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旅する先生と、世界の教室  作者: 最後に残った形


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第13章 第3話:保護者対応の授業――電話の向こうの沈黙


 夜の職員室で鳴る電話は、昼間より少し重く聞こえる。


 蛍光灯の白い光が、机の上の書類を照らしていた。窓の外はもう暗く、校庭の遊具は影だけになっている。廊下には子どもたちの声も足音もなく、コピー機の動く音と、キーボードを打つ音だけが残っていた。


 奈緒先生は、三年二組の連絡帳を確認していた。


 赤鉛筆で明日の持ち物を書き、欠席した児童のプリントを封筒に入れる。机の端には、まだ丸つけの終わっていない漢字ドリルが積まれていた。


 その時、職員室の電話が鳴った。


 びくり、と肩が上がる。


 夜の電話。


 保護者からかもしれない。


 そう思っただけで、奈緒先生の胸が少し硬くなった。


「はい、東町小学校です」


 近くにいた教務主任が電話を取り、すぐに奈緒先生の方を見た。


「奈緒先生、三年二組の航くんのお母様です」


 航。


 奈緒先生は立ち上がった。


 航は、静かな児童だった。


 授業中はよく聞いている。


 提出物も出す。


 友だちと大きなトラブルを起こすこともない。


 ただ最近、休み時間に一人で折り紙をしていることが増えていた。


 気にはなっていた。


 けれど、本人に聞くと「大丈夫」と言う。


 無理に友だちの輪へ入れるのも違う気がして、そのまま様子を見ていた。


 奈緒先生は受話器を取った。


「お電話代わりました。三年二組担任の奈緒です」


 電話の向こうで、少し息を吸う音がした。


「あの、航の母です」


「いつもお世話になっております」


「こちらこそ……」


 そこで、短い沈黙があった。


 奈緒先生の指先に力が入る。


「どうされましたか」


 母親は、少し迷ったように言った。


「うちの子が、学校で一人にされていると言っています」


 奈緒先生の胸が跳ねた。


「一人に」


「休み時間に、誰とも遊んでいないって。最近、帰ってきても元気がなくて」


「そうでしたか」


「先生は、ちゃんと見ているんですか」


 声が少し強くなった。


 責められている。


 奈緒先生は、そう感じた。


 早く安心させなければ。


 誤解を解かなければ。


 学校では見ています、と伝えなければ。


「航くんは、授業中は落ち着いて過ごしています。グループ活動でも発言できていますし、友だちとも関わっています」


 奈緒先生は、できるだけ明るく言った。


「休み時間も、折り紙をしたり、本を読んだりしていて、特に大きな問題は見られません」


 電話の向こうが黙った。


 沈黙。


 奈緒先生は、その沈黙に耐えられなかった。


「もちろん、こちらでも気をつけて見ていきます。お母様が心配されるようなことがないように、声かけもしますので」


 まだ沈黙。


 奈緒先生はさらに言葉を重ねた。


「航くんは一人で過ごすことも好きなようですし、無理に誰かと遊ばせるのも違うかと思いまして。学校では、本人のペースも大切にしています」


「……そうですか」


 母親の声は、少し遠くなった。


「はい。ご安心ください」


 奈緒先生は言った。


 言ってから、自分でも少し空々しく聞こえた。


 電話の向こうで、母親はまた黙った。


 今度の沈黙は、さらに重かった。


「わかりました」


 母親は短く言った。


「失礼します」


「はい。お電話ありがとうございました」


 通話が切れる。


 受話器を置いたあとも、奈緒先生の手はしばらく動かなかった。


 安心させられたのだろうか。


 それとも、何かを閉じてしまったのだろうか。


 職員室の奥で、誰かが椅子を引く音がした。


 奈緒先生は、連絡帳の上に置いた自分の手を見た。


 少し震えていた。


「奈緒先生」


 声をかけられて顔を上げると、そこに白瀬灯理が立っていた。


 黒い上着に、使い込まれた革の鞄。


 世界の学校を訪ね、さまざまな授業を見てきた先生だと、今日の朝、校長先生から紹介された。


 灯理は、電話機と奈緒先生の顔を交互に見た。


「保護者の方からでしたか」


「はい」


「大丈夫ですか」


「大丈夫です」


 反射的に答えた。


 けれど、声はあまり大丈夫ではなかった。


 灯理は、すぐに深く聞こうとはしなかった。


 少しだけ間を置いて、言った。


「今の電話で、何が残っていますか」


「何が残っているか……」


 奈緒先生は受話器を見た。


 残っているもの。


 母親の声。


 沈黙。


 自分が重ねた説明。


 最後の「わかりました」という短い言葉。


「お母様の不安が、残った気がします」


 小さく答えた。


 奈緒先生は椅子に座った。


「私、保護者から電話が来ると、早く安心させなきゃと思ってしまいます」


「はい」


「説明しなきゃ、誤解を解かなきゃ、学校では見ていますって伝えなきゃって」


 灯理は静かに頷いた。


 奈緒先生は、胸の中に溜まっていた言葉を少しずつ出した。


「でも、今日もたくさん説明したのに、お母様は安心していない気がしました」


「うん」


「先生、保護者から電話が来ると、早く安心させなきゃと思ってしまいます」


 同じ言葉をもう一度言ってしまった。


 灯理は、責めずに聞いていた。


「うん。では、その安心は、説明を重ねる前に、何を聞くことで近づくのでしょうか」


 奈緒先生は黙った。


 何を聞くことで。


 自分は、何を聞いただろう。


 母親が「一人にされている」と言った。


 「ちゃんと見ているんですか」と言った。


 自分は、学校での様子を説明した。


 授業中は落ち着いている。


 友だちとも関わっている。


 特に大きな問題はない。


 ご安心ください。


 でも、母親が本当に心配していたことを聞いただろうか。


 なぜそう感じたのか。


 航が家で何と言ったのか。


 どんな表情で帰ってくるのか。


 いつから変わったのか。


 一人でいることの何が心配なのか。


 何も聞いていない。


 奈緒先生は、受話器から手を離した。


 翌朝、灯理は三年二組の教室に入った。


 朝の教室には、鉛筆削りの音、ランドセルを閉める音、子どもたちの「おはよう」が重なっていた。窓際の水槽では、メダカがゆっくり泳いでいる。


 航は、教室の後ろの棚の近くで、折り紙を整えていた。


 青、緑、黄色。


 四角い紙をきちんと重ね、角をそろえている。


 友だちの輪に入っていない。


 けれど、暗い顔をしているわけでもない。


 時々、隣の席の子が話しかけると、短く答えている。


 休み時間になった。


 子どもたちは廊下へ飛び出していく。


 校庭へ行く子。


 図書室へ行く子。


 教室でカードを見せ合う子。


 航は、席に座って折り紙を始めた。


 一人でいる。


 でも、ただ孤立しているようにも見えない。


 奈緒先生は、その様子を教室の後ろから見ていた。


 昨日までは、「一人で遊ぶのが好きな子」と捉えていた。


 保護者から電話があってからは、「一人にされている子」と見えてしまう。


 どちらが正しいのだろう。


 灯理がそばに来た。


「航くん、折り紙が好きなんですね」


「はい。とても丁寧に折ります」


「休み時間は、いつも一人ですか」


「最近、増えています」


「本人には聞きましたか」


「大丈夫かと聞いたら、大丈夫と言いました」


「それ以外は?」


 奈緒先生は答えに詰まった。


 大丈夫か。


 その一言しか聞いていない。


 大丈夫と聞かれたら、大丈夫と答える子は多い。


 それを、自分は確認したつもりになっていたのかもしれない。


 その日の放課後、灯理は奈緒先生に一枚の紙を渡した。


『電話の向こうに残った言葉』


 そこには、項目が並んでいた。


『保護者が言ったこと』

『保護者が言わなかったが気になっていそうなこと』

『自分が急いで説明したこと』

『まだ確認していない子どもの様子』

『子ども本人に聞く必要があること』

『次の連絡で共有できる事実』

『保護者に聞きたいこと』


「昨日の電話を、一度ここに分けてみませんか」


 奈緒先生は紙を見た。


 電話を思い出すのは、少し怖かった。


 けれど、逃げていても母親の沈黙は消えない。


 奈緒先生はペンを持った。


『保護者が言ったこと』

 学校で一人にされていると言っている。

 帰ってきても元気がない。

 先生はちゃんと見ているのか。


『自分が急いで説明したこと』

 授業中は落ち着いている。

 グループ活動では関われている。

 休み時間は折り紙や読書をしている。

 特に大きな問題はない。

 ご安心ください。


 書いていて、胸が痛くなった。


 説明ばかりだった。


『保護者が言わなかったが気になっていそうなこと』


 奈緒先生は、しばらくペンを止めた。


 灯理は待っていた。


 奈緒先生はゆっくり書いた。


 うちの子の寂しさを見てもらえているのか。

 学校で無理をしていないか。

 家で元気がない理由を、先生は知っているのか。

 親の心配を大げさだと思われていないか。


 最後の一行を書いた時、奈緒先生は思わず息を吐いた。


「私、お母様の不安を大げさだと言ってしまったように聞こえたかもしれません」


「そう感じたのですね」


「はい。そんなつもりはなかったんです。でも、『問題ありません』『ご安心ください』って、心配する必要はないと言っているみたいで」


 灯理は頷いた。


「保護者の不安は、説明で消すものだけでしょうか」


 奈緒先生は紙を見た。


「違う気がします」


「はい」


「まず、何が不安なのかを聞かないと、消すどころか、見えないままになります」


 次の欄に書く。


『まだ確認していない子どもの様子』

 休み時間に一人でいる理由。

 入りたい時に入れないのか。

 一人でいたいのか。

 誰かに避けられているのか。

 家でどんな様子なのか。

 いつから変わったのか。


『子ども本人に聞く必要があること』

 一人でいる時間はどう感じているか。

 誰かと遊びたい時はあるか。

 困っていることはあるか。

 無理に入れてほしいのか、見守ってほしいのか。

 先生にできることは何か。


 書いていくうちに、奈緒先生はようやく気づいた。


 自分はまだ、航のことを十分に見ていない。


 だから母親の不安に対して、事実を返せていなかった。


 「問題ありません」という言葉は、確認していないことを覆い隠すための言葉になっていたのかもしれない。


 翌日の昼休み。


 奈緒先生は、航の隣に座った。


 航は折り紙で小さな鳥を折っていた。


「きれいだね」


 奈緒先生が言うと、航は少しだけ笑った。


「鶴じゃなくて、鳥です」


「鶴とは違うの?」


「羽の形が違います」


 航は、角を丁寧に折り返した。


 奈緒先生は、急がずに見ていた。


 いつもなら「最近どう?」と聞いて、大丈夫という返事をもらって終わっていた。


 今日は、少し違う聞き方をする。


「休み時間、折り紙をしていることが増えたね」


「はい」


「一人で折っている時間は、好き?」


 航は少し考えた。


「好きです」


「そっか」


 奈緒先生は頷く。


「誰かと遊びたい時もある?」


 航の手が止まった。


 すぐには答えない。


 奈緒先生は、その沈黙を待った。


 昨日の電話の向こうの沈黙とは違う。


 でも、ここにも言葉になる前の時間がある。


「あります」


 航は小さく言った。


「でも、入るタイミングがわからない」


「どんな時?」


「みんながもう遊び始めてる時。途中から入れてって言うの、変かなって」


「変かなって思うんだ」


「はい」


「一人でいたい時もある?」


「あります」


「誰かに無理に連れていかれるのは?」


「ちょっと嫌です」


 奈緒先生は頷いた。


 一人でいたい時もある。


 でも、入りたい時に入れないこともある。


 単純ではなかった。


 航は、折り紙の羽を開きながら言った。


「お母さんに、一人って言ったら、すごく心配して」


「うん」


「でも、全部嫌な一人じゃないです」


「そうなんだね」


「でも、入りたい時に入れない一人は、嫌です」


 奈緒先生は、その言葉を心の中で繰り返した。


 全部嫌な一人ではない。


 入りたい時に入れない一人は嫌。


 これを、昨日聞けていなかった。


「先生にできること、あるかな」


 奈緒先生が尋ねると、航は少し考えた。


「最初だけ、一緒に行ってくれたら、入れるかも」


「遊びに?」


「うん。でも毎回じゃなくていいです」


「わかった」


「あと、折り紙してる時は、別に無理に誘わなくていいです」


 奈緒先生は、思わず笑いそうになった。


 でも、航の真剣な顔を見て、きちんと頷いた。


「わかりました。航くんの一人の時間も、入りたい時の手伝いも、どちらも見ます」


 航は少し安心したように、鳥の羽を整えた。


 その日の夕方、奈緒先生は再び電話の前に座った。


 机の上には、灯理と書いた紙がある。


『次の連絡で共有できる事実』

 休み時間に折り紙をしている。

 一人の時間が好きな時もある。

 途中から遊びに入るタイミングがわからない時がある。

 無理に誘われるのは嫌。

 最初だけ先生が一緒に行くと入りやすいかもしれない。


『保護者に聞きたいこと』

 家でどんな様子か。

 いつから元気がないと感じたか。

 航が家でどんな言葉を使ったか。

 お母様が一番心配していること。


 奈緒先生は深く息を吸った。


 受話器を取る。


 航の母親の番号を押す。


 呼び出し音が続く。


 心臓が速い。


 けれど、今日は説明を重ねる前に、聞く。


「はい」


 電話の向こうで母親の声がした。


「夜分に失礼いたします。三年二組担任の奈緒です」


「あ、先生」


「先日はお電話をいただき、ありがとうございました」


「いえ……」


 少し沈黙。


 奈緒先生は、すぐに話し始めたい衝動をこらえた。


 そして、ゆっくり言った。


「前回のお電話で、お母さんが一番心配されていたことを、もう少し聞かせていただけますか」


 電話の向こうが静かになった。


 奈緒先生は待った。


 沈黙に言葉を重ねない。


 受話器の向こうで、母親が息を吸う音がした。


「帰ってきた時の顔が、前と違うんです」


 母親の声は、少し震えていた。


「前は、今日は誰と遊んだとか、給食がおいしかったとか、すぐ話していたのに。最近は、ただいまの声も小さくて」


「はい」


「一人でいたって聞いた時、胸がぎゅっとなって」


「はい」


「私も子どもの頃、クラスで一人だったことがあって。あの感じを思い出してしまって」


 奈緒先生は、初めてその背景を聞いた。


 母親の心配は、航だけではなかった。


 自分の記憶ともつながっていた。


 それを聞かないまま「ご安心ください」と言った自分の声が、胸に痛くよみがえる。


「お話しくださってありがとうございます」


 奈緒先生は言った。


「前回のお電話で、私は学校で見えていることを急いで説明しました。でも、お母様が何を一番心配されていたのかを、十分に聞けていませんでした」


 電話の向こうで、母親が黙る。


 奈緒先生は続けた。


「今日、航くん本人とも少し話しました」


「航は、何か言いましたか」


「はい。一人で折り紙をしている時間は好きだそうです。ただ、友だちと遊びたい時に、途中から入るタイミングがわからないことがある、と話してくれました」


「そうですか……」


「無理に毎回誘われるのは嫌だけれど、入りたい時に最初だけ先生が一緒に行ってくれると入りやすいかもしれない、とも言っていました」


 電話の向こうで、母親が小さく息を吐いた。


「家では、そこまで話してくれませんでした」


「学校でも、今日初めて聞けたことです」


 奈緒先生は、紙に書いた言葉を見ながら言った。


「今見えていることと、まだ見えていないことを一緒に確認させてください。学校では、航くんの一人の時間も大切にしながら、入りたい時に入れるきっかけを作ってみます。お家では、帰ってきた時の表情や、話した言葉を教えていただけますか」


「はい」


 母親の声が、少しだけやわらいだ。


「先生、すみません。きつい言い方をして」


「いえ。心配なお気持ちを教えていただいて、ありがとうございます」


「見てもらえているんですね」


 その言葉に、奈緒先生の喉が詰まりそうになった。


 見ています。


 昨日もそう言った。


 けれど、今日の「見ています」は、昨日とは違った。


「一緒に見ていきます」


 奈緒先生は言った。


「航くんを真ん中に置いて」


 通話が終わった後、奈緒先生はしばらく受話器を見つめていた。


 職員室には、まだ灯理がいた。


「どうでしたか」


 灯理が尋ねる。


 奈緒先生は、ゆっくり息を吐いた。


「沈黙を待つのは、怖かったです」


「はい」


「でも、待ったら、お母様が話してくれました。帰ってきた時の顔が違うって」


「大切な言葉ですね」


「はい」


 奈緒先生は、連絡ノートの下書きを開いた。


 そこに、一行書く。


『安心させる前に、一緒に見る』


 その言葉を見て、少しだけ肩の力が抜けた。


 翌日の休み時間。


 航は、いつものように折り紙をしていた。


 少しして、校庭へ向かう子どもたちが教室の前を通った。


「ドッジボールやる人!」


 廊下から声が聞こえる。


 航の手が少し止まった。


 奈緒先生は、その小さな動きを見た。


「航くん」


「はい」


「今日は、入りたい?」


 航は少し迷ってから頷いた。


「少し」


「じゃあ、最初だけ一緒に行こうか」


「はい」


 奈緒先生は航と廊下へ出た。


 校庭へ向かう子どもたちに声をかける。


「航くんも入るそうです。最初のチーム分け、お願いできる?」


「いいよ!」


「航、こっち来て」


 子どもたちは、思ったよりあっさり受け入れた。


 航は少し緊張した顔をしていたが、列の端に入った。


 奈緒先生は、そこから離れすぎず、でも近づきすぎずに見守った。


 航がずっと一人だったわけではない。


 誰かに強く拒まれていたわけでもない。


 ただ、入りたい時の最初の一歩が難しかった。


 それは、外から見るだけではわからなかった。


 その日の帰りの会で、航は机の中に折り紙の鳥をしまった。


 そして、連絡帳の端に小さく書いた。


『今日は、ドッジボールに少し入った』


 奈緒先生は、その一文を見て、赤ペンで丸をつけた。


 大げさに褒めすぎない。


 でも、見たことは返す。


『最初の一歩、見ていました』


 夜、灯理は小学校を出た。


 職員室の窓には、まだいくつか明かりが残っている。奈緒先生の机には、航の連絡帳と、電話の向こうに残った言葉を書いた紙が並んでいた。


 奈緒先生が校門まで見送りに来た。


「白瀬先生、今日はありがとうございました」


「こちらこそ、電話の向こうの声を一緒に聞かせていただきました」


 奈緒先生は、手帳を胸に抱えた。


「私は、保護者対応を、正しく説明することだと思っていました」


「説明も大切ですね」


「はい。でも、説明の前に聞くことがありました。お母様の不安も、航くんの感じ方も」


 彼女は校舎を振り返った。


「一人でいることが、全部悪いわけではない。けれど、入りたい時に入れない一人はつらい。そこを見分けるためには、本人にも保護者にも聞かなければいけませんね」


 灯理は頷いた。


「奈緒先生は、今日一緒に見ていました」


「これからも、電話が鳴ると緊張すると思います」


 奈緒先生は苦笑した。


「でも、次はすぐに『ご安心ください』とは言わずに、まず聞いてみます。何が一番心配ですか、と」


 夜風が、校門のそばの木を揺らした。


 灯理は鞄を肩にかけ直した。


 中には、探究学習と定期考査の評価に悩む学校から届いた依頼状が入っている。


 けれど、まだ開かなかった。


 電話の向こうの沈黙には、言葉にならない不安があることがある。


 説明を急ぐほど、遠ざかる声がある。


 学校で見えていること。


 家で見えていること。


 子ども本人が感じていること。


 それらは、同じではない。


 だからこそ、子どもを真ん中に置き、一緒に見る必要がある。


 安心させる前に、聞く。


 問題ありませんと閉じる前に、まだ見えていないことを確かめる。


 灯理は夜の小学校を振り返った。


 教室のどこかで、折り紙の小さな鳥が、机の中で静かに眠っている。


 その羽が明日また開くことを思いながら、灯理は静かな道をゆっくり歩いていった。

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