第17章 第3話:創作の授業――AIが書いた物語
AIが書いた夏は、きれいすぎた。
詩乃は、ノートパソコンの画面を見つめたまま、指を動かせずにいた。
画面には、生成AIが出した短編小説が表示されている。
題材は、詩乃が入力したものだった。
『祖母の家の縁側を舞台にした、夏の記憶の物語を書いてください』
返ってきた文章は、すらすら読めた。
古い木造家屋。
蝉の声。
庭先の朝顔。
麦茶の入ったグラス。
風鈴の音。
畳に落ちる光。
祖母の穏やかな笑顔。
どれも、夏らしい。
どれも、懐かしい。
言葉は整っていて、比喩も自然だった。
文の長さにもリズムがある。
詩乃が何時間も悩んで書く文章より、ずっと小説らしく見えた。
詩乃は、自分の原稿を隣に開いた。
祖母の家の縁側。
古い扇風機。
午後の光。
言えなかった別れの言葉。
書きたいものはあった。
でも、自分の文章はぎこちない。
同じ語尾が続いている。
描写は途切れ途切れで、感情も説明になっている。
読み返すほど、画面の中のAIの文章との差が目についた。
高校二年。
詩乃は文芸部に所属している。
小さい頃から物語を書くのが好きだった。
ノートの端に、名前のない登場人物を書いた。
学校帰りに見た空を、別の世界の入口にした。
祖母の家で聞いた古い扇風機の音を、何度も物語に入れようとした。
でも、人に見せるのは苦手だった。
自分の文章は、どこか不格好だと思っていた。
言いたいことがあるのに、言葉にすると弱くなる。
胸の奥にあるものが、紙の上では薄くなる。
それが悔しかった。
今年、国語表現の授業で「生成AIと創作」を扱うことになった。
文芸部でも、AI利用について話し合っている。
AIにアイデアを出させる生徒もいる。
表現の言い換えを頼む生徒もいる。
最初から最後までAIに書かせた作品を持ってきた生徒もいた。
顧問の水原先生は、悩んでいた。
禁止するべきか。
使わせるべきか。
どこまでが自分の作品なのか。
何を提出させればよいのか。
詩乃は、半分怖い気持ちでAIに頼んでみた。
自分と同じ題材で書かせたら、どうなるのか。
結果は、画面の中にある。
自分よりずっと整った夏。
詩乃は、ゆっくり息を吐いた。
「私、書かなくてもいいのかな」
部室の窓の外では、放課後の校庭に西日が差している。野球部の声が遠くから聞こえ、廊下では吹奏楽部の楽器の音が少しずつ重なっていた。
文芸部の部室には、古い本棚と長机がある。
詩乃の向かいでは、水原先生が部員たちの原稿を読んでいた。
先生は、詩乃の小さな声に気づいた。
「詩乃さん?」
詩乃は画面を閉じようとして、やめた。
「先生」
「はい」
「AIの方が上手に書けるなら、私が書く意味ありますか」
言葉にした瞬間、胸の奥が痛んだ。
本当は、そんなことを聞きたくなかった。
誰かに「そんなことない」と言ってほしかったのかもしれない。
でも、画面の文章は、確かに上手かった。
水原先生は、すぐには答えなかった。
教師として、励ましたい気持ちはあった。
AIの文章より人間の文章が大切だと言うこともできた。
でも、それだけでは詩乃の不安に届かない気がした。
その時、部室の入口に一人の先生が立っていた。
黒い上着に、使い込まれた革の鞄。
白瀬灯理。
国語表現の授業に外部助言者として来ている先生だった。
灯理は、詩乃の画面と、机の上に置かれた手書きの原稿を見た。
そして、静かに言った。
「うん。では、上手に書かれた文章と、君がどうしても残したい一文は同じものなのでしょうか」
詩乃は、画面から目を離せなかった。
上手に書かれた文章。
どうしても残したい一文。
その二つは、同じではないのだろうか。
でも、自分の中に「どうしても残したい一文」があるのかどうかも、まだわからなかった。
翌日の国語表現の授業では、机の上に二つの文章が置かれた。
一つは、AIが生成した短編。
もう一つは、生徒自身が書きかけている原稿。
水原先生は、黒板に書いた。
『AIが書いた物語』
『自分が書きたかった物語』
教室がざわついた。
「比べるの?」
「AIの方がうまかったらへこむ」
「使っちゃだめってこと?」
「逆に使っていいの?」
水原先生は、少し緊張した面持ちで前に立っていた。
以前なら、AI利用を禁止するか、許可するか、そのルールだけを決めようとしていたかもしれない。
けれど、灯理と話して、まず生徒自身に見比べさせる必要があると思った。
禁止だけでは、現実から離れる。
使い放題では、自分の選択が見えなくなる。
灯理は、黒板に活動の手順を書いた。
『AIの文章で上手い部分を見つける』
『でも、自分が違和感を持つ部分を探す』
『自分が本当に残したかった場面を一つ選ぶ』
『AIに任せてもよい作業と、自分で選びたい部分を分ける』
『選んだ言葉の理由を書く』
『この一文だけは自分で書きたい、を作る』
詩乃は、自分の席でAIの文章を開いた。
まず、上手い部分を探す。
すぐに見つかった。
冒頭の描写。
『縁側に腰かけると、夏はいつも祖母の声で始まった。』
うまい。
音がきれいだ。
読み始めたくなる。
次の段落。
『風鈴が鳴るたび、庭の朝顔が小さくうなずいた。』
これもきれいだった。
詩乃は、ワークシートの『上手い部分』に書いた。
『季節の描写が自然』
『比喩がきれい』
『文章が読みやすい』
『祖母の優しさが伝わる』
次に、『違和感を持つ部分』。
詩乃は、そこで手が止まった。
違和感。
文章はきれいだ。
でも、何かが違う。
詩乃の祖母は、AIの文章の中の祖母のように、いつも穏やかに笑っている人ではなかった。
よく笑った。
でも、よく小言も言った。
麦茶を出しながら、「氷を入れすぎると腹が冷える」と言った。
縁側で足をぶらぶらさせると、「畳にかかとを擦るな」と注意した。
古い扇風機をなかなか買い替えず、「まだ首を振るから使える」と言い張った。
詩乃が最後に祖母の家へ行った夏も、祖母はいつものように扇風機の角度を直していた。
その数週間後、祖母は急に入院した。
詩乃は、ちゃんと別れを言えなかった。
AIの文章には、祖母との温かい夏があった。
でも、詩乃の胸に残っているのは、温かさだけではない。
古い扇風機の音。
戻ってくる首振り。
言えなかった「また来るね」。
縁側に残った沈黙。
AIの文章には、その痛みがなかった。
詩乃は、ワークシートに書いた。
『祖母がきれいすぎる』
『本当はもっと口うるさかった』
『扇風機の音がない』
『言えなかった別れがない』
『懐かしいだけで、胸が痛くならない』
書いているうちに、少しだけ呼吸が深くなった。
自分が何に違和感を持ったのか。
それは、自分が何を書きたかったのかに近い気がした。
灯理が、詩乃の机の横に来た。
「たくさん書けましたね」
「はい」
「AIの文章は、どうでしたか」
「上手いです」
「はい」
「でも、私の祖母ではありませんでした」
詩乃は、自分で言って、少し驚いた。
そうだ。
AIは祖母を書いた。
でも、それは一般的な、きれいな祖母だった。
詩乃の祖母ではない。
灯理は頷いた。
「その違和感は、大切な入口ですね」
「違和感が?」
「はい。君が書きたいものが、そこに隠れていることがあります」
授業の後半、生徒たちは「AIに任せてもよい作業」と「自分で選びたい部分」を分けた。
ある生徒は、構成案をAIに出してもらうのはよいが、登場人物の台詞は自分で書きたいと言った。
別の生徒は、言葉の言い換えを相談するのはよいが、結末は自分で決めたいと言った。
詩乃は、ワークシートに書いた。
『AIに任せてもよい作業』
季節の言葉の候補を出す。
文章の言い換えを提案する。
読みにくい文を整える案を出す。
『自分で選びたい部分』
祖母の口調。
扇風機の音。
言えなかった別れ。
縁側の沈黙。
最後の一文。
最後の一文。
そこにペンを置いた時、詩乃の胸が少しだけ鳴った。
自分で書きたい。
たとえAIの文章よりぎこちなくても。
そこだけは、自分の記憶から選びたい。
水原先生は、教室を回りながら生徒たちのワークシートを見ていた。
AIを禁止するだけでは見えなかったものが、そこに並んでいた。
生徒たちは、AIの文章をただ受け取るのではなく、自分の違和感や選びたい部分を言葉にし始めている。
これは、創作の授業なのだと思った。
技術の使用ルールだけではなく、自分の選択を見つける授業。
放課後、詩乃は文芸部の部室に残った。
窓の外では、夕日が校庭のフェンスを赤く染めている。
部室の扇風機が、古い音を立てて回っていた。
ぎい、という小さな軋み。
首が右へ向く。
少し間を置いて、左へ戻る。
詩乃は、画面のAI文章をもう一度読んだ。
きれいだと思う。
参考になるところもある。
季節の描写の流れ。
冒頭の入り方。
段落のつなぎ。
でも、そのまま使いたいとは思わなかった。
詩乃は、AIに新しく入力した。
『祖母の家の縁側で、古い扇風機の音を描写する言葉の候補をください。ただし、感情は自分で書きます。』
AIは、いくつか候補を出した。
『かすれた羽音』
『首を振るたびに鳴る小さな軋み』
『畳を撫でるような風』
『同じ間隔で戻ってくる低い音』
詩乃は、その中から一つをノートに写した。
『同じ間隔で戻ってくる』
そこに、自分の記憶が重なった。
祖母の家の縁側。
夏の午後。
祖母が、麦茶のグラスを置く。
「氷、入れすぎ」
「暑いんだもん」
「お腹こわしても知らないよ」
そう言いながら、祖母は自分のグラスにも氷を二つ入れていた。
扇風機は、古い灰色だった。
首が右へ向く。
庭の朝顔を揺らす。
左へ戻る。
詩乃の前髪を揺らす。
また右へ行く。
祖母の白い髪を揺らす。
その動きが、今も耳の奥に残っている。
祖母が入院した日、詩乃は部活を理由に見舞いを後回しにした。
また行けると思った。
また話せると思った。
また縁側で麦茶を飲めると思った。
でも、ちゃんと「さよなら」を言う時間は来なかった。
詩乃は、原稿に向かった。
AIの整った文章ではなく、自分の記憶から書く。
文はぎこちない。
何度も消す。
言葉が強すぎる。
弱すぎる。
説明しすぎる。
それでも、書き直す。
扇風機の首が戻る。
戻ってくるたび、言えなかった言葉も戻ってくる。
詩乃は、最後の一文を書いた。
『扇風機の首が戻るたび、言えなかったさよならが、少しだけこちらを向いた。』
書いた後、手が止まった。
上手いのかどうかはわからない。
AIの文章ほど滑らかではないかもしれない。
でも、この一文は、自分のものだと思った。
翌日の文芸部で、詩乃は原稿を水原先生に見せた。
先生は、静かに読んだ。
部室には、ページをめくる音と、扇風機の低い音だけがある。
読み終えた水原先生は、最後の一文をもう一度見た。
「詩乃さん」
「はい」
「この一文、とてもいいですね」
詩乃は、目を伏せた。
「AIの文章を見た後なので、余計に下手に見えるかと思いました」
「整っているかどうかだけで言えば、直せるところはあります」
「はい」
「でも、この一文には、詩乃さんが選んだ記憶があります」
水原先生は、原稿を机に置いた。
「祖母の家、扇風機の音、言えなかったさよなら。それは、AIが最初に出した文章にはありませんでした」
詩乃は頷いた。
「AIは、きれいな夏を書きました」
「はい」
「でも、私は、きれいな夏を書きたかったわけじゃなかったみたいです」
「何を書きたかったのですか」
詩乃は、少し考えた。
「言えなかったさよならです」
言葉にすると、胸が少し痛んだ。
でも、その痛みは、原稿の中に置ける痛みだった。
水原先生は、部員たちに向けて新しい提出ルールを作った。
AIを完全に禁止するのではない。
しかし、使った場合は、必ず記録を残す。
『AIに頼んだこと』
『AIの提案から採用したこと』
『採用しなかった理由』
『自分で選んだ部分』
『この一文だけは自分で書きたいと思った部分』
部員たちは最初、少し面倒がった。
けれど、やってみると、それぞれの違いが見えた。
冒頭の案だけAIに出してもらった生徒。
設定の矛盾を指摘してもらった生徒。
比喩の候補を出させたが、全部使わなかった生徒。
AIが書いた結末に納得できず、自分で変えた生徒。
それぞれが、自分の選択を言葉にした。
水原先生は、灯理に言った。
「禁止か許可かだけで考えていました」
「はい」
「でも、問題は使うか使わないかだけではなく、何を自分で選んだのかを見えなくしないことなのですね」
灯理は頷いた。
「創作は、完成した文章だけでなく、選ぶ過程にもあります」
「はい。AIが整えた文章を見ることで、逆に自分の違和感や残したいものが見えることもあるのですね」
水原先生は、詩乃のワークシートを見た。
『AIはきれいな夏を書いた。私は、言えなかったさよならを書く』
その一文は、授業の中心に置きたい言葉だった。
数日後、国語表現の授業で、詩乃は短い朗読をした。
祖母の家の縁側。
古い扇風機。
麦茶の氷。
小言。
畳の光。
言えなかった別れ。
声は少し震えた。
けれど、最後の一文まで読んだ。
「扇風機の首が戻るたび、言えなかったさよならが、少しだけこちらを向いた。」
教室は、少しの間、静かだった。
誰かが、息を吐いた。
水原先生は拍手をした。
それに続いて、クラスの拍手が広がった。
大きな拍手ではない。
でも、温かかった。
朗読が終わった後、隣の席の生徒が小さく言った。
「その一文、好き」
詩乃は、少しだけ笑った。
「ありがとう」
「AI使ったの?」
「少し」
「どこ?」
「扇風機の音の候補を出してもらった」
「最後の文は?」
詩乃は首を横に振った。
「そこは、自分で書いた」
そう言えたことが、少し嬉しかった。
放課後、詩乃は文芸部の創作ノートを開いた。
新しいページに、今日の授業の振り返りを書く。
『AIはきれいな夏を書いた。私は、言えなかったさよならを書く』
その下に、もう一行足した。
『上手い文章に負けたのではなく、自分が残したい場所を見つけた』
ペンを置くと、窓の外では夕方の風が木の葉を揺らしていた。
部室の扇風機は、相変わらず小さく軋みながら首を振っている。
右へ行き、左へ戻る。
そのたびに、詩乃は祖母の家の縁側を少しだけ思い出す。
もう戻れない場所。
でも、書くことで、問い直せる場所。
夜、灯理は高校を出た。
校舎の窓には、文芸部の明かりがまだ残っている。部室では、詩乃が原稿の余白に赤ペンで直しを入れていた。
校門まで、水原先生が見送りに来た。
「白瀬先生、ありがとうございました」
「こちらこそ、創作の選択を一緒に見せていただきました」
水原先生は、手にした提出ルールの紙を見た。
「AIの扱いは、これからも難しいと思います」
「はい」
「使いすぎれば、自分の言葉が見えなくなるかもしれない。禁止しすぎれば、生徒が実際に出会っている技術から授業が離れてしまう」
「どちらも大切な懸念ですね」
「だからこそ、自分で選んだ部分を言語化させたいと思います。AIに何を頼み、何を採用し、何を採用せず、どの一文を自分で書きたいと思ったのか」
灯理は頷いた。
「その記録も、創作の一部になりますね」
夜風が、校門の横の木を揺らした。
灯理は鞄を肩にかけ直した。
中には、地域資料館と家庭から届いた依頼状が入っている。
けれど、まだ開かなかった。
生成AIは、すぐに整った文章を書く。
季節を描き、感情を整え、物語らしい形を作る。
それは便利で、時に助けになる。
でも、創作は、上手な文章を出すことだけではない。
どの記憶を選ぶのか。
どの違和感を残すのか。
どの言葉を自分の手で置きたいのか。
どこを直し、どこを直さないのか。
誰にも見えない痛みや願いを、どの一文に預けるのか。
灯理は、夜の部室の窓を見上げた。
机の上には、詩乃の創作ノートが開かれている。
そのページには、消されなかった一文が残っている。
AIはきれいな夏を書いた。私は、言えなかったさよならを書く。
その言葉を胸に、灯理は静かな道をゆっくり歩いていった。




