表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻聴迷路  作者: 小田隆治
16/16

15 妻の見解

15 妻の見解


  今日は鮎川の妻が自宅で催す料理教室の日だった。3人の女性が参加していた。

 「ご主人は、今日も散歩ですか?」

 「いえ、今日は駅前にあるボクシングジムに行っているんですよ」

 「また、どうしてボクシングジムですか? 何か用事があるんですか?」

「笑わないでね。ボクシングを習い始めたのよ」

「えっ、あのボクシングをですか? 昔からボクシングをやられていたのですか?」

 「いえ、何を思ったのか、急にボクシングを習うと言い出して、3ヶ月前から週二回通うようになったんですよ。先月はシューズやグローブまで買ってきたわ。家でも時々、シュッシュってシャドウボクシングというの、あれをしているわ。やけに熱心なのよ」

 「それは本格的ですね。まさか、ボクサーになるんじゃないでしょうね。アマチュアの老人部門もあるんじゃないですか?」

 「まさか。あんなへなちょこですよ。ただの気まぐれですよ。でも、一回で懲りるかと思ったのだけど、3ヶ月も続いていますものね。主人はボクシングに行くまで毎日ソファに寝転がってテレビばかり見ていたでしょう。私も健康のためにはボクシングを習うのもいいんじゃないかと思っているんですよ。それにジムの人たちとも少しは話をするでしょう。社会性を育むにはいい機会じゃないかと思うんです」

 「そうですよね。うちの亭主も休みの日は一日中ソファの上でごろんごろんしているんですよ。今は平日働いているので許せますよ。ですが、毎日が日曜日となる定年後が思いやられますわ」

 「家にずっといられるのは、不愉快ですよね」

 「定年になる前に、趣味を見つけておいてもらった方がいいわよ。だけど、家の中で下手なギターをならされてもうるさくて困るわね。油絵もダメよ。家が油臭くなるから。やっぱり外に出てもらわないと。週に最低2日は外に出て欲しいわね。できれば、毎日どこでもいいから出て行ってくれればいいんだけど。散歩ではたかだか1時間程度でしょう。それじゃあ、いなくなったうちには入らないわよね。定年後も、亭主元気で留守がいいだわよね」

 「わっははは」

 「先生のご主人は、ボクシングジムに行かれるまでは、週一の散歩以外は毎日ソファに寝転がってテレビを観られていたんですか?」

 「退職後はしばらくそうだったのよ。このまま死ぬまでテレビを観続けているのかしらと思っていたんだけど。まあ、それでも仕方ないかと思って何も言わなかったんだけど、ある日突然自分の部屋に籠って、スマホで人と話をするようになったのよ。ぶつぶつ言う声が部屋の外まで聞こえるの。ほとんど一日中よ。スマホで電話をしない時はヘッドフォンで音楽を聴いていたみたい。ヘッドフォンをしているから、私の声が聞こえないのよ。食事や風呂の時は、部屋に入って肩をたたいてあげないといけないの」

 「電話の相手は昔からのお友達?」

 「いえ、最近できた友達らしいの。何、あのSNSっていうの? あれで友達ができたみたいなの」

 「SNSで知り合った人から金をだまし取られたっていう話を聞いたことがありますわよ。大丈夫なんですか?」

 「知っての通り、我が家にはお金がありませんから」

 「でも、土地や建物をだまし取られるってこともあるんじゃないですか。気をつけた方がいいと思いますよ」

 「ご忠告ありがとうございます。でも、あの人、スマホで話をするようになって、少し社交的になったのよ。ボクシングジムに行くことになったのも電話の人からの忠告だと思うし。それにいつだったかしら、私に温泉に行こうと言い出したの。そんなこと結婚してから今の今まで主人の口から聞いたことはなかったわ。きっと電話の相手から感化されたのよ」

 「まあ、温泉なんていいですわね。どちらの温泉に行かれるんですか?」

 「山形にするか、信州にするかってぶつぶつ言っていたわね。本当に行くのかどうかまだわかりませんけどね」

 「温泉なんて、うらやましいこと」

 「それに最近はクラシック音楽を聞くようになったみたいなの。今度コンサートを聴きに行こうって言うのよ。びっくりよ。性格が変わったみたい」

 「定年になると、性格が変わるんですか?」

 「そんな話聞いたことがないけど。定年後の鬱はよく聞きますけどね。それはそれで大変ですけどね。それにしても、先生のところは良い方向に性格が変わったんじゃないですか」

 「でも、耳が遠いのは変わりないのよ。補聴器を付けてもらわないと、私が大きな声を出さないといけないの。テレビ電話の人とも音量を最大にして話していたみたいだし。ジムの人の話は聞こえるのかしら」

 「ボクサーはみんな殴られて、難聴の人が多いんじゃないかしら。それでなくてもヘッドギアするんでしょ。きっとみんな大きな声を出しているわよ」

 「そうね。スポーツ選手ってみんな声が大きいわよね」

 「実は、主人、最近、私に一日中話しかけてくるのよ。食事の時だけでなく、洗濯していても追いかけてきて背中に向かって何かぶつぶつ話しているの。話していないと何か落ち着かないみたいなのよ。私がお風呂に入っている時は、以前は寝そべって観ていたテレビを、ボリュームを上げてソファの上に正座して真剣に観ているようなの。以前のようにボーっとして観ていないのよ。ちょっと気味が悪いくらい。いったいどうしたのかしら」

 「何かに目覚めたんじゃないですか?」

 「まさか、青春を取り戻そうとしていているんじゃないですか?」

 「ボクシングをしたり、話をしたり、奥様を温泉に誘ったりと、なかなか良い老後の過ごし方じゃないんですか?」

 「まあ、そう言われればそうだけど。ああ、そう言えば、ボクシングを習うようになってからSNSの友だちと話をしなくなったようなんですよ。喧嘩でもしたのかしら?」

 「あきたんじゃないですか?」

 「そうかしら」

 「SNSの相手より、奥様の方がよくなったんですよ」

 「そんなことはあり得ないと思いますよ」

 「あっ、もうこんな時間。子供たちが帰ってくる時間だわ。それじゃあ、どうも有難うございました。ご主人のボクシングの試合には呼んでくださいね」

 「ははは。弱っちいボクサーよ。ゴングがなってもコーナーに座ったまま出て行かないのよ、きっと」


          完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ