人目のあるところでイチャついてはいけません
駅前で偶然会ってから、夏休み中に恭弥に会うことはもうなかった。一カ月ぶりの制服に腕を通した由良は、少し前髪の伸びた景と並んで登校する。
由良が景と仲良しなのはもう学校では公認になっていた。初めの頃は美男美女同士付き合っていると噂をする者もいたが、誤解している生徒に一学期まるまるかけて逐一説明したため、もうそういった関係だと勘違いしている生徒はいなかった。
校門を過ぎたところで、緑が香る並木道を歩く長身の男を見つける。くしゃくしゃした黒髪と広い背中、定規を当てたようにピンと伸びた姿勢。それからすらりと伸びた長い足に、サイズの大きなローファー。
後ろ姿だけでも絵になる男は、恭弥だった。始業式早々、女子から遠巻きに真夏の日差しより熱い視線を送られているというのに、本人はいたって涼しげだ。
一緒に食事をして以来、一方的に気まずい思いを抱いているため由良の表情は強張る。しかし由良の事情を知らない景は、大きく手を振って声をかけた。
「よー、キョウ! 今日から学校なんてだるいよなぁ」
「津和蕗か。始業式だけだろ……。よう由良」
どうやら音楽を聴いていたらしい。耳からイヤホンを外した恭弥は、以前よりも柔らかさが増した口調で由良に話しかけてくる。しかし、由良は露骨に恭弥から視線を外し、壁を作るように景の後ろへ隠れた。盾にされた景は由良と恭弥を交互に見た。
「……えーと、由良?」
「――――……景、私、先に行きます!」
「はっ? ちょ、おい、由良ー!?」
景の声を無視し、脱兎の勢いで去っていく由良。その後ろ姿を眺めた景は、頬を指で掻いてから、隣に立つ色男へ声をかけた。
「えーと? キョウ、お前由良に何かしたのか?」
「いや……」
恭弥は唖然とした表情で、外足場へとダッシュする由良の後ろ姿を眺めたままでいた。
「特には思い当たらないが……」
「いやでも、お前今までは名字で呼んでたのに、今さらっと由良のこと『由良』って下の名前で呼んでたし、何かあったんだろう? あの避け方! 見たか? 今絶対由良の短距離のタイム新記録出たぞ!?」
由良の通った道だけ立っている土煙を指差しながら景が言った。恭弥は憮然として言った。
「別に……あいつに、『俺の初恋は由良だ』って伝えただけだ」
「あーなぁんだ、それだけ? ……えっ!? マジ!? つかお前の初恋って由良なの!?」
景は恭弥の肩をガクガク揺さぶりながら言った。恭弥はむっつりと同意した。
「嫌だったから逃げたんだと思うか?」
「いや、嫌ってこたぁないと思うけど……」
由良の恭弥に対する気持ちを知っている景はなんと答えてよいか迷い、結局言葉を濁した。
「……うーん、やっぱりオレの推理によると、由良は短距離走の練習がしたかっただけかもしれないから、気にするなよキョウ」
もしも続くようなら考えものだけどな、という言葉は胸の内に留め、景は可愛い幼なじみが何故逃げ出したのかと頭を痛めた。
景の頭痛の種を膨らますように、由良は恭弥を不自然なくらい避けまくった。
景と一緒に登校していても、始業式同様景が恭弥の姿を見つけて声をかければ、ブースターでもついているかのようにその場から走り去ったし、職員室の前で恭弥に遭遇した時は油の切れた人形のようにギギギと首をそらし、そのまま来た道を逆走していった。
食堂で会った時は、わざわざ恭弥の席から遠くに座るため、全然見知らぬおぼこい眼鏡男子の軍団に相席を頼んだくらいだ。
その行動があまりにも目に余ったのだろう。ちょうど恭弥と食堂で昼食を取っていた景は、由良をちょいちょいと手招きし、それから食堂の外を指し示した。
由良はほんの少しの抵抗とばかりに、トレイに載った器を見たが、うどんの入っていたどんぶりは汁しか残っておらず、綺麗に平らげたあとだったため観念し、返却口に持っていったあと景の方へ向かった。
藤棚が教諭たちの唯一の喫煙スペースとなっている中庭へ由良をつれてきた景は、ちょうど木陰になっているベンチへ腰掛けながら言った。
「由良はさぁ」
「はい」
「キョウのことが好きって言ってなかったっけ?」
スラックスのポケットに両手を突っこみ、困ったように笑って尋ねる景の隣に座った由良は、へにゃりと眉を下げた。
「それは……」
「うん? 言いだしにくいならゆっくりでもいいぞ?」
「……景は、キョウの義母について知ってますか?」
「ああ。どういう人かはキョウから聞いて知ってるよ。一回迫られたこともあるしな」
「ええ!?」
「まあそれは置いといて。キョウの義母に会ったのか?」
「あ、はい……それで……」
由良は夏休みに駅前で恭弥の義母に出会ったこと、それからレストランで恭弥の過去について打ち明けられたこと、初恋の相手だと言われて嬉しかったこと、しかしそのあとに、自分も恭弥の義母同様彼にレッテルを貼って接していたことが後ろめたくなったことを告げた。
「……キョウの初恋の相手が私って知って、すごく嬉しかったんです。でも、私……私、キョウはずっとエッチで狼みたいな男だって思ってました。勝手にそう決めつけて妄想して……それが、後ろめたくなったんです」
「そしたら、今までみたいに接することが出来なくなった?」
景に問われて、由良はこくりと頷いた。景は雲一つない青空を仰ぎながら考える。
「キョウはそんなことで由良を嫌ったりしないと思うけどなぁ。いっそ素直に謝ったら許してみたら……何ならオレからキョウに言おうか?」
「やめて!」
由良は景の胸元に縋って叫んだ。
「気を使ってくれるのは嬉しいです……けど、私が、自分で言うから、言わないで……」
「言えるのか?」
「覚悟が決まったら、言います。から……まだ言わないで……お願いです景……」
哀願するように瞳を震わせ、由良は景の胸元に顔を埋めた。景は渋い顔をしたが、由良に甘い自覚があったため、結局は由良の意志を尊重し、由良の細い背中に手を回して撫でた。
「――――……いい雰囲気のところ邪魔してすまないが」
ベンチに黒い影が落ち視界が暗くなったと思った瞬間、底冷えするように冷たい声がかかった。由良が景の胸元から顔を上げると、逆光で表情は見えないが恭弥がこちらを見下ろしていた。
「津和蕗、次は移動教室だ」
「え、あ、おう」
景はどもりながらも、弾かれたように由良の背から手を離す。しかし、由良は恭弥の登場に縮こまり、ますます景の胸元に身を寄せた。景はどっと冷や汗を噴き出す。
「あー……キョウ? 違うからな? 勘違いするなよ? あれだから、違うからな。由良ー? 誤解を招くのはよくない、絶対よくないから離れようなー?」
一人泡を食う景は気の毒だが、恭弥の顔を直視したくない由良は、コアラのように景にくっついた。だから由良は、恭弥が凍えたように冷たい表情で由良たちを見下ろしていることに気付かなかった。
「……人目につくところでイチャつくな」
恭弥の声が、今まで由良に向けられたどの声よりも低かった気がして、由良はようやく恭弥の方を向いた。しかし、その時にはもう恭弥は校舎の方へ踵を返したあとだった。
隣では額に手を当てた景が呻く。
「あー……今のはよくない、よくないぞ由良」
「ごめん……だって……」
まだ恭弥に向かって面と向かって謝る覚悟が出来ていないのだ。由良はそう思ったが、しかし景が危惧していたのはそのことではなかった。
そして由良は、景が何を気にしていたのかを、それから数日後に知る羽目になった。




