お役所の論理で魔王軍を討て
異世界への転生から一ヶ月ほど経った夕暮れ時。王都の役場の執務室に、けたたましい非常警報のベルが鳴り響いた。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! 魔王軍の先遣隊が王都の城壁まで接近! 現在、防衛結界のアクセス権が不正な処理によって突破されようとしています!』
職員たちがパニックに陥り、書類を投げ出して逃げ惑う中、俺とハルは静かにコーヒーカップを置いた。
「ランス、来ましたね」
「ああ。ファンタジーの定番イベントだが……うちの職場を荒らす不法侵入者は、魔王軍だろうが容赦しない」
俺たちは席を立ち、窓の外を見下ろした。
城壁の外には、地響きとともに押し寄せる暗黒騎士団と、巨大な魔獣の群れ。その最前線で、禍々しいオーラを放つ魔王軍の幹部が「人間どもよ、絶望を味わえ!」と高笑いしている。
通常の兵士たちでは太刀打ちできない。だが、ここは王都の役場だ。武器で対抗する必要などない。もっと強力で、より逃れられない『行政処分』という名の合法的な暴力がある。
「ハル、準備はいいか?」
「いつでも。彼らの不正侵入と、防衛結界の無断改ざんに対する『是正勧告および行政処分通知書』、すでに局長の決裁を得ています」
俺たちは執務室の窓をガバッと開き、魔王軍の幹部に向けて、役場の巨大な拡声器を起動した。ハルが冷徹無比なキャリアウーマンのトーンで、王都全域に響き渡る声で宣言する。
「――魔王軍先遣隊の皆様。当方、神聖王国ヨーロズア王都総合庁舎、ガバナンス推進局コンプライアンス管理課のランスおよびハルです。貴殿らの行為は、王国領土内における『無許可の立入りおよび建造物損壊罪』、ならびに『魔法帯域の無断占有に関する電波法ならびに類似条例違反』に該当します」
「なっ……なんだと!? 我らは魔王様の名の下に……!」
「コンプラ違反は魔王の名では免責されません。それに、貴殿が今乗っているその巨大魔獣、ペット飼育許可証の登録番号が未記入です。違法飼育として没収、および過料の対象となります。さらに、城壁の保安区域に近づきすぎたことで『景観保護法違反』のペナルティが発生しています。罰金、ゴールドにして総額1億G、および社会奉仕活動としての城壁の補修作業100年分を即座に執行します」
「ふざけるな! 貴様らのような役人風情が、我が軍を止められるかっ! 全軍、突撃――!」
魔王軍が怒りに任せて突撃の号令をかけようとした、まさにその瞬間。
「拒絶します。貴殿らの保有するすべての装備品および魔力の流通経路を、当方の権限において一時凍結しました」
ハルが手元の端末を操作し、冷たく言い放つ。
役場のデータベースと王国の防衛システムが直結しているこの職場において、王都の土地利用権とインフラを握る俺たちに逆らうことは、企業の基幹システムからアカウントを即座に削除されるのと同義なのだ。
「なっ……魔力が使えない!? 剣がただの鉄くずに……!?」
「当たり前だ。ルールを守らない奴に、この世界のインフラを利用する資格はない」
防衛システムの範囲内では、どれだけ強力な魔力を持っていても、そのデバフからは抗えない。魔王であっても赤子同然であろう。
呆然と立ち尽くす魔王軍に対し、俺たちはコンプラ課の承認印を高々と見せつけ、冷たく言い放った。
「速やかに解散し、指定の窓口で不法侵入に関する始末書および顛末書を提出しなさい。さもなくば、あなたがたの『住民登録』ならびに『商業ライセンス』を抹消します」
その圧倒的なお役所的プレッシャーと、理不尽をねじ伏せる事務処理能力の前に、魔王軍の幹部はガタガタと震え出し、ついに「撤退だぁーーっ!」と情けない悲鳴を上げて逃げ出していった。
「…馬鹿な奴らだ。魔王軍に王都の住民登録や商業ライセンスなど、あるわけが無いだろうに。なあハル、いくらなんでも『ペット飼育許可』は無理があったと思うが?」
「ランス、今のはハッタリですよ、ハッタリ。これもある種の魔法みたいなものです。防衛システムのデバフだけでは彼らは諦めなかったでしょう。脳筋は漢字とカタカナが苦手なんです。これは現実世界でも同じですが…」
城壁の上から、魔王軍が敗走していく背中を見送りながら、俺たちは小さく息をついた。
「ふぅ……これで今日の仕事も終わりだな」
「お疲れ様です、ランス。……でも、これだけ異世界役場の仕事に馴染んじゃうと、元の世界に戻ったとき、ちょっと心配だね」
ハルがクスリと笑いながら、俺の腕に軽く自分の腕を絡めてきた。
元の世界へ戻るための転移陣の購入費用は、この1ヶ月の過酷な役場業務の報酬で、とっくに目標額を突破している。
だが、不思議と今すぐ帰ろうという気にはならなかった。
このファンタジー世界でも、俺たちは俺たちのやり方で、世界の理不尽を完璧にデバッグし続けているのだから。
そう。2人一緒なら、どこでだって上手くやっていける。
役場の窓を通り抜ける初夏の風が、いつもと変わらない『面倒くさい月曜日』の終了を、静かに告げていた。
(完)




