13話 たまたま、玉たんま、またまた
だが俺は童貞らしい童貞として中学生より中学生らしい脊髄反射により、俺に被さるスミさんをついに突き飛ばしてしまったのだった。28歳としてはあまりに稚拙でどうしようもない照れ隠し、一向に進歩がないクズだ俺は。
「ごめんけど!ごめんけど!」
もう情けないやらな居た堪れないやら、とにかくこの場を離れたくて思いっきり縁側を飛び出した。
(……え?)
また同じ部屋に立っている。突き飛ばしたことによって横たえられたスミさんはのそのそと体育座りになるとしずしずと泣き始めた。俺は茫然とスミさんを見下ろしている。
(……なぜ?)
「……すん……すんすん……すん………」
しめやかーにスミさんは泣いている、本当に俺はどうしたらいいか分からない、また駆け出そうとして、いや駆け出して縁側を踏み切った、また部屋におり、スミさんが泣いている。
「これ坊や、スミに謝りなせ」
おてつけさんの声が頭に響く。
「いやでも、悪いと思ってるけど……」
「謝りなせ!」
「ひっ……すいませんでした」
急にそんな大きな声出さなくてもいいじゃん。
「スミも哀れな性でいずれどこかの男に縁付いてしまう宿命|じゃった、どんな酷い男でものう、それが坊やになったのはせめてもの救いじゃ、どうかスミの本当の気持ちを見てやってくれ。わしはそれができる男と、あんたのこと見とるよ、じゃからそう邪見にするなて」
「……」
「スミさん、ごめんな」
スミさんは小さく、そしてぎこちなく頷いた。それはまるで幼子のしぐさのようであった。いろいろ体と心と本能がちぐはぐ、そう考えると何やら共感する部分も出てきたように感じたのだった。
「それとなスミには今まで人の真似をさせとっただけだったすけ、今やっと自分の姿を持ったばかりじゃ、誰ぞ相手がおらんと形を持てんというのも難儀な話なんじゃが、ともかく人の心の扱いも分かっておらん、他人のも己のも、坊やが接してするなかで色々教えてやってくれ、わしも人か危ういもんじゃて、坊やと一緒の方がずっと人らしゅうなる、よろしく頼むな」
俺はこのときのおてつけさんの言葉の意味を半分も理解していなかったことが後々分かるのであるが、情にほだされたのか、なし崩しか、「分かりました」と答えた。
頷いているのであろうなという間の後、こう続けた。
「まあ、話は変わるども、ちょいと状況も思うたより悪いでな、坊やたちが一つ目に襲われたのは災難じゃったが、早めに遭って良かったかも知れん。そんでまあ、スミもおとうもいなけりゃ、坊やも身の一つも守れんと困るでのとわしは思った、急場凌ぎに良い手があるから打っとこと思うとる」
「……はあ」
もうリアクションの余地がないほどに話がどんどん進んでいく。まるでコマ送りで進んでいるようだ。今までの12倍くらい早い。なんだ修行パートなのか。
「儂の部屋にきなせ、おとうも落ち着いたところじゃ」
すかん、と音がしておてつけさんの部屋に続く襖が開いた。驚かない。
「じゃ、スミさんまたね」
と、軽く手を挙げるとスミさんもバイバイしてくれた。
歩き始めると順路の扉が独りでに開いていく。驚かない
おてつけさんの部屋に入る、親父が玉になっていた。驚く。
部屋にはおてつけさんとお袋と玉。
布団の上に巨大な水晶玉ような結晶が乗っている。聞くと親父らしい。竜化してしまうのが、手っ取り早いらしいのだが、山奥といえど、周りの種族の変質がすでに始まってしまった以上、目立つは避けておこうとのことでこういう形になったらしい。
それで玉なのかと疑問は尽きなかったが、おてつけさんが話を進め出すので、異論をはさむ余地はない。
「はい、これ飲む」
神棚のようなところから、白い徳利がおろされ、平たいおちょこに注がれた。いずれもふよふよと空中を漂いながら運ばれてくる。スミさんがいないためか、おてつけさんが動く気がないせいかは分からない。
そして注がれた酒と思しきものは、ほんのり緑掛かっている。これ、カビじゃないの?洗ってないんじゃないの?
「はい、飲む」
飲む、日本酒はたまにやるが、確かに近しいことが分かる。でもちがう、苔、森、悠然とした森の奥地で苔を踏みしめたときのような馥郁とした香り、そこぴょんと飛び出すバッタ、どこかそんな青臭い匂いの存在感が強い。
(やっぱりカビじゃないのこれ!)
でも吐き出すとまた怒られそうなので、顔を顰めて無理やり嚥下する。すぐにバケツが飛んでくる。なんだこれは吐きだしていいのか。
「それ持ってここ入る」
おてつけさんの視線の先の床の間にある掛け軸がひらりとめくれ上がると、ぽっかりと小さく四角い穴が空いている。なんだ?太古に続いているのかあの先は?どら〇もんいないけど、やだよ、どら〇もん一緒にいなかったら嫌だよ、行きたくない。
助けを乞うような目線をお袋に向けると、お袋は親父の玉を撫でながら、「ゆうちゃん気を付けてねー」と言った。
なんか卑猥じゃない?どこか親の房事を目にしている気になって気まずい気持ちになる。
(くそ、親父の野郎てかてかしやがって、年考えろよ)
若干やけくそ気味に何も言わずにバケツを持って穴に足を掛け、身体を捻るようにして中に入る。もう怒ったね、俺は一生こいつらに突っ込まない、この時、俺は確かに誓ったのだった。
だが入った先の空間の異様さにすぐに意識が奪われる、その空間には一切光がない。下を見ると立っている感覚がないほど深い闇だ、いや、前も左右も全部だ。一瞬沈み込むような感触に襲われると、もうすべてのバランス感覚が消失した。頼りはもう手に持ったバケツだけだ。
しかしどうなってるんだ、どこにも引っ掛かりを感じられない、宇宙空間に放り出されたかのようだ。パニックになりかけるが、それより先に強い反応が体を襲う。
(すっ……)
すっごい気持ち悪い。入って二秒も経たないままに、俺は頼りになるバケツにゲロを吐いた。




