第5話 衝突
「あんた……俺の素直に何してんの?」
壁にめり込んでいる男を睨みながら、低い声で要が呟く。
要がこっちを振り返った。
「素直、遅くなってごめん。大丈夫?」
「う、うん……たぶん、大丈夫」
俺を見つめる目は相変わらず優しい。でも、纏っている雰囲気がぜんぜん違う。
いつもの穏やかさが一片もない。
要の目には、怯える俺の顔が映っている。ぞくりと冷たいものが背を走った。
壁に背を預けていた男が、ふらふらと起き上がる。
「ボク、その子しか許可してないはずなんだけど……どうやって入ってきた?」
「根性ですよ」
「根性か、ボクがこの世で3番目にキライな言葉だ。つまりボクは、キミのこと、嫌いだ」
「そうですか。僕も嫌いです。あんたのこと」
「ふーん。じゃあボク達、両思いってやつか」
男が腕を上げ、長い指で要を指す。
「じゃあ──死ね」
言葉とともに、男が踏み出す。
「素直、伏せてて」
要がささやく。
俺は言葉通り頭を押さえて地に伏せた。
直後、ドンッ! と空気が潰れた。
恐る恐る顔を上げる。
要が俺の前に立ち、男の拳を手のひらで受け止めていた。
さっきまで隣にいたはずだ。
いつ動いたのか、全然分からなかった。
次の瞬間、要の身体が滑り込む。
懐に潜り込み、顎を打ち上げた。
拳が顎に届く寸前、男は身を翻して後方に跳び、数メートルを空けて着地する。
それを追うように要も駆け出した。
目にも止まらぬ攻防を繰り広げながら、要は次第に押していく。
どうやら俺を巻き込まぬよう、距離を取ろうとしているようだ。
拳がぶつかるたびに、鈍い音が空気を震わせる。
互いの攻撃を紙一重で避けながら、間合いが目まぐるしく入れ替わる。
要が──俺の幼馴染が、バケモンみたいな奴と戦ってる。
俺には目の前で起こっていることが現実だとは、信じられなかった。
「ボクのパンチを食らっても平気なのか。肉体強化系ってところかな? やるね。でも──これはどうかな?」
男の口元が歪み、拳がぶれる。
次の瞬間──。
ボグッ!
嫌な音を立てて、男の拳が、要の腹を貫いた。
要の目が見開かれる。
次の瞬間、その口からごぼっと血が溢れた。
「かなめっ!」
男が勝利を確信したように口元を歪ませる。
だけど要はなぜか、慌てること無く自分の腹を貫いている男の腕を、逃さないように掴んだ。
「っ!」
危険を感じた男がすぐに腕を引き抜き、要から距離を取る。
男の腕が抜けると、その直後、要の腹部が蠢いた。
肉が繋がり、皮膚が閉じる。
数秒も経たないうちに、傷は跡形もなく消えていた。
「なるほど。『治癒の能力』か。肉体強化もその応用ってわけだ。その子と同様。キミも結構レアだね?」
「貴方のは大したことなさそうだ」
「どうだろう? まだ能力の一部すら、見せてないんだけどね」
男の手の上に何かが現れる。
まるで生き物じみてぴくぴくと痙攣する、赤黒い塊だ。
ぼたぼたと赤い液体が、手のひらから滴り落ちていた。
血に塗れた赤黒い塊、それは──。
「キミの腎臓だよ。さっきキミの中から奪ったんだ」
腎臓……要の、腎臓?
「う゛っ!」
言葉の意味を理解した瞬間、吐き気がこみ上げ、思わず口元を押さえた。
「ずいぶん綺麗な腎臓だね。生活が整ってる証拠かな……まあ、別に要らないんだけどさ。こんなの」
男は手のひらにあった腎臓をぼたっと地に落とし、革靴で踏む。
ぶちゅっ! と音を立てて腎臓が潰れて血が飛び散った。
慌てて要を見る。平然とした様子で、男を睨みつけていた。
腹の傷を回復する時に、腎臓も修復したのかもしれない。
その証拠に、足元に飛び散った要の臓器や血が、サラサラと消失していった。
「ボクさ。1個しか大事にしないんだ。ていうか、1個しか大事にできない。だからボクは、ボクしか大事にしない……可哀想な生き方だって、そう思うだろ? でも、その方がいいって最近気づいたんだ。だって、ひとつに絞れば悩まない。失うこともない。何をすればいいか、はっきりと分かる。だから、今だってちゃんと分かってるんだ。ボクにとって必要なのは、その子の心臓だけ。それ以外の飾りも、キミも──全部要らない」
男はゆらりと身体を揺らし、ガードレールを掴んで、引きちぎる。
「なあ、出ていけよキミ。要らないんだよ──空気読んでくれる?」
手にしたガードレールを、男は要目掛けて振り下ろした。
ガキィンッ!
要は飛び退いてそれを避ける。
ガードレールがコンクリートに突き刺さり、深い亀裂を作った。
「先に割り込んできたのはそっちだ。貴方が出ていってください」
「話が通じないなぁ。そういうとこも、嫌いだよ」
睨み合う二人は、再び構え、どちらからともなく駆け出す。
両者の拳が激突する、その寸前──。
「っ!」
男の表情が歪む。
次の瞬間、後方へと飛び退いた。
要の一撃が空を切る。
男はそのまま距離を取り、軽々とビルの上へと飛び乗る。
男は俺達を見下ろしながら、口元を押さえた。
その指の隙間から、どろりと血が溢れ落ちる。
「……あーあ、時間切れか。昨日少し頑張りすぎちゃったもんな」
つまらなさそうに呟き、男は笑った。
「また来るよ。その時こそはキミの心臓──ちょうだいね」
俺に視線を向けながらそう言い残し、男の姿は闇の中へと消えた。
空間がぐにゃりと一度歪み、元通りになる。
壊れたはずの標識やコンクリートも、闇に紛れていた夕日も。
世界に音が、日常が、戻ってくる。
「助かった……のか?」
安堵感から腰が抜け、その場にへたり込む。
遅れて全身が恐怖で震えだす。
なんだよさっきの。夢? 夢なのか?
誰か──そうだって言ってくれ。
「か、かな、めっ」
縋るように隣にいる要を見上げる。要はそっと手を差し出してきた。
その手を借りて、なんとか立ち上がる。
「なあ、これ……夢だよな? 俺達、変な夢、見ちゃってただけだよな?」
未だ震えが止まらない手で要の肩を掴んで揺すり、問いかける。
要は俺から目を逸らし、小さく言った。
「とりあえず。素直の家、行こっか」




