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旅する先生と、世界の教室  作者: 最後に残った形


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第39章 第1話:違う司会の授業――春斗が口を出したくなる日


 五年一組の黒板横には、今日も学級会カードが並んでいた。


 朝の光が窓から入り、黒板の下のチョーク置きを白く照らしている。教室の後ろでは、係の子が配り終えたプリントをそろえ、窓際の鉢植えの葉には、小さな水滴が残っていた。


 春斗は、自分の席から司会席を見ていた。


 そこには、透明なケースが置かれている。


『司会セット』


 陽菜の字で書かれたその文字の下には、


『司会は一人で全部決めなくてよい』


 と小さく添えられていた。


 春斗は、その文字を見るたびに少し不思議な気持ちになった。


 前に自分が休んだ日、五年一組の学級会は一度止まりかけた。


 カードはあった。


 使い方帳もあった。


 あとで見る封筒もあった。


 けれど、どのタイミングで『今の議題に戻す』を出すのか、いつ封筒を使うのか、記録をどう残すのか。そういう小さな判断は、いつの間にか春斗の中に集まっていた。


 その日、陽菜が代理司会をした。


 最初は戸惑いながら。


 それでも、みんなで司会セットを作り、カード確認係、記録係、時間係、封筒係に役割を分けた。


 春斗がいなくても、学級会は動いた。


 それを聞いた時、春斗は安心した。


 自分がいなくても大丈夫。


 でも、少しだけ寂しいような、落ち着かないような気持ちもあった。


 今日は、春斗は教室にいる。


 けれど、司会席に立つのは陽菜だった。


 相川先生が朝のうちに言った。


「今日の学級会は、前回に続いて陽菜さんに司会をお願いします」


 陽菜は少し緊張した顔で頷いた。


 春斗は、その時、すぐに「いいと思います」と言った。


 本当にそう思った。


 陽菜が司会をできることはいい。


 司会が一人に戻らないことも大事だ。


 そうわかっていた。


 けれど、四時間目になり、陽菜が司会セットを開いた瞬間、春斗の胸の中に、別の気持ちが小さく浮かんだ。


 ちゃんと進むかな。


 カード、使えるかな。


 話が広がりすぎたら、すぐ戻せるかな。


 それは心配でもあり、少しだけ自分の場所を見ているような気持ちでもあった。


 今日の議題は、雨の日の教室遊びリストの更新だった。


 前に、雨の日の休み時間について話し合った時、走らない遊びを増やすことになった。


 その後、何度か雨の日があり、リストに入れたい遊び、外したい遊び、ルールを変えたい遊びが出てきた。


 陽菜は、司会セットから今日の議題メモを取り出した。


 そして、黒板に丁寧に書いた。


『雨の日の教室遊びリストの更新』


 字は春斗より少し小さく、線がまっすぐだった。


「今日の議題は、雨の日の教室遊びリストの更新です」


 陽菜は、司会セットの代理司会メモに一度目を落とした。


「意見がある人は、みんな用カードを使ってください。みんな用カードは黒板横です」


 健太がカード確認係として、黒板横に立った。


『話す』


『書く』


『まだ考え中』


『同じ意見』


『別の視点』


 真央は記録係としてノートを開いている。


 時間係の蒼は、時計の下に立っていた。


 封筒係の梨花は、黒板端の『あとで見る』封筒のそばにいる。


 春斗は、自分の机で腕を組みかけて、やめた。


 腕を組むと、何か見張っているように見える気がした。


 最初に健太が『話す』カードを取った。


「雨の日リストに、折り紙大会を入れたいです。前にやった時、走らなくてすんだから」


 陽菜は黒板に書く。


『折り紙大会を入れる』


 次に、悠人が『まだ考え中』カードを取った。


 悠人は、普段あまり手を挙げない。


 考えはあるようだが、話の流れが速いと、そのまま終わってしまうことが多かった。


 陽菜は、悠人のカードに気づくと、すぐに言った。


「悠人さんは、まだ考え中ですね。先に他の意見を聞きますか。それとも、書くカードにしますか」


 悠人は少し迷ってから、『書く』カードを取った。


「書きます」


「わかりました。少し待ちます」


 陽菜はそう言って、黒板の前で待った。


 春斗は、思わず口を開きかけた。


 今、待つのか。


 他にも意見が出そうなのに。


 先に出してもらって、あとで書いたものを見ればいいのに。


 春斗なら、そうしたかもしれない。


 流れが止まるのが少し苦手だった。


 学級会は時間が限られている。意見を出して、分けて、まとめて、決めなければならない。


 陽菜は、春斗よりもよく止まる。


 確認する。


 待つ。


 それが、春斗には少しもどかしかった。


 悠人が紙に書いている間、教室に短い沈黙ができた。


 鉛筆が紙をこする音が聞こえる。


 窓の外で、体育の笛が遠く鳴った。


 春斗は、机の端を指で軽く叩いた。


 健太が隣から小さく言った。


「春斗、今、何か言おうとした?」


「いや」


「言おうとしてた顔だった」


「してない」


 健太は、黒板横のカードを見ながら、小さく笑った。


 悠人が紙を書き終えた。


 陽菜が言う。


「では、悠人さんの意見を真央さん、読めますか」


 真央が紙を受け取って読む。


「『雨の日にカードゲームをする時、勝ち負けで大きい声になるので、二回までにした方がいい』」


 教室の何人かが「ああ」と言った。


 健太が手を挙げる。


「それ、リストに入れる遊びの話じゃなくて、ルールの話じゃない?」


 春斗は、すぐに思った。


 それは封筒。


 今は遊びリストの更新だから、ルールはあとで見る封筒へ入れる。


 でも、陽菜はすぐに封筒へ入れなかった。


「今の意見は、遊びリストに入れる話ですか。それとも、ルールの話ですか」


 黒板に二つの欄を作る。


『遊びリスト』

『ルール』


 そして言った。


「悠人さんの意見は、どちらに近いと思いますか」


 悠人は少し考えた。


「ルール」


「では、今日決めることに入れますか。それとも、あとで見る封筒へ入れますか」


 春斗は、また少し体が前に出た。


 そこは封筒でいい。


 今は遊びリスト。


 時間がなくなる。


 そう思った。


 けれど、陽菜は悠人の方を見て待っている。


 悠人は、少し迷ったあと言った。


「封筒でいいです。でも、消さないでほしいです」


 陽菜は頷いた。


「消しません。あとで見る封筒に入れます」


 梨花が白いカードに書く。


『カードゲームの声の大きさと回数』


 それを封筒へ入れた。


「入りました」


 陽菜は黒板に戻り、言った。


「今は遊びリストの更新に戻ります」


 春斗は、口を閉じたまま黒板を見た。


 時間はかかった。


 けれど、悠人は自分で封筒に入れることを選べた。


 意見を消された感じは、たしかに少なかったかもしれない。


 次に、梨花が『話す』カードを取った。


「絵しりとりを入れたいです」


 別の子が『同じ意見』カードを出す。


 陽菜は黒板に書く。


『絵しりとり』


 健太が言う。


「でも、黒板を使うと先生が次の授業で困るかも」


 陽菜はすぐにまとめず、確認した。


「今のは、絵しりとりを入れるかどうかの心配ですか。それとも、黒板を使う時のルールですか」


 健太は少し考えた。


「ルールかも」


「では、絵しりとり自体はリストの候補に残して、黒板を使うかどうかはルール欄に置きます」


 春斗は、またもどかしくなる。


 陽菜は、いちいち分ける。


 春斗なら、もう少し速く進める。


 でも、真央の記録はいつもよりわかりやすくなっていた。


『絵しりとり:候補』

『黒板を使うか:ルール欄』


 真央が小さく言った。


「陽菜さん、分けてくれると記録しやすい」


 陽菜は少しだけ笑った。


「よかった」


 春斗は、そのやりとりを見た。


 真央は記録係だ。


 記録係にとって、陽菜の確認は助かっている。


 それでも春斗の胸の中には、まだ落ち着かないものがあった。


 自分なら、もっと早くまとめる。


 自分なら、封筒をもっとすぐ使う。


 自分なら、今の議題に戻すカードを先に出す。


 その「自分なら」が、何度も浮かんでくる。


 学級会の中盤、議題は少し広がり始めた。


「雨の日の教室遊びなら、音楽を流したい」


「でも、音がうるさいかも」


「じゃあ、静かな音楽だけ」


「音楽なら、ダンスもしたい」


「ダンスは教室だと危ない」


「じゃあ体育館」


「体育館は別の話じゃない?」


 話が一気に広がる。


 春斗は、手元にない司会カードを探しそうになった。


『今の議題に戻す』


 陽菜、今だ。


 春斗はそう思った。


 陽菜は司会セットのカードを見た。


 けれど、すぐに『今の議題に戻す』を出さなかった。


「少し待ってください」


 春斗は、心の中で言った。


 待たなくていい。


 戻せばいい。


 陽菜は黒板の前に立ち、三つの欄を書いた。


『リストに入れる遊び』

『教室でのルール』

『別の日に見ること』


 そして言った。


「今出た意見を、三つに分けます。音楽を流すことは、教室でのルールが必要そうです。ダンスと体育館は、別の日に見ることに近いと思います。違うと思う人はいますか」


 健太が言った。


「ダンスは別の日でいい」


 別の子が頷く。


「体育館も別」


 陽菜は梨花を見た。


「では、ダンスと体育館は、あとで見る封筒へ入れてください。音楽は、リスト候補に残しますが、ルール欄にも置きます」


 春斗は、少し息を吐いた。


 戻った。


 時間はかかった。


 でも、戻った。


 しかも、どの話をどこへ置くのか、みんなに確認してから戻った。


 それは春斗とは違う。


 春斗なら、もっと早くカードを出していた。


 陽菜は、少し時間をかけて、話を分類してから戻す。


 その違いが、だんだん見え始めた。


 健太が小声で言った。


「陽菜のやり方、遅いけど、どこに置かれたかはわかるな」


 春斗は、小さく答えた。


「うん」


「悠人、今日二回カード出してる」


 春斗は、はっとして悠人を見た。


 悠人は、また『書く』カードを持っていた。


 紙には、


『音楽を流すなら、音量を決めたい』


 と書かれている。


 普段なら、話が速すぎて悠人は途中で黙っていたかもしれない。


 陽菜が確認し、待ち、分けるから、悠人は入れている。


 春斗は、胸の中のもどかしさが少し形を変えるのを感じた。


 遅い。


 でも、遅いから入れる人がいる。


 確認が多い。


 でも、確認があるから消された感じが少ない。


 春斗のやり方とは違う。


 けれど、違うからだめというわけではない。


 それでも、終盤でもう一度、春斗は口を出しそうになった。


 残り五分。


 リスト候補は、折り紙大会、絵しりとり、静かな音楽、読書ビンゴ、ことばつなぎ。


 陽菜は、決める前にまた確認した。


「今日の更新で、まず試すものを三つにします。全部入れると多いので、試すものを選びます」


 春斗は思った。


 そこは多数決でいい。


 時間がない。


 早く決めた方がいい。


 陽菜は続ける。


「でも、選ばれなかったものを消すわけではありません。次に見る欄へ移します」


 その時、白瀬灯理が教室の後ろから静かに春斗の近くへ来た。


 黒い上着に、使い込まれた革の鞄。


 灯理は、春斗の手が机の端を握っていることに気づいていた。


 春斗は、小さな声で言った。


「先生、司会を渡したのに、陽菜さんの進め方を見ると、自分ならこうするって口を出したくなりました」


 灯理は、春斗の言葉を静かに受け止めた。


 そして、問いを返した。


「うん。では、役割を渡した後に信じることは、次の人が前の人と同じ速さや同じ言葉で進めることなのでしょうか」


 同じ速さ。


 同じ言葉。


 春斗は、陽菜を見た。


 陽菜は、黒板の前で候補を指差している。


「折り紙大会、絵しりとり、静かな音楽、読書ビンゴ、ことばつなぎ。この中から、まず三つを一週間試します。選ばれなかったものは、次に見る欄へ移します」


 声は大きくない。


 でも、丁寧だった。


 春斗とは違う。


 春斗なら、もっと勢いよく進める。


 陽菜は、確かめながら進める。


 どちらが正しいかではなく、何を守りたいか。


 春斗は、自分たちがカードを作った時のことを思い出した。


 守りたかったのは、話し合いが広がりすぎないこと。


 でも、それだけではない。


 意見を消さずに置けること。


 参加しにくい人も入れること。


 決めるために、誰かが置いていかれないこと。


 陽菜の司会は、その意味を守っていた。


 春斗の速さとは違う形で。


 投票の結果、まず試す遊びは三つに決まった。


『折り紙大会』


『絵しりとり』


『読書ビンゴ』


 静かな音楽とことばつなぎは、次に見る欄へ移された。


 カードゲームの声の大きさ、黒板を使うルール、ダンスと体育館の話は、あとで見る封筒へ入った。


 陽菜は、最後に真央へ言った。


「記録を確認してもらえますか」


 真央が記録を読み上げた。


「雨の日の教室遊びリストに、一週間試すものとして、折り紙大会、絵しりとり、読書ビンゴを入れる。静かな音楽とことばつなぎは次に見る欄。カードゲームの声、黒板ルール、ダンスと体育館はあとで見る封筒」


 陽菜は教室を見渡した。


「これで合っていますか」


 何人かが頷く。


 悠人も、小さく頷いた。


 陽菜は、少しほっとした顔をした。


「では、今日の学級会を終わります」


 チャイムが鳴った。


 陽菜は司会セットを閉じた。


 春斗は、立ち上がる前に少しだけ黒板を見た。


 自分なら、もう少し早く終わっていたかもしれない。


 でも、今日の黒板には、意見がどこへ置かれたのかが丁寧に残っている。


 悠人の紙も、封筒の中に消えずに入っている。


 真央の記録もわかりやすい。


 陽菜の司会で助かった人がいた。


 放課後、春斗、陽菜、健太、真央は使い方帳を囲んでいた。


 相川先生と灯理もそばにいる。


 春斗は、少し言いにくそうに口を開いた。


「正直、何回か口を出したくなった」


 陽菜が、少しだけ肩をすくめる。


「やっぱり?」


「うん。僕ならもっと早く戻すのに、とか、封筒に入れるの早く決めればいいのに、とか思った」


 陽菜は、手元の司会セットを見た。


「私も、自分で遅いと思った」


 春斗は、首を横に振った。


「でも、悠人が意見を出せた」


 陽菜が顔を上げる。


「え?」


「あと、真央が記録しやすいって言ってた。封筒に入れる前に聞いたから、消された感じが少なかったと思う」


 真央が頷く。


「陽菜さんの確認があると、記録の場所がわかりやすかった」


 健太も言った。


「春斗の司会は速くて助かる。陽菜の司会は、どこに置くかがわかって助かる」


 春斗は、その言葉を聞いて少し笑った。


「つまり、僕は速いけど雑?」


「そこまでは言ってない」


 健太が笑う。


 陽菜も少し笑った。


 相川先生が言った。


「どちらの司会にもよさがありますね。大事なのは、守りたい意味が残っているかどうかです」


 灯理が、白い紙を出した。


『元司会の見守りメモ』


 春斗は、少し驚いた。


「元司会?」


「はい。役割を渡した後、前にその役割をしていた人がどう見守るかのメモです」


 春斗は、少し照れた。


 でも、必要な気がした。


 陽菜の司会を見るたびに、自分なら、と考えてしまう。


 それが悪いわけではない。


 経験があるから気づくこともある。


 でも、すぐ口を出せば、陽菜の司会は育たない。


 春斗たちは相談しながら、メモを書いた。


### 春斗が見守る場面


* 進み方が自分より遅い

* 確認が多い

* 違う言葉でまとめている

* 封筒へ入れる前に聞いている


### 春斗が助けてよい場面


* 司会が助けを求めた時

* 議題が完全に見失われた時

* カードの意味がわからなくなった時

* 使い方帳の場所を聞かれた時


### 言ってよい言葉


* 必要なら手伝うよ

* 使い方帳のここにあるよ

* 今のは封筒に入れる方法もあるよ


### 言わないようにする言葉


* それ違う

* 僕ならこうする

* 早く戻した方がいい

* 前はこうだった


 春斗は、最後の欄を見て少し苦笑した。


「『僕ならこうする』、今日めちゃくちゃ思った」


 陽菜が言う。


「思うだけならいいんじゃない?」


 灯理が頷いた。


「思うことは自然です。大切なのは、その思いをすぐ相手の手元から役割を取り返す言葉にしないことです」


 春斗は、その言葉をゆっくり聞いた。


 役割を取り返す言葉。


 自分ならこうする。


 前はこうだった。


 早く戻した方がいい。


 それは、助言のようで、陽菜の手元から司会を取り返してしまう言葉になるかもしれない。


 もちろん、助けが必要な時はある。


 でも、違う速さや違う言葉を全部直す必要はない。


 春斗は、使い方帳を開いた。


 今日の記録欄に、ゆっくり書く。


『陽菜さんの司会は、春斗より確認が多かった』


『悠人が書くカードを使えた』


『真央が記録しやすかった』


『封筒へ入れる前に聞くことで、意見を消された感じが少なかった』


 そして、一文を書く。


『司会を渡した後を信じることは、自分と同じ進め方を求めることではなく、守りたい意味を見ながら、違う速さや言葉で進む余白を残すことだった』


 書き終えると、春斗はその一文をしばらく見ていた。


 陽菜が隣からのぞく。


「違う速さ」


「うん」


「私、遅いってこと?」


「丁寧ってこと」


 春斗が言うと、陽菜は少しだけ笑った。


「じゃあ、春斗は速いってこと?」


「勢いがあるってことにして」


 健太が横から言った。


「どっちも言い方変えてる」


 四人で笑った。


 笑い声は、放課後の教室にやわらかく広がった。


 黒板横のカードは、今日も同じ場所にある。


 でも、それを動かす手は一つではなくなっている。


 そして、動かし方も一つではなくなっていた。


 夜、白瀬灯理は学校を出た。


 校庭には夕方の風が残っていた。五年一組の教室の窓からは、黒板の端に貼られた『あとで見る』封筒と、司会席の透明なケースが見える。ケースの横には、新しく作られた『元司会の見守りメモ』が置かれていた。


 春斗と陽菜、相川先生が玄関まで見送りに来た。


「白瀬先生、ありがとうございました」


 相川先生が言った。


「こちらこそ、司会が一人の形から、違う速さを持つ役割へ育っていく時間を一緒に見せていただきました」


 灯理は静かに答えた。


 春斗は、使い方帳を抱えていた。


「先生、役割を渡したのに、口を出したくなるんですね」


「はい」


「渡したつもりでも、見ていると、自分ならこうするって思いました。陽菜さんの司会が間違っているわけじゃないのに」


 陽菜が小さく言った。


「私も、春斗くんと同じようにしなきゃいけないと思っていました」


 春斗は首を横に振った。


「同じじゃなくていいと思う。今日、悠人がカード出せたから」


 陽菜は少し驚いて、それから嬉しそうに頷いた。


 灯理は二人を見た。


 役割を渡した後に信じることは、次の人が前の人と同じ速さや同じ言葉で進めることではない。


 前の人には経験がある。


 だからこそ、見えることがある。


 もっと早く戻せる。


 今ならまとめられる。


 封筒へ入れればよい。


 その気づきは、大切だ。


 けれど、すぐに口にすれば、次の人の手元から役割を取り返してしまうことがある。


 違う速さには、違う意味がある。


 ゆっくり確認するから、入れる人がいる。


 封筒へ入れる前に聞くから、消された感じが少なくなる。


 違う言葉でまとめるから、記録しやすくなることがある。


 信じるとは、何も見ないことではない。


 守りたい意味を見ること。


 必要な時には戻る場所を示すこと。


 けれど、違う速さや違う言葉まで、すぐに直さないこと。


 次の人の手元で、役割が育つ余白を残すこと。


 灯理は、夜の校門を振り返った。


 春斗の使い方帳には、一文が残っている。


 司会を渡した後を信じることは、自分と同じ進め方を求めることではなく、守りたい意味を見ながら、違う速さや言葉で進む余白を残すことだった。


 その言葉を胸に、灯理は静かな道をゆっくり歩いていった。

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