5 ( 八岐大蛇の話 )
八岐大蛇の話
(認識迷彩の羽衣には八岐大蛇の霊魂が使用されているという。代々木公園で起こったことの真相を知るには八岐大蛇に話をきく必要があると思い、再び同じ霊媒師に依頼して八岐大蛇に話をきいた。)
1
認識めい……、すまぬ、何と言ったか?
………、残念ながら己は知らぬ。己は永き間、どことも知れぬ闇に幽閉されていたのだ。
その、にんしきめいさいのはごろも、とやらはこの時代の発明物なのだろう。この時代の発明物のことは知らぬ。己がどれだけの時を闇に幽閉されていたのかはわからぬが、己が封じ込められたときと今とでは時代が異なっていることはわかる。
例えばこの壁の材質、これは己の知っているものではない。
己の知っている建造物の多くは木を嵌め合わせたもので触れれば複数の木を切り繋げたものだということがわかるようなものだ。しかしこの壁は灰色で、触れても継ぎ目があるのかどうか判らない。そもそも繋げてできているものかどうかも怪しい。もしや一繋がりのものとしてつくられたのではないか?
……、矢張りそうか。これだけの巨大な建造物の中身だけど刳り貫くとは人間の建造技術も進歩したものよ。
………、ちがう?刳り貫いたものではない、と?
……、よく判らぬがまあよい。少なくとも己が知っている時代にはこのような建造物は建てることができなかった。
外の様子とて今とそのときとでは異なる。少し前に外を歩くことがあったが己の見慣れぬもので溢れていた。人も溢れていた。この時代の人間の数は己が知っているときに比べて著しく増えたようだな。そのとき歩いたのは確か我が仮の住居が一つである明治神宮の参道であったが、人間がそのようなところに来る理由はそうあるまい、するとあれは少ない方であったのだろう。
しかし神宮程度であの人の数であるならば、城下町ともなればどれほど人に溢れていることか。
まあそれはよい。このように己はこの時代に疎い身。この時代の発明物の成り立ちを己に問うたところで得るべき答えは手に入らぬだろう。
………、なに、闇に幽閉された時の記憶だと?
そのようなこと、きいても詰まらぬだろう。闇に於ける記憶とは、見えるのは闇、聞こえるのは闇、感じられるのも闇、匂うも闇、味わうも闇、そして思うこともまた闇だ。時折何らかの感覚や考えがよぎることがあるがすぐに闇に紛れ跡形も無く、よぎったことすらも確かならざる記憶となる。そのような闇の中では動き回ることも茫洋とし、動き回ったところで動き回った感覚も感じられぬ。己の体すらも闇に紛れているので己の体に触れて己を認めることすら侭ならぬのだ。
そのような中では時の経過は定かならず空間は無でありその広がりは無辺である。何も語ることなど無い。
……、その前後のこと、つまり闇に幽閉される前と解放された後、か。幽閉された時の記憶は曖昧だが、それならば判る。それを己に語れというのか?
語るのは構わない。ただ、己は暇ではない。人間が己のような存在に何らかの願いを届けるには作法に従ってもらわねばならぬ。
が、お前は作法に従い、供物を捧げている。作法に従い、儀式を行い己を召喚したとあれば己はそれを無碍に断ることをしない。我が主、龍神の律法に従いお前の望みをきこう。それが己の幽閉されていた時の前と後の記憶を語ることとなれば容易いこと。心してきくがよい。
まずは闇に幽閉された時のことを語ろう。
2
闇に幽閉される少し前、己は己の主を相手に遊戯に興じていた。
己が住まうのは海底数千里の宮殿、世のあらゆる水事を統べている。海流の向きや雨雲の発生などを制御しているのだ。地上の潮流や渦潮、竜巻や洗濯機の渦などの発生は己の住まう宮殿の働きによるところが大きい。その他に死者の裁定などがあるが、それは水事に比すれば雑務に等しい。稀に人間が宮殿に来ることもあるが、そのときの宮殿のやるべきことの煩雑さと主の気分によって対応は変わる。人間が宮廷に来れば大抵は八つ裂きにされる。
しかし稀にだが饗応されることもあるようだ。
あるとき一人の人間が来て、もてなされたことがあったのだ。
しかしあのときは主は留守で出迎えたのが主の息女の一人、乙姫であった。乙姫はもてなしを好むのだ。それが故にあのときの人間はもてなされたのだ。土産物を渡すことすらしていた。だが何を間違えたのか、乙姫は土産の箱の代わりに玉手箱を渡していた。土産の箱も玉手箱も見た目は同じで葛篭なのだが玉手箱には或る幽波紋能力が閉じ込められていたのだ。開けると封じ込められていた幽波紋能力に攻撃される。”偉大なる死”という幽波紋の能力で、その攻撃を受けたものは著しく老化する。乙姫はその人間に葛篭を渡した後で中身が玉手箱であることに気づき、とはいえ間違えたから返してくれというのも乙姫の誇りが許さず、結局は自分の神秘性を強調しながら中身が危険であることを知らせるべく、決してその葛篭を開けてはなりませんよ、と言うにとどめていた。
己はその人間になんらかの感情を持っていたわけではなかったのでその侭人間が玉手箱を持って帰るのを見送った。
あの者はその後どうなったのであろうな。しかし開けたにしても開けなかったにしても、乙姫がその人間をもてなしたのは地上の時間に於いて数百年前のことだ、疾うに寿命を迎えていよう。
あるいはその者は死者として宮殿に来たのかも知れぬがそのよう些末なこと、己はおぼえていない。
それに宮殿と地上では時の流れが異なる。宮殿での3日が地上での200年の時もあり、宮殿での2年が地上でのひと月の時もある。というより、地上と宮殿の時の流れは方向が同じではない。宮殿での明日は地上での一年前のこともあり、地上での次世代は宮殿での前世記のときもある。宮殿の住人ならば地上に出ても戻るときは宮殿の時の流れに戻ることができる。が、人間の場合はそうではないのかも知れんな。
今言った人間、乙姫がもてなした者は地上に戻っても時の流れは別の時代であったのかも知れぬ。
己には関係のないことだが、まあ宮殿にはそのような特徴があるのだ。
3
ところで宮殿に名は無い。名を持つ必要が無いからだ。主の住まう宮殿はこの世にもあの世にも唯一。唯一であるものには他との区別の必要も無く、区別の必要がないものに名は必要ない。だから宮殿に名は無いのだ。
しかし人間にはそうではないようで、宮殿を竜宮城などと呼び、己の主、龍神をリヴァイアサンなどと呼ぶこともあるようだ。言うまでもないことだがそんなものは人間が勝手につけたもの、そのような名で呼ばれたとてその名が宮殿や主を指すものだなどと己にわかる筈も無い。人間の間でもそれらの呼び名が定まっていないようではないか。
が、そんなことはどうでもいい。己が闇に幽閉される少し前に己は主と遊戯に興じていた話だったな。
宮殿にはもとより遊戯具は無い。つくろうにも宮殿の住民にその手の発想は乏しい。遊戯具ならば地上の方が豊富なのだ。
あるときは地上の遊具、蹴鞠というものが宮殿で流行った。蹴鞠とは軽い球状の紙に息を籠めて数人で順番に蹴り合い落とさぬようにするもので、地上では歴史書を見る限り数百年栄えた遊戯のようだ。が、宮殿の住人は人間などよりも長生きであるものの人間よりも気は短いのであろう、人間と同じやり方では三日と保たずに廃れてしまった。しかし新たな手法を取り入れるなどしてみると今度はなかなかの面白さで今なお盛況だ。
地上の蹴鞠の規定は反古にし、壱拾壱(11)人を壱組として陣地を設け、弐組で争い相手の首領に蹴鞠を蹴りつけ合う。時間内により多く敵の首領に蹴鞠を蹴り当てた方が勝ちだ。蹴鞠は元来の紙ではなく、獣の皮を剥いだものを球状に縫い中に気を籠めて使っている。地面に着地することにより失格となる規定は捨て、代わりに手を使ってはならず足だけで球を蹴り地上に転がし競う。宮殿ではこの遊戯を蹴球と呼び変えた。蹴球は宮殿より発祥したものだが、地上にも似た遊戯はあるようだ。サッカー、と言ったか?少しだけ見たことがあるが完全に同じではないようだな。大体の規定は同じだが、唯一、首領に球を当て合うのではなく籠を狙い合うところに違いがある。全く同じではないのは或いは宮殿に訪れた人間が蹴球を見て真似たことを隠す為かも知れぬ。
しかし己が闇に幽閉されたときにやっていた遊戯はそれではない。地上の遊具を使ったものだ。
あるとき下女を地上に遣わせ遊具を手に入れさせてきたのだ。地上の遊具を手に入れる為には地上の貨幣が必要だが宮殿に地上の貨幣は無い。貨幣は時代や場所により異なるということもあり己はそういったものを持ってはいない。あったとしてもすぐに廃れる。ゆえに地上の貨幣を宮殿に置いても貨幣としての役を果たさぬのだ。が、金であればどの時代でも貨幣の代用となる。金ならばあるのだ。だから下女に金を持たせ、地上に遣った。
暫く後、多量の品を持ち下女は帰ってきた。程無く戻ったにもかかわらず、その下女は己の気のせいか数年を経たように見えた。肌は小麦色に焼け、顔の造形を目立たせるような文様も描かれていた。地上の妖怪に山姥というものがあるようだが、あれと同じような印象を受けた。
宮殿の時と地上の時は流れが異なるが、流れに身を置く者の時の流れ方は一定の筈。ゆえに年経る筈は無いのだが、判らぬこともあるものよ、とその時はそう思った。
下女が持ち帰った遊具だか、いずれも目新しきものばかりだった。荒々しく扱ってはならぬようで、下女は遊具を一つ一つ丁寧に仕立てていた。どの品も黒く光沢があり、軽く角張っている厚みのある板や函で、ところどころ黒く光沢のある太い紐で互いがつながれていた。己はそれを見ても扱い方が判らなかったのだが下女は手慣れたように扱い仕立てていた。その場には己と主を含め、多数の者が場を占めていた。
皆が地上の遊具を知りたがったのだ。
そして下女は仕立て終え、仕立てた品の或る部分の突起を押した。突起は押されるままに引っ込んだ。そして何かが噛み合う音がするとその函ではなく別の厚みのある板の我々に向いている方が函型に光り異世界につながった。一場は騒然となった。異世界の入り口には文字が見えた。それは、バァチャファイター、と読めた。
己は目の前で起こっているのが何なのか判らなかった。
ゆえに下女に説明を求めた。なんだこれは?と。すると下女は答えた。
キャハハー☆これはぁ、セガサターンっていってぇ、異世界の住人を意のままに操る遊具なんですよぉ、みたいなー!ここにぃ、円盤がありますよね、これを、こうやってぇ、入れ替えて突起を押すと、ほらっ!さっきのバーチャとは違う世界に繋がっちゃいましたぁっ!円盤は幾つも買ってきましたから異世界の住人はたっっくさんいます!どの住人もたのしぃんデスケド、たまぁに、すっっごいつまんない異世界があって、チョベリバー☆これとか面白いですよ!カーマゲドン。異世界で高速推進車を操って住民を轢き殺すんです!連続轢きやバック轢きで高得点をゲット!ほかにはぁ、このポスタルっ、ていう異世界は住民をマシンガンで
そこまで聞いた時点で思わず殴り掛かってしまった。心で考える前に体が動いたのだ。が、ぎりぎりのところで思いとどまった。下女とはいえ女だ。下女が何を言ってるのかは全く判らなかったが、とりあえず残念なしゃべりかたに苛っとさせられたのだ。
わかるであろう?
そのときなぜ下女が数年を経て見えたのか判った気がしたが敢えて言わないでおこう。言えば下女を殺害してしまいそうな気がする。
その時のその場での経緯は省くが、セガサターンのバァチャファイターは宮殿内で例に無い程の熱狂を巻き起こした。宮殿に於けるバァチャファイターの強者を見極める為の仮想武闘会という大会も催されたぐらいだ。
己が闇に幽閉されたのはその折。
4
己が使役したバァチャファイターの住民はグラウドという剣士だ。グラウドはマテリアブレイドという宝剣を用いることで敵を刻む。己はグラウドを操り相手の操る住民を片端から打ち砕いていった。己にかなう者はいなかった。ただ一人、我が主、龍神を除いて。
バァチャファイターに於いて主は大会前より己と争い、切磋琢磨して自らを鍛えていた。己はその相手となるべく腕を磨いた。が、今に至るも己は主に一度も勝利したことは無い。主の使うはアキラという武闘家、敵を拳のみで木端微塵に打ち砕き、十年はええんだよ!と相手を見下す。相手を見下すことができるのは相手に勝利した時だが、己の知る限り主の使役するアキラが相手を見下さなかったことは無い。己のグラウドが主のアキラに見下された数は軽く千を超える。主のアキラは無敵だ。しかし己はその主のアキラを相手取って戦っていたのだ。勝てずとも自ずと腕は上がる。当然のこと、己はバァチャファイターで主以外に敗けたことは無い。
その己が仮想武闘会で決勝まで勝ち残るのは当然。仮想武闘会の決闘者の組み合わせは、己が決勝まで残らなければ主と闘うことのないものだった。
しかし逆を言えば決勝まで残れば主と闘うということ。そして主が決勝まで残るのは必定。
そして己と主は決勝で闘うことになった。戦いは熾烈を極めた。
本来ならば闘いには制限時間があるのだが、決勝のみはそのような無粋なものは不要として制限時間を無限とした。
結果、闘いは数時間にも及んだ。
己のグラウドが一瞬で背後に回り斬ろうとすれば主のアキラは後ろ回し蹴りでしのぎ、その蹴りをグラウドが受け止め再度の打撃を避けるため距離をとる。グラウドが遠距離攻撃円月輪を放てばアキラは避けながら距離を縮めグラウドを粉砕にかかる。
そうやっていつまで続くとも知れない激闘の中、互いの残りの生命は僅かとなり、どちらかがあと一撃さえ与えれば勝負は決するところまで来た。
正直なところ己は主に勝てるとは思っていなかった。それどころかそこまで主を追いつめることができるとも思っていなかった。だがあと一撃、主のアキラに当てることができれば己ははじめて主に勝つことができる。
主が先に己に襲いかかり数度の連続した拳で粉砕にかかった。避けられると思っていなかった。しかし何の奇跡が起こったのか、己はそれらすべてを躱しきった。そして主は己の背後に抜け、そのとき、隙ができた。
さらにそのとき己のグラウドは主のアキラの攻撃を躱し乍ら偶然にも最終奥義ブレイバーを放つ準備ができていた。そのとき、もしそのままブレイバーを放っていたならば己は主に勝ち仮想武闘会に優勝していたであろう。優勝賞品、熱海旅行を手にし温泉に浸かることができていたであろう。
しかし、そのとき、己の、己のグラウドではなくグラウドを使役する己の背後より何者かが己の襟首を勢いよく掴み、上空背後に引張り上げ、そして己はそのまま闇に飲まれた。
後に聞いた話によるとその後、主のアキラは即座に体制を直し己のグラウドに攻撃を加え粉砕し、十年はええんだよ!と己のグラウドを見下したとのことだった。
そして熱海旅行は主の手に渡り温泉を満喫したという。
だがその時点では己はそのことを知らない。
己は気がつくと闇におり、あらゆるものが闇に紛れた。数瞬前までは己のグラウドが主のアキラと激闘していたことも闇に紛れた。
そしていつまで続くとも知れない時が流れた。
既に言ったように、闇にいた時の記憶は無い。
ただ時間が過ぎていくという感覚だけが感じられた気がした。
そして次に気がついた時、周りには空があった。
5
場所は地上、目の間に人間が一人。己はある人間の中に在りその人間を通して周りの世界を認識しているようだった。己の目の前には巨大な盆があり、盆には水が溜められていた。そしてその溜められた水の上に人間が浮いて立っていた。その人間と己が入り込んでいる人間はなにやら会話をしているようだった。
そして、目の前の人間が言った。
「旅人よ、あなたが落としたのはこの金の斧か、それともこの銀の斧か?」
己はその言葉を聞いて驚いた。
己はその目の前の人間を知っている。
己はそのとき目の前の人間が放ったのと似た言葉を嘗て聞いたことがある。
己は目の前の人間を嘗て見た事がある。そして、
「いいえ、わたしが落としたのはそれではありません、スーパーファミコン内蔵型152型ハイビジョンテレビです。」
己が入り込んでいる人間がその言葉に返事をした。
それに対し己の目の前の人間が、
「不正直な旅人よ、あなたが落としたのはそれではない、さらば。」
と言い放つと、
「いやいや落としたんだって、スーパーファミコン内蔵型196型ハイビジョンテレビ。」
と己が入り込んでいる人間が返した。
己が入り込んでいる人間が誰なのかは知らぬ。
しかし目の前にいる人間は、賊だ。
6
己は遥かな昔、宮殿に備わる八つの宝剣の一つ、草薙剣を奪われた。奪ったのはその賊ではない。
奪ったのはスサノオという者、即ち神道の最高神、天照大神の眷属。
草薙剣は天照大神の手に落ち、天照大神は配下に草薙剣を授け、その配下は呪術機関、朝廷を創始した。
朝廷は一つの呪術中枢、主な機能は人民の支配だ。
あの国のあの時代の歴史書に関する記述は朝廷に関するものが殆どだ。これは偶然ではなく朝廷の支配による必然。朝廷の外は厳密に制されていたため外の者は歴史として記述するに足る行動を起こす事はできなかったのだ。稀にあったとしてもすぐに鎮圧された。朝廷の支配が強力だったからだ。
その支配は呪術で行われた。そして呪術は朝廷の者が、神器、と呼ぶ三つの宝具を用いて張り巡らされた。
その神器と呼ばれた宝具のうち二つの出所は知らない。
一つは内部に保存しした物を冷やすことの出来る柔道の腕の立つ匣、もう一つは深い砂嵐に迷い込んだときのような像と音を限られた平面に顕し続ける匣。れいぞうこ、それと、てれび、だったか、そのような名だったように思う。この二つの機能と力は理解できなかったが、何らかの力を蔵しているのだろう。己はこの二つについては興味が無い。
しかし後ひとつの神器の力はその二つよりも比較にならないほどの力で成っていた。
それが即ち奪われた宝剣、草薙剣だった。
草薙剣を含む三つの神器を用いた呪術により朝廷の長は結界を張り支配を行っていた。神官達によっても結界が張られ、それに加えて朝廷の建造物自体も結界構造を蔵している。それだけのことをしているのだ、朝廷に張られた結界が強力ではない筈が無い。
もしその結界が通常の人間の力をおさえる程度のものであるならば破るのは容易、草薙剣は結界を破った後に奪い返せばよい。しかしその結界は強力な力に対して張られたもの。その強力な力には竜巻や地割れ、津波や雷撃などの自然の諸力も含まれる。自然の諸力も防ぐ程の結界を破る事は容易とは言い難い。
ただし一方で結界は強力な力のみにはたらくものであるため微弱な力は防がず、それがゆえに人間の出入りができた。己の力も弱いものであれば通すことが出来た。遠隔の影響力も及ぼすというものだ。しかし遠隔の影響力程度では結界破りには程遠い。
結界は三つの神器のうち一つでも持ち出せば崩れる。しかし持ち出す為には結界を破らねばならない。あるいは結界を破らずとも少なくとも中に入る事ができねばならない。結界は境界として存在するのであり内部に居る者に常に影響を及ぼし続けるわけではない。境界を跨ぐときだけが問題なのだ。つまり、ひとたび中に入ってしまえばどのような力も弾かない。
よって己が入れば事は済むと考えた。が、駄目だった。己は結界に強大な力と看做され弾かれるからだ。試したわけではない。が、一人宮殿の者を向かわせた時、その者は結界の境界で弾かれ炭と化して崩れて消えた。
その者より己の力の方が強い。己が無理に入ればその者と同じ目に遭うだろう。
地中ならば結界の力も及ぶまいと考えたが、それも誤りだった。結界は朝廷の中心より球状に張られているようで、己の配下が先走り地中より朝廷に入り込もうとした結果、同じように炭となって崩れ土に埋まり混ざった。地中からも入り込む事も不可能だった。
それ以外に、もう一つ手はあった。
結界は神器を用いて張られているが、結界の要は朝廷の長なのだ。それならば朝廷の長さえ仕留める事ができれば自ずと結界も破れる。
しかしそれも難しかった。なぜなら朝廷の長は神属だからだ。神属は神通力を操る。視線を向けただけで町を燃やす事ができ、立ち上がっただけで大地を揺らす事もできる。太陽の光は朝廷の長に触れさせる価値は無く、大地は朝廷の長の足が踏みしめるだけの価値もないとしてこれを拒んだ。あるとき朝廷の長が不用意に外に出たことがあるが結果として太陽の光を雨雲で覆い隠して水害が起こり、大地に足が触れる前に地を崩し地割れを起こしたこともあったという。
そのような神通力の前では宮殿の住民と言えど対抗するのは難しい。万全を期して挑めば神通力を破ることはできるかも知れぬ。が、それはには大きな危険が伴う。
これが現在であるならば何の困難もない。神通力は現在まで継承されてはいないからだ。
現在でも朝廷の長の末裔はいるようだが既に神属の力は失われ只の人間と何ら変わるところはない。
しかしそのときの朝廷の長は神通力を失うどころか時を追うごとに力を増していくように思えた。結界を破る事は容易ではなく、結界の要である朝廷の長も強大だ。ゆえにこれらの方法で朝廷から草薙剣を持ち出すことは断念することになった。
だが、草薙剣は永久に朝廷の中枢にあるわけではなかった。朝廷の長の位を継承するときに儀式として用いるようだった。そのときに狙えばあるいは奪い返す事はできた。
いや、平時に比べれば奪いやすいだけで、奪い返すのが容易であるわけではない。
儀式のときに朝廷の長の神通力による封印は解かれているが、代わりに周りを囲む神官が三つの神器と朝廷の長と朝廷の長の位の継承者を強い力で守っていた。あるときは朝廷の長の神通力に劣らぬ力をもつ神官もいた。その神官とは陰陽師、式神の使役や大地との交渉を執り成す者だ。ある時の陰陽師は朝廷の長に仇成す者は神属さえも殺したという。常にそのような強力な神官がいたわけではない。しかし神官による守護は常に強力だった。現に、何度とあったその機会にも草薙剣を奪い返す事ができなかった。
外側から草薙剣を奪い返すのは難しい。では内側からならばどうだ。そう思い、試みる事にした。己がその侭入ろうとすれば炭屑となるであろう事は既に言った。しかしその侭ではないのであれば入り込む事はできる。遠隔の影響力を用い、朝廷内部の人間に転生するのだ。そして時をみて奪い帰るのだ。転生する先は己の意思で決められる。
が、転生した者がどういう扱いを受けるかは決める事ができない。朝廷に於いて人間は生まれたとき既に生まれた後どう振る舞うかが決まっているのだ。下女の生まれの者は下女の、側近に生まれた者には側近の相応の役割を求められる。その役割から外れる者ははじかれ大抵は殺される。己が影響力を使えば転生した先での己の扱いを変える事ができる。村民の出の者もやり方によっては王にする事もできる。しかし結界の強さは転生した先での扱いに影響力を与えるには大き過ぎる。
己の遠隔の影響力でできるのは朝廷内部の人間に転生する事ぐらいだった。
ゆえに己は朝廷の人間に転成することにした。
転生先は慎重に選んだ。
7
朝廷の長に近い者と思って転生したのだが、どうやら朝廷の長の位の継承者に生まれたらしい。
己が転生した先は正しかった。
生まれた二年後には己が朝廷の長の位を継承した。己が仇敵と思っていた朝廷の長の位を己自身が受け継ぎ、神通力も己の裡に留まった。三つの神器も己の手中に収まった。そのときに草薙剣を持ち出す事ができればよかったのだが、転生したとはいえ肉体は齢二つ、体が思うままに操れぬ。己の力を使う為にはそれでは不十分、しばらく待つ必要があった。
受け継いだ神通力を使えばいい、そう考えることもできよう。しかしそれも難しかった。神通力が使えなかったわけではない。神通力は使えたのだ。だが御せなかったのだ。己より以前の朝廷の長も同じだったようで、神通力が操れないのは己が不慣れなせいではなく扱う者の資質に大きく作用されるようだった。神通力とは所持する者に自在な力ではなく、自然の諸力そのもののことのようなのだ。朝廷に張られた結界は外界からの自然の諸力を防ぐだけではなく、朝廷の長の神通力、つまり内側に蔵する自然の諸力を押さえるものでもあるようだったのだ。自然の諸力をそのまま放っていたのでは災害が相次ぎ、それを一人の人間の肉体に封じ込める事により災害を防いでいるという。自然の諸力は元より一人の人間の肉体に収まるようなものではないが、ある一族のみはその身一つで自然の諸力をおさめる事ができる。
それが天照大神の配下のある一族、つまり朝廷の長の一族であるという。
自然の諸力はその一人の人間に収まっているが、それは自然の諸力を御しきれるという意味ではなく、自然の諸力を押さえ込む事ができるという意味だ。他の者の体に無理にこれを押し込めようとすれば忽ちのうちに破裂する。
押さえ込んでいるというのも容易ではなく、気を緩めれば暴れ出す。それを防ぐ為、朝廷の長には特別な部屋と特別な衣が用意される。朝廷の建造物そのものも自然の諸力を押さえ込む為に建てられたという。ゆえに朝廷に張られた結界は強力で、三つの神器はその為に必要であるという。
三つの神器のうち一つでも失われれば自然の諸力は暴れ出す。あたりは惨状に見舞われるであろう。しかしそんなことは己の知った事ではない。問題は自然の諸力の要である己の肉体が持つかどうかだ。
暴れ出した自然の諸力に己の肉体が持つとは思えない。勿論のこと、己の本来の肉体ならばそのような配慮は無用。だがそのときの己は人間、それも齢二つの肉体にとどまっていたのだ。
神属といえど幼い人間の肉体に暴れ出した神通力に耐えられるとは思えなかったのだ。
しかし己の本来の力が使えれば草薙剣で押さえ込まれていた力の代わりになりうる。外から浴びればただではすまない神通力も内側から押さえ込むことならばできるかも知れぬ。それはできるか判らぬ、一つの賭けだった。
だが己の力が使えなければその賭けもできない。
他に方法はあるかも知れぬ。が、己はその方法をとる事にした。つまり肉体の成長を待つのだ。待つ事は問題ではない。己の力が使えるようになる前に朝廷の長の位が別の者にわたるとなれば事はややこしくなるが、それは案ずるに及ばないと捉えていた。
肉体が幼いときに朝廷の長の位を受け継いだのだ、位が別の者の手にわたるとしてもそれは早くて十年以上先の事であろう。
そう考えていた。
だがそれから数ヶ月も経たないうちに事は起きた。
世情は知らぬ。為政は他の者が執り行い、己は関わっていないからだ。
為政に関わった者は政治に関われる事がうれしくてたまらないらしく朝廷の長の位についていた己に何の意見も求めなかった。当然であろう、肉体が幼い者は思う事も幼いと看做される。
それに己はそのような事に興味は無かった。己の考えることはただ一つ、草薙剣を如何にして持ち出すか、それだけだった。
その時代は朝廷の者たちが蛮族と呼んでいる者たちが暴れだす予兆は無く、所有する農民が蜂起する前兆も無かった。だから如何なる為政が行われようと己に関わる事はあるまい、と高を括っていた。
しかし、それは間違いだった。
叛乱が起きたのだ。
8
そのときに朝廷の権力を占めていた一族に対抗する別の一族が仕掛けてきたのだ。
朝廷の長である己を亡き者とし、別のものを朝廷の長として立てる為だという。朝廷の長の守護者に為政の権利がある為だ。
叛乱はそれなりに長く続いた。始まったときには齢二つだった己の肉体も弱い六つを数えるまでになっていた。そしてそのときには相手の勢力がこちらを圧しつつあり、己の首許まで後一歩、というところまで来ていた。
己を亡き者にしようとしたとしても、神通力を解放すれば簡単に片付く。そう考えることもできよう。ただしそれをやれば己の命を狙う者のみではなく、己を守ろうとする者の命も脅かす事になる。
もちろんいづれのものが死のうとも己は構わない。だが死んだ後に神通力が暴れ出せば己のみでは押さえ込む事はできない。神通力をおさえる為にはその者らの力が必要だった。だから己を守ろうとする者までも殺してはならない。
かといって神通力を用いることなくして片がつくとも思えない。ゆえに、敵に囲まれる前に朝廷を脱し、逃げるしかない。周りに居る者も同じことを考えたらしく、直ちに朝廷から逃れることになった。
朝廷にはその長の神通力を押さえ込む呪術が張り巡らされている。朝廷から抜けるという事はその呪術から外れるという事、それはつまり神通力を押さえ込む事が難しくなるということだった。ゆえに何らかの用があって朝廷の長が朝廷を抜ける時は数人の神官が結界の代用として働かなければならない。だが代用である神官には宮廷程の強力な力は無い為にあまり長い時間は外に出る事はできない。神官が数人がかりで一時の間のみ朝廷と同等の結界をつくるのだ。神官の力が尽きる前に朝廷の結界と近い力の場に行かなくてはならない。
そして己は神官と幾人かを連れ、朝廷を脱し逃げた。
細かい経過は省く。己の命を狙う者から逃がれ、己は船に辿り着いた。
場所はよく判らぬ。人間達はそこを壇ノ浦と呼んでいたがそれがどこの事を指すのか己は知らない。判るのは己を守る軍勢が敗勢だという事。ある時は優勢だったようだがそれは一時の事で気付けば壊滅が間近だった。戦況の細かいところは己は知らないが、それでもあと数刻で降伏するより他はなくなるというような状況であった事は判った。
己の乗っていた船は己を除き全員が女で全員がただの人間だった。それも年若き者も老いた者も含め、僅かな人数だった。その者らの幾人かが神官でありそやつらが己の神通力をおさえ船まで来た。船は一時的に朝廷の結界と同等程ではないもののある程度は近い力を持った結界として作用していたので神官は結界を張り続ける労から解放された。そしてその船に辿り着いたところで神官は力を使い果たした。船を降りるには新たな神官の助けが必要だった。しかし新たな神官の助けが得られる望みは無いどころか、神官がいたとしてもただで助かる事など考えられぬ程に周りには敵の軍勢が場を占めていた。
そのままでは全滅する、己はそう考えた。
しかしそうであるならば神通力を解放し敵味方の区別無く消した方がよい。
そうとなればさっそく神通力を解放しよう、そう思った己は船の舳先に歩を進めた。
船の中央では神通力を押さえ込む為の結界が作用している。この結界の内側で神通力を解放しても力が結界に阻まれ弱まる。完全に押さえ込まれることは無いだろう。だがある程度の力は殺がれる。それでは味方を吹き飛ばすことは出来ても敵を吹き飛ばす事はできない。それは舳先だろうと同様だ。しかし舳先から身を躍らせれば結界の外に出る事ができる。結界の外であれば解放された神通力を阻むものは無い。
それに、その船の下には我が主である龍神の宮殿への扉がある。恐らく偶然ではないだろう。宮殿とは地上にとっては異界。結界を張り易くする条件として作用したとしても何ら不思議ではない。結界の貼り易い位置を探って船を運べばおのずと宮殿に近づく。
当然だが、神通力を解放しそこにいる人間を吹き飛ばしても、その後で己はどのようにしようとも重力に引かれ海中に没するように思えた。海中に没したとあれば己の肉体は長く保たない。だが宮殿への扉に辿り着きさえすればその肉体を捨てひとまず宮殿に帰る事ができる。草薙剣については帰った後で作戦を練り直そうと思っていたのだ。
ゆえに己は舳先へ歩を進め、飛び出そうとした。
が、そのとき何者かにより己の体はおさえられた。
誰かと見れば己の肉体の祖母に当たる者だった。勿論、肉体の血縁上で祖母に当たる者であっても己にとってその者はただの人間、何の情もない。しかしその祖母に当たる者にとっては違うようだった。己は肉体の祖母に当たる者から逃れようと足掻いたがまだ十分に体を動かす事ができる程に己の肉体は成長していなかった。逃れる事はできなかった。だがなぜ祖母に当たる者は己をおさえるのか、そう思い、問うた。”なぜ押さえる?”
祖母に当たる者は人間だ。宮殿のことなど知る筈も無い。しかし己の問いに対して、こう答えた。”この波間に身を躍らせましょう。この海の深くには竜宮城という宮殿があるそうでございます。竜宮城は私達に対してどう遇するかはわかりませぬ。しかし天子様ならば竜宮城のの者も必ずや厚く迎えるでございましょう。”
己は驚いた。なぜその者が宮殿の存在を知っているのか。
そしてその宮殿がその波間の深くにある事までも。
その者の言う天子とは神通力の継承者、つまり己の事。本来の己は宮殿の住人だ。だがその者は確かに人間なのだ。
しかしそこで気がついた。そのものは宮殿ではなく、竜宮城、と言った。宮殿の者ならば宮殿を竜宮城などとは呼ばない。宮殿を竜宮城と呼ぶのは人間だけだからだ。人間ゆえに宮殿を竜宮城と呼ぶのだ。
祖母に当たるものがなぜ宮殿のことを知っているのかは判らなかったが、それを差し置いてもまだ疑問は残る。なぜ人間が宮殿へと至る門の事を知っているのか、それは今になっても判らぬ。それを問おうとしたが、祖母に当たる者は、”さあ、まいりましょう”、と遮って言った。
言いながら祖母に当たるものは己を抱え、舳先まで歩いた。
そして、そこで己は、見た。
祖母に当たる者は左手で己の肉体を抱えていたが、右手にも何かを抱えていた。
その何かは箱で、朝廷にいたときに見た事があるものだ。
その中には神器がおさめられている。しかしそれはどうでもいい。
そうではなく、祖母に当たる者の、腰帯に刺さっていたもの。
それは、草薙剣だった。
それは!と思い、手を伸ばした。
が、そのときには祖母に当たる者は舳先より飛び波間に身を躍らせていた。
9
祖母に当たる者が海中に没しようと己には関係がない。
しかし草薙剣は別だ。草薙剣の為に己は朝廷の内部の人間に転生し数年を生きたのだ。己は舳先から空に向かって飛び出した祖母に当たる者の左手に抱えられていたが、空中で祖母に当たる者の手から逃れ、神通力を一部解放した。
神通力を御し切ることが出来るとは思っていなかった。だが己の本来の力も戻りつつあったこともあり、集中は必要であったものの暴走させることなく済んだ。
解放してみてわかったが、朝廷の長の神通力は一部を解放した場合は拒絶する力として働く。たとえば触れた者は破壊されるがそれは触れた者の構造を拒絶するからだ。遠くの町を眺めれば眺めた方角の町が燃えるがそれは町の大気の停止を拒絶し、高速で大気を動かすからだ。高速で動く空気とは即ち炎。それが渦巻くとなれば町一つ燃える程度の火力ともなろう。立ち上がれば地面が揺れるがそれは己と大地との距離の変化を拒絶し地面の方を要である己の位置との距離が変わらないように近づけようとするからだ。
だから体の下にある大気に触れる事を拒絶すれば中空に停止する事ができる。そうやって己は海中に没する前に中空に留まることが出来た。
そして祖母に当たる者の腰帯に刺さっている草薙剣に手を伸ばし、しかし届かずに草薙剣は祖母と他の神器とともに海中に没してしまった。
己は中空にとどまりながら草薙剣が海中に没するのを見て呆然とした。すぐに飛び込んだとしても草薙剣を探し当てるのは難しいだろう。波は烈しく、入り込んだ者を直ちに掻き混ぜる。海中に没してしまった草薙剣は波間をさまよい遥か彼方に流れてしまったであろう。草薙剣がひとりでに宮殿にたどり着く事は考えられない。宮殿への扉は宮殿の住人でなければ開くことが出来ないからだ。己がすぐに海中に入り、うまく草薙剣を見つけ出せたとしても草薙の剣を手にする前に宮殿への扉に触れてしまえば草薙剣を持たずに宮殿へと戻ってしまう。そうなれば己の転生してからの六年間は、草薙剣の奪還という意味に於いて無駄になるのだ。
そう思いながら空中で呆然としていたところに、奴は、現れたのだ。
奴は気づいたらそこにいた。
数瞬前には荒々しく波が混ざり合い彼方からは戦場らしく怒号と悲鳴と剣檄、破砕音や爆撃音、陰陽術の詠唱や波動術の収束音などが聞こえてくる。
奴がそこにいるのは余りにも不釣り合いで場違いだった。
奴の蓬髪と髭は一つのもののように絡まり纏う無縫の衣とともに一体となって風に乗り乱れ流れた。
そして激しい波間の幾寸か上空に立ち、後光を放ちながらその場違いな髭の者は、こう言った。
「旅人よ、あなたが落としたのはこの、金の草薙剣ですか?それともこの、銀の草薙剣ですか?」
10
己は己の目と耳を疑った。
何を言っているのだこの者は。
なぜこの者はここにいる?いつからそこにいる?
いや、それよりも、手に持っているもの、それは草薙剣だった。それも、両手にひと振りずつ、全部でふた振り。ただし片方は金色に輝き、片方は銀色に輝いていた。
草薙剣に金も銀もあるものか。それどころか存在する草薙剣はひと振りのみ。
だから己は言葉を返した。
「己の落としたのはいずれでもない。金や銀ではない草薙剣だ。」
するとその場違いな髭の者は、こう返した。
「正直な旅人よ、あなたには金の草薙剣と銀の草薙剣、両方差し上げましょう。投げますから受け取って下さい。それでは。」
そして場違いな髭の者は、金の草薙剣と銀の草薙剣の両方を一度に上空に放り投げた。どちらの剣も空中で停止するとゆっくりと回転し、鋒を己の方に向けたところで回転を止めてそのまま真直ぐに己を切り裂こうと飛んできた。完全に殺す気だった。差し上げるのではなかったのか?そう思ったが場違いな髭の者には関係が無いようだった。
己は神通力で空の中に浮いているが、神通力をまともに使ったのはその時が初めてだった。使いこなしているというにはほど遠い。しかし飛んできた剣を避ける程度ならばそう難しくはない。だから二本の剣を己は避けることができた。二本の剣は己が少し前までいた位置の空気を正確に十字に切り裂き、そのまま海中に没し波に揉まれ消えた。その様子を己は目で追った。己には傷一つない。そうやって場違いな髭の者の攻撃を己は回避した。
しかしそれは些細な事。草薙剣はあの場違いな髭の者が持っているに違いない。問い糾せば海中に没した草薙剣を取り戻す事ができるかも知れぬ、そう思い、こう問いかけながら場違いな髭の者の方を向いた。
「金の草薙剣も銀の草薙剣も要らぬ!今しがた海中に没した草薙剣を返せ!」
しかし、そこに場違いな髭の者はいなかった。位置を変えたのかと思い当たりを見回したがどこにも見えなかった。逃げられたのか、あるいは見失ったのだ。
背後では少し前に己を船に運んだ神官達が、おお天子様、などと言っていた。己が祖母に当たる者とともに海中に没せず生きて中空に浮いているのを見て言ったのであろう。
だが己には関係がない。もともと己が朝廷に入り込んだのは草薙剣を求めての事。草薙剣が朝廷に無いのであればそれ以上そこにいたとしても何の益も無い。神官達に捕まればまた朝廷に送られる危険がある。だから己は神官達を一瞥し、ある程度以上の距離がある事を見て、海中に飛び込んだ。
直前、神官達の悲鳴が聞こえたが矢張り己には関係のない事。そのまま己は宮殿に帰った。
11
宮殿には己が宮廷にいた時の祖母に当たる者がいた。細かい事は省くが成り行きとしてその者はとりあえず下女として宮殿に住まわせることにし今に至る。その下女とは先ほど言ったセガサターンを手に入れてきた者の事だがあの者の変わり様は空恐ろしい。まあそれはよい。それよりも己が宮殿に帰った後、己は行動に窮した。草薙剣はあの場違いな髭の者の手に渡った。だがあの者が何者かは知れない。何らかの手がかりが得られるまで待つ他は無かった。
12
が、しかし、闇に幽閉された後、気づいたときには目の前に、
「莫迦を言うな。お前が落としたのはこんにゃくだ。スーパーファミコン内蔵型172型ハイビジョンテレビではない。」
と壇ノ浦で見失ったあの場違いな髭の者が騙りかけてきていた。
そして己が入り込んでいる人間が、
「莫迦なこと言わないでくれる?私が落としたのはこんにゃくでもスーパーファミコン内蔵型172型ハイビジョンテレビでもなくて、スーパーファミコン内蔵型256型ハイビジョンテレビ。さっさと寄越しなさい、この、ムサい髭野郎!」
と、応じた。
ムサい髭野郎。
その観察眼は正しいと思えた。目の前にいるのは紛れも無くムサい髭野郎だったからだ。が、それはどうでもいい。
それに対し、場違いな髭の者、つまり賊は、
「先程はスーパーファミコン内蔵型196型ハイビジョンテレビと言ったではないか。それと私はムサい髭野郎ではない、ハンサムなナイスガイだ。」
と、返した。
賊の自身に対する評価は間違っているように思えた。
己が賊を憎んでいるという事を差し引いても賊をハンサムなナイスガイと呼ぶのは抵抗がある。そしてそれも矢張りどうでもよい。
そして、
「弐つ間違っている。わたしが落としたのはスーパーファミコン内蔵型302型ハイビジョンテレビであなたはうざいコスプレマニア。ハンサムなナイスガイ?何それ?死語だよ。」
と、バァチャファイターの仮想武闘会のときに闇に飲まれ気づいたときには己が入り込んでいたその人間は言葉を続けた。
その会話の間、己は目の前の人間を見ていた。
その人間は紛れも無くあの者、壇ノ浦の波間に現れた場違いな髭の者と同じ。草薙剣はその者が持っている。その者を締め上げれば草薙剣を取り戻す事ができる。しかし締上げるには体が動かせなくてはならない。目の前に賊を見た時から体を動かそうとしているが、動かす事はできなかった。体を動かす感覚、口が動く感覚はあるがそれは己が入り込んでいる人間の意思によるもの、己の意図ではない。だがこのままでは賊をまたしても取り逃がす事になる。取り逃がすくらいならば殺す方がいい。
だが、いずれにしても体を己の意思で動かせなくてはならない。
そうしているうちに己が入り込んでいる人間の体温が上がってきた。どうやら苛立っているようだった。そこで賊が、
「いや死語という言葉も死語……」
と言いかけ、己が入り込んでいる人間が、
「もういい。」
と遮った。
その時、己の入り込んでいる人間の体が己の意思で動くのを感じた。
体を動かす事も言葉を発する事も己の意思でできる。
その体が己の意思で動かせるのはほんの一時かも知れぬ、そう考えた己は賊を締め上げるよりも殺す事を選んだ。ゆえに、
「死ね。」
と言いながら、己は攻撃を放った。
13
己が壇ノ浦より宮殿に帰還した後、朝廷の長の一族は神通力を失ったらしい。それに伴い、朝廷は呪術機関としての機能を実際上は停止したという。
そのことが関係してるかどうかは知らぬが支配中枢は朝廷から幕府へと移った。幕府とは己が壇ノ浦にいたときに己を狙っていた者達の長が開いた武装機関だ。それは朝廷の武力機関が分裂したものだと聞いた。幕府は強力な力を持っている。立ち回り様によっては脅威になりうる。が、宮殿にとって幕府は仇成す組織ではなく、危険とはいえ潰すのも容易ではないので放っておいた。朝廷は神通力が失われた事をひた隠し幕府に支配権を、与える、という形をとる事で生き延びた。朝廷は700年程で消滅したようだが、神通力なしでよくそれほど保ち長らえたものよ。
それで、その神通力だが意図したわけではないが、己の体内に宿っていた。宮殿に戻った後も神通力は己の体内に宿ったままだった。
朝廷の長の幼い肉体は宮殿に戻る直前に壇ノ浦の波間に捨ててきた。しかし神通力は己が捨てた肉体ではなく己に留まった。肉体を捨てたときに神通力はいくらか弱まったがそれでも神通力が強力な力である事に変わりはない。
というより弱まった方が都合が良かった。あのままでは己の体内に神通力をとどめる事はできなかったが、弱まった神通力ならば十分に御しきる事ができる。神通力は肉体にではなく己に宿った。
だがその体でどれだけ神通力を使えるかはわからなかった。御しきれず暴れ出させてしまえば肉体の方が保たない。
ゆえに己は賊の生命を止めるのに最小限の力を使った。
14
己は剣術を得手とするが、剣術には剣が必要だ。逆に言えば剣があれば剣術が使える。剣や剣の代わりになるものは無かった。ゆえに、手刀を剣と成す事にした。手刀というのは手による刀。使いようによっては並の刀より遥かに強い。手刀、という言葉は単なる腕の構えの事ではなく文字通り刀なのだ。そして、剣術は近い距離にあるものの破壊を主とする。離れた位置にあるものの破壊は特殊な剣技が適している。ところで己と賊は距離が開いていて、通常の剣術では賊を破壊できない。だからカマイタチという遠隔剣術を応用して賊を破壊する事にした。
カマイタチとは居合い剣術の一つで、鞘に納めた刀を高速で抜刀する事により生じた真空を用い敵を斬る。しかし余程の剣士でなければたいした距離を斬る事はできない。凡庸な剣士の使うカマイタチならばせいぜい弐(2)尺程であろう。それならばわざわざカマイタチを使うまでもなく直接斬った方が確実に仕留める事ができる。
だが熟練の剣士ともなれば壱拾数尺の距離を飛ばす事ができる。己は熟練の剣士ではないため拾数尺も飛ばす事はできない。が、拾尺程度ならば飛ばす事ができる。
賊と己の距離は見たところほぼ拾尺。通常、カマイタチの威力は撃った直後が最も強く、距離を増すごとに弱くなる。己がそのままカマイタチを撃ったとしても賊に届く頃には威力は弱く傷を与える事ができても殺すには至らない。それでは不足。だがこれに神通力をのせれば長い距離を飛んでも絶大な破壊力を与えることが出来る。これに当たれば賊はひとたまりもない。
だから己は神通力を腕にのせ、賊に放った。
狙うは顔、拒絶するはその空間。
神通力が賊に当たると賊の顔は消し飛んだ。
15
賊の顔のあった空間は拒絶されて消し飛び、消し飛んだ空間を埋める為に周りの空間が動き拒絶された空間を閉じた。閉じた余波で何かが弾けたような音がした。賊は何かを言いかけていたようだが、言う途中で己の攻撃を受け言葉は途切れた。賊の首から上はなくなっていたが、首を刎ねたのではなく空間を拒絶し閉じたので血は出なかった。
そしてそのまま賊の体はぐらりと傾き、飛沫をあげて水面に没した。没した後に賊の体が浮いてくるかと思ったがどういうわけか浮いて来ずにそのまま消えた。水は飛沫に泡立ち濁っていたので中は見えなかった。そのまま沈んだのかも知れぬ。
己は賊を殺す事を意図し殺す為に攻撃を放ち、殺した。しかし殺した後で、しまった、と思った。
すぐ殺したのはそのとき入り込んでいた肉体を思うままに動かすのは刹那の間かも知れぬと考えたからだ。が、動かせるのは刹那ではないようだった。ずっと動かせるようには思えなかったが、すぐに動かせなくなるというふうでもなかった。しばらくの間は動かせそうだったのだ。
だとすると賊は殺さずに捕らえた方がよかったという事になる。
捕らえて草薙剣の在処をききだすべきであった。
殺してしまったからにはそれはできない。
そして殺してしまったのならば己がここにいるべき理由も無い。
そう思ったとき、後ろに人間の気配を感じた。
16
その人間がただの人間であるならば相手にするに及ばない。だがその人間が放つ気配は明らかにただ者ではなかった。柔らかい気の中に時折、触れれば裂かれるような鋭いものが混じっていた。
そのような人間はそう多くあるまい、何か知っているかも知れぬ。だがただ話しかけただけでは誑られることも考えられる。ならば話しかけるのではなく心を読めばよい。
己の本来の力のひとつとして心を読むというものがある。これは宮殿の住人であるならば誰でも使う事ができる。だがどれだけの強さで使う事ができるかはどれだけ熟練しどのように読み取ろうとしたかによる。或る者は知りたい事実だけを探して知る事ができ、或る者は相手が音として思い浮かべたものを読む事ができる。読み取る方法も使う者によって様々で、直接触れることで読み取る者や、読み取ろうとしたときのみ読み取る事のできる者などがいる。
己は読み取ろうとした時点より或る一定の時間の間に特定の相手が図像として思い浮かべたものを読み取る事ができる。読み取ろうとした時点のみ読み取るのでは必要な事実を逃してしまい、相手を選ばず常に読み取っていたのでは様々な者の放つ情報が重なり合い只の乱れとしか感じられない。それは何も読み取らない事と同じだ。
例えば己の前にはお前がいるが己はお前の心を読んではいない。興味が無いからだ。読み取るとしてもここにはお前ただ一人、読み取る情報が乱れる事は無い。だがもしここに多数の人がいたとしたらどうだ?あるいはここがもし明治神宮だったとしたら?その者ら全員の思い浮かべた図像が一度に常に読み取られるとしたら、それらの図像は互いに混ざり合い一つ一つを分ける事はできない。しかし己が意図した者の図像を読み取るのであれば識別は容易。ゆえに己はそのように心を読む事にしたのだ。
また、己は相手の思い浮かべた図像だけではなく相手が過去に思い浮かべた事のある図像も読み取る事ができる。図像と言っても絵図のみではなく、ある程度ならば言葉もわかる。言葉も図像として読み取られる事はあるからだ。あまり時間を経たものは読み取る事ができないが、その相手の挙動の簡単な傾向がわかる程度の過去までならば読める。
己は己の背後にいる人間の過去の図像を読んだ。すると驚くべきものが見えた。その人間、草薙剣を知っている。その図像には様々なものが雑然と並べている場所だった。己が読めるのは図像だけで図像に伴う力を読み取ることは出来ない。が、その場にいたとしたら間違いなく何らかの力が渦巻いているのを感じたであろう。
しかしその雑然としたものの中ではものが互いに隠し合って何があるのか完全にはよく判らない。だがそこに柄が見えた。その柄は紛れも無く草薙剣のそれだった。その人間が草薙剣を知っているというのならば直接問わねばならぬ。心をいくら読んだとて草薙剣の在処は判り得ぬ。だから己は振り向き正面からその人間を見据え、目の前に赴き、問うた。
”草薙剣を知っているな?草薙剣はかつてあの髭の者に奪われた。取り戻さねばならぬ。お前は草薙剣の在処を知っているな?”
「知らない。なにそれ?」
できるだけ丁寧に尋ねたのだが即答でそのように返ってきた。ただの人間であるならば一方的に脅してもよかったのだが、すでに探ったようにその者はただの人間ではない。荒々しく尋ねることで事を構えるようになっては厄介だ。
が、その人間は己の問いに応える気はないようだったのだ。答える気が無いならば事を荒立てようとも仕方が無い。どのような手を用いても己は草薙剣を取り戻さなくてはならぬ。
己は賊に放ったものと同じ攻撃をその人間に放った。
通常の人間ならば確実に絶命する。だがその者ならばおそらくは死なない。ただの人間ではないように思えたからだ。しかし死なないにしても威嚇にはなる。威嚇によってある程度の脅威を感じさせさえすればその人間も慎重になろう。己に対して無礼な態度を取るならば攻撃を続けると言って脅す事ができるからだ。
しかし、己の攻撃をその人間は首を傾けただけでいとも容易く避けた。
避けた先で地面の一部が拒絶され弾け飛んだ。空間が弾け飛び閉じる音も聞こえた。その者がそれを何の音かを知ろうと振り向けばその間に己が二撃目を放ち傷を負わせる事ができる。
が、その人間は振り向きさえしなかった。振り向くどころか己をじっと見据えていたのだ。まるで、いくら攻撃してきても避けてやる、とでも言っているようだった。
これは全力で事を構えなければならない、と思い、その人間の心を読んだ。心を読む事で動きを読む事ができ、動きを読む事で優位に立つ事ができる。するとちょうどそのときにその人間が思い浮かべたのは、幾らでも避けるという生易しいものではなく、
次に同じ攻撃をやってきたら問答無用で潰す。
というものだった。その者の心の裡で己は八つ裂きにされていた。
己が思いつく攻撃方法すべてに於いて、いや思いつきさえしなかった攻撃に於いてもその者は己の喉元に迫る手を心の裡で瞬時に構築していた。ただの強がりや妄想のように、過程を経ずに己が八つ裂きにされる図像だけが思い浮かべられたのではなく、己の攻撃を避けて己を八つ裂きにする迄の動きがその者の心にはあった。
その動きは具体的で、どのように動いているかは判るにも関わらず己はその動きに応ずる事はできない。その者の気配から察するにその者はその動きに違わぬ体捌きを成すこと能うるは確実。
己はその人間に勝てない。
己は青ざめた。
勝てないのであれば力づくで草薙剣を取り戻すことは無理だ。説得しなくてはならない。
その為にまず、己は己の手の裡を明かす事にした。
”己は相手の心を図像として読む事ができる。お前が草薙剣を知っているのはわかっている。”
と、そのように言った。
人間は心を読む事ができない。心を読む事ができる者はできない者にとって異物。それが目の前に居るならば少しは振る舞いを改めるだろう。
そう思ったのだが、その者は、
なに言ってんのこいつ。心を読めるって何?中二病?
と心に思い浮かべた。
中二病という言葉の意味は知らぬ。が、その言葉に侮蔑するような響きが含まれているのは判る。
宮殿の住民たる己が判らぬ侮蔑をされているというのか?そしてその狼藉にも耐えねばならぬのか?そう思うと己は赤面した。赤面するとなぜだかその人間は納得したようだったが、特に振る舞いを改める様子は無かった。
ただ、敵対する気も無いようだった。草薙剣を思い浮かべようとしていたのだ。
その者は草薙剣が何のことか判らないようだったのだ。草薙剣を草薙剣と知らず、何らかの別の名前として知っているのであれば己がその者に対して最初に、草薙剣を知っているな、と問うて判らなかったというのも納得できる。そう思い、成る程、と頷き説明する事にした。
己は両の手を合わせ、草薙剣の形を念じ、合わせた手を左右に開いていった。そうする事によって己は思い描いたものを架空のものとして目の前に現出させる事ができる。触れる事はできない。だが己が思い描ける限りに於いて物の裏側まで見る事ができる。
そうやって己がその人間に草薙剣を見せた。しかし、そこにひとつ不覚があった。
己がスサノオに草薙剣を奪われたのは二千年余の昔。大体の形はわかるが細かい形は既に記憶から失われて久しい。
加えて己は宮殿に於いてバァチャファイターの腕を磨いていた為、バァチャファイターの造形に少なからず影響されていた。バァチャファイターで己が使役していたのは剣士グラウド。剣の形は剣士グラウドの使うものに影響を受けていた。
バァチャファイターの世界は己やお前が見慣れている世界とは造形が異なり、あらゆる物が無骨でいくつかの板をあわせる事で物が成っているようだった。
バァチャファイターの世界は異世界。この世界とは異なる。恐らくあの異世界を見る為には何らかの変異を伴って見え、その変異に依って板を合わせた造形としてこちらの世に映るのであろう。ゆえにグラウドが使っていた剣が実はどのようなものであったかはわからない。だが剣が板を合わせたような形をしていたのはわかる。己が出してみせた草薙剣はグラウドの剣に影響を受け、幾つかの板をあわせたようなものとなっていた。
板とはいっても草薙剣の造形が崩れて形が判らないように見えたわけではない。草薙剣を知っている物ならばその造形が崩れた剣だろうとそれが草薙剣である事は判るであろう。が、なぜ板を合わせたような形に成っているのかは判らないであろう。
己がそのとき居たその時代がいつなのかは知らぬが、バァチャファイターが己の知っているものよりも進化している時代である事は大いに考えられる。あれほどの遊戯だ、どの世界であろうと支持を集め続けられないわけが無い。
が、だとすれば己の知っているバァチャファイターは旧世代の物、即ち恥ずべき物だ。その者が知っているかどうかはわからぬが、知っていようとも知っていなくとも悟られたくはない。願わくば知らずにいてもらいたかった。
だが知っていたようだった。
その人間は己のみせた草薙剣を眺め首を傾げ、
なんでポリゴン?
などという言葉を思い浮かべていたのだ。
ポリゴンという言葉に聞き覚えは無い。だが恐らくバァチャファイターの造形を意味する言葉なのであろう。
その者は問い糾すような目で己を見据えようとしていた。ここで目を合わせてはならない。目を合わせれば問い糾される事になる。問い糾されれば答えねばならなくなる。そして逃げ場は無い。そこまで考えて己はその人間に手の内を明かした事を後悔した。心を読めるのならば、己はその人間の心を読めている筈、そのようにその者が考えたとすれば目を合わせずとも答えねばならなくなる。しかしそれは杞憂だった。
その人間は問う事を断念したようだった。その人間の想念がそう告げていた。だが代わりに笑う為の話と成す事にしたようだった。笑う為の話と成す事は避けたいが、だからといってなぜ己が見せた草薙剣がバァチャファイターのような造形なのかを言う事も避けたい。しかし、恐らく話したところで笑う為の話と成す事は避けられぬであろう。そう思い至り、どう成すべきかも思いつかず、赤面した。己はその者の視線を合わせない為にそのときはその者を見ていなかったので判らないが、もしそのとき己を見ていたのなら赤面している己を見てなぜ赤面しているのかについて疑問に思ったであろう。
しかしそれはともかく、その人間は草薙剣に思い当たったようだった。
その者の心で草薙剣には札が巻き付けられてあり、天叢雲剣、と書かれていた。宮殿の所有物には草薙剣に似たものがいくつかあり、天叢雲剣はその一つだ。天叢雲剣は草薙剣とともに宮殿から失われて久しいが、地上の人間はそのふた振りを区別せず同じ物と看做していた。人間によると草薙剣とは天叢雲剣の別名らしい。天叢雲剣も取り戻さなくてはならないがその人間が持っているのは草薙剣だ。
そしてその人間は、その剣なら知ってる、と返した。
そう返されるよりも早く己は草薙剣をその者が思い至った事がわかったので、
”それを譲って貰えないか?”
と問うた。
既に述べたように、力ずくで奪う事ができない以上は草薙剣を手に入れるには説得する他は無い。
すると、譲れるかどうかはわからない故に交渉次第だ、という返答を得た。ではどうすればよいか、と問うと、まだ判らないが取りあえず草薙剣を確認してから考えよう、とのことだった。その人間が草薙剣を見たのがいつの事かは判らぬが、遠い昔という程の事ではないようだった。その者はある見世に従事しているらしく、草薙剣はそこにあるという。
確認するためにそこまで行く事になった。
すぐ向かうのかと思ったが、どうやらその者には連れがいるらしい。
そのときに至って己はその者がなぜそこにいたのかを知らない事に気づいた。
なぜその者は己の背後にいたのか。
それに、己が纏う衣服も面妖だった。
が、どの時代であろうとも異なる時代の衣服は面妖なものとして映る。己にとって面妖であろうともその時代の服として面妖なものではないのであろう。それに己にとって必要なのは草薙剣を手に入れること。他の事は関係ない。その者に用があれば用が済むのを待つのみ。
ゆえにその者が用を済ませる間に己は見世に先に向かう事にした。
見世の場所は判らなかったが知っている者がその道を思い浮かべれば己はその図像を読み取り場所を知る事ができる。己はそれをその人間に告げると人間は見世への道筋を思い浮かべた。そうやって己は見世の場所を知り、先に向かう事にした。あの人間が来る前に草薙剣を見つける事ができれば交渉無しに手に入れ去る事ができる。
が、店に向かうのは思いのほか手間取った。その見世の場所は竹下通りという名の地、即ち神宮の付近。神宮であれば人間の数も少ないであろう、そう思っていたのだが、すでに述べたようにそこには人が溢れていた。ゆえに道は判っていても人を避けるのに手間取った。ただ、何故だがわからないが己がその道を向かうとその地にいた者の多くが己を振り返った。
己が本来の姿をしていたのなら振り返るのももっともであろう。地上の人間に宮殿の住民は見慣れぬであろうからな。しかしそのときは地上の人間に入り込んでいたのだ。見た目はその人間そのままなのだ。奇妙である事など考えられぬと思うの。
が、まあそれはいい。
17
そうやって見世に着くと己は辺りを見廻した。人間が一人いて腰掛に座っていたがそれは少し前まで己が対峙していた人間ではない。己はその人間がいる方とは反対の方を探した。多くの布や飾りや術像が犇めき、どこに何があるかを判ずるのは難しかった。草薙剣さえ探し当てればいい、あの者の用はそれほど早く済むものではあるまい。
だが、ちょうどそう思ったときにあの者が現れた。
あの者がくる前に草薙剣を探し出せればと思っていたが間に合わなかった。あの者は既にその見世にいた人間と何やら言葉を交わしていた。草薙剣に関する者かも知れぬと思い、己がそこに来たときに座っていた方の人間の心を探る事にした。
その者の心には、皿に飯粒を盛ったものを思い浮かべていた。その飯粒を盛ったものの上には植物の葉を刻んだようなものとよく判らぬ黄色い刻まれたものが乗り、何かを細かく砕いたらしい白い粉のようなものが鏤められていた。
それはどうやらその者の好む食物らしく、草薙剣には関係が無いようだった。それと、
なにあのフラダンサー?
などという言葉が聞こえた。
フラダンサーとは何の事か判らないが少なくとも己の事ではあるまい。ゆえに己とその者らの他にも人間がいるのかと思い、辺りを見回したが特に見当たる者は無かった。合い言葉のようなものだったのであろうか?その者らのやり取りは己は判らなかったが、暫くすると最初に会った方の人間が別の部屋に入り、程なくそこから出て己に近づき、草薙剣が見つからないからわかる人にきいてみる、と言い、己は日を改めてその見世に行く事になった。そして日を改める前に着替えて欲しいと頼まれた。
そのときに己が身につけていた衣服からはその人間の所有物であったらしい。着替えると言っても己にその時代の衣服はわからない。故にその者に任せたままに衣服を変えた。衣服を変えた後でその者は己は、日を改めるまで己が入り込んでいる人間の家にいるべきだと言い、家が分かるかどうかと己に問うたが、問われて答えに窮した。そのようなものが判る筈が無い。
そう思ったが、試しに己が入り込んでいる人間の心を読んでみた。すると意外な事にその者の住む処が判った。そして、では明日に改めて復た、と伝え、己が入り込んでいる人間の住む処に向かった。
そして家に着いたがやる事は特になかった。鍛錬したとてその人間の力が上がるのみ。己の力が上がるわけではない。だが精神修行であれば己の力に関係がある。
そう思い至り己は瞑想に入る事にした。
靴を脱ぎ、褥に仰向けに身を置き、瞑目した。
そうして無に心をゆだねた。
無に心をゆだねているうちに己は流れを見ているような感覚を得た。その感覚の先に於いて己は宮殿にいた。そして宮殿にいた者は己を見て驚き、帰還を喜びもてなした。饗宴が開かれ、葡萄酒ボジョレヌーボの壱拾年経過したものが宴を飾った。ヴァーチャファイターの仮想武闘会より宮殿から姿を消して暫くの間、己は宮殿の景色を見ていなかったのだ。恐らく己が宮殿に帰ればそのような扱いを受けるであろう、という想像を瞑想によって得ていた。
そう思っていたが、それは瞑想によって得られた想像ではなく事実だった。
18
事実に於いて己は宮殿の者に帰還を喜ばれもてなされていた。己の帰還の為に催された饗宴の最中、己はその事に気づいた。想像であるのならば己の知らぬことが話される筈は無い。しかし己が交わす会話や聞こえてくる声には己の知らない内容が多く混じり、それによって見ているのが想像ではなく事実であると気づいたのだ。
そしてボジョレヌーボに依って得た酔いは一気に醒めた。
草薙剣はどうなった?
己は草薙剣をもう少しで草薙剣を取り戻すところまで来ていたのではなかったのか?
それならば何故、己は草薙剣を持っていない?
そう思い至り、再び己は明治神宮に赴こうとした。
が、場所が分からない。
それだけでなく、あの人間がいた見世の場所も記憶から失せていた。
明治神宮の場所が判ったとして、あれだけの人間がいる中であの見世を探すのは至難というもの。
宮殿からならば草薙剣の場所は探査できるが、その探査に草薙剣は現れない。
それは即ちあの見世が特殊な結界が張られているということ。
またも対策を練り直さなくてはならない。
どうだろう、何か手は無いだろうか?




