公爵閣下とメイドさん ~お断りします、旦那様!~ 後編
ちょい長めです。
さて。決意を固めた夕方。
わたくしはいまだ痛む腰を抱えながらも、ぴんと背筋を伸ばしたまま使用人食堂に向かいます。
またデボラに食事を持ってきてもらうわけにはいきませんからね。
それに、仕事をすると決めた以上、一刻も早く復帰しなければ。
一部の隙もなく侍女のお仕着せを身につけた自分を姿見で確認したので、格好がだらしないという嫌味は通じませんね。我ながらいつもよりも気合が入っております。
廊下にはシチューの香りが漂っていました。
いいですね。わたくしの好物ですよ。
そう思いながら食堂の扉を開きますと、階下にいるほとんど皆がそろって着席しております。
スチュワード様にドラクル夫人、庭師のハワーズさんに、料理番のキリングさんまで。
……なんだか神妙な雰囲気ですね。
「お疲れ様です、皆さん。突然お休みをいただいてしまい、ご迷惑をおかけいたしました。これより復帰いたしますので、よろしくお願いします」
鋼鉄製の鎧並みの強度を持つわたくしのアルカイックスマイルを放ちます。
先手必勝ではありませんが、まず自分に何も恥じることがないという態度を取っていれば、誰だってそうそう面と向かってわたくしに追求する者はいないでしょう。
「おおっと、ようやく『奥様』のご登場だ」
「……」
「それとも『愛人』ってやつか?」
そうでした、この男を忘れていました。
彼は従者のベン。この通り、デリカシーのない若者です。わたくしより四つ上なのですが、口が軽いくせに仕事する腰は重いのでわたくしよりよほど怒られています。見た目だけは金髪碧眼なので、見栄えだけはよろしいですが、すらっとした背丈の若者が何かしでかすたびにスチュワード様やドラクル夫人に屋敷中の靴磨きの罰をこなすためにうずくまっているのはなんとも情けない心地になりますね。
「一体何のことでしょうね、ベン」
わたくしは食卓につきます。びりっと走った腰の痛みにそしらぬふりをしながら。
ベンはニヤニヤしています。笑うと途端に下卑た感じになるのは、彼の内面のなせるわざでしょうかね。
「いやいや。身に覚えがあるだろ? 昨晩、旦那様と……」
「やめなさい、ベン。いつからあなたは低俗なゴシップ誌の記者に転職したのです?」
ドラクル夫人がきっとキツい眼差しをベンに送れば、彼は肩をすくめて黙り込みます。
メイド頭ともあって、ドラクル夫人の言葉には力があります。夫を戦争で亡くしてから公爵家で働き始めたそうですが、やはり豊富な人生経験がそうさせるのでしょうか。時にスチュワード様でさえ言いくるめてしまう手際は見事という言葉に尽きます。
彼女は今度わたくしの方に目を向けます。
「アンナ、体の方はもう大丈夫なのですね?」
「はい」
「わかりました。もうこのようなことはないように。……いいですね?」
「心得ております」
『こんなこと』。
旦那様と一夜を共にするようなふしだらな真似はしません。
そして、ドラクル夫人は一度目は見逃すとおっしゃってくださっているのです。期待に応えなかればなりませんね。わたくしを信用してくださっているのだから。
淀みのない返答に、ドラクル夫人は鷹揚に頷きます。
「ちょっと待ってくれないか、テレーゼ。それだと困る。せっかく旦那様の心を捕らえたアンナをみすみす逃すっていうのかい。我々だって、こうなることを待ち望んでいたじゃないか」
上座にいたスチュワード様が口を挟みます。それをドラクル夫人が苦々しく見据えました。
「だからと言ってアンナをあの旦那様のところへ差し出すのは間違っていると申し上げているのです! 私のいない間にとんでもないことをしでかしてくれましたね、スチュワードさん!」
「だって、あなたはずっと反対していたでしょう!」
「そりゃそうですよ! いくら旦那様の矯正のためとは言って、若い未婚の娘さんを犠牲にするのは間違っています! 一度くらいならいいだろう、とかそんな男の勝手な都合に振り回されちゃかないませんよ!」
「だが旦那様は心を定められたのです! これほどよろこばしいことはないよ! 彼女にとっても願ってもない良縁だろう!」
「だから人の気持ちをないがしろにしてはいけないと何度も何度も以前から申し上げているのですが、ちっとも聞き届けてくださらないのですね! いいですか、今あなたは全世界の女性を敵に回していると思ってください。……ベンもですよ!」
「うへぇっ」
一斉に視線が集中し、とばっちりをくらったベンがひっくり返ったような奇声を発します。
その間にもふたりの言い合いは続きます。互いに唾をかけあっているかと思うほど。
今にも立ち上がって殴り合いしそうな気迫です。
「いいかい、聞くんだ、テレーゼ! これはアンナだって承知していたんだよ。証書もある! これは合意だ!」
「なにが合意ですか! そんなもの全部弱みに付け込んだ脅迫に違いありません! そもそも旦那様はどこまで把握なされておいでなのです、ことによっては一度引っぱたかなければ!」
「そんなこと私は許さないぞ!」
「こちらこそ、見損ないましたよ、スチュワードさん! やっていいこととよくないことの分別がつかなかっただなんて! ベンでももっとマシな振る舞いをしますよ!」
「ベンと比べないでもらえるか! 私ほど公爵家の行く末を案じている者はおるまい。いいか、旦那様はもう三十二才になられた、一刻も早く後継を作っていただかなければならないのだ。アンナには公爵家の子を産んでもらう! これは決定事項だ!」
「それはあなたの中だけでしょう!?」
「旦那様だって承知しておられる! 旦那様はアンナにプロポーズされたそうだよ。……断られてしまったがね」
「当たり前ですよ、この旦那様絶対主義者! 常識をもう一度初等教育からやり直しなさい!」
「君こそ、ブレトン公爵家に仕える者としての自覚が足りないのではないかっ。昔から仕えていながら、何の手も打てなかっただろう! 旦那様のことはね、同性である私がよく知っている。男というものは本当に大事にしたい女性ができると変わるんだよ、だろう、ベン!」
「ベン! こんな人の言葉に返事をすることはありませんよ!」
二対の鋭い視線を投げかけられたベンは呆れたように頬をかき、うーん、と渋い顔。
「えぇ~と? 俺どんだけ貶されるんだ……?」
「直前で目立ったあんたが悪い」
すかさず小声で突っ込んだデボラが正しいと思います。
ふたりの舌戦がヒートアップする一方だったので、わたくしはデボラにこの状況について尋ねると、あぁ、と彼女は遠い目になりました。ベンもとても疲れたようにげっそりしています。よく見れば、言い争っていないふたり以外は皆同じような顔でした。
「いや、さ……。ドラクルさんが一昨日と昨日、娘さん夫婦のところに泊まりに行って、今日帰ってきて、アンナのことを聞いてから、ずっとこんな調子で……。皆呼び出されて、ドラクルさんによる説教大会となっているかというか……。正論だからどうにもならないというか……」
「ドラクルさんはめちゃくちゃ怒っているわけ。そこまで怒りを持続させるパワーもすごいだろ。たぶん、この調子で旦那様のところまで行くな」
「それは……仕方がないわ。だって、言っちゃ悪いけど、旦那様は犯罪スレスレ……。裕福な貴族のおじさんと年若い侍女の組み合わせからして……」
「旦那様、すげえ」
なぜか感心しているベンは、やはり男心は知っていても女心はわからないようです。
ドラクル夫人やデボラはわたくしの味方に立ってくれているようですが……。
「ベン。すごいって言い方どうなの。もう少しアンナのことを気遣ってやれないの!」
「あのだな、俺が言いたいのは、旦那様がアンナに手を出せたという一点だけのことだ。こうやって見ての通り……」
ベンはわたくしの体をじろじろ見てきます。気持ち悪い男ですね! きっと睨み返してやりました。
けれど、彼はしたり顔です。
「頬を赤らめるような可愛げもない。仕事はできるし、年上の俺とか平気で蹴り飛ばすやつなんだぞ。そんな女に手を出せる旦那様こそ、大物だと思うぜ?」
「……男って身勝手だということがよくわかったわ。教えてくれてありがとう」
「おうよ、アンナ!」
馬鹿なベン。嫌味にも気づけない人。
隣のデボラもこそっと馬鹿だわ、と言っていたのでわたくしたちは思いを共有しています。
視界の先ではまだまだスチュワード様とドラクル夫人は口論が尽きない様子です。
庭師のハワーズはおじいさんなので、こっくりこっくりと椅子の上で船を漕ぎ始め、料理番のキリングさんは苦笑いでお腹に手を当てていました。……きっと空腹なのでしょう。すでに出来上がっているクリームシチューを前にしながらおあずけを食らっているのですからね。匂いが漂うだけに一層辛いものがあります。
壁時計を見ると、すでに七時を回っていました。旦那様の夕食のお時間にもかかってきます。そろそろ止めねばなりませんね。
「スチュワード様、ドラクルさん。……時間はよろしかったでしょうか」
ふたり揃って、時計の針をみました。
「あら、こんな時間」
「旦那様の夕食があるね」
張り詰めた空気がふっと溶けました。
結論はでなくとも、時間は流れます。
家令とメイド頭が自分の職務を思い出せば、食卓に座る皆も動き出します。
やれやれ、と体をほぐすように背伸びをしたりして。
「……まだ話は終わっていませんからね、スチュワードさん」
「そうだね。こちらこそまだ終わらせる気はないよ、テレーゼ」
椅子から立ち上がる時にも不穏なやり取りを交わす家令とメイド頭。
互いを負かすターゲットにロックオンしておりますが、わりとこのおふたりは一度こじれるととことん争う相性らしく、それでいて仕事には支障をきたさないというなんとも不思議なご関係です。
「いいですか、アンナ。この人に遠慮はいりませんよ。仕事ならともかく、旦那様に個人的な関係を求められてもきっぱり断る権利があるのです。何かあればすぐに私に相談しなさい」
「ありがとうございます」
わたくしは立ち上がってお礼を言っておりますと、今度はスチュワード様が近づいてきました。
「アンナ。……旦那様の申し出を断るほど旦那様が嫌いなのかい? 好意を受け入れて、ここの女主人になってみる気は……」
「わたくしはまっとうな労働の対価としてお給金をもらいたいのです、スチュワード様。今回のことでよくよく痛感しました。これをよい教訓として、明日からも平穏に仕事に打ち込むつもりですよ」
「アンナ……それは本当?」
そうですよ、と言いかけて振り返ろうとし、食堂の入口に立つ人物に息を呑むほど驚きます。
旦那様。どうしてこのようなところに。
階下は使用人の聖域で、主人がここに来るのはルール違反でしょう。
やんわりとでもいいから咎めるべき……けれども直感的にわたくしは口をつぐみました。
さすがにさきほどのことを聞かれては、旦那様も気分を害されているに違いない。現に旦那様はわたくしを見透かすような目を向けています。昨晩、わたくしの抵抗を根こそぎ奪い取るような怖い目。底なし沼を覗き込むかのようですね。
「旦那様、どうしてこちらにいらしたのです」
わたくしを隠すようにして、ドラクル夫人が前に出ます。旦那様のお顔も見えなくなりました。
「お腹がすいてしまって。呼び鈴鳴らそうかとも思ったけれど、アンナの様子も見たかったから来たんだよ」
「アンナは辛い思いをしたのです。旦那様が何もなさらないことが何よりの薬となりますよ」
「テレーゼ。僕に彼女を口説く隙もくれないの?」
ひゅ~と、まだ部屋にいたベンが口笛を鳴らすのを聞くなり、ドラクル夫人が「しっ」と威嚇すれば、ベンは旦那様とすれ違いに一礼してから諦めたように出て行きました。
「順序を間違えましたね、旦那様。せめて、アンナの気持ちを確かめながら慎重に進めるべきでしたよ」
「女性にはわからないかもしれないけれどね、好きな女性がベッドまでやってきて、自分だけを見て! と言われたらさ……そりゃあ、理性が振り切れてしまうよ。昨日のアンナは……猛烈に可愛かった」
言いながら頬を赤らめる旦那様。普段陰気な雰囲気のくせに、変に純情ぶっていますね。
ですがわたくしは旦那様が今までやらかした女絡みの厄介事をあーんなところやこーんなとことまで把握しているのですから、うっかり騙されたりしませんよ!
旦那様の言葉にドラクル夫人も呆れたようにハア、とため息をついております。
スチュワード様はスチュワード様で旦那様に味方するようにうんうんと頷いておりますし、もはや収拾は不可能な気がします。
結局何をなさりたかったのですか、旦那様。
謝罪なら一昨日出直してきやがれ。
「アンナ」
「はい」
ドラクル夫人が背後のわたくしを呼んだときの顔に嫌な予感が滲みます。
疲れて、諦めて、妥協しなさったような顔。
「この際、はっきりと言っておきましょうね」
「はい」
「旦那様はアンナに惚れています」
「……はあ」
間抜けな生返事になってしまいましたが、それはもちろん信じていないからです。
もう一度申し上げておきますが、旦那様はわたくしが見ている前であーんなことやこーんなことを以下略。
「……信じていないようですね」
「それは……申し訳ないのですが」
一応デボラには言われたものの、あまり信じていません。
ちらっと旦那様を見れば、やっぱり目が爛々としていて、こちらが気圧されるような妙な迫力がありました。さっさと切り上げてしまわなければ、なんだかまずいことになりそうです。
まさかの旦那様との夜アゲインはやめてほしいのですが。
「ちなみにアンナ以外は皆知っていましたよ」
「は……え……ええっ!?」
いやいやまさかそんなこと……と考えながら思い返すのは、昨晩旦那様の元に行く前に受けたサムズアップの嵐。
あれですか。旦那様の片思いがようやく報われて、俺たち全員ハッピーですよ、幸せをお祈り申し上げております! アンナ、しっかり旦那様をお支えしてくれよ! って態度だったということですか。……本人わたくしの気持ちはアゲリア海に投げ捨てられていた模様。
ドラクル夫人の発言に皆うんうんと頷いているのを見て、わたくしは自分の自己観察の甘さを思い知りました。……これでも、人に向けられる感情には敏感だったつもりなのですがね。
デボラがやたら勧めてくる貸本屋のロマンス小説における主人公の鈍感さがやっと身にしみました。
もっと警戒しなければならなかったのですね。つまり、昨夜のわたくしは自ら虎穴に入った餌。自分から食べてと言えば、ありがたくいただかれるわけですよ。……ベン以上の馬鹿はここにいたようです。
「まぁ、アンナからすればいきなりのことでしょう。あなたはなんの下心もなく熱心に働いてくれていましたからね。私はアンナの意思を尊重するつもりで、旦那様からのご好意を黙っておくようにと皆に言っておきました。旦那様のお気持ちがどのくらいかもわかりませんでしたしね。……その配慮はいまやぶち壊しになってしまいました。あなたのご両親になんとお詫びしてよいものやら……」
そっと目頭をおさえるドラクル夫人。
責任感の強い方なので、今回のことも自分の不手際だと思っていらっしゃるのかもしれません。
しかし、実際のところ、実家に連絡されるのは非常に困ります。家族総出で泣き崩れる悲劇の現場に立ち会うことになるのですから。
「アンナは旦那様のお気持ちに応える気持ちはないのですね」
「当たり前です。そんな爛れた関係は旦那様にも屋敷の皆にも良いお話ではないでしょうし」
わたくしがそう言えば、皆が皆揃って、「は?」と驚かれたような顔。旦那様でさえ驚いておられる。
スチュワード様に至ってはぽかんと口を開けています。
ドラクル夫人が口を開きます。
「爛れた関係とは?」
「愛人です」
「は……? 旦那様、まさかそのような破廉恥な申し出をされたのですか!?」
「い、いやいやいやいや! してない、してないよ!」
なぜか旦那様は泡を食って否定しはじめました。
「何をおっしゃっているのですか。『僕のものになって』というのは愛人契約ということではありませんか。今ならスチュワード様が出した条件はその愛人のための報酬ということぐらいわかります」
「そ……それには多大な誤解があるよ! 確かにスチュワードの出した条件のことは聞いたが、それは朝のことだ! 昨晩の時点では何も知らなかったし、君にした申し出は別のものだよ。そんな斜め上の解釈じゃなくて、もっと素直に受け取って欲しいのだけれど!」
「はあ」
ここまでくると薄々その申し出の意味もわかってきますが、なんだかしっくりこないので濁した返事になってしまいます。なぜならわたくしは旦那様のあーんなことやこーんなこと以下略ですからね。
業を煮やした様子の旦那様。
唐突につかつかとドラクル夫人をどかして、わたくしの目の前に歩み寄ってきました。
そして、なんの塗装もしていないささくれだらけの食堂の木の床に跪き、わたくしの手を取って口づけました。
「結婚してください!」
「え、嫌ですよ」
そんな急展開はいりません。
「なぜだぁ、アンナ!」
「申し訳ございません。反射的に口が滑りました」
意訳。ついつい本音を出してしまったわ。ごめんなさいね。
体にすがりつかんばかりの旦那様に、ぐらぐら揺さぶられるままのわたくし。
使用人食堂はカオスになりました。
そもそも使用人食堂で、それも使用人たちがわざわざ見ている前で、使用人にプロポーズするご主人様とはこれいかに。なんとも滑稽な場面ですよ。なぜわたくしは聴衆でなくて、当事者なのでしょうか。
本日何度目になるかわからない現実逃避に走ります。
「……そもそも旦那様は旦那様ですし。旦那様相手にどうこうなろうという気にはどうしてもならなくて」
「いや、なろう!? ここまできたらその気になろうよ!? 僕が君に手を出さなかったら今よりもっとアウトオブ眼中だっただろう、僕は知っているぞ! 僕が他の女性といろいろやらかしていても自分は無関係だって顔を貫いていたのだからね! 僕がどれだけ荒んだ気持ちになったかわかるか!? ここ数年の僕の女遊びの激しさの原因は間違いなくアンナがちっとも僕のことを気にしなかったからだと思う! だから僕の奥さんになってくれ! 好きだ! 愛してる!」
……スチュワード様がとうとう「よくやりました、旦那様!」と手にハンカチを握り締め始めました。その目には光るものが。
ドラクル夫人は別の意味でハンカチを使いそうです。主に噛み締める方向で。
しーんと静まり返った食堂で、わたくしの言葉が待たれます。好奇の視線が辛いです。
「そ、そうですか……」
我ながら言うのもあれですが、完璧なメイドさんの牙城が崩壊しました。
旦那様を直視できずに、そっぽを向きました。こころなしか頬が赤い気がします。
詩的な口説き文句にはいくらでも対応できたのに、直球の言葉には弱かったのでした。いつも自堕落な旦那様の必死な姿にきゅん、とか。自分の単純さに呆れてしまいます。
おぉ、と唸った外野にはさっさと引っ込んでいていただきたいものです。
こほん、と軽く咳払いして、仕切り直しです。
にっこりとアルカイックスマイルアゲイン。
「旦那様が世間的に見て、立派な公爵である、と認められるようになることと、わたくしを裏切らないことの二つを成し遂げましたら、善処したく思います」
意訳。まずは女好きヒキニート卒業。話はそれからだ。
わたくしは人生の指針を少しだけ変えることにいたしました。
だって、旦那様をまともにできる絶好の機会ですものね。これでも心配していたのです。
十三も年上で、無気力で自堕落、女好きのどうしようもない旦那様。
でも使用人にとっては暴力を振るうこともなく、その領分を侵すこともなく、不当に虐げることもなく皆をいたわってくださるいい方だというのは知っています。
人間としては旦那様を心底嫌いにはなりきれないのです。もちろん、愛情とは別物です。旦那様との結婚生活とか想像力が追いつきませんし。
旦那様のやったことはいまだもって最低です。そこは譲れません。その一方でこれがきっかけでいい方向に変わっていくなら許せてしまいそうな自分もいて、矛盾しています。
……あれ。そうすると、無体を許せそうなぐらいには旦那様のことが好きなのでしょうか、わたくし。すごく意外です。被虐趣味はもっていないのですけれど。
「わ、わかったよ、アンナ! 僕頑張るから!」
上機嫌な旦那様はとうとうわたくしを抱き上げたまま、調子に乗って回転しはじめ、皆が口々におめでとうと言ってきます。……あれですね、まさに大団円という感じ。公爵閣下がメイドさんを見初めて、数々の障害を乗り越え、皆が祝福する中でゴールインというベタベタなロマンス小説(ヒーローの愛ゆえの暴走もあるよ!)みたいな。
え、それでいいの。……なぜでしょう、今の旦那様を見ているとわたくしの出した条件も軽々と超えて、結婚への道のりが千里どころかご近所の散歩なみに短そうで怖いのですが。いや、気のせい……気のせいに違いない……。
お人形よろしく旦那様に振り回されていたわたくしは、どうしてか見通せてしまいそうになる今後の展開に遠い目をしていたのでした。
中途半端ではありますが、キリがいいのでこれで完結とさせていただきます。
続きを書くかわからないので……。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
追記。タイトルの「お断りします」はタイトル詐欺になってしまいました。すみません。