10歳の夢
魔術に失敗して頭を打ったディアナ・ティフォンは、思い出した。
自分が前世で遊んだ乙女ゲームの悪役令嬢であり、将来は主人公の敵として利用された挙げ句、命を落とす運命にあることを。
――そんな結末、冗談じゃない!!
全くノリ気でなかったゲームの内容などろくに覚えているわけもない。
ならば、自分の身は自分で守るしかない。
そんな10歳のディアナの抵抗は、数年後に引き継がれる。
魔術学校と騎士学校を併設する王立学院の生徒となったディアナは、主人公にはすっかり懐かれ、癖の強い攻略対象たちにも振り回される日々が始まって……?
私情と私情と毛ほどの正義感を持って、野郎どもの思惑と、ついでにフラグを打ち砕く。
魔術と剣の二刀流で道を切り開く、蛮族令嬢様の行く末に幸あれ!
※10歳編はぐだぐだ。その後もメインが出るまで基本的にぐーだぐだ。おそらくその後もぐっだぐだ。
人は時として夢を見る。
眠りが浅いと、脳みそが健気に働いてしまって、自分の経験を繋ぎあわせた夢を見せる。
記憶の中の経験がリアルであればあるほど、それは現実味を増して夢として表出される。
一方で妄想というものもある。大抵寝る直前に読んでいた本だとか、思い人のことを考えていると自分の都合のいい夢、悪い夢を見たりする。
そこに現実味はなく「なんかいい夢を見たな」で終わるか、感想を抱く前に霧散する。
ならば、今、私が見ているこれはどちらだろうか。
狭い部屋に庶民のソファかベッドかわからない家具の上で胡座を掻いている。
もちろんこんな部屋は見たことがない。小さい物置のようだとも思う。
だが一方で、懐かしさも感じるような、奇妙な感覚が胸の中に充満する。
両手には突起が二つある、複雑な形の石板のようなものを握っている。
その突起の表面は少しムニョムニョしていて、横からみればキノコのようにも見える。さらに、不自然にツヤツヤした触り心地の小さな石がいくつか並んでいる。
「おー」
感情の籠ってない声が自分の口から発せられる。今の自分よりだいぶ声が低い。大人の女性という感じだが、なぜかこれは私の声なのだという確信があった。
「どうしたの?」
隣から別の声がした。視線を動かすことはできないから誰の声かはわからないけれど、少なくとも私の知らない声だ。使用人の誰かということもないだろう。
少し高めな、可愛らしい声。
視線が上向く。目の前に広がるのは、光る絵画だった。
目を見開いて驚愕の表情をした黒髪の女性。雑に散らしたみたいな血が絵画一面にべっとりとついていて、なんとも悪趣味。
『え? なん、で……?』
女性の絵画の下に文字のようなものが浮かび上がる。
文字は異国のもののようで読めないが、それに合わせて彼女の口がパクパクと動いていることから、その声が絵画に描かれている彼女のものであると理解できた。
中々どうしてホラーな展開なのに、こうも落ち着いているのはこれが夢だからだろうか。
『どうして、私……。血、血が……』
『どうして、かぁ。それは簡単な話ですよ』
血だらけの女性の隣に不釣り合いなほど和かな男性の姿が現れる。
薄紫色の髪。柔らかなタレ目の男は、毒を煮詰めたように目を細め、優しげに笑っている。
親指が石板の上の丸を押した瞬間、絵が今までのそれから様変わりする。
頬の肉を裂くように釣り上げられた薄い唇。細められた瞼の間から除く眼球は狂気を孕んでいるかのように爛々と赤く輝いている。その手前には、黒髪の女性が口から血を吐いて、目を見開く。
ギョロッとした目玉は一拍遅れて、自分の胸を貫いているものを知る。
鋭く、鉄のように尖った人の手。鉄甲鈎ではない。正真正銘の人の手が赤黒い肉片をべっどりと握っていた。
『貴女の役割は終わったんです。だから、資源は有効活用しないとね』
『レビ、ン……、さま……っ』
「死んだぞ、ディアナ』
私の口が動き、女の名前を口にする。
(……え? それって)
「私のなまえーーー!!」
そう叫んで、私の上半身は釣り上げられた魚のように跳ね起きた。
白を基調とした部屋。シンプルで上品なシャンデリアの灯りは落とされていて、窓から差し込む淡い月の光だけがぼんやりと白いシーツを照らしている。
見慣れた光景、私の部屋だ。
走ったわけでもないのに息が切れていた。
嫌に大きな鼓動がバクバクと胸を打つ。頭も心音に呼応するようにガンガン痛む。まるで脳に心臓が移動してしまったかのよう。
「ゆ、夢……」
それはそうだ。あんなのありえない。
動く絵画の中で自分と同じ名前をした、どことなく私を成長させたような容姿をした女性が心臓を腕で貫かれて死ぬなんて、そんなの、そんなの……。
震える我が身を抱きしめる。冷静になれと心の中で反芻して大きく深呼吸をした。
(少し、何があったか思い出そう)
瞼を閉ざして頭の中を弄る。
はじめに思い出すのは、鼓膜を突き破るような破裂音。小さな針を多分に含んだような熱波が皮膚をジリジリと焼く感覚に、私は悲鳴をあげた。
黒い炎が左腕を焼き尽くさんばかりに轟々と燃えるものだから、無我夢中で振り払おうと腕を回した。使用人も慌てた様子で助けを呼んでいたような気がする。
足が一歩二歩と後退する。体の一部が燃えているから、どんなに逃げようとしても無理なのだろうと頭ではわかっているのに、細い棒切れみたいな腕を上下左右に振り回し、子鹿みたいに震えた足で懸命に後ずさる。
だから案の定、私の体は均衡を崩した。
いつもならそんなミスはしない。転びそうになったら魔術で体勢を立て直せばいい。
ただ、この時ばかりは焦っていた。
後頭部が地面に叩きつけられるまでの間、視界の全てがゆっくりになって、そして――。
ごつんと音がすると同時に、私の意識は手放された。
その隙に、私の記憶の中に介入するように、知らない誰かの記憶が思い出される。
「そう。夢を見たというよりは、そういう感覚」
普段覚えていない記憶を何かのきっかけで思い出した時のように、それらはニュルリと記憶の底から這い出てきた。
夢には二つの種類がある。
経験から構成された夢と、妄想。
そして今の妄想じみた夢を、私はどういうわけか経験から構成された夢であるとはっきりと確信を持っていた。
本で読んだ何かでもない。
なぜなら本はあくまで文字を触媒にして妄想するものだ。そこに映像的な感情はなく、況してや指に触れたあのムニュムニュ――コントローラーのスティックの感触を知っているわけもない。
そう考えれば、先ほどからくるくると目まぐるしく頭の中に叩きつけられる情報もまた、妄想でも物語の一ページでもない、夢と地続きの記憶なのだろう。
私、ディアナ・ティフォンではない誰かの記憶が、濁流とは言わないまでも流れてくる。しかし、これは紛れもなく私の記憶……。
どういうこと? 必死に考えを巡らせて、そして漸く一つの結論を打ち出した。
「前世の記憶……?」
死生学や心理学にそういう研究があったような気がする。
輪廻転生。生まれ変わり。
そんな言葉で説明されるそれは、宗教的な物語では神が人に生まれ変わっただとか、人が動植物になったというものもある。
でも、私の見たあの記憶は明らかにこの世界の光景ではない。あんな動く絵画は見たこともないし、奇怪な石板も知らない。
別世界、という言葉がしっくり来る。物語でもそういう話はある。犬猫が人間と同等の知能を持った世界とか。妖精の国とか。そういう類。
ふぅと息を吐く。
あれこれと頭の中を整理したおかげで、少し落ち着きを取り戻していた。
こうして少しずつ考えを紐解いていけばいい。焦る必要などない。
呼吸を落ち着けていると、不意にドアがトントントンとノックされ、私の肩が大きく跳ね上がる。
返事をすることもできないまま、扉の向こうから「僕です。入りますよ?」なんて聞き覚えのある声が聞こえきた。
体が戦慄する。落ち着きを取り戻していた心音がまた大きくなっていく。
ドクドクドクドク、脳が鼓動する。
扉を開いて顔を覗かせたのは、くりっとした瞳の、愛らしい顔の少年。
その邪悪を感じさせない少年の顔に、先ほどの光景が重なる。
ニヤリと狂ったような薄い笑みを浮かべた男。
「――いやああああ!!?」
枕を掴んで少年に向けて投げる。腕力などないから二メートル飛んだかぐらいで枕は呆気なく落下する。
「ディ、ディアナ?」
「来ないで!」
震えが止まらない。
薄紫色の髪、特徴的な虹彩の紅い瞳。
そしてレビンという名。
私が死ぬ直前に呼んだ、男の名前。
表情こそ見覚えないがそれ以外は全て、全て親しみのある、私の友人。
レビン・ヴァルティ――彼こそが、あの絵画の中でディアナの心臓を貫いた男の幼い時の姿だった。
私は叫び声を上げ、手足をもつれさせながら部屋を飛び出した。
飛び出さなければ殺されると直感が叫んでいた。
あの絵画のように胸を一突きされて、心臓ごと、私の魂諸共潰される。
あの少年にそれほどの力はないのだと少し考えればわかるようなものだが、恐怖に駆られた脳みそは、冷静に判断することができない。
使用人たちは驚いたように私を見ていた。
誰もがぽかんと口を開け、一拍してからお嬢様!? なんて驚いたような声をあげていた。
その声を無視して直走る。
廊下を出て、玄関から外へと飛び出した。
こんなに焦っているのに、靴はちゃんと履くのだから人間の習慣とは根が深い。
そのまま庭へと飛び出た。
植木迷路と心の中で呼んでいる、迷路のように複雑な小道を形成する低木の間をするすると走り抜ること数分後、開けた場所に転がり出る。
蔦が絡まった小さなボロ屋敷が、薄明かりの中でぼんやりと佇んでいた。
通称倉庫。
物置として使われているらしいそこへは、普段は汚らしいと思って近づくことはない。
しかし、今だけは身を隠すには絶好の場所のように思えて、間髪入れずに扉を押し開く。
ギギと軋みをあげて開いた扉の隙間に体を捩じ込んで、漸く私は足は止まった。
止まったと言っても、「よし止まろう」と思って止まったのではない。体のバランスを崩して転んだから止まったのだった。
その証拠にカビ臭い床に頬が張り付いて、うつ伏せの体勢になっている。膝を擦りむいたのか、ジンジンと痛んだ。体を起こして傷の具合を見ようにも、光のささない倉庫の中でどの程度擦りむいてしまったのかを確認することは難しかった。
頭が重かった。珍しく取り乱したせいだろうか。それとも、未だに頭の中で渦巻いている知らない人間の記憶のせいだろうか。
いいや、きっとどちらもだ。
倒れるようにして体を横にする。瞼が酷く重くて、逆らうこともできずに瞼を閉ざした。
初めまして、暮間です。
ディアナ(主人公)はそんなこと考えていないのでしょうが、作者の心にある支柱「よし、ヒロインを野郎どもからぶん取ろう」です。
乙女ゲーの主人公を攻略させろとギャルゲー好きの脳の一部が叫ぶので、その一部を鎮めるために書きます。
同じ病を患っている方、一緒に鎮めて参りましょうね。
そういう趣味はないという方、大丈夫です。主人公が主人公なせいでそういう要素は思ったより少ない、はず。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。




