表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します  作者: Nami


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/22

第12話 薔薇の香りと、王城の舞踏会



王都ロイヤル・ニースの中枢、ニース王城。

その大広間「白鳥の間」は今、数百の燭台と魔導シャンデリアの輝きに満たされていた。

新年の祝賀会。

王国の有力貴族が一堂に会する、年に一度の最大級の社交場である。

色とりどりのドレスを纏った貴婦人たち、勲章を輝かせた紳士たち。

生演奏の優雅な調べに乗せて、囁き声と笑い声がさざ波のように広がっている。

だが、その華やかな空気の一角に、目に見えない「壁」が存在していた。

「……あれが、噂のバーンズ伯爵家の?」

「ええ。石鹸で成金になったという」

「フン。所詮は辺境の芋掘り貴族だろう。見てみろ、あの子供を」

好奇と蔑みの視線が突き刺さる中心に、マイルズは立っていた。

父ロッシュ、姉リーナ、そしてパートナーとして同行を許されたエリーゼと共に。

マイルズの正装は、夜の闇を思わせるミッドナイトブルーのベルベット仕立て。

金糸の刺繍は控えめだが、その仕立ての良さと、本人の宝石のような美貌が相まって、会場の誰よりも洗練されて見えた。

だが、貴族派の人間たちには、それが余計に鼻につくらしい。

「落ち着いて、マイルズ。敵の視線が痛いくらいだわ」

姉のリーナが扇子で口元を隠しながら囁く。

「構いませんよ、姉上。注目されるのは商売の基本です」

マイルズはグラスを片手に、悠然と微笑んだ。

その余裕が、さらに敵の神経を逆撫でする。

人垣が割れ、一際豪奢な、いや、悪趣味なほどに宝石をジャラジャラとつけた巨体の婦人が現れた。

強烈なムスク(ジャコウ)の香水の匂いが、鼻を突く。

ゼファー公爵夫人、ベアトリスだ。

貴族派の重鎮であり、今回の「マイルズ潰し」の首謀者と目される人物。

「あらあら。どこのどなたかと思いましたら……バーンズ伯爵家の皆様ですわね」

ベアトリスは、分厚い化粧の下からマイルズを見下ろした。

「ようこそ王都へ。……まあ、少し『土』の臭いが残っているようですが、お風呂には入られましたの?」

周囲の取り巻きたちが、クスクスと嘲笑を漏らす。

「田舎の泥臭さは、洗っても落ちないのかしら」

「石鹸を売っているのに、ご自分では使わないのね」

典型的な挑発。

父ロッシュがこめかみに青筋を浮かべるが、マイルズは片手を上げて父を制した。

そして、一歩前に進み出ると、流麗な所作で最敬礼をした。

「お初にお目にかかります、公爵夫人。マイルズ・バーンズです」

澄んだ声が、周囲の雑音を切り裂いた。

「お気遣い感謝いたします。……ええ、確かに我が領の土は豊かゆえ、その香りが染み付いているのかもしれません。それは我々の誇りでもあります」

「あら、開き直り? 貧乏くさい誇りですこと」

「ですが」

マイルズは言葉を切らず、ベアトリスに近づいた。

「その土の匂いを消すために、夫人は随分と……『強い』香りをお使いのようですね。ムスク、竜涎香、それにシナモン……少々、香りが喧嘩をなさっているようだ」

「なっ……!?」

ベアトリスの顔色が赤黒く変わる。

香水のつけすぎ、香りの調和バランスの欠如。それを「臭い」と遠回しに指摘されたのだ。

「無礼な! この香水は東方から取り寄せた最高級品ざます! 田舎者の子供に、この高貴な香りが分かってたまるものですか!」

ベアトリスが金切り声を上げる。

会場の注目が一気に集まった。

「騒がしいな。何事だ」

その時、玉座の方から威厳ある声が響いた。

人々が慌てて平伏し、道を開ける。

現れたのは、初老の男性と、その横に寄り添う銀髪の淑女。

国王エドワードと、王妃ソフィアだ。

「へ、陛下! 王妃様!」

ベアトリスが慌てて媚びへつらうような笑みを浮かべる。

「いえ、この田舎貴族の子供が、わたくしの香りを『臭い』などと侮辱いたしましたので、教育をしてやろうかと……」

「侮辱など滅相もありません」

マイルズは王の御前でも動じず、静かに言った。

「ただ、公爵夫人の香りは素晴らしいのですが、少々『重すぎる』かと存じました。……特に、繊細な感覚をお持ちの王妃殿下の前では」

王妃ソフィアが、わずかに眉をひそめていた。彼女はベアトリスの強烈な香りに、先ほどから気分が悪そうにしていたのだ。

マイルズの指摘は図星だった。

「口が減らない子供だ。……ならば、お前には『正解』が分かるというのか?」

国王エドワードが、興味深そうにマイルズを見た。

「はい、陛下。……僭越ながら、本日、王妃殿下のために、ある『香り』を用意して参りました」

マイルズは懐から、あの小瓶を取り出した。

バーンズ領特産の、青く透き通るクリスタルガラスの小瓶。

その中には、黄金色の液体が揺らめいている。

「なんだそれは? ただの水か?」

ベアトリスがせせら笑う。

マイルズは無視し、王妃の前に進み出た。

「お許しいただけますでしょうか」

王妃が小さく頷く。

マイルズは恭しく小瓶の蓋を開けた。

そして、王妃の手首ではなく、自身が持っていた絹のハンカチに一滴垂らし、それを王妃の前でふわりと扇いだ。

瞬間。

「……!」

大広間の空気が変わった。

ムスクのような動物的な重い臭いではない。

それは、朝露に濡れた白薔薇の花園に、一陣の風が吹き抜けたような……。

清冽で、甘く、それでいて儚い香り。

王妃ソフィアが、目を大きく見開いた。

「……まあ。なんて、いい香り……」

彼女は思わず身を乗り出し、その空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「薔薇……いいえ、もっと複雑で、奥深い……。まるで、私の故郷の花畑にいるようだわ」

「『トップノート』はシトラスとグリーン。『ミドルノート』にダマスクローズとジャスミン。そして『ラストノート』に微かなサンダルウッドを据えました」

マイルズは静かに解説した。

「時間の経過と共に、香りは表情を変えます。……王妃殿下のような、多面的な魅力を持つ女性のために調合した、世界に一つだけの香水パルファム。名は『ソフィアの朝』と」

「ソフィアの朝……」

王妃の頬が、少女のように紅潮した。

「素晴らしいわ。これほど心安らぐ、美しい香りは初めてよ」

会場中の貴婦人たちが、羨望の眼差しでその香りを探っていた。

ベアトリスの強烈なムスクの臭いは、この洗練された香りの前では、ただの「悪臭」に成り下がっていた。

「……ば、馬鹿な! そんな水みたいなものが……!」

ベアトリスがわななく。

マイルズは彼女に冷ややかな視線を向けた。

「公爵夫人。香りは『鎧』ではありません。『翼』です。……重く纏うものではなく、心を空へ羽ばたかせるもの。それが、バーンズ流の美学です」

勝負あった。

公爵夫人は顔を真っ赤にして、言葉もなく立ち尽くすしかなかった。

彼女の厚化粧が、ピエロのメイクのように滑稽に見える。

「はっはっは! 見事だ!」

国王エドワードが、愉快そうに笑った。

「『鎧ではなく翼』か。十歳の口から出るとは思えん言葉だ。……マイルズ・バーンズと言ったな」

「はっ」

「そなたの父、ロッシュから報告は聞いている。領地で面白いことを始めているそうだな。石鹸、肥料、そしてこの香水。……余の国に、新たな風を吹かせようとしているようだな」

「恐悦至極に存じます。……すべては、ニース王国の繁栄のため」

マイルズは深く頭を下げた。

「よい。後で余の執務室へ来い。……ゆっくりと話が聞きたい」

国王のその言葉は、マイルズが王家公認の「重要人物」として認められたことを意味していた。

貴族派の面々は、苦虫を噛み潰したような顔で沈黙するしかない。

その後の舞踏会は、マイルズの独壇場だった。

「マイルズ様! あの香水はどこで買えますの!?」

「まあ、お肌がツルツル! どんな石鹸を使えばそうなるの?」

「是非、我が領とも取引を!」

貴婦人たちがマイルズを取り囲む。

マイルズは笑顔で対応しながら、横に控えるエリーゼに目配せした。

(……仕事だぞ、エリーゼ)

(分かっていますわ。……注文が殺到して、嬉しい悲鳴ですこと!)

エリーゼは商談用の手帳に、凄まじい速度で予約を書き込んでいく。

その様子を、少し離れた場所からシンシアが見つめていた。

彼女の手元のメモには、会場内の貴族たちの相関図と、マイルズに対する「好感度」の数値が羅列されている。

「……貴族派の二十パーセントが、中立あるいは親バーンズ派に傾いた。……計算通り」

宴の熱狂の中、マイルズはふと、バルコニーへと出た。

冷たい夜風が、火照った頬に心地よい。

「……疲れたか?」

背後から声をかけられた。父ロッシュだ。

「少しだけ。……やはり、戦場の方が気が楽かもしれませんね」

「違いない」

ロッシュは苦笑し、息子の隣に並んだ。

「だが、お前は勝った。完勝だ。あのゼファー公爵夫人が、逃げるように帰っていったぞ」

「ええ。ですが、これで敵意は決定的になりました。……次は、もっと陰湿な手を使ってくるでしょう」

マイルズは、眼下に広がる王都の夜景を見下ろした。

光と闇が混在する街。

「父上。王都での足場はできました。……次は、この王都そのものを『治療』します」

「治療?」

「ええ。来る時に見たでしょう? この街の不衛生さを。……香水で臭いを隠すだけでは不十分です。下水道を整備し、疫病の温床を断つ。それができて初めて、本当の文明国です」

「……また、デカイことを言う」

ロッシュは呆れたが、その目は楽しそうだった。

「国王陛下も乗り気だった。……予算を引っぱれるかもしれんぞ」

「そのつもりです。……私の『内政』は、領地だけには留まりませんよ」

マイルズが夜空に手を伸ばすと、まるで星を掴むかのように見えた。

王城での勝利は、彼の名声を不動のものにし、同時に彼を王国の歴史の表舞台へと引きずり出した。

バーンズ領の神童。

その名は今夜、伝説となって王都を駆け巡る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ