でな! お前も精が出るな」
「左様でございますか。そちらは?」
貴族に同行する看守の格好をした少年。警備兵でなくとも不審がる組合せではある。
「おっ実はな………………誰にも言うなよ!」
ランゾは警備兵をとっつかまえて肩を組み耳打ちする。そして何かを言い終え、ニヤリと笑った。
何を言ったのかはわからなかったけれど、警備兵の反応から見て碌なことでないことはわかった。「えっ!」と叫んだ警備兵の目はまだ開いたままだ。
「では行くぞ!」
気分良くしたランゾは軽快に進んでいった。
「まさか……ランゾ様に隠し子がいらしたとは……」
去り際に警備兵がぽろっとこぼしていった。
一言いってやりたい気持ちを抑えて、スイはランゾの後を追った。
庭園の入口でランゾに追いつく。
赤い薔薇が全方向に咲き誇り、真ん中にはちょっとした茶飲みスペースが設けられている。全体的に剪定がいき届いていて、これ以上の庭園は他にないというほど美しかった。
こんな状況でなければ随分と楽しめたことだろう。
「隠し子ってなんだよ」
「上手い言い訳だろ?」
「どこがだよ」
庭園の中央を二つに割る石畳を鳴らしながら進んで行く。
「良い庭であろう? ここは一流の職人に手入れを任せていてな……」
「そういうのはいい。後どのくらいで出られる?」
「この庭園を抜ければすぐ城門だ。……そう焦るな」
ここを抜ければすぐ城門。逃げるなら今だ。スイの直感がそう告げていた。
スイはランゾの押しのけ、彼が怯んだすきに庭園を駆け抜けた。
「おいっ! 待て!」
後ろから微かに聞こえるランゾの声に耳を貸さず、スイは無我夢中で走った。
話に聞いた通り、庭園を抜けるとすぐ眼前に城門があった。吊り下げ式の橋がかかっていて、その向こうに砲弾を撃ち込んでもびくともしなそうな分厚い門が見える。
幸運にも橋は降ろされ、門が開かれている。
「何者だ! 止まれ!」
橋の前で警備兵に呼び止められる。
警備兵が左右対象に槍を振り下ろし、物理的に行く道を止められた。
「看守服を着た……子供?」
「なんでこんなところに子供が……」
二人の警備兵が訝しげに話している。
「まあいい。これから王が帰還する。君も大人しく下がっていなさい」
右側の警備兵がスイの看守服の襟を掴み引きずり込む。
なるべく荒事は起こしたくなかったけれど、こうなったなら仕方がない。スイは襟を掴んだ警備兵の腕を取り、一本背負い投げた。
「何をするんだ!」
もう一人の警備兵が慌てて捕まえにきたが、小さくかがんで抜けた。
門を目指して橋の上を駆ける。
「門を抜ければ自由だ!」
無我夢中で走った。とにかく走って、門の外に出ることだけを考えていた。
異常を知らせる警笛が王宮内に響く。その音さえもスイの耳に届いていなかった。
#
ローゼンタール王ゾンゲは七国の王が集う会議に出席するため、隣国クレストを訪れていた。
当初二週間の滞在期間を設けていたが、折り合いのつかない会議に呆れたゾンゲは僅か三日間の滞在でローゼンタールに帰国した。
「他の王は馬鹿ばかりだの~」
ゾンゲは無理を通そうとして、他六国の王に呆れられていた。にも拘らず、いつも自分が正しいと思い込んでいる愚王であった。
「大国であるローゼンタールを邪険にするとは……」
「貴殿もそう思うであろう?」
「はい。我らローゼンタールが寛大ゆえ容赦してやっておりますが、本来ならば攻め落とされても文句は言えませぬ」
共に馬車に乗るのはゾンゲのお気に入り側近だ。いつもゾンゲはご機嫌取りの腰巾着を連れている。
二人揃って肥太り、醜い心音を映し出したかのように醜い容姿。上等な衣服が可哀想に感じられるほど似合っていない。
「お前もくだらんクレストから、我が救ってやってさぞ幸せだろう?」
ゾンゲは侍らせている女に視線を投げた。クレストで誘拐してきた町人の娘だ。
強引に肩をまわし、いやらしい手つきで体を撫でる。
「大王様。じきに王宮です。それ以上は到着してからにしてくださいませ」
側近の男が冗談めかして笑う。
「おっと。これは失礼……」
まんざらでもないゾンゲがニヤリと笑んだ。
遠くから警笛の音が馬車に揺られるゾンゲの耳に届いた。何事かと側近と顔を見合わせる。
側近が馬車の窓から顔を出す。
「何事じゃ!」
「王宮に何かあったかと……」
「急げ! 優秀な国の兵士は我々に同行しておる。半数を先に向かわせ、敵襲を迎撃せよ! 最新兵器の使用も許可する」
「はっ!」
同行する兵士の半数は近衛兵の指示に従い早馬で王宮に先立った。
#
「止まれ!」
橋の中腹で数十名の警備兵が横並びに待ち構えている。
「死にたくなければそこをどけ!」
スイが吠えるも、
「子供がなにを」
警備兵全員が鼻で笑う。
僅か三秒。たった三秒で警備兵は自身の過ちを後悔することとなる。
スイは中央に立った警備兵の心臓を貫き抜いたのだ。警備兵の体を貫通したスイの右手には、まだ鼓動する心臓が握られていた。
途端に警備兵は腰を抜かし無様に悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちた。
視界の先で大きな門扉がゆったりと閉じられ始める。
スイは腕を引き抜き、心臓を投げ捨てた。警備兵たちが再度悲鳴をあげる。
すっかり戦意喪失した警備兵を放置し、スイはまた走り出す。
スイが門扉に到達する少し前に門扉は固く閉ざされてしまう。
近くで見ると一層門は高く。けれど、スイが飛び越えられない高さではなかった。魔力で脚部を強化すれば、十分飛び越えられる。そのための魔力もすでに回復した。
スイは小さく嗤った。
「そうだ。いいこと思いついた」
悪意に満ちた笑みを浮かべて、一度後退し橋の上に戻る。
そして、口を目一杯広げた。
次の瞬間、視界を覆う暗黒の光芒。大地を穿つ咆哮。スイの魔力放出咆哮でローゼンタール王宮大門は跡形もなく消し飛んだ。
「まだ本調子とはいかないな……」
スイは首を傾げるも、その前方に視界を遮るものは何一つなかった。
ほんの一瞬の出来心。今までの屈辱を少しでも晴らそうと、門を破壊した。
再び歩を進め、自分のペースで歩いた。
スイは自由を取り戻した。
「なんてことだ……」
草一本生えていない地に、騎乗した小隊が道を遮る。
先頭に立つ男は溜息に似た息を吐いた。
ゾンゲが先に向かわせた近衛兵。身なりと統率された隊形から、ただの一般兵の集まりではないことをスイは悟った。
「貴様は!」
スイの正体を知っているのか、隊を率いる兵士の表情に畏怖の色が落ちた。しかし、すぐさま決意を固め、力強い表情が戻ってきた。
「加護持ち以外は下がれ! 相手は魔人だ!」
一人の男が斬りかかってくる。目で捉えた時にはすでに目の前に——慌てて出したスイの左腕が斬り落とされた。
左腕が復元され元に戻る。
「ボンズ! 勝手に飛び出すな!」
隊長が斬りかかってきた男をしかりつける。
まるで聞いていないボンズは剣を肩に当て首を傾げていた。
「おかしいな……確かに斬り落とした手応えがあったのに……ってか斬ったよね確実に」
「そいつは不死だ! 下がれ!」
隊長の呼び声と同時に、スイは魔力で硬化させた右腕をボンズの脳天目がけて振り下ろした。
「重っ!」
ボンズがそれを剣で受け止める。剣をぶるぶると震わせ何とか受け止めた様子だ。
「殺すぞ?」
「あぁ……怖」
左足を軸に右回転したスイは、真っ直ぐ右脚を伸ばしボンズの腹に後ろ蹴りを打ち込む。ボンズの体が数メートル後方に吹き飛んだ。