第八章:鍵となるもの
「……ここが、かつて“八重ヶ谷第二研究拠点”と呼ばれていた施設跡地らしい」
青井の手元のタブレットには、古びた地形図と、崩落寸前の建物の航空写真が映し出されている。周囲は山に囲まれた廃村、時折吹き抜ける風が枯れ葉を舞わせていた。
霧島はバイクから降り、鋭くはないが真剣な眼差しで周囲を見回した。
「見張りもいない。だが、足跡はあるな。……誰かが最近入ったか」
彼らが崩れかけた建物の裏手、隠し通路のような階段を下ると、コンクリートの地下道が口を開けていた。金属製の扉は開け放たれ、薄暗い中にわずかな照明が灯っている。
「電力が……生きてる?」
青井が呟くと同時に、ふたりの前に人影が現れた。白衣を纏った、やつれた中年の男。おびえた表情でこちらを見ていた。
「ま、待ってください! 撃たないで! 私たちは……もう研究などしていません!」
霧島がゆっくりと手を上げて見せると、男は涙ぐみながら語り始めた。
「我々は、かつて“統合生物兵装計画”の一部として、“CHIMERA”と呼ばれる存在の開発をしていたんです。しかし……八重ヶ谷第一施設が暴走した。実験体のひとつが、制御不能になり、研究者を……っ、全員……」
「それが“α-01”か?」
「……いえ。α-01は失敗作でした。本当に恐ろしかったのは、“α-05”以降の……特に“α-37”です。動物型ながら高い知能と適応性を持ち、従来のアレルゲン反応を回避する遺伝子を組み込んだ、モデルケース……」
霧島の眉がわずかに動いた。
「白猫か。……やっぱり、あの猫が“α-37”なんだな」
研究員は頷いた。
「彼女は……“鍵”だったのです。人間とキメラの橋渡しになりうる、唯一の存在。上層部はそれを恐れ、研究そのものを封印しようとした……第一施設が廃墟となったのは、その“封印作業”の結果です。全てを、事故として葬り去った。生き残った我々は、逃げ場のないまま、ここに隠れたのです」
霧島は押し黙ったまま、奥の部屋へと進んだ。壁面のスクリーンに、αシリーズの実験記録がまだ残っていた。
「α-37、白猫個体……異常な適応力、対話能力。……音声応答も?」
「まさか……話せるのか?」
「いえ、言葉ではなく“意思”です。霧島さん、あなたに懐いたのは偶然ではない。あなたには、彼女に必要なものがあったのでしょう」
ふと、その場の誰もが気配を感じた。
一瞬、霧島の足元にふわりと白い影が現れ、すぐに姿を消す。あの白猫だった。
「……おいおい。こんな場所までついて来てんのか、あの猫」
青井が半ば呆れた声を漏らす。霧島はふと、あの猫が彼を見つめた時のことを思い出した。言葉ではない、けれど確かな“意志”がそこにはあった。
「……あいつが鍵ってんなら、もはや単なる“生物”じゃねえな。だとすると……何が“鍵穴”なんだ」
その言葉に、場の誰も答えられなかった。ただひとつ確かなのは、この事件が終わりではなく、始まりにすぎないということだった。
──暗闇の奥、かすかに鳴いた猫の声が、かれらを試すように響いていた。
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