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二人がいる王都をのんびりと観光するわけにもいかなかった私たちは、すぐに王都を発って住み慣れた――私にとっては違うけど――町へ戻ることになった。王都観光は少し惜しいような気もしたが、今度はあちらの世界でまた行けばいいだけのことだ。
行きとは違って倍の時間をかけて戻った先で待っていたのは、私たちを追い越して届いたらしいエリオスからの荷物だった。
それから慌てて残っている仕事をすべて終わらせて、挨拶回り――王都で改めて勉強したいのだと吹聴して回っていた言い訳は、どうやら最初からエリオスと打ち合わせて用意していたものらしい――をこなしたエリーは驚くくらい精力的に動いて、あっという間に帰るための魔力回路を組み上げてしまった。
そして、準備が出来たから今すぐに行こうとなに一つためらいを感じさせないまま言い出したエリーに仕事部屋へと引っ張り込まれて、私は驚くほどあっさりと元の世界へ戻ってきた、らしい。
初めて体験したときもあっという間のことだったが、二回目の移動はさらにあっさりとしたものだった。前回は盛大に気絶してしまった私だが今回はエリーに念入りに対策を施されて無事意識を保ったまま立っている。
とはいえ私からしてみれば大きな魔力回路の上に立っていたら、なにやらバチバチと大きな音と共に青白い光が広がって目がくらんでいる内に、気がつけば部屋の様子が変わっていた、くらいのもので正直世界を移動したとはとても信じられるようなものではない。
だけど荒れて埃のかぶった部屋と見上げた天井は、何故かさっきまで見ていたそれよりもずっと見覚えがあるような気がした。
ぼんやりとしながら部屋を見回していると横からがさごそと音が鳴り始めたことに気がつく。驚いてそちらを見ると、エリーが机の上の紙や器具をまとめて暖炉に放り込んでいるところだった。
「なにしてるの?」
「あいつの世界転移に関する研究資料、全部燃やす。
いずれどっかのイカれた天才が到達するかも知れないけど、俺たちが生きてる間は無理だろう。こんなの実用化されたら悪用されるのが目に見えてるし、正直俺の手には負えない。だから全部なかったことにしようと思って」
そう喋りながらも本当に内容をきちんと見ているのかも怪しい速度で一通りのものを投げ入れ終わったらしいエリーは、なんの躊躇もなく暖炉を起動させる。
最新式らしい魔素動力の暖炉はその炎も普通のものとは違うのだろう。薪を使った暖炉なら到底燃やしきれそうにもない量の紙やなんで出来ているかもわからない道具をあっという間に燃やし尽くして僅かに部屋の温度を上昇させた。
エリーは春には似つかわしくないむっとするような温度に顔をしかめると、すぐに暖炉の火を落として研究室の扉を開け放つ。その先には私が少し前に訪ねたときと変わらない暗闇が広がっていた。
つまり、私が持ち込んだ食料もそのままということだ。
「……とりあえず掃除、しないと」
「……そうだね」
私たちは饐えたような異臭と埃まみれの部屋を見てうんざりと同時に肩を落として、それから顔を見合わせて笑った。
*
その後家中のカーテンと窓を開け放つことと、埃やゴミを掃除することに熱中してしまった私が本当に帰ってきたのだと実感したのは、偶然通りかかった母が私を見て悲鳴を上げて、妻の悲鳴に慌てて飛んできた父がエリーを殴ったあとのことだった。
ある日エリオスの家に行くと言ったきり突然娘が行方不明になった原因を、両親は共に行方不明になったエリオスにあると考えていたわけである。実際責任の所在の一端はエリオスにあるわけだが、殴られたのは――私以外知らないことではあるが――なんの罪もないエリーだ。
不在だった期間の言い訳をなにも用意していなかった私は両親にエリーを許してもらうのに大変な苦労を強いられることになった。
今にも死にそうな程に憔悴したエリオスの様子に大変心を痛めた私が、気晴らしになるのではと衝動的に傷心旅行に連れ去ったのだという言い訳は大変苦しく、正直両親はまったく信じていないだろう。私がそんなことできるような性格ではないということは両親が一番よく知っている。
それでもそれ以上口を割ろうとしない私たち二人に結局最後には折れて、一月も行方不明だった娘とその幼なじみの帰宅を素直に喜んでくれた。
聞けばエリオスの父親にも当然連絡が行っていて遠方の行商先から慌てて戻っている道中らしいので、近いうちにまた下手くそな言い訳を繰り返して怒られなければならないのだと思えば少し気が重かった。
「怒られるのは俺だから大丈夫だよ」
帰ってきてからも毎日の習慣になっているエリーの家での午後の休憩時間にそう漏らすと、彼はそれを一笑に付してそれからからかうように笑った。
「それより俺はこの事件が将来お義父さんにニナをもらいに行くときに不利に働くんじゃないかって思うと気が重い」
この人は絶対私が律儀に照れるのをおもしろがってこういうことを言うのだ。
なんとなく掴めてきたエリーの性格と思惑に乗せられるのは悔しいのに、素直に赤くなる自分が憎らしい。どきどきとうるさい心臓と顔の火照りが収まるのを俯いてなんとかやり過ごした私は、彼の言葉には一切触れずに話題を変えた。
「……お仕事、大丈夫そう?」
「ああ、元々あいつに修理の仕事頼みたがってた人は多かったみたいだし、ちょっと声かけたらすぐ依頼が来るようになったよ」
噂は私の耳にも少し届いていた。
エリオスが引きこもっている間に今までの仕事を全て失ったと思っている町民たちは、同情と純粋な喜びの半々でもってエリーの新しい仕事を歓迎している。さらにちょっと見ない間に前より明るくなったエリオスに集う人も増えているようだった。
なんというかやってきた仕事の差なのかなんなのか、エリーはエリオスよりだいぶ社交性に長けている。
「あいつの仕事の方は……」
そして町民たちが完全に失ったと思っている研究の仕事はといえば。
「継続してる仕事は全部切ったって言ってたけど、まあそう簡単にもいかないよね」
さっきまで読んでいた手紙をひらひらと振って苦笑する。
中身は少ししか見えなかったが、どうやら研究所の一員に加わって欲しいと熱心に誘う手紙のようだった。きっと一度断ったくらいではめげない誘いや依頼の手紙がこれからも届き続けるのだろう。
「あ……そろそろ戻らないと」
エリオスの相変わらずの影響力にちょっとだけ彼へ思いを馳せて、ふと目に入った時計を見て慌てて立ち上がる。最近復帰した図書館の仕事の合間を利用してここに来ていた私がここに滞在できる時間はさほどないのだ。
「ニナ、待って」
慌ただしく外へ準備する用意を始めた私の腕をエリーが優しく引き寄せて、そのまま口づけを交す。
何度されたって私の胸を高鳴らせるその感触にうっとりと身を寄せながら私が無意識に閉じていた瞳をそっと開いたのは、最近ようやく生まれたほんの少しの余裕と好奇心からだ。
――ああ、この人はこんな風に私に触れていたのか。
その先にあったのは私が見たことのない、新しいエリーの表情。
それを見られたことが、私にはどうしたって嬉しくてたまらなかった。
以上で本編完結となります。
ここまでお読みいただき本当に、本当にありがとうございます。
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また次回作でお会いできましたらよろしくお願いします。




