19. ターニングポイント その2※ナルヴァの丘の戦い※
※この第19話にもサーラたち主人公サイドは出て来ません。
人民共和国サイドの物語となります。
瞳を瞑っているかのように細い目をした美少女が、木の棒の先端にコンバットナイフを括り付けた物騒な「オモチャ」を持って、穏やかな日差しがもたらす木漏れ日の中、森を歩いていた。
少女の名はカレン・アクラコン。
今年で3歳になる。
彼女の母親の腹には今、妹がいる。出産を間近に備え、首都近方の高原地帯に位置する人民共和国政府高官専用の別荘区域の一角で、専門の医者らの手厚い看護の下、暮らしていた。
カレンは、そんな母親の元を人民共和国首都から父と共に見舞いに来ていた。
カレンの父は、アーガン人民共和国の最高意思決定機関である共和国労農人民委員会で、内務人民委員長の職を担っていた。
しばし母と面会した後、カレンは「趣味」を満喫する為、一人でこの森にやって来ていた。
その趣味とは、森の妖精を惨たらしく斬り殺すこと。
妖精共は幼い少年少女の前に現われては、言葉巧みに森の中へ引き込もうとする。
自分たちの仲間にしようと、友達にしようと。
そして、妖精に森の奥へと連れて行かれた子供たちは、二度と親元には帰ってこれない。
カレンはそんな妖精の習性を、父から聞かされ良く知っていた。
自分に近づいてきた妖精たちに、その話に乗る振りをして相手が隙を見せたところを手製の「槍」で斬り殺す。
これが、この3歳の少女の「趣味」だった。
ところが、今日は妖精たちが姿を中々見せない。
つまんない。
そう思っていた時、少女は「彼」を見つけた。
「ザイちゃん!ザイちゃん!」
カレンは森を流れる小川のせせらぎの中で、銛を片手に魚を捕らえようと水中に目を凝らす少年へと駆け寄った。
「あっ!カレンちゃん?何してるの?」
タンクトップ姿の10歳になるわんぱくな少年は、幼馴染の少女に気付き、小川から出てくる。
「あのね。ようせいのばかをころしてるの!」
カレンは満面の笑みで少年に答える。
少年……ザイツォン・ベタシゲンは顔をしかめ、年長者として年少者の「悪事」を叱る。
「だめだよ!妖精さんたちを殺しちゃ。妖精たちが森の精気を守ってるんだよ……」
「そうなんだ。じゃあ、ようせいころすのやめる!」
カレンは素直に笑顔のままザイツォンの叱責を受け入れた。
2人は小川の傍に並んで座り、カレンは大好きなザイツォンお兄ちゃんの横で川や森を眺めた。
一方、ザイツォン少年は川縁に置いていた自分の鞄から本を取り出し、読んでいる。
心地よい沈黙が流れる。
しばらくして、カレンはその沈黙を破った。
「ねぇねぇ、ザイちゃん!ザイちゃんの「ゆめ」ってなに?」
「おいらの「夢」?」
「うん!カレンにおしえて!!」
するとザイツォンは読んでいた本をカレンに見せて答えた。
「おいらの夢はね。スゴイ王様になることさ!この本を見てくれよ!父ちゃんがお仕事で「スタント―ル」へ行った時に買って来てくれたんだ。「建国王列伝」!面白いよ!」
「へー、ザイちゃん、「おうさま」になりたいんだ。」
「うん!おいらが王様になったら、ロングニルの王様みたいに皆を幸せにして、スタントールの王様みたいに兵隊を率いて敵をバッタバッタと倒してやるんだ!」
ザイツォン少年はやおら立ち上がると、空気の剣を振って目に見えない敵を斬り倒してみせた。
カレンが無邪気に笑い、少年に喝采を送る。
「すごい!すごい!ザイちゃん、かっこいい!」
「ありがとう!カレンちゃん。」
「ザイちゃん、「おうさま」になりたいなら、カレンがザイちゃんを「おうさま」にしてあげる!」
3歳の少女の屈託ない笑顔。
ザイツォン少年は、特にそれを真に受けることなく笑顔を返した。
「ほんとう?なら、おいらも良い王様になれるように頑張るよ!」
「うん!「やくそく」だよ、ザイちゃん!」
カレンとザイツォンは、その後しばらく森の中で一緒に遊んだ後、互いの別荘へと戻って行った。
その帰り道。カレンの前に妖精が現れた。
とても可愛らしい愛嬌のある顔と姿をした両手程の大きさの少年の妖精だ。
「ねぇねぇ、キミキミ!ボクと遊ぼうよ!楽しいよ!」
「うーんとね、だめなの。カレン、おうちにかえらないと。」
「そうなんだ。じゃあ、あっちにいる男の子と遊んじゃおっと!」
妖精がカレンに背を向けてザイツォンの方へと飛んでいこうとする。
直後、カレンは手製の槍を一閃。コンバットナイフの刃が妖精の背中に致命傷を負わせる。
今の一撃で羽も失い、妖精は力無く地面に落ちた。
「痛っ!!な、なにするの、キミ……うわ……力が入らない……ねぇ、助けて」
まだ辛うじて息をしていた妖精の頭部に、コンバットナイフの先端を突き刺す。
妖精の命を奪った少女は、周囲を凍てつかせるが如き冷徹なオーラを放っていた。
死体となった妖精の小さな身体を、カレンは小さな足で容赦なく踏み潰し、ぐちゃぐちゃにした。
その無残な妖精の亡骸を見下し、少女は呟いた。
「ザイツォンお兄ちゃんの邪魔をするヤツは、誰であれ殺す。」
気が付けば、別の妖精がザイツォンの元に飛来しようとしていた。
カレンは駆け出した。
愛する男に群がるハエを叩き落す為に。
「やくそく」の障害となる者を、その凍てつく血液が流れる少女は決して容赦しない。
雨が降ってきた。
天空を厚い雲が覆い、小雨はやがて大振りの雨となり、人民軍の戦車や装甲車を濡らす。
周辺警戒中の兵士たちは急いで軍用レインコートを被り、ほのかに寒気を帯び出した空気に両手を擦る。
どこまでも続くロングニル南部の一大穀倉地帯であるカースヴァルデン大平原の只中。
たわわに実る大麦畑の一角に設けられた人民軍前線司令部の大型野戦テントの中で、雨が打ちつける音を聞きながら一人の若き人民軍将校が、無数の矢印が描かれた野戦地図を前に苦渋の表情を浮かべていた。
男の名はザイツォン・ベタシゲン。
アーガン人民共和国の「人民党の軍隊」である労農赤色人民軍期待の将星。
若干32歳ながら「無停止攻撃」作戦なる戦術を独自に編み出し、共和国陣営による軍事攻撃があるとは露ほどにも思っていなかった王国陣営主要国を瞬く間に蹂躙した。
この「無停止攻撃」作戦とは、強力な機甲部隊を複数の梯団に分け、敵支配地域に対する連続的かつ多段的な不断の攻撃を仕掛けて縦深突破を図る戦術のことである。アーガン人民軍は、持ち前の膨大な人的資源と計画経済が生み出した強靭な重化学工業を総動員し、陸軍全部隊の機械化に成功。
更に空軍の近接攻撃支援部隊とヘリ部隊、人民軍特殊部隊と内務人民委員所属の特殊工作部隊を、戦域ごとに統合運用する諸兵科連合の作戦機動グループ(OMG)を複数編成。
OMGの見事な連携と極めて強力な突破攻撃力は、難なく王国陣営側の防衛線を粉砕せしめた。
大戦勃発から僅か10日余りで、アーガン人民軍は宿敵ロングニル王国連合の王都・ヴェンデンゲンを捕らえ、同市新市街のほとんどを占領するというアーガン建国史上空前の快挙を成し遂げたのである。
既に開戦から半年。
無敵を誇ったアーガン人民軍ではあるが、流石に兵も機材も損耗が著しく、加えて兵站の問題も顕在化してきた為、度々の「停止」を余儀なくされていた。
だが、今、この若き将軍を悩ませているのは別のより重大な問題であった。
テントの外から強襲ヘリのローターとエンジンが奏でる重奏曲が聞こえてくる。
ヘリの音は次第に大きくなり、着陸したことを思わせる羽音が響くと、テントの入口を開けて中に入って来る者がいた。
「失礼します。ザイツォン様。」
カーキ色の軍用レインコートを着た若い女が前線司令部に入ってきた。
司令部要員の通信兵たちが訝し気に女の方を振り返るが、レインコートのフードが外されて女の正体が分かるや、全員直ぐに何事もなかったかのように自身の仕事に戻った。
女の名はカレン・アクラコン。
内務人民委員のNo,2にして対外工作部隊指揮官。
この女と彼女が指揮する内務人民委員「特別行動部隊」は、アーガン国民のみならず衛星諸国の人間からも大変恐れられていた。
僅かでも彼女から「反革命的」と見做されてしまえば、翌日には人民共和国が世界に誇る史上最大の超巨大ダム・コクランダムの底で、半魚人の餌となってしまう。
故に誰も彼女と視線を合わせないように努める。何がこの女の不興を買うかわからないからだ。
しかし、何事にも例外はある。
カレンと対等に会話することが出来るアーガン人は、極僅かだが存在する。
その貴重な一人こそ、他ならぬこの大型野戦テントの主、ザイツォン・ベタシゲン将軍その人だ。
「うん?おう、カレンか。前線まで何しに来た?また、悪巧みか?」
ザイツォンは軽口を交えて歓迎する。しかし、その表情は暗いままだった。
「ザイツォン様のお顔を拝見しに参りました。」
カレンは微笑みを浮かべて愛する男に答える。
ザイツォンは視線を机の野戦地図から離し、幼馴染の女に向ける。
その顔を見て直ぐに見当がついた。
2人きりで話したいようだ。
「そうか……皆、すまないが少しばかりテントから退出してくれ。同志アクラコンが何やら私に折り入って話があるようだ。」
ザイツォンの指示に、司令部要員は直ちに従った。
尊敬する将軍に向かって一同は敬礼した後、雨が降りしきるテントの外へと出て行った。
雨音だけが、しばしテントの中を支配する。
沈黙を破るのは決まってカレンだ。
「ザイツォン様、お知らせしたきことがございます。」
「だろうな、カレン。」
「西方の大国・アペルダ協商連合と大陸南端の雄・神聖アスパニア王国が、我が国をはじめとする共和国陣営諸国への宣戦を決めたようです。」
「……やはりか、結構早かったな。」
ザイツォンの表情は更に暗くなった。
これは予期していたことだ。
先月発生した「アレフィーの大罪」と呼ばれるアーガン人民軍一部部隊と同盟国・エルエナル軍によるハイエルフに対する組織的虐殺に、カレンが述べた二つの大国は特に激しい非難を浴びせていた。
両国とも大戦への不介入を貫き、中立を宣言していたものの、この国際条約を一方的に無視した共和国陣営の暴挙にそれぞれの国内世論は大いに怒りを露わにしていた。
またこの「大罪」に対し、アーガンとエルエナルは一貫して「王国陣営による捏造」との立場を崩さなかった為、国際的な批判に拍車をかけた。
もはや共和国陣営への軍事制裁も止む無し。
そのような声が、大海を隔てた東方大陸諸国からさえも上がっていたのである。
ましてや、同じ大陸に存在する中立諸国は、差し迫った脅威となりつつある共和国陣営への反発も合わさり、軍事介入は時間の問題と見られていた。
「もう宣戦布告はなされたのか?本国の爺様方は知ってるのか?」
「いいえ、宣戦布告はまだです。今この情報を知っているのは、私とザイツォン様、それに妹のシクラと私の側近の部下数名しかおりません。それ以外の者は、皆、半魚人の同志たちと楽しく暮らしております。」
カレンは人民共和国の長老たちに先んじて中立国の情報をキャッチし、遅れて緊迫する情勢を警告しに来た長老派の工作員たち全てを粛清していた。
「そうか。連中の軍事介入はいつ頃だ?」
「恐らく、我が人民軍がロングニル最後の砦「ナルヴァの丘」に達した時と思われます。」
今、ザイツォンたちがいるカースヴァルデン大平原の先には、ロングニルと神聖アスパニア王国との国境となっている大山脈が聳え、その山間に「ナルヴァの丘」と呼ばれる古の時代から存在する峠道がある。
ザイツォンの強力な人民軍の猛攻の前に、ロングニル軍主力はその丘に臨時で設けられた軍事基地まで追い詰められており、もう後が無い状況に陥っていたのだ。
だが、もし南の隣国の神聖アスパニア王国がロングニルの側に立って参戦した場合、情勢は完全に一変してしまう。滅びを待つはずだったロングニル軍は一気に息を吹き返し、アスパニア軍という強力な援軍を得て、戦局が覆ってしまうかもしれない。
ましてやそれが、何も知らない人民軍が「丘」に殺到した時、突如伏兵のようにアスパニア軍が襲撃してくれば、人民共和国の敗北はほぼ確定だろう。
それに加えて、ロングニルの西方に位置する「商人ギルドの国」アペルダ協商連合まで参戦するとあれば、もはや状況は最悪と言っていい。
「なんてこった。やっぱり俺の思った通りになりやがったぜ。はぁ~……」
ザイツォンは机の前に置かれた専用木製椅子にどかりと座り込む。
思わず溜息が漏れる。
それを笑顔で見つめるアーガン女。
「さて、カレン。話はそれだけじゃないだろ?」
「はい。ザイツォン様がお悩みになられている件のことと、あともう一つ別件がございます。」
カレンは両手を胸の前に掲げて左右の人差し指を立てた。
ザイツォンにどちらから聞きたいか問いかける。
「それじゃ、まずは俺が悩んでることだ。」
「わかりました。同志キムケグァンは、変わらずロングニル占領地の放棄は絶対に認められないとの一点張りです。にもかかわらず、人民軍統合参謀本部に対して戦争経済を優先する為、ロングニル西方砂漠地方への進撃を正式に命令されました。」
「あのクソジジィ!!耄碌も大概にしろ!!現状の拡大し切った戦線を一旦縮小しなきゃ、「無停止攻撃」を続ける為の予備梯団が確保できん!それに加えて石油が僅かに取れるだけの砂漠を占領しろだと!?ふざけるなよ!!どこにそんな戦力がある!?魔女の婆さんに異世界から取り寄せてもらうつもりか!?」
ザイツォンは思わず目の前の机に握り拳を叩き付け、怒りを露わにする。
こんな発言を内務人民委員の政治将校が聞けば、直ぐにでも矯正労働キャンプ送りになってしまうことだろう。人民共和国の偉大なる国家指導者に対する許されざる暴言である。
しかし、内務人民委員No,2の女は、こともなげにこう言った。
「ご安心ください、ザイツォン様。人民軍統合参謀本部は、あの愚かな爺を見限りザイツォン様への忠誠を誓いました。今、惨めな老害が意のままに出来るのは首都専衛軍の一部部隊と腰巾着の軍事人民委員長・ジクラキムとその取り巻きだけです。奴らには、人民軍の将兵一兵たりとも動かすことは出来ません。そして、そのことを本人たちは知らないままです。」
カレンはさも当たり前のように答えた。
人民共和国の偉大なる指導者にして百戦不敗の大将軍は、本人も知らぬ内に実権のほとんどを失っていたのだ。後は、表向きの権威を喪失させる「大失態」があればいい。
カレンは仄暗い笑みを浮かべる。
「……お前、「また」先を行ったな。」
カレンは常にザイツォンが欲する状況を、まるで本人の意図を汲んだかのように「先んじて」用意する。これは、幼少の頃から変わらない。いつも、カレンはザイツォンの為に「先」を進む。
「はい、ザイツォン様。後は、ザイツォン様なら上手くやってくださるものと確信しております。」
屈託のない愛嬌のある笑顔を見せるカレン。
彼女がこの顔を見せるのは、ザイツォン以外に妹のシクラしかいない。
「……わかった。お前の望むように派手に踊ってやろう。それで、もう一つは?」
一夜にして人民軍最高総司令官となってしまった若い将軍は、幼馴染の不気味な女に別件の報告を促した。
「まずは、こちらの2枚の写真をご覧ください。」
カレンは傍らに携える黒い書類鞄から2枚の航空写真を取り出し、愛する男に渡す。
ザイツォンが受け取った写真の1枚目には、広大な平原一面に非常に大規模な戦車を中心とした装甲軍団が集結している様子が写されていた。
そして2枚目では、巨大なクレーターのようなものが出来、集結していた装甲軍団が消滅していた。
「カレン。これは何だ?戦車や装甲車の形状から察するに、これはエルエナル軍か?」
「ご名答です、ザイツォン様。我が人民空軍の超高高度長距離戦略偵察機が撮影した、ベルベキア連邦に侵攻したエルエナル軍がとある大平原で突如「消滅」した様子にございます。」
「……カレン、一体あの北半球の同盟国の軍隊に、何があった?隕石でも降って来たか?」
ザイツォンの顔が険しくなる。ざっと簡単に見ても約30万規模の一大装甲軍が「消滅」する等、普通なら考えられない。
尋常ならざる天災でも起きたのか?しかし、このクレーターのような爆発痕は、あきらかに敵野戦軍撃滅を狙った人為的なものに感じる。
ザイツォンのもっともな疑念に、カレンはある答えを用意していた。
「ザイツォン様。恐らく、これは核分裂反応を応用した新兵器「新型エネルギー爆弾」による攻撃と考えられます。」
「なんだって!?新型エネルギー爆弾だと!?」
ザイツォンにはにわかに信じられなかった。
大戦前、ザイツォンは人民軍科学アカデミーの科学者たちとの懇親会に誘われたことがあった。
そこで彼は、数十年前から細々と研究されている「核物理学」の技術者から面白い話を聞いた。
ある特定の鉱物資源を用いれば、ダムの水力発電を遥かに上回る膨大な電力を生み出す発電所や、半永久的に外洋を航海可能な艦船もしくは潜水艦、そして一発で大都市を灰燼に帰す程の非常に強力な爆弾を建造可能になるという話だ。
まるで夢物語のように感じたザイツォンだったが、核物理学者の男は将来必ず実現可能だと確約してくれた。だが、こうも付け加えた。「実現するのは恐らく200年後くらいだろう」と。
つまり、アーガン人民共和国の現在の技術力では実用化に200年かかる「新型爆弾」を、アーガンの同盟国・エルエナルの交戦相手である極北の不気味な半鎖国国家・ベルベキア連邦は実戦配備しているということになる。
ザイツォンの背中に、冷たい汗が滲む。
「なんてことだ。もし、ベルベキアの連中がその気なら、共和国陣営諸国を国ごと宇宙の果てまで吹っ飛ばせるってことか。対抗手段は?」
「今回のエルエナル軍への攻撃は、ベルベキアの大型爆撃機によるものであることが確認されております。新型爆弾は非常に大型で、爆撃機でないと運用できないものと推測されます。よって当面の間、人民共和国本土に接近する全ての所属不明機を警告なしに撃墜いたします。既に、人民防空軍と国内軍防空戦隊には命令済みです。」
ザイツォンは顔を顰める。
それでは対処療法に過ぎない。
敵がこちらが迎撃不能な数で襲来したり、手薄な箇所を突いて来たらお終いである。
それを見透かしたように、不気味な内務人民委員の女は、微笑みながら付け加えて申し述べた。
「ザイツォン様のご懸念は充分に承知しております。先日、科学アカデミーの核物理学部門及びその関連部署全ての予算と人員を今までの100倍に増やし、アカデミー長をはじめとする核技術研究の邪魔をする頭の古い学者全てをダムに沈めました。現在、ベルベキアで観測された各種データを元に、最優先での新型エネルギー爆弾開発を命令しております。」
カレンはまたしても「先」に行ったようだ。
もし、こちらも新型爆弾を持てば、敵もおいそれと手出し出来なくなる。
敵が核を持って攻撃してくれば、こちらも核で反撃する。
結果、双方共に国家消滅クラスの大損害を負う。当然、そんな相互破壊のリスクは敵味方どちらも負いたくないので、互いに核を安易に使用出来なくなる。
それが核の抑止力である。
しかし、今まで等閑にされてきた分野の研究を、急に予算と人員を増やしたからと言って直ぐに実を結ぶものではない。
当座は、カレンが先に述べた無差別防空体制という対処療法で何とか凌ぐ他ないだろう。
ザイツォンの顔に刻まれる眉間の皴は更に濃くなる。
「ベルベキアの新型爆弾は差し迫った脅威ではあるが、今は、中立国の参戦をどう凌ぐかが最優先課題だな。このまま「ナルヴァの丘」門前から引き返して、戦力を温存したままヴェンデンゲンのラインまで一気に後退するしかないだろうが……それは同盟国・エルエナルが許さないだろうな。」
「ザイツォン様。私が遠く北半球は極北戦線の話を持ってきたのは、まさに連中に関係するからです。……そろそろ入っていいぞ、同志グラシカ。」
カレンがテントの外に向かって何者かの名前を呼ぶ。
すると入口から大男が姿を現した。汚れ一つ無い人民軍上級政治将校の軍服を身に纏う男。
粗削りの岩盤のようなゴツゴツした顔に、不釣り合いな左右の鼻の穴の下についた先端が丸まったヒゲ。身体も岩石の如き偉丈夫であった。襟や肩の階級章は、男が大佐であることを示している。
「お呼びですかな?カレンお嬢様……おっと失礼、同志アクラコン。」
「大佐。エルエナル南方派遣軍との連絡将校でもある貴様から人民軍総司令官様へ報告せよ。」
「はい!喜んで!」
グラシカと呼ばれた大男は、カレンに深々と頭を下げた後、ザイツォンに向き直り敬礼した。
「久しぶりだな、グラシカ!元気そうだ。」
「ザイツォン坊ちゃまも、ご壮健で何よりでございます。」
グラシカは満面の笑みをザイツォンに向け、彼もまた、元・アクラコン家専属守備隊隊長の大男の変わらない姿に顔を綻ばす。
「それで報告とは?」
「はい。エルエナルのブルジョワ連中は大いに焦っております。極北戦線で戦略機甲予備を一瞬にして失い、彼の戦線は崩壊寸前です。人の口に鍵は掛けられぬもの。既に装甲軍団崩壊の噂が囁かれ、エルエナル軍将兵や議員たちに動揺が広がっております。そこで連中の指導者であるヴェルナルド終身大統領は、自身の求心力低下を阻止するべく南での大勝利を求めており、彼ら南方派遣軍は何が何でも「ナルヴァの丘」で勝利をもぎ取らなければなりません。」
「なるほど、そうだろうな。終身大統領とは言え、求心力を失い弾劾裁判にでも掛けられればそれでお終いだ。為政者の上に立つ憲法がある国は、何かと大変だな。」
ザイツォンはそう言いつつ苦悩した。
やはり、そうなるだろう。元より国情が判然としないベルベキアに攻め込んだこと自体が無謀を通り越して愚かなのだ。それを棚に上げて、無責任にも「勝ちやすい」と目された南での勝利にこだわりだしたのである。
北半球の強大な共和制国家・エルエナルの独裁者にして夢想家、ローズ・ヴェルナルド終身大統領の求める理想郷「環状大陸共同体」は開戦から半年にして、実現することなく完全崩壊を迎えようとしていた。そんな沈みゆく船に乗ってしまったアーガン人民共和国も、このままだと心中する羽目になってしまう。
「だが、俺は優秀な人民軍将兵と貴重な機材をエルエナル連中と一緒に心中させるつもりは無いぞ……そう言えばグラシカ、お前がわざわざ俺の前に出向いてきたということは……「あいつら」を使うんだな?」
「その通りでございます!ザイツォン坊ちゃま!……失礼、ベタシゲン将軍。」
グラシカは丸まったヒゲの先端を指でなぞりながら、将軍に答えた。
「あいつら」とは、矯正労働キャンプ送りとなった「人民革命の敵」とされたアーガンや衛星諸国の人間たちのことである。グラシカは、そのような人間たちを寄り集めて編成された「懲罰軍」の管理官も務めていた。敵の地雷原や強力な敵防衛陣地などに真っ先に投入される「消耗品」部隊。
今回、そんな「懲罰軍」を人民軍の精鋭に見立て、エルエナル人と共に「ナルヴァの丘」に向かわせる。その間に、人民軍本軍は速やかに戦線を後退。来襲するであろう息を吹き返した王国軍と参戦してきた中立諸国軍に備えるという手筈だ。
当然、「懲罰軍」とエルエナル軍は見捨てる。元より用済みの「懲罰軍」と、今や沈みゆく船と化したエルエナルの鼻持ちならない軍隊だ。失われたところで痛痒も感じない。
「わかった。後のことは同志グラシカ大佐に任せる。精々、派手にかましてくれ。」
「お任せあれ!ベタシゲン将軍!」
グラシカは背筋を伸ばし見事な敬礼をザイツォンに見せ、カレンに再度深々と頭を下げてからテントを後にした。
またしても2人きりとなるザイツォンとカレン。
「カレンは今回も頑張りました。ご褒美をお願いします、ザイツォン様。」
カレンがザイツォンにだけ見せる仕草。獲物を捕らえてご主人に褒めてもらうのを期待する猫のように、カレンは愛する男に毎回おねだりをする。
「わかった、カレン。よくやった。偉いぞ。」
ザイツォンはカレンの頭を優しく数回撫でた。
これが、この冷血女にとって最高の至福の時間である。
「それでは、私も任務に戻ります。ザイツォン様。」
「おう。気を付けて帰れ。」
気が付けば雨音はしなくなっており、曇天は薄くなって所々黄昏時を迎えて赤みを帯び出した空を覗かせていた。
大戦の転換点の一つ「ナルヴァの丘の戦い」はもう目前に迫っていた。
……
カレンとザイツォンが野戦テントで密会してから3日後。
エルエナル南方派遣軍は「ナルヴァの丘」に築かれたロングニル王国軍の軍事要塞を数キロ先に望む所まで来ていた。
その傍らには人民軍の「精鋭部隊」も展開している。
エルエナル軍は、自身の軍事力と技術力に絶対の自信を持ち、正直に言って開戦当初は「労働者の国」アーガン人民軍に全く期待していなかった。ところが、蓋を開けてみればその人民軍はほぼ独力で超大国・ロングニルに大打撃を与え、今やその軍主力を南の国境まで追い詰めていたのである。彼ら派遣軍も、開戦から半年経った今では、人民軍を大いに信頼していた。
しかし、一方の人民軍側はエルエナル軍をほとんど信用していない。
指揮系統も別々で時に独断で行動し、事あるごとに高慢な態度を見せるエルエナル人とその軍に、彼ら赤き労働者の軍隊は大いに不快感と不満を抱いていた。
それを、ザイツォンとその取り巻きの将校たちはエルエナル側に自分たちの真意を気付かれぬよう、彼らと接する全ての将兵に「鉄仮面」を被らせることを、開戦当初から徹底させていたのである。
彼の国の軍人らと接する人民軍の将兵は、心の中でエルエナル人への嫌悪を滾らせながら、顔には笑みを浮かべていた。
結果、エルエナル軍はこの重大な局面たる「ナルヴァの丘」を巡る戦いに参上した人民軍の「精鋭」を、本物の精鋭部隊と信じ切ってしまっていた。
自分たちとアーガンの連中は固い絆で結ばれている。
彼らエルエナル軍の一部将校は、本気でそう思っていた。
そんな将校の一団が人民軍「精鋭」部隊の視察を兼ね、その指揮官と面会していた。
「これが、あなた方アーガン共和国軍の精鋭部隊ですか。実に壮観ですな!」
エルエナル軍将校の一人が、人民共和国製の旧式戦車に追加装甲「もどき」を施した「新型戦車」と、その前に居並ぶ洗濯したばかりの軍服を着た人民軍懲罰部隊の兵士を見て感嘆の声を漏らす。
「ははは。我が軍と強大なるエルエナル軍が力を合わせれば、ナルヴァなど一捻りでしょうな!」
グラシカが豪快に笑ってその感嘆に答えた。
「それでは、ここで私から我が精鋭たちに檄を飛ばすこととしましょう!ちょっと、母国の言葉で失礼させていただきますぞ?」
そう言うとグラシカは、整列する「懲罰軍」の兵士に向かって【アーガン語】で命令する。
【よく聞け!!人民革命の敵め!!もしこの戦いに勝利すれば、貴様ら全員とその家族に「人民階級」へ戻るチャンスをくれてやる!!死ぬ気で戦え!!敗北すれば、キャンプで貴様らの帰りを待つ妻子の命は無いものと思え!!敗北すれば全員、ダム送りだ!!わかったか!?わかったら、歓声を持って答えろ!!心の底から、偉大なる人民共和国への感謝を湧き立たせて声を上げろ!!惨めな声を出す者は、このブルジョワ共が去ってから直ちに射殺する!!さぁ、声を上げろ!!】
「う、うおおぉぉーー!!」
人民軍の精鋭は、まるで士気激昂する血気盛んな兵士そのもののような大歓声を上げた。
アーガン語が理解できないエルエナル軍の将校らは、その様を頼もし気に見ていた。
「アメージング!ブラボー、ミスターグラシカ!!明日の勝利は間違いないな!!」
「ありがとうございます!さぁ、共に勝利に向かって進みましょうぞ!」
グラシカはエルエナル将校団の団長である派遣軍副司令官の中年男と熱い握手を交わした。
……
翌日払暁。
ナルヴァの丘への大攻勢が始まった。
エルエナル陸空軍は共に進撃し、統合共和国空軍はロングニル空軍との航空優勢を賭けた大規模空中戦に突入。
時を同じくして統合共和国陸軍機械化部隊も、ナルヴァの丘へと殺到して一大攻防戦が始まった。
戦端が開かれてしばらくの後、エルエナル軍は異変に気が付いた。
人民軍が誇る絶大な火力を叩き付ける砲兵部隊の支援が一切無い。
それどころか、人民空軍の作戦機がただの一機も飛来してこない。
何かおかしい。
前線部隊からの報告を受け取ったエルエナル南方派遣軍の将校らが、人民軍の野戦司令官であるザイツォン・ベタシゲン将軍との連絡を試みるも、「将軍は急病につき不在」の一点張りで全く連絡がつかない。
その一方で、彼らの大規模な「精鋭部隊」は損害を全く顧みずに激しく戦っている。
だが、その「新型戦車」は次々とロングニル軍の既存対戦車兵器に破壊され、装甲車両もよく見れば年季の入った中古品ばかりで動くのがやっとの状態。兵士たちの戦い振りも、明らかに素人が死に物狂いで戦っているような感を受けた。
これは本当に「精鋭部隊」なのか?
エルエナル軍の将兵たちが疑問を感じ始めたその時。
「彼ら」はやって来た。
丘の向こう側から「聖職者たちの故郷」神聖アスパニア王国の「神の軍隊」が現れ、「民族虐殺」を行った悪辣な邪教徒に対する「異端査問」を開始。
更に、エルエナル軍西側面からは「商人ギルドの国」アペルダ協商連合の「国家傭兵軍」が出現。世界各地の戦い好きな亜獣人や元軍人等から成る、新型兵器で完全武装した雑多ながらも見事な統制の取れている「商人の国」の軍勢は、瞬く間にエルエナル軍側面を突破した。
形成は一気に逆転した。
ロングニル軍はアスパニア・アペルダ連合軍に助けられ、全面で反撃を開始。
空でも無数に飛来した元・中立国空軍の作戦機により航空優勢を確保。
結果、エルエナルは投入戦力の半数以上を喪失し、アーガン人民軍「精鋭部隊」は消滅。
必勝を期す為、前線で指揮を執っていた大勢のエルエナル軍将官も戦死者リストに名を連ねることとなった。
ナルヴァの丘の戦いは、斯くしてエルエナル・アーガン連合軍の大敗北に終わった。
一方、その頃「労働者の赤い軍隊」は、人民軍最高総司令官となったザイツォン指揮の下、占領していたロングニル各地から相次いで撤退し、戦線を一挙に縮小させると速やかに防衛戦へと移行した。
まるでナルヴァの丘の戦いが、自陣営の敗北に終わるとあらかじめわかっていたかのように。
その人民共和国では、重大な一大決戦に敗北したキムケグァン書記長の求心力は大いに低下し、一方で敗北を見事にカバーして人民軍を立て直したベタシゲン将軍の人気は更に高まった。
「フェリス門前の戦い」とこの「ナルヴァの丘の戦い」以後、大戦は王国陣営側の優勢が確定することとなる。




