39.動き出した、私の世界-⑨
これは、『厄災の魔女』と恐れられる、黒髪黒目の少女"イーリス"が、長い時を生きる古龍”リカロス”と、出会う前の出来事────。
『厄災の魔女』を保護する。
その言葉は、きっと誰が聞いても衝撃的な内容だろう。ましてやそれを、公爵家自ら行うと言うのだから尚更だろう。
僕だって、お父様からそういった事を初めて聞かされた時は、大分戸惑った。
王からは捕獲しろと言われているのに、お父様はこちらで保護をすると言うのだ、それは王命に反してしまう。
情報収集なら幾らでも隠しが利くが、人を隠すと言うのはとても労力のいる事で、実際ソレル夫妻がいい例だ。
結局、幾ら頑張って隠した所で、そう言った行為はバレてしまう物なのだ。
「──確かに、いずれはバレてしまう事だろうね。それでも、例えどんなに些細な時間だったとしても、私達は、『厄災の魔女』に触れ、識る事が必要なんだ」
僕の悲観的な考えに、お父様はそれでもと、僅かな灯りを見出した。
「それに──レオン。実際そこまで悲観に的考える必要は無いのかも知れないよ」
「?それはどう言う──」
「どうやら我らが王は、私が命令に違反する行動を取るとは微塵も思っていないようだ。現に、我が家所か私自身すらマークをしていない」
「?!まさか、そんな……。過去に、『厄災の魔女』についての情報共有を提言したと言うのに?普通であれば警戒しても可笑しくない発言ですが」
「泳がせて居るのか、素でそうしているのか。どちらにせよ、本当に事がバレる相手が居るとすれば、同格の貴族相手位なものだが……別に相手も見知らない関係でもない。取引次第では彼も黙るだろう」
同格──そんなのロゾニクス公爵家しかないだろう。僕としてはあの家の当主が、お父様の取引を受けるとは思えないのだが。
「あの人相手に、そんなに上手く行きますかね?」
「行かなくとも、そうさせるんだ。少しでも時間を稼いで、より多くの情報を、『厄災の魔女』を調べ上げる。王にバレる、そんな未来が来ようが、来なかろうが」
お父様の言っている事は、結構無茶苦茶で、そんな上手く事が進むとは思えなかった。
絶対直ぐバレます!とか言いたい事はあった。けれど、僕はお父様を止めるべき立場なのに、そんな危なっかしい話に乗ってしまったのだ。
だって、楽しそうじゃないか。
禁じられている事を知ると言うのは、歴史が書き変わるかも知れない事を知れると言うのは、堪らなく楽しそうじゃないか。
「──レオン、『厄災の魔女』の謎が解き明かされれば、この大陸も、少しは息がしやすくなるのだろうか?」
「────……」
お父様は、そんな事を考えていたのか。
そんな事、気にする必要は無いのに。お父様は優し過ぎる。
そもそも、王がお父様に、『厄災の魔女』捕獲の命を出してなんていなければ、その命を引き続き負わせて無ければ、こんなにも長い間、苦悩せずに済んだと言うのに。
『厄災の魔女』の謎の解明。
それが叶った暁には、確実に荒れる者が多発するだろう。どちらかと言えば、これらの行動は荊の道でしか無い。
だが、例え少数でも、救われる者が居るのは確かで。
「例え直ぐは無理でも、いつかきっと、必ず────より良くなりますよ、お父様」
*****
「……凄い本の数ですね」
ソレル夫妻の家の中に入り、壁を埋める程の本を見て、つい、言葉が漏れる。
「元々、僕がそう言った物語を描いた本が好きでね。村の皆もそれを知っているから、必要の無くなった本とかを譲ってくれてたんだ。まぁ、童話を貰った時はどうしようかと思った時もあったけれど、結果的にイーリスには色々な話を読ませてあげれた。……ああ、この椅子にどうぞ座ってください。冷たく、硬い椅子で申し訳ないですが」
「いえ、ありがとうございます」
カルドの勧めを受け、レッフェディオンは四人掛けテーブルの、うちの一つに腰を落とす。カルドはその反対側、向かい合うように腰を下ろし、ラビーウは茶の支度でもしてくれるのか、椅子に腰を下ろす事は無く、そのまま台所へと向かった。
カルドが座った方のテーブルを見れば、まだ手付かずのスープ皿が、片されずにそのまま残されていた。その取り残された生活感が、嫌な程に心を刻む。
「──イーリスには、本当に不便な思いを強いらせてばかりだった。こんな狭い世界しか、僕達は教えてあげれなかった……。こんな事になるなら、無理をしてでもイーリスに色々な景色を見せるべきだった」
カルドの口から漏れたのは、後悔の言葉。
「そんな事はないですよ、カルドさん。──僕だって貴方と同じ立場だったら、そうする以外に守る術なんて、思い浮かばなかったと思います」
「……レッフェディオン君、──ありがとう。君は、朝来た連中とは、本当に違う」
「カルドさん。何があったか、聞いても?」
一呼吸し、ゆっくりと開いた口から、それは語られる。
今朝方、急に王国騎士団を名乗る者が、家へとやって来た。
調査の協力をと言っていたが、結局の所あいつ等は元からイーリスを捕まえる為にここまで来ていたのだ。
知らないと答えれば、ここに戻って来れなくなると脅されたが──私達は、別にそれでも構わなかった。イーリスが無事で居てくれるならと。
だが、イーリスはせっかく隠れていたと言うのに出て来てしまった。私達が捕まる、そんなのは、駄目だと言って。
「……僕達はイーリスを守りたかったんだ。けれど、結局は僕達がイーリスに守られてしまった……」
「カルドさん……」
そう語り終えたカルドさんの姿は、とても弱く、儚げに感じられた。
──ジュタール・ロゾニクス。
一体何を考えているんだ。
人の優しさに漬け込んだような卑劣なやり方で連れて行くなんて。
これは、少し痛い目を見てもらうしか……いや、僕では難しいかもだけれど。
「──レッフェディオン君。イーリスは、このまま王都に連れて行かれてどうなってしまうんだろうか?あの子はッ……まだ幼い。痛い思いをするような目に合わないだろうか?────ッ生きたままで、居てくれるだろうか?」
「…………カルドさん、一度心を落ち着かせて下さい」
ふわりと、暖かで黄金に輝く光が、カルドを包んだ。一瞬の出来事ではあったが、憔悴していた心が少し軽く、焦り、戸惑っていてた感情にも落ち着きが戻って来た。
「これは、一体……?」
「精神の治癒魔法です。と言っても、精神治癒の魔法は専門としてはいないので、少し落ち着きを取り戻す程度にしかなりませんが」
「いや、十分助かったよ……」
「──カルドさん、これは憶測ですが、父の考えでは国王は、『厄災の魔女』をパフォーマンスの一環として求めているのだろうとの事でした。もし、そうだったとしても、僕では、それからどういった行動に移すか迄は考えも付きません。ですが、少なくても僕は、それが実行される迄、娘さんは、イーリスは、無事であると考えています」
「レッフェディオン君」
「ですが、僕はイーリスを王都にまで連れて行かせるつもりは有りません。必ず何処かで彼女を奪還し、『厄災の魔女』の謎を、少しでも多く解き明かし、少しでも早く、貴方達に会わせられるように……いえ、貴方達の元へイーリスを返せるよう──尽くしたい」
「──今の言葉は、本気で言ったのかい?」
どうやら、お茶を淹れてくれていたラビーウ夫人に、今の話を聞かれていたようだ。だがまぁ、先程の言葉は嘘偽りない本心なのでここで変に誤魔化す必要もない。
「はい」
「そうかい……本気で……」
一瞬、運んできたお茶をそのまま落としてしまうのではないかと心配したが、そんな心配は無用だったみたいだ。ラビーウは淹れて来たお茶をしっかりとテーブルに置くと、ようやく自分も椅子に腰を下ろした。
目の前に置かれたカップからはふわりと湯気が上がり、仄かに甘い香りが鼻を掠めていく。
「こんなお茶、御貴族様の口には合わないだろうがね」
「いえ、そんな事は──これ、俗に言う民間茶、ですよね?家ごとに配合が違うから同じ味は無いと聞いてます。父が好きでして、時偶ではありますが、配合を色々と変えて作っていたりもするんです。……うん、これは…………ベリーやハーブを入れてるんですか?爽やかな香りとホッとするような甘さがあって、飲みやすくて美味しいです」
顔をニコニコさせながら言った為か、どうも信用ならないみたいな視線を向けられてしまったが、世辞ではなく本当にこれは飲みやすい。
一般的に民間茶は平野や山で取れる物から作られる事が多い。だが、その為か苦味や野性味が強く出てしまったりしやすい。お父様が時偶作る物だって──非常に申し訳ないが、飲みやすいと思った事はない。
「……昔は、こうじゃなかったんだよ」
「そうなんですか?」
「あぁ、そうだったね。昔は、もっと苦かった。……変わったのは、イーリスがこのお茶を飲めるようになってからだね」
そうしてお茶の話題から、話はイーリスの事について拡がっていった。些細な日常の話から、イーリスを見つけ育てようと決めた、出会いの始まりを。
そして、それらの会話の途中、僕とラビーウさんは、カルドさんの思い詰めていた心の内を知る事となる。
長年、誰にも打ち明ける事無くひた隠していた、イーリスへの恐怖心を。
「あの日、僕がオッド―に連れられてイーリスを見つけた時、僕は逃げたんだ。恐ろしくて、赤子を、一人森の中に置いて逃げ帰った」
「カルド、あんた」
「オッド―の吠える声を聞きながら、家の方まで只ひたすらに。けど、幾ら魔女と言え、赤子を置いてきてしまった事実と罪悪感が胸に残って、一人でそれを抱えている事が僕には出来なかった……」
「……だからあの時、あたしを連れて行ったのかい?カルド」
夫の隣で、静かにそう聞いた彼女の声は、少しばかりの落胆が感じられる。
「…………怖かった、君があの子を抱き上げて、育てようと言った時は。目の前に居る黒く不気味な生物が、いずれ妻を手にかけてしまうんじゃないかって、伝記通りに災いをもたらしたり、魔物を操って争いを生み出すんじゃないかって──そんな事ばかり思っていた」
「…………」
「けど、ラビーウ。君が、イーリスを抱いて見ろと手渡した時。イーリスが、小さなその暖かく温もりのある手を、僕の頬に触れた時。僕の中の何かが変わったんだ。靄が、晴れたんだ。僕の目には、もう恐ろしい魔女の姿は映ってなくて、只一人の赤ん坊が、一生懸命生きようとしている姿だけが映ってたんだ」
あの時の事は、一生忘れる事は出来ないだろう。
恐ろしいと、嫌悪の対象でしか見れなかった赤子の手が、自分に触れた瞬間、霧が、靄が晴れたかのように、その赤子の顔が初めて見えた。
赤子は、笑っていた。嬉しそうに、腕を動かして、笑っていて。
黒い瞳の中の虹彩は虹色に煌めいていて。
何もかも綺麗で、綺麗過ぎて、涙が自然と溢れた。
「──僕は、イーリスを実の娘だと思っている程イーリスが大切だ。けれど、それでも、気を抜いてしまっている時、イーリスが、怖くて恐ろしい何かに見えてしまう……。あの子は、イーリスは、感覚が鋭い子だから、きっと僕の反応には気付いていただろう。……本当に、あの子には悪い事をした」
「カルド……」
彼の潜めていた想いを初めて知ったのだ。妻であるラビーウさんには只々衝撃的だっただろう。
側で聞いていた僕にはとても興味深い内容だったが。
『厄災の魔女』へ抱く、対照的な想いの差。
一体何がこうも違った想いを抱かせるのだろうか?
何か法則が分かれば、『厄災の魔女』の解明にも繋がるかも知れない。
「……何とも恐ろしい、か」
果たし僕は、彼女に会った際どう言う反応を取ってしまうのだろうか?
ソレル夫妻から一通りの話を聞き、ブルートへと向かい出発したレッフェディオンは、再び魔法を駆使し馬を急がせた。




