譲歩の方向性が違うロゼ
その日の夕食結局ベルグレドは現れなかった。
「ロゼ様お酒は飲まれますか?」
正直気分的に浴びるように飲みたいと思ったが丁寧に断った。
「あまり強くないので遠慮しておきます」
にっこりと微笑み執事は下がる。部屋は二人きりになった。
「やはりこの辺りは魚料理は少ないのかしら?」
この領地は海から遠い。やはり肉料理が多くなるのだろうかと疑問に思った。
「いや、川魚が獲れるから少ない事はない。商人によっては凍らせた状態で海沿いの町から売りにくる者も居るからな」
「なるほど。そういう手があったわね」
先程から当たり障りない話題で話を続けているこの二人。
実はとても微妙な空気を醸し出していた。
「とても美味しいわね。味付けも違うわ」
「それは良かった。ここの料理人は腕がいいからな」
そんな二人を使用人たちは何やらソワソワしながら気にしている。
「こら。仕事中ですよ?集中なさい」
部屋を出入りするたびにキャーキャー言っている侍女達に半端呆れ顔で執事が叱ると侍女達は眼を輝かせながら「だってだって!」と興奮している。
「今までどんな女性達にも全く興味を示さなかったあのエルグレド様が明らかにロゼ様には態度が違いますよね?」
「何なんですかいい大人があの初々しい反応!今まで全く無表情だった人間がどうやったら突然あんな表情豊かになるんですか!」
今でさえエルグレドは笑ったりしないがそれでも周りからすれば感情が表れているらしい。執事は苦笑いした。
「私は少し安心しました。奥様になる方にさえ無反応では先々困りますからね」
しかしそう口にしながら執事は同時に不安になった。
(何の問題もなく話が進めばいいのだがね)
執事の不安はあながち間違ってはいなかった。
食事が終わり一度案内された部屋へ戻るとロゼは扉を閉めた瞬間ベットへダイブした。
(いきなり人前でキッキスするとか絶対無理!!!恥ずかしすぎる!何の拷問なの!)
そもそもロゼは今まで恋人がいた事がない。いや、唯一恋人になり得る人物が過去に一人だけ居たには居たがそれすら最近やっと思い出したのだ。
(しかも初めてのキスが皆んなの前でなんて絶対に嫌!確かに今まで婚約者らしく見せる為に色々装ってきたけど少し抱きつくくらいだったしそれでさえ・・・・)
ベットに埋まりながらロゼはエルグレドとの会話を思い出す。ふとロゼがこの話を拒絶したらどうなるかと考えてみる。
恐らく最初の思惑通り自分達は仮初めの婚約者として周りにも認識される筈だ。そしてエルグレドには今まで通り婚約話が沢山舞い込んでくるであろう。
そのきっかけを他でもないロゼが作ってしまったのだ。
それでも婚約関係を結んでいる限りロゼはエルグレドの側にいられる筈だ。
彼を命の危機から護るだけであればそれでも構わない。
ロゼは強く目を閉じた。
そもそも自分は何故あの時バルドの申し出を断らなかったのか。
それはもちろん不吉な予言のこともあった。
ロゼがこのまま何もしなくてもいずれエルグレドと出会い何か事件に巻き込まれる可能性があったのだ。
それ程イントレンスの予言は的中率が高い。
だがロゼはそれ以前からエルグレドに興味があった。
国一の竜騎士だ。勿論噂は流れてくるし何度か遠くからその姿を見かけた事がある。
戦から凱旋帰国するパレードの先頭を彼はいつも馬上から無表情のまま進んできた。
大きな大役を達成した筈なのにそこには何の喜びも達成感も感じられなかった。
それを見る度に人事のように思っていた。
不器用な男だな、と。
(あんな顔させたくないわ)
ロゼは自分が自覚している以上にエルグレドに惹かれていた。その気持ちを上手く消化出来ないでいるのだ。
ただ一つ想像して分かった事がある。
(私以外に婚約者候補が出来るというのは却下!絶対嫌)
何で嫌かはここでは深く考えないことにする。
(昼間は混乱して誤魔化して逃げてしまったけどしっかり話しをしなきゃ)
重い体を持ち上げ部屋を出ようとするとドアがノックされた。一瞬エルグレドかと緊張したが現れたのは侍女だった。
「ロゼ様湯浴みの準備が整いましたが如何致しますか?」
少し思案して先に入ることにした。ロゼが普段の生活でお湯に浸かれる機会など中々ない。
エルグレドの部屋には後で寄ればいいかと考えていたロゼの後ろを侍女は満面の笑みで付き従った。
その頃エルグレドは自室で昼間のやり取りを思い出していた。
(すぐに怒り出すか嫌がるかと思ったんだがな)
ロゼと突然婚約させられてからエルグレドは具体的な行動に出られないでいた。
バルドからも未だに詳しい説明もなく普通のファイズ家の婚約者としてロゼのことを尋ねてきたりする程度だ。
ロゼが冒険に出たまま戻って来なければそれを理由にこの婚約を破棄しようと考えていたのだがロゼがしっかりと役目をこなす為それも出来そうにない。
いや。エルグレドは婚約を解消する気がなかった。
(彼女が拒否しないのならこのままの状態を維持したい)
今まで出会った女性の中でロゼ程エルグレドが興味を持った者はいない。何より彼女の近くは居心地がいいのだ。
そんな事を考えていると扉がノックされた。
扉を開けると着替えを済ましたロゼが立っている。
「今、大丈夫?」
なんだろう。やけに可愛くみえるのは気のせいだろうか。
「その格好は?」
ロゼはいつも着ている馴染みの軽装ではなく可愛らしい部屋着に着替えていた。ロゼも自分を見下ろしてから肩を竦めた。
「ここの使用人が用意してくれたみたいよ。ドレスじゃないから用意されたまま着たのだけど・・・どこかおかしいかしら?」
「いや、そういう格好をしてると普通の少女にみえるな」
そう言ってエルグレドは部屋から出てくる。そのまま応接室にでも行くつもりらしい。
「話しするだけだからエルグレドの部屋でもいいわよ?」
不思議そうに尋ねてくるロゼにエルグレドはいささか呆れた様子で、しかしそれには答えなかった。
「お茶を用意させる。」
(コイツ絶対分かってないな。)
エルグレドは何となく理解し始めていた。
恐らくロゼは男という生き物を正しく理解していない気がする。
(俺に至ってはむしろ警戒すらされていないな)
でなければ男の寝室に二人きりでいいなどと平気で言える筈がない。
(キス一つで狼狽える癖にそこは気にならないとはどんな思考回路になっているんだ全く)
応接室に着くとロゼは向かいのソファーに座る。
多分あの儀式の事で何か言いたいのだろう。そわそわしている。
「それで・・・話とは?」
予想は大体ついている。儀式の口付けを回避する方法を考えているのだろう。何か思いついたのかも知れないと答えを待っているとロゼはエルグレドの予想を大幅に裏切ることを口にした。
「これは私の気持ちの問題というか。お願いがあるのだけど・・・・」
「なんだ?可能なら協力はする」
「初めてキスするのは人前でない方がいいのだけれど」
室内に微妙な静寂が訪れた。
その間にノックがなり侍女がお茶を置いて出て行く。
二人は無言だった。
耐えきれなくなりロゼが言い出しにくそうに呟く。
「女性側の心理というか。普通は恋人との段階ってだいたいそういう儀式の前に済ますものじゃない?だから人に見られても平気なのでは?と思うの」
そう言われてみればそうかも知れないが政略的な物が絡むと初めてをそこで済ますということもあるとは思う。
しかしそれは口には出さなかった。
「つまり慣れさせろと?」
ロゼがムッと顔を赤らめ不貞腐れた顔をする。流石にあからさますぎたと言いなおす。
「嫌、すまない。確かに俺もいきなり大衆の前でしたこともない者と口付けしろと言われれば困るな」
確かにこの様子で本番を迎えたら色々勘付かれそうだとは思う。
エルグレドは未だに横を向いてふくれっ面のロゼを見て少し思案してからソファーから立ち上がった。
何事かと顔を上げたロゼの隣に腰掛けロゼを覗き込む。距離が近い。
「エルグ・・・・」
見つめられて少し狼狽えるロゼに構わずロゼの頬を親指でそっと撫でると、そのまま肩にかかっている髪を手で梳いた。
「儀式は来年の春だ。まだ時間に猶予がある」
撫でられただけなのに触れられた場所が熱い。
「まずは俺から触れられることに慣れる事だな」
そう言って今度は頭を撫でられたロゼは悔しそうに顔を赤らめた「子供扱いして・・・」と小声でロゼが呟いたのが聞こえエルグレドは不思議な気分になった。
エルグレドのロゼへの最初のイメージは頭の切れる油断出来ない相手だった。物怖じせずエルグレドに意見を言うその姿は自分と対等な大人の女性という感じだった。しかし実際関わっていくとロゼは年相応のあどけなさを所々見せ始めている。実際エルグレドとは四つほど歳が離れている。確かロゼは現在16歳の筈だ。
「婚約者として接すると言っただろう?子供扱いするつもりはない。」
そう言ってロゼの手を右手で掬いあげるとその手の甲にそのまま唇を落とした。
「もう今日は遅いから休め。部屋まで送っていく」
エルグレドの一連の行動に何も言えずされるがままになっていたロゼは黙って頷いていたが、その胸中はまさに大嵐だった。
衝撃的すぎて何から処理していいのか分からない。
そのままの状態で部屋に送られ一人になった瞬間ロゼはそのまましゃがみ込み一人悶絶する羽目になったのである。




