第25話 「大丈夫?」
「なお……すなお……」
意識の淵で、誰かが俺を呼ぶ。要だ。それを分かってるから、まぶたを開ける。
でも、妙に視界がぼやけて、意識がはっきりしなかった。
「おはよう、素直」
「……おはよ」
ベッドに寝ている俺を見下ろしている要に、なんとかそう返事する。
ふと、トーストの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。その匂いに釣られて起き上がろうとした。
だけど、身体が妙に重だるい。まるで鉛にでもなったみたいだ。まさか、風邪でも引いたのだろうか。
確か今日は土曜日だ。学校が休みでよかった。俺はすぐに起き上がるのを諦め、再びベッドに転がった。
「まだ眠そうだね。もうちょっと寝とく?」
「うん。ごめんだけど、朝めし、先、食べといて……」
暴力的なまでの眠気に襲われ、そこまで言うのが限界だった俺は、すぐに目を閉じた。
次に目が覚めたのは昼の十二時すぎ。
ぐっすり寝たからだろうか、身体のだるさがましになっていた。でもまだ全然眠い。
だけど腹が減って仕方なかったので、なんとか起きる。
あれ、要が部屋にいない。
きょろきょろと見回すと、要はベランダで洗濯物を干していた。
「かなめ……」
「あ、起きたんだ」
風にはためく洗濯物に囲まれ、要がこちらに笑顔を向けた。
「まだ眠いけど、腹へってさ」
「あははっ朝ごはん食べてないもんね。これ干し終わったら用意するね」
「うん……」
今日は雲一つない快晴だ。まだ5月も半ばだってのに、照りつける日差しがじりじりと肌を焼いて、夏の気配がする。洗濯物がよく乾きそうだ。
何となくベランダの手すりにもたれかかって、要を眺める。
俺の視線に気づいた要が、洗濯物をピンチに挟んでいる手を止めて笑いかけてきた。
「どうしたの素直?」
「ん~、なんとなく見てた……手伝おうか?」
「大丈夫だよ。もう終わるし。一緒にご飯食べよ?」
子供でもあやすみたいに頭を撫でられる。
その撫でる手が気持ちよくて目を閉じると、「素直、猫みたい」と笑われた。
朝ごはんと、要が追加で用意してくれた昼ごはんを平らげて、二人でソファに座ってゲームをした。
眠気がまだ抜けてないせいだろう。俺は要に負けまくった。
「今日の素直、ずっとぼーっとしてるね。もしかして体調悪い?」
「ん、ああ……なんかめちゃくちゃ眠くてさぁ」
目を擦ってあくびすると、要がくすりと笑う気配がした。
「ひざ使う?」
ぽんぽんと自分の膝を叩きながら、要が問いかける。俺はその膝に、ころんと頭を預けた。
「やっぱり素直、猫みたい。鳴いてみてよ。にゃ~って」
「あ~……うるせえ」
ぼんやりした思考に拍車をかけるように、要の手が俺の頭を優しく撫でる。
髪を滑る手のひらの心地よさに、まぶたが勝手に閉じてきた。
「逆巻来んの、何時だっけ?」
「バイト終わるのが夜の八時だって言ってたから、九時頃じゃないかな」
「……ちょっと寝ていい?」
「いいよ。後で買い物行くから、その頃に起こしてあげる」
「ん……邪魔になったら、言って」
「うん。おやすみ、素直」
やけに嬉しそうな声が降ってきて、要が身を屈める。
髪に何かがそっと触れて、離れていく。その感覚をぼんやりした頭で認識した後、俺は目を閉じた。
それから二時間ほど爆睡して、日が傾きはじめた頃、俺と要はスーパーへ向かった。
今日の晩飯は俺の担当なので、安売りしている野菜とにらめっこする。
じゃがいもとにんじんが安い。あ、牛肉も2割引のパックがある……よし。
「要、今日肉じゃがでいい?」
あ、でもこないだも肉じゃが作ったな。さすがに飽きたか?
恐る恐る顔を見ると、要は目をキラキラさせながら俺を見ていた。
「うん! 最高っ!」
「こないだ作ったばっかだけど……大丈夫?」
「全然いいよ! 素直の肉じゃがなら、俺一週間続けてでも食べられるっ」
「そんなに好きなのかよ」
まさかそこまで喜んでくれるとは……まあ、なら気にしなくていいか。
「じゃあ晩飯は肉じゃがでけって──」
じゃがいもを手に取った。はずだった。手の中にあったじゃがいもが、ぼとりと落ちる。
「あ……れ、」
次の瞬間、一気に身体中の血の気が引いて、視界がぐらついた。立っていられなくてしゃがみ込む。
視界がぐるぐると回りはじめて、身体の力が抜けていく。もう立ち上がれそうになかった。
「素直?」
要がしゃがみ込んで、俺の肩に手を置く。そして俺の顔を覗き込んで、ハッとした顔をした。
「気分悪い?」
「わり……ちょっと、立てないかも」
「いいよ。ベンチ行こう」
要に抱きかかえられる。俺は要に身を預け、運ばれるしかなかった。
要に支えられながら、スーパーの備え付けのベンチに座る。
座ってもまだ視界が揺れていて、気持ち悪かった。
「どこか痛いとこある?」
俺の前にしゃがみ込んだ要が問いかけてくる。俺はそれに首を横に振った。
「吐き気は?」
「……いや」
「頭痛はある?」
「ちょっと、痛いかも」
「わかった。すぐ治すよ」
そう言って要が俺の額に手を伸ばす。
だけど触れる寸前、何かに気づいたようにハッとして、その手は離れていった。
「もしかして──」
「……かなめ?」
「……ごめん。ちょっと待ってて、飲み物買ってくるから」
焦った様子で要が駆けていく。座ってるのも辛くて、俺はベンチに横たわった。
最悪だ。なんでこんな時に体調なんか崩すんだよ。
今までこんなことなかったのに。
結局また、要に迷惑かけてるし。
こんなんじゃ、その内呆れられるかもしれない。
しんどいせいか、思考がどんどんネガティブになっていく。
『やっぱりただの自分が可愛いだけの中坊やん。神宮寺はお前の為に戦っとるってのに。ダチ名乗る資格ないで、自分?』
逆巻に言われた言葉が、頭の中でリフレインする。
あの時俺は、結局何もしなかった。要は一人で頑張ってたのに。助けもせず、見てるだけだった。
そんなんで、本当に要の友達だなんて名乗っていいのか?
「ほんと、何の役にも立ってないな……俺」
「大丈夫?」
ふと聞こえた声に、重いまぶたを開ける。
要が帰ってきたのだろうかと思ったけど、霞む視界に見えたのは、スーツ姿だった。
少し顔を上げる。色素の薄いパーマの掛かった髪。糸みたいに細い目をした男の人が、ゆるい笑みを浮かべながら俺の前にしゃがみ込んでいた。
本作は【火・木・土】更新予定です。
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