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異世界持ち込み食堂~あなたの食材を料理します~  作者: シロの空


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第97話 煮ても干しても使える枝房豆と、一つに決めるまで何も始められない香油職人

 ルシア・フェルネは三十八歳になる人間の女性であり、レーヴェン東区と職人街の境目にある《風枝香油房》で、香草や花、果皮、樹脂などから香りを移した油を作る香油職人として働いていた。肩甲骨の辺りまで伸びた濃い亜麻色の髪を、仕事中には油や香草へ触れないよう低い位置で一つに束ね、灰色の作業着の袖を肘まできっちり折っている。細身ではあるが、香草を潰す石棒や油壺を毎日のように扱ってきたため手首には十分な力があり、爪の周りには洗っても完全には消えない淡い緑や黄色の香料染みが残っていた。


 《風枝香油房》で作る品は、身体へ香りをつけるためだけの油ではない。焼いた肉や煮込みへ数滴加える料理用の香草油、薬房が軟膏へ混ぜる樹脂油、旅宿や浴場が湯気の中で使う花香油、革製品の保護を兼ねた木皮油、虫除けを目的とした刺激の強い香葉油など、同じ「香油」と呼ばれるものでも用途は大きく異なっている。


 使い道が変われば、仕込みも変えなければならない。


 肉料理へ使うなら、脂へ負けない程度の香りが必要になる。湯へ垂らすものなら、熱と蒸気の中で広がりすぎないよう濃さを調整する。肌へ塗る薬用なら、香りより刺激の少なさを優先する場合もあり、同じ植物を使っていても採取した季節や葉の若さによって油へ移る香りは変わるため、去年とまったく同じ配合で作れば今年も同じものになるとは限らなかった。


 ルシアは、その細かな違いを見抜くことに長けていた。


 生の葉なら指先で軽く潰して香りの立ち方を確かめ、乾燥品なら色だけではなく茎の折れ方や断面へ残った油分を見る。温めながら短時間で香りを移すのか、冷たい油へ何日も漬けるのか、花を途中で入れ替えて濃くするのかを材料ごとに調整し、完成品を嗅いだだけで、


「前の仕込みより半日長く漬けた」


 程度の差まで気づくことがあった。


 職人としての腕を疑う者はほとんどいない。


 ところが、その腕を持つルシアには、仕事を進めるうえでかなり厄介な癖があった。


 選択肢が二つ以上現れると、その中から、


「最も正しい一つ」


 を見つけるまで、なかなか作業を始められないのである。


 たとえば《風青葉》という若い香草が六束あり、料理店向けの軽い香油にも、旅宿で使う湯用の香油にもできるとする。すでに料理店から四瓶、宿から二瓶という注文が来ているなら、ルシアは迷わず必要量を仕込むことができた。


 困るのは、


「今月は何が売れるか分からないので、ルシアさんの判断で作ってください」


 と任された時だった。


 料理用を多く仕込んだ直後に宿から大量注文が来たらどうする。


 宿用を多く作ったのに、今年は冷菜用の香油ばかり売れたら。


 半分ずつに分ければ安全に見えるが、本当に半分が一番良い比率なのか。


 去年は料理用が多かった。


 しかし今年は宿が二軒増えた。


 天候も違う。


 なら去年の数字をそのまま使うのは正しくないかもしれない。


 そうやって考えているうちに一時間が過ぎ、さらに情報が欲しくなって昼まで待ち、その間に採れたての香草から少しずつ香りが抜けていくことさえあった。


 本人は慎重に選んでいるつもりだった。


 間違いを減らそうとしている。


 材料を無駄にしたくない。


 客へ、


「別の方が良かった」


 と言われたくない。


 ただ周囲から見ると、ルシアが何も選ばずに止まっている間にも時間は流れ、材料の状態や納期が代わりに選択肢を狭めていた。


          ◇


 ルシアが幼い頃から決断の遅い人間だったわけではない。


 父はレーヴェンから少し離れた土地で小さな香草農園を営み、料理用の葉や薬房へ卸す草、虫除けに使う強い香りの植物などを育てていた。母は収穫後の選別と乾燥を担当し、三歳上の兄は成人すると農園を継がず商隊へ入ったため、ルシアは自然と父母の仕事を近くで覚えていった。


 子どもの頃の彼女は、父から、


「これはどうする?」


 と聞かれると、あまり迷わなかった。


「今日売る。色が綺麗だから」


「こっちは?」


「干す。昨日のより茎が硬いから」


 正しいかどうかを完全に確かめてから答えていたわけではない。


 父も、十二歳の娘へ本当に大きな出荷判断を任せたわけではなかったが、理由を聞いた後で、


「じゃあ一束だけ、お前のやり方でやってみよう」


 と試させることがあった。


 結果が良ければ、


「今の見方は使える」


 と言う。


 外れれば、


「次はここも見ろ」


 と教える。


 間違った判断を一度したから、その後ずっと選ばせないということはなかった。


 十五歳の頃、農園へ一人の香油職人が材料を買いに来たことがある。


 その職人は刈ったばかりの《薄葉香》を手に取り、葉を潰して香りを確かめた。


「この草、油へ入れるとどうなるんですか?」


 ルシアが興味を持って尋ねる。


「若い葉なら軽い香りになるし、夏の終わりの濃い葉なら肉料理にも負けない油になるよ」


「同じ草なのに?」


「同じ草だから一つの使い方しかない、なんて決まりはないからね」


 その言葉に惹かれ、十八歳でレーヴェンへ出た。


 香油工房へ弟子入りし、材料の扱いだけでなく、油そのものの性質、加熱温度、濾過、保存容器まで覚えた。


 最初の数年間、ルシアはよく試した。


 同じ花を三つの瓶へ分け、一日、三日、五日で香りを比較する。


 同じ葉を加熱と冷浸の二通りで作る。


 香りが強すぎれば次は減らし、弱ければ増やす。


 師匠から、


「最初から正解を当てようとするより、条件を変えて結果を覚えた方が早い」


 と教えられたこともある。


 二十六歳で独立し、《風枝香油房》を開いた当初も、その性格は残っていた。


 売れ残った香草を安く買って料理用に試し、花屋から引き取った香花を石鹸職人向けの香油へ変える。一瓶だけ作って近所の食堂へ持っていき、


「肉には合うけど魚には重い」


 と聞けば、次は軽くした。


 失敗はした。


 ただ小さく失敗し、その結果を次へ使っていた。


 そんなルシアの考え方を大きく変えたのは、独立して五年ほど経った頃に受けた、旅宿からの大口注文だった。


 春祭りの期間中に使う香油を二十瓶。


 客室と浴場の両方で使う予定で、宿主からは、


「花の甘い香りを中心にして、できれば夜まで少し残るものがいい」


 と頼まれた。


 ルシアは当時仕入れたばかりの《夕蜜花》を使うことにした。


 夕蜜花は甘い香りが強く、油へ長く漬けるほど残り香が濃くなる。夜まで香りを残したいという希望なのだから、普段より少し濃くした方がよいと判断し、花の量を増やし、浸す時間も延ばした。


 完成品そのものは良かった。


 瓶を開けると、濃い花香が柔らかく広がる。


 宿主も小皿へ一滴落として嗅ぎ、


「いいね。祭りらしい」


 と満足した。


 ところが祭りの初日、問題が出た。


 客室では好評だった。


 一方、大勢が同時に使う浴場では、熱と蒸気によって香りが想像以上に強く広がり、数人の宿泊客から、


「少し重い」


 という声が出た。


 中には香りに酔って早めに湯から出た者までいる。


 宿は使用量を減らし、残っていた瓶の一部を客室専用へ回したため、大きな事故にはならなかった。


 代金を返せとも言われていない。


 それでも宿主から、


「夜まで残るとは頼んだけど、浴場だとここまで強くなるとは思わなかった。部屋用と風呂用を分ければ良かったな」


 と言われた時、ルシアは強い失敗感を覚えた。


「すみません。私が一つにまとめました」


「次から分ければいいよ」


 宿主は、それ以上責めなかった。


 しかしルシアの中では終わらなかった。


 客室用と浴場用を最初から分けていれば。


 浸す時間を短くしていれば。


 同じ二十瓶でも十瓶ずつ違う濃さにしていれば。


 試作品を二つ持っていき、宿主に選んでもらっていれば。


 あとからなら、いくつもの方法が思いつく。


(私は選択肢があったのに、間違った一つを選んだ)


 その感覚が強く残った。


 それ以降、ルシアは選択肢が見えるほど慎重になった。


 慎重になること自体は悪くない。


 しかし数年掛けて、


「比較してから決める」


 が、


「すべての条件が揃うまで決めない」


 へ変わり、


「間違ったら次に変える」


 が、


「最初から間違わない一つを見つけなければならない」


 へ変わっていった。


          ◇


 現在の《風枝香油房》には、ルシアのほかに二人の職人がいる。


 二十九歳の男性オルト・セナは七年目で、油の濾過、瓶詰め、仕入れと在庫管理を中心に担当している。香りの判別も一通りできるが、それ以上に注文数と材料量を現実的に見ることが得意で、ルシアが考え込みすぎると、


「決めないままでも時間は進みます」


 と遠慮なく言う。


 二十歳の女性ミア・ルーナは二年目で、花香油を学んでいる途中だった。香りを言葉へ置き換えることに長けており、


「甘い香り」


 だけではなく、


「最初は蜜のように甘いけれど、最後に青い葉の匂いが残ります」


 と説明できるため、客へ試作品を紹介する時には役に立つ。


 初夏のある朝、香草農家から《風青葉》が十二束まとめて届いた。


 本来なら三日ほどに分けて刈る予定だったが、翌日から雨が続くという予報が出たため、状態の良いものを一度に収穫したのだという。


 風青葉は若いうちほど爽やかな香りがあり、料理用の軽い香油や、夏の旅宿で使う湯用香油へ向いている。ただし刈った後は、時間とともに香りが弱くなる。


 オルトが十二束を冷暗室へ運びながら言った。


「今日は最低でも半分仕込みたいです。明日の朝まで置けば使えますけど、料理用なら今日の香りの方がいい」


「分かってる」


 ルシアも一本を潰して嗅ぐ。


 状態は良い。


「料理用の在庫は?」


「七瓶。先月は十四瓶出ました」


「宿用は?」


「五瓶。先月は九瓶」


「今年は暑くなるのが早いから、料理店の冷菜用が増えるかもしれない」


「旅宿も二軒増えてます。湯用の問い合わせは先月より多いです」


「そうなのよね」


 六束ずつに分ければよいように見える。


 ただ、それが本当に良いかは分からない。


「去年の同じ時期は?」


 オルトが帳簿を開く。


「料理用十六、湯用十一」


「なら料理用を少し多めにする?」


「でも去年は今ほど宿の取引先がありません」


 ミアが別案を出した。


「朝は料理用四束、湯用二束だけ仕込んで、残り六束は昼まで注文を待つのは?」


「昼まで待つ間にも香りは落ちる」


「半日なら大きくは変わりませんよね」


「大きくはね」


 ルシアは十二束を見る。


 料理用へ多く使った直後に宿から大口が来るかもしれない。


 逆もある。


「昼まで待ちましょう」


 結局、何も始めなかった。


 昼。


 新しい注文は来ていない。


 オルトが再び尋ねる。


「そろそろ仕込みます?」


「夕方の宿便で注文が来るかもしれない」


「料理店からも来るかもしれません」


「だから決めづらいのよ」


 午後も過ぎた。


 ようやく夕方近くになってから、


「六束を料理用」


 と決めた。


 残り六束は翌朝へ回す。


 翌朝、葉はまだ使える状態だった。


 ただし若い葉の端に僅かな萎れが出ており、前日の朝より爽やかな香りが弱い。


 オルトが葉を選別しながら言った。


「湯用なら十分です」


「料理用にも使えるでしょう」


「使えます。でも昨日の状態の方が良かった」


 責める口調ではなかった。


 それでもルシアは反発した。


「昨日の時点では、何が注文されるか分からなかったでしょう」


「分かってます」


「先に全部使って、後から必要な方が足りなくなったら?」


「それもあります」


「なら待つしかない時もある」


「あります。ただ、昨日は待つって決めた時点で、この葉の香りを半日分使わないことも一緒に決めてたと思います」


 ルシアが顔を上げた。


「私は決めてないわ」


「だから、時間が代わりに決めたんです」


 それ以上オルトは言わなかった。


 しかし、その言葉は残った。


 数日後には薬房から、《冷月草》を使った鎮静香油の試作依頼が届いた。


 希望は、


「香りに敏感な人も使うため強すぎず、ただし塗布した本人が量を確認できる程度には残るもの」


 だった。


 ミアが三種類を作った。


 一つ目は冷月草を少なくし、非常に軽い香りにしたもの。


 二つ目は冷月草を少し増やして、塗った直後には分かる程度へしたもの。


 三つ目は白香皮を僅かに加え、残り香だけを長くしたもの。


「どれを持っていきます?」


 オルトが尋ねた。


 ルシアは何度も嗅ぎ比べる。


 一番は敏感な人に向く。


 ただ薬房が求める、


「塗ったことが分かる」


 には少し弱いかもしれない。


 二番なら条件の中間にある。


 三番は最も香りが整っているが、用途から考えると白香皮が余計かもしれない。


「三本とも持っていく」


「一本の試作を頼まれてます」


「でも選んでもらえば間違いないでしょう」


 薬房へ三本持参する。


 薬師は一つずつ試した後、困ったように笑った。


「三つとも違いは分かる」


「どれがいいですか?」


「それをルシアに選んでほしくて頼んだんだけどな」


「用途によります」


「用途は前に伝えたよ。刺激が少なくて、使った量は本人が分かる程度」


 ルシアは答えを探した。


「なら……二番です」


「理由は?」


「一番では香りが弱すぎる可能性がある。三番ほど残らなくてもいいので、二番が一番条件の間にあります」


「じゃあ二番で試そう」


 薬師はあっさり決めた。


 ところが工房へ戻る途中から、


(本当に二番で良かった?)


 と考え始める。


 一人でも香りが強いと感じたら。


 塗る量を多くする人なら。


 一番を選んでいた方が安全だったのではないか。


 翌朝、薬房へ、


「一番も少量作りましょうか」


 と連絡しようとすると、オルトが止めた。


「試験販売ですよね」


「そうよ」


「まず二番を使って、結果を見るんじゃ駄目なんです?」


「使ってから変えたら、最初の判断が間違いだったことになるでしょう」


 オルトは少し考えた。


「違ったら、違ったって分かるだけじゃないですか」


 その言い方を、ルシアは素直に受け取れなかった。


 選ぶ前なら、まだどれも間違いではない。


 選んだ瞬間から、外れる可能性が生まれる。


 だから選択肢を残している方が安全だと、どうしても思えてしまう。


          ◇


 その週の終わり、長く材料を買っている香草農家の女性が、《風枝香油房》へ変わった豆を一籠持ってきた。


 一本の細い枝から何段もの莢が伸びており、下へ行くほど莢は太く、上へ行くほど細く柔らかい。


「ルシア、これ食べる?」


「何て豆?」


「《枝房豆》。今年、一列だけ試したんだけど結構できた」


 ルシアは枝ごと持ち上げた。


「上と下で全然大きさ違うわね」


「同じ枝でも熟す時期がずれるんだよ。上はまだ莢ごと食べられる。真ん中は中の豆を炒ると旨いし、下はもう実が太ってるから、食べてもいいし干して保存もできる」


「全部今日食べるなら?」


「食べられる」


「全部干したら?」


「上は豆が小さすぎるから、わざわざ干す意味薄いね」


「じゃあ一番いい使い方は?」


 農家の女性が笑った。


「何に使いたいの?」


「今日も食べたいけど、保存もできるならしたい」


「なら両方すればいいでしょう」


「どれくらいずつ?」


「そこまで私が決めるの?」


 女性は笑ったまま籠を置いて帰った。


 ルシアは仕事を終えた後、枝房豆を家へ持ち帰った。


 若い上部の莢。


 豆が少し膨らんだ中ほど。


 十分に太った下部。


 農家から聞いた使い方は覚えている。


 それでも、


(下の豆を全部干したら冬にも使える)


(でも今日煮ても美味しいかもしれない)


(上の若莢は今が一番柔らかい)


(ただ、もう少し育てれば豆として食べられた?)


 と考え始めると動けない。


 半分ずつなら。


 しかし何を基準に半分なのか。


 若莢を三分の一だけ食べる?


 それなら残りは何にする?


 中ほどを全部炒れば、別の料理へ使う可能性がなくなる。


 考えているうちに夕食の時間が遅くなり、その日は結局、乾燥肉とパンだけで済ませた。


 枝房豆には手を付けなかった。


 翌朝。


 上部の若い莢を触る。


 昨日より僅かに硬くなっている。


 まだ十分食べられる。


 ただ、昨日ならもう少し柔らかかった。


 その瞬間、


『時間が代わりに決めた』


 というオルトの言葉が戻ってきた。


 ルシアは仕事前に籠へ豆を入れ直し、その日の夕方、《持ち込み食堂》へ持ち込んだ。


 悠斗は枝房豆を受け取ると、一本を上から下まで触って確かめた。


「同じ枝の中で、かなり育ち方が違うんですね」


「上は莢ごと煮る。真ん中は豆を炒る。下は食べてもいいし、干してもいいらしい」


「今日はどうしたいです?」


 その問いだけで、ルシアはすぐに迷った。


「保存もしたい。でも食べてもみたい」


「両方にします?」


「どれをどのくらい?」


 悠斗は答える代わりに聞いた。


「今日、一番食べてみたいのは?」


「それが決められないから持ってきたの」


 ミレイアが籠を覗く。


「私は、この柔らかそうな上の莢が食べてみたいです」


「じゃあ上を全部使う?」


「私が食べたいだけですよ」


「決めてくれないの?」


 ミレイアが笑った。


「全部私が決めたら、ルシアさんが何食べたいか分からないままですよ」


 悠斗は若莢を一本曲げ、柔らかさを確認した。


「今日一回で、この豆の一番良い使い方を全部決めなくてもいいんじゃないですか」


「でも今日切った分は戻らないでしょう」


「戻りません」


「食べたら冬には残らない」


「はい」


「干したら今日食べられない」


「その通りです」


 否定されない。


 そのためルシアは余計に困った。


「だから、一番後悔しない使い方を選びたいの」


「それって、今分かります?」


「分からないから迷ってる」


「なら、今日必要なことを先に決めるのは?」


 ルシアは籠を見る。


 昨日は食べられなかった。


 今日は食べたい。


「若い莢は食べたい」


「では、二人で食べる分だけ使いましょう」


 上部から六本ほど取る。


「残りは?」


「持ち帰れます」


「また迷うでしょう」


「なら中ほども、試しに少し食べます?」


「少しって?」


「一皿に必要な量だけ」


 悠斗は中ほどから数莢を外す。


「下の大きい豆は?」


「今日は使わず、干してみては?」


「それが一番いい?」


「分かりません」


 あまりにも普通に言われ、ルシアが目を瞬く。


「分からないの?」


「もっと良い分け方はあるかもしれません。でも今日は若莢を食べられて、中の豆も試せて、保存も残せます」


「料理人なら、最善を選ぶものじゃないの?」


「料理人でも、初めての材料で未来まで含めた最善は分からないですよ」


 悠斗は若莢の筋を取りながら続けた。


「今日どう食べたいかなら決められます」


「外したら?」


「次に変えます」


「そんな簡単に?」


「同じ材料が一度しか手に入らないならもっと慎重にします。でもこの豆、また農家さんが作るんですよね」


「多分」


「なら今日一回で最終回答を出さなくてもいいと思います」


 若莢は白肉と一緒に、薄い塩味の出汁で短く煮た。豆そのものが若いため、火を入れすぎると柔らかさだけが残るので、色がまだ明るいうちに止める。


 中ほどの莢からは豆を取り出し、少量の油で香ばしく炒る。生の時には青い香りが強かった豆が、熱を受けると木の実に似た香りへ変わった。


 下の大きな莢は、そのまま籠へ戻した。


 出来上がったのは、


《枝房豆の若莢と白肉の軽い煮合わせ》


 と、


《枝房豆の炒り豆》。


 ルシアは若莢を口へ入れた。


 柔らかい。


 ただし、昨日ならもう少し柔らかかったのかもしれない。


「昨日食べた方が美味しかった?」


「柔らかさだけなら、昨日の方が良かった可能性はあります」


「じゃあ昨日食べなかったのは失敗?」


「昨日、食べないと決めたんです?」


「決められなくて、何もしなかった」


「なら、何もしないまま一日置いた結果が今日ですね」


「それって、結局選んだのと同じ?」


 悠斗は少し考えた。


「材料側から見れば、時間が過ぎたのは同じですね」


 ルシアは匙を止めた。


「香油で同じことをしてる」


 そこから、《風青葉》の話をした。


 十二束をどう振り分けるか決められず、夕方まで仕込みを遅らせたこと。


 翌朝には香りが少し落ちていたこと。


 冷月草の試作を一つ選べず、三本とも薬房へ持っていったこと。


「選ばなければ、間違ったことにはならないと思ってた」


 ルシアが言う。


「でも実際には?」


「材料は待ってくれない」


 ミレイアが頷く。


「注文にも締切がありますよね」


「ある」


「なら決めない間にも、別の条件が変わるんですね」


「そうみたい」


 悠斗が尋ねる。


「一回決めたものって、後から変えちゃ駄目なんです?」


「変えたら最初が間違いだったことになるでしょう」


「間違いだったなら変えた方が良くないですか?」


「最初から正しく選べた方がいい」


「それは俺もそう思います」


 あっさり同意された。


「でも初めての料理なら、火を入れたら思ったより水が出たとか、香りが飛んだとか普通にあります。そこで次の皿は切り方変えたり、入れる順番変えたりします」


「それは失敗じゃないの?」


「失敗のこともあります」


「嫌じゃない?」


「嫌ですよ」


 悠斗は笑った。


「ただ失敗を一回もしたくないからって、ずっと一皿目を出さないわけにはいかないので」


 ルシアは炒り豆を一つ噛んだ。


 香ばしい。


 もし全部干していたら、この味は今日知らなかった。


「選ぶと、選ばなかった方を捨てる感じがするの」


「その一回では使わない、ということでは?」


「同じ豆は戻らない」


「戻らないです」


「やっぱり捨ててるじゃない」


「でも結果は残りますよね。今日この中豆は炒ると美味しいって分かった」


 ルシアは黙る。


「選ばなかった可能性を全部残すのは無理です。でも選んだ結果を、次の選択へ持っていくことはできます」


 それは、昔の自分が普通にやっていたことだった。


          ◇


 翌朝、ルシアは家に残していた枝房豆の下部を開いた。


 中には、丸く太った豆が入っている。


 全部干すこともできる。


 全部その日の夕食へ使うこともできる。


 以前ならまた止まっただろう。


 今回は半分だけ日陰干しへ回し、もう半分を夕食用の器へ入れた。


 その分け方が最善である証拠はない。


 ただ、


「保存もしてみたいし、生の大豆も食べてみたい」


 という今の目的には合っていた。


 工房へ着くと、オルトが注文票を差し出した。


「料理店二軒から風青葉油。合わせて七瓶です」


「在庫は?」


「五瓶」


「二瓶不足ね」


「はい」


「生葉は?」


「昨日届いた四束があります」


 ルシアの頭へすぐ、


(午後に宿から注文が来るかもしれない)


 という考えが浮かんだ。


 それでも今回は、


「二束、料理用へ仕込む」


 と答えた。


 オルトが少し驚く。


「今すぐ?」


「今ある注文は確定してるでしょう。まずそこを作る」


「残り二束は?」


「昼までは待つ。宿注文が来たら湯用。来なければ状態を見て決める」


「分かりました」


 午前中のうちに料理用の仕込みを始めた。


 葉を広げて傷を除き、水気を十分に飛ばしてから軽く潰し、油へ入れる。爽やかな青い香りが工房へ広がった。


 午後。


 本当に旅宿から注文が入った。


 湯用香油を四瓶。


 オルトが注文票を持ってくる。


「来ました」


 ルシアは一瞬、


(やっぱり料理用へ先に使わない方が)


 と後悔しかけた。


 しかし残量を確認する。


 二束あれば四瓶分は作れる。


「残り二束を湯用へ」


「料理用を先に使ったの、問題なかったですね」


「結果としてはね」


「もし宿から八瓶来てたら?」


 ルシアがオルトを見る。


「意地悪ね」


「確認です」


「その時は不足分を次便で相談する。昨日の私なら、八瓶来る可能性まで考えて何も作らなかったでしょうけど」


 オルトは頷いた。


「今ある確定注文と、まだ来てない可能性を同じ重さで扱わなくなった?」


「そうかも」


 翌週には、冷月草香油の試験結果が薬房から届いた。


「十人に使ってもらった。七人は問題なし、一人は香りが少し強いと言った。残り二人は特に感想なし」


 薬師が説明する。


 ルシアの胸へ、


(やっぱり一番を選ぶべきだった)


 という考えが浮かんだ。


「刺激や肌の問題は?」


「ない。香りの好みだけ」


「では、次から一番に変えます?」


「いや、基本は今の二番でいいと思う」


 薬師は答えた。


「ただ香りに敏感な人向けに、もっと軽いものを少量用意できる?」


 ルシアは考える。


「できます。最初に作った一番の配合へ戻せば」


「じゃあ三本だけ試そう」


「最初から二種類にしておけばよかったでしょうか」


 薬師が笑った。


「必要だと分かってなかったのに?」


「可能性はありました」


「可能性だけ考えたら、最初から五種類でも十種類でも作れるよ」


 確かにそうだった。


 最初の二番は失敗ではない。


 十人へ使ったことで、基本品として使えることが分かった。


 同時に、一部には軽い配合の需要があることも分かった。


 だから二種類目を追加する。


 最初から正解を二つ知っていたわけではない。


 使ってみたから次が見えた。


 工房へ戻ると、ミアへ説明した。


「二番はそのまま基本品。一番の軽い配合を三本だけ追加する」


「最初の二番、間違いじゃなかった?」


 ミアが、少し楽しそうに尋ねる。


 ルシアは顔をしかめた。


「薬師から聞いた?」


「オルトさんから少し」


「皆で面白がらないで」


「で、間違いだった?」


 以前なら答えに迷った。


 今回は、


「違う。使う人が一種類じゃなかった」


 と答えられた。


          ◇


 変化が始まったからといって、すぐ何でも決められるようになったわけではない。


 夏の終わりには、香料商から《赤鈴皮》という珍しい果皮が八枚だけ入った。


 赤い柑橘に似た果実の皮で、乾燥すると甘い香りの後から微かな苦味が出る。肉料理用の香油にも、高級石鹸にも、旅宿の客室香にも使えるが、次の入荷は半年以上先になる可能性がある。


 材料は八枚だけ。


 ルシアは久しぶりに長く悩んだ。


「料理用なら面白いと思う」


 ミアが言う。


「石鹸でも残り香が良さそう」


 オルトは在庫表を見る。


「今はどこからも注文ありません」


「だから余計に決めづらいのよ」


 生葉とは違い、赤鈴皮は乾燥品なので、数日考えた程度では大きく劣化しない。


 そこでルシアは、


「明日の朝まで考える」


 と決めた。


 以前との違いは、


「最善が分かるまで無期限に置く」


 のではなく、


「一日考える」


 と期限を置いたことだった。


 翌朝。


「二枚だけ料理用で試す」


 と決めた。


「残り六枚は?」


「結果が出るまで保留」


 オルトが確認する。


「使い道が決まってない?」


「決まってない。でも何を待ってるかは決まってる。二枚の試作結果」


 二枚から少量の香油を作る。


 白肉へ垂らして試すと、脂のある肉には甘苦い香りがよく合う一方、淡い野菜料理には少し重かった。


「肉用なら使える」


 ルシアは記録する。


 残り六枚のうち一枚だけを、付き合いのある石鹸職人へ渡す。


 数日後、


「石鹸へ入れると苦味の香りがほとんど消えて、甘さだけ長く残る。高級品には使えそう」


 と返事が来た。


 そこで三枚を石鹸用として売った。


 残り三枚は、まだ使わず保管する。


 以前と同じ、


「使わない」


 状態に見える。


 しかし理由が違う。


 何をするか分からず止まっているのではなく、


「料理と石鹸の試作結果が分かったため、残りは次の需要が出るまで保存する」


 と決めていた。


 待つことも、目的が決まっていれば立派な選択になるのだと、その時になって理解した。


 秋になり、枝房豆をくれた農家の女性が再び工房へ来た。


「豆、どうした?」


「上は煮た。真ん中は炒った。下は半分干して、半分煮た」


「ずいぶん細かく分けたね」


「どれが一番正しかったと思う?」


 反射的に聞いてから、ルシアは自分で笑った。


「まだそれ聞くんだ」


 農家の女性も笑う。


「癖なのよ」


「美味しかった?」


「全部違って美味しかった」


「ならいいじゃない」


 女性は今年最後だという枝房豆を二枝置いていった。


 その日の夕方、ルシアは一本を《持ち込み食堂》へ持っていく。


「今日はどうします?」


 悠斗に聞かれ、ルシアは籠を見る。


 迷いはある。


 それでも以前のように黙り込まなかった。


「若莢は白肉と煮たい。中の豆は炒ってほしい。下の大きい豆は半分だけ今日使って、残りを干して持って帰る」


「分かりました」


 ミレイアが驚く。


「早い」


「迷ってないわけじゃないわよ」


「でも決めましたね」


「今日はこれにしただけ」


 その言葉を、自分で自然に言えた。


 悠斗は若莢を前回より短めに煮て、歯応えと青い香りを残した。中豆は香草と一緒に炒り、下の大粒豆は一部だけ柔らかく煮て潰し、白肉の下へ薄く敷いた。


《枝房豆と白肉の三つ仕立て》


 前回とは違う。


「前の料理と今日、どっちが正解?」


 ルシアが半ば冗談で尋ねた。


 悠斗は困ったように笑った。


「俺は今日の焼いた豆の方が好きですけど、若莢は前回の柔らかい方も好きですよ」


「結局一つに決まらないのね」


「食べる人と、その日食べたいものが変わるので」


「最近、それが少し分かる」


 食べ終えた後、ルシアは工房で始めた新しい決め方について話した。


「時間で状態が変わる材料は、先に『いつまでに決めるか』を決めるようにした」


「例えば?」


「生葉なら昼まで。花なら午前中。乾燥樹皮みたいに保存できるものなら、試作結果を待つこともある」


「待つのをやめたんじゃないんですね」


「前は、答えが分かるまで待ってた。今は、待つ理由と期限がある時だけ待つ」


「決めた後で違うと思ったら?」


「変える」


 以前なら言うだけでも嫌だった。


「最初の判断が間違ってることもあるわよ」


「ありますね」


「今でも嫌」


「そこは変わってないんですね」


「失敗を好きになる必要はないでしょう」


 悠斗も笑った。


「それはそうです」


          ◇


 冬を前にして、ルシアの変化を最も大きく試す注文が入った。


 レーヴェン東部へ新しく開く共同浴場から、開業月に使う香油を三十瓶作ってほしいという依頼だった。


 条件は、


「清潔感があり、男女どちらの浴場でも使いやすく、強すぎないが、湯気の中でまったく消えてしまわない香り」


 だった。


 十年前のルシアなら面白がってすぐ何本も試しただろう。


 数年前のルシアなら、


「清潔感とはどの香りか」


「男女どちらにも好まれるとは何か」


「強すぎないのはどの濃度か」


 と考え続け、試作へ入るまで何日も使った可能性が高い。


 今回は最初に、決めるために必要な情報を整理した。


 浴場の広さ。


 同時利用人数。


 香油を湯へ直接入れるのか、香り皿へ落とすのか。


 子どもの利用は多いか。


 昼と夜で利用者数はどの程度変わるか。


 共同浴場から返事が来た。


 かなり広い。


 香り皿を使う。


 夕方以降が最も混雑する。


 子ども連れも多い。


 そこまで分かれば、候補はかなり絞れる。


 ルシアは三つの試作を作った。


 一番は軽い。


 二番は爽やかな葉香を中心にしつつ、少量の木皮香で丸みを付けた。


 三番は一番香りが長く残る。


 ミアが尋ねる。


「三つ持っていきます?」


 以前ならそうした。


 ルシアは三本を嗅ぎ比べる。


「二番を持っていく」


「理由は?」


「一番は混雑時には良くても、空いてる時間だと香りが弱すぎる。三番は夕方の人数だと重くなる可能性がある。今聞いてる条件なら二番が一番近い」


「外れたら?」


「どこが違うか聞いて変える」


 共同浴場へ二番だけを持参した。


 担当者が小さな湯桶で試す。


「良い香りです。ただ、思っていたより少し青さが強いかな」


 胸の中へ、


(やっぱり一番だった?)


 という昔の思考が顔を出す。


 しかし今回は、そのまま全部を否定しなかった。


「甘さを足したいですか。それとも青い香りだけ弱くしたいです?」


「甘くはしたくないです。清潔な感じは残して、もう少し丸い方がいい」


「なら、葉の量を少し減らして白木皮を僅かに増やします」


 工房へ戻る。


 二番の配合を基準に、一か所だけ変える。


 再試作。


 もう一度持っていく。


 担当者が嗅ぐ。


「これです」


 決まった。


 三十瓶の本仕込みへ入る。


 途中で一つ問題が出た。


 追加で届いた香草が、最初の試作に使ったものより若く、同じ重さでも香りが軽い。


 以前なら、


(試作と同じ配合にしなければ)


 と数字を守ったかもしれない。


 今は現物を見て量を少し増やした。


 決めた配合も、材料の条件が変われば調整する。


 三十瓶が完成した。


 開業後、共同浴場から連絡が来る。


「評判いいですよ。混んでる時間でも強すぎないし、空いてる時もちゃんと香ります」


 ルシアは、


「良かったです」


 と答えた。


 電話代わりの伝言札を置いた後、


(もし三番を元にしていたらもっと良かった?)


 という考えが一瞬浮かぶ。


 しかし、そこで止められた。


(今回は目的を満たした)


 十分だった。


          ◇


 春が近づいた頃、今度はミアが一人で小さな試作を任されることになった。


 市場の菓子店から、


「焼き菓子の包みへ一滴だけ使える、甘すぎない香り」


 という依頼を受けたのである。


 材料候補は《白香皮》《若草葉》《蜜花》。


 ミアは午前中いっぱい試し、二つまで絞った。


 一つは白香皮を中心にした軽い香り。


 もう一つは蜜花をほんの少し使い、包みを開けた時に甘さが先へ立つ配合。


 昼を過ぎても持っていく方を決められず、作業台の前で何度も嗅ぎ直していた。


 ルシアが横へ立つ。


「どこで迷ってる?」


「どっちも条件には合うんです」


「あなたはどっち?」


「二番です」


「理由は?」


「蜜花を少し入れた方が、焼き菓子の包みを開けた時に食べたい感じがする。でも甘すぎないって言われたから、一番の方が安全かもしれなくて」


 それは、以前のルシア自身だった。


「二番を持っていって」


 ミアが驚く。


「いいんですか?」


「今のあなたが条件へ一番合うと思う理由があるでしょう」


「一番の方が良かったら?」


「その時は、どこが違ったか聞く」


「最初から一番を選べた方が良くないですか?」


「良いわよ」


「じゃあ……」


「でも今、どっちが本当に良いか分からないんでしょう?」


「はい」


「なら、自分の理由で一度選ぶ。試作なんだから、違えば変える」


 ミアは少し不安そうだった。


「間違ってたら恥ずかしいです」


「恥ずかしいわよ」


 即答され、ミアが目を丸くした。


「恥ずかしいんですか?」


「私は今でも外すの嫌いだもの」


「じゃあ、どうして決めるんです?」


 ルシアは少し笑った。


「嫌だからって選ばないまま花の香りを飛ばす方が、もっと嫌になったから」


 ミアは二番を菓子店へ持っていった。


 午後に戻ってくる。


「二番でいいって言われました」


「良かったじゃない」


「でも白香皮をほんの少し増やしてほしいって」


「なら増やしましょう」


「最初の配合、間違いですか?」


 ルシアは首を振った。


「惜しかったんじゃない?」


 ミアが笑う。


「それ、便利な言葉ですね」


「何でも惜しいで済ませたら駄目よ」


「分かってます」


 若い職人が自分で選び、相手から返ってきた情報を受けて調整する。


 ルシアは、その流れを止めなかった。


          ◇


 その日の仕事帰り、ルシアは季節の終わりに近い枝房豆を一本だけ《持ち込み食堂》へ持っていった。


 初めて持ち込んだ時より下部の豆がよく育ち、若い莢は少ない。


 悠斗が枝を見て尋ねる。


「今回はどうします?」


 ルシアは少しだけ考えた。


 迷わないわけではない。


 それでも、その迷いをすべて消す必要はなかった。


「上の若莢は白肉と煮て。中は炒り豆。下の大きい豆は半分を今日煮て、残りは干して持ち帰る」


「分かりました」


 ミレイアが笑う。


「本当に早くなりましたね」


「今でも、別の分け方の方が良かったかなとは思うわよ」


「でも始める?」


「始める」


 悠斗が調理へ入る。


 若莢を短く煮る。


 中豆を香ばしく炒る。


 大粒豆の半分を柔らかく煮る。


 残りは料理へ使わず、乾燥用として小さな袋へ戻す。


「今日は使わないんですね」


 ミレイアが袋を見る。


「冬に食べる」


「もったいないとは思わない?」


 以前のルシアなら、その言葉だけで袋を開き直したかもしれない。


 今は、


「今日使わないって決めたから」


 と答えた。


 完成した《枝房豆と白肉の季節煮》には、同じ枝から採れた豆でも違う育ち方をした部分が、それぞれに合った形で使われている。


 ルシアはゆっくり食べた。


「最初に来た時より、今日の方が正しい使い方になったと思う?」


 ミレイアが少し意地悪そうに尋ねた。


 ルシアは笑った。


「今日の方が私は好き。でも次に食べたら、また違うかもしれない」


「正解、一つじゃなくなりましたね」


「用途によっては一つに決めなきゃいけない時もあるわよ」


 薬品の濃度。


 安全に関わる配合。


 すでに客が指定しているもの。


 そうした条件まで、


「どれでもいい」


 にするつもりはない。


 ただ、


「まだ分からないこと」


 まで最初から完全に決めなければならないと思わなくなった。


 その数日後、《風枝香油房》へ今年最初の《春明花》が届いた。


 摘んだ日のうちに仕込んだ方が香りの良い、時間に弱い花である。


 全部で八籠。


 オルトが注文表を確認する。


「予約済みは客室用四瓶。石鹸工房の試作が二瓶です」


 ミアが花を広げる。


「残りは未定ですね」


 以前なら、八籠すべての最終用途が決まるまで止まった。


 今年のルシアは、花を一つ摘まみ、香りを確認してから答えた。


「予約分を先に仕込む。客室用に二籠、石鹸試作に一籠。その後、二籠を汎用の軽い香油へ回す」


「残り三籠は?」


 オルトが尋ねる。


「昼まで注文を待つ」


「昼までに来なかったら?」


「一籠は工房試作、二籠は客室用の予備」


「今の予定は決まりですね」


「今の予定は、ね」


 午前中の終わり近くになり、菓子店から急ぎの注文が来た。


 春明花を使った包み用香油を少量ほしいという。


 オルトが伝票を持ってくる。


「朝の予定、変えます?」


 ルシアは残っている花を見た。


「変える。客室予備へ回す予定だった一籠を菓子店へ」


「朝の判断は?」


「朝は菓子店の注文なかったでしょう」


「はい」


「なら朝は朝で間違ってない。今は情報が増えたから変える」


 作業を組み替える。


 夕方までには八籠すべての春明花が、香りを大きく失う前に仕込みへ入った。


 客室用。


 石鹸試作。


 汎用香油。


 菓子店用。


 工房試作。


 朝の時点では存在しなかった使い道まで含まれている。


 最後の油壺へ蓋をした後、ルシアは作業台へ残った注文表を見た。


 今日選ばなかった組み合わせなら、いくらでも考えられる。


 客室用を一籠多くしておけば、来週の注文へ備えられたかもしれない。


 汎用油を減らし、菓子店へ二籠使えばもっと売れたかもしれない。


 逆に菓子店の注文が一度限りなら、一籠でも多かった可能性がある。


 後になれば、今より情報は増える。


 その時になって、


「別の方が良かった」


 と分かることもあるだろう。


 それでも今日の仕事は終わっている。


 今ある注文と材料の状態から一度決め、途中で新しい条件が加わったため予定を変え、花が使えるうちに仕込みを終えた。


 以前の自分が求めていた、


「後から見ても絶対に間違いではない唯一の選択」


 は、最初から存在しない場合も多かった。


 必要だったのは、未来を全部当てることではなく、今どこまで分かっていて、いつまでに決める必要があり、何を目的に選んだのかを自分で分かっていることだった。


 オルトとミアが帰った後、ルシアは翌朝確認する壺へ小さな札を置き、工房内を一通り見回した。


 明日決めればよい材料については、まだ使い道を書いていない。


 以前なら、その空欄が気になって帰れなかっただろう。


 今はそのままにしておけた。


 今日決めるべきことは、今日決めた。


 明日新しい情報を見て決めればよいものまで、今日のうちに一つへ固定する必要はない。


 ルシアは最後の灯りを消し、翌日また香りを確かめてから続きを選ぶつもりで、《風枝香油房》の扉を静かに閉めた。


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