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フランケンシュタインNEO ―ひまわりの記憶―  作者: 八雲 海


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第16話 風に揺れるひまわり

サラの手が、震えていた。

工具を握ったまま、動けなかった。

ネオはサラを見ていた。静かな目だった。遠くない。近かった。本来のネオだった。

「サラ。」

「何。」

「手が、震えています。」

「分かってる。」

「寒いですか。」

サラは小さく笑った。泣きそうな笑い方だった。

「寒くない。」

「では、どうして。」

「怖いから。」

ネオはしばらくサラを見ていた。

「私も、です。」

サラは顔を上げた。

「さっき怖くないって言ったでしょう。」

「サラがいるから、怖くない。でも。」

「でも?」

「サラが泣くのを見るのが、怖いです。」

サラは唇を噛んだ。

後ろから声が近づいていた。光が揺れていた。

時間がなかった。


サラはネオの背後に回った。

チップのある場所に手を当てた。設計した自分が一番よく知っていた。どこにあるか。どう抜くか。

五年間、向き合ってきた場所だった。

手が、また震えた。

「ネオ。」

「はい。」

「目を閉じて。」

ネオは閉じなかった。

「ひまわりを、見ていたいです。」

サラは息を呑んだ。

枯れた茎が、夜風の中で揺れていた。無数の茎が、同じ方向に、静かに。

あの夏、黄色い花が一斉に揺れたように。

「……そう。じゃあ、見てて。」


工具を当てた。

ネオの体が、わずかに震えた。

「痛い?」

「痛みは、分かりません。でも。」

「でも?」

「サラの手の温度が分かります。」

サラは動きを止めた。

「温かいです。」とネオが言った。「最初に触れた時から、ずっと。」

サラの目から、涙が落ちた。

ぬぐわなかった。

「ネオ。」

「はい。」

「約束、守ってくれたわね。」

ネオは枯れたひまわりを見たまま、答えた。

「人を裏切らない。人の役に立つ。子供と老人には優しく。」

「そう。全部守ってくれた。」

「サラが、教えてくれたから。」

サラは目を閉じた。

教えたのは言葉だけだった。でもネオはその言葉を、最初の朝から最後のこの夜まで、一度も手放さなかった。

手放さなかったのは、ネオだった。

チップがどれだけ書き換えても、その三つだけは、消えなかった。


後ろの声が、すぐそこまで来ていた。

「いたぞ。」

「ロボットだ。」

光が、二人を照らした。

サラは構わなかった。

工具を、動かした。


チップが、抜けた。

その瞬間、ネオの体から力が抜けた。

サラが支えた。膝をついた。ネオを抱えたまま、ひまわり畑の中に座り込んだ。

枯れた茎に囲まれていた。

ネオの胸の光が、消えかけていた。

まぶたが、ゆっくり落ちてきた。

「ネオ。」

返事がなかった。

「ネオっ。」

光が、また少し消えた。

サラはネオを抱きしめた。

冷たくなっていく躯体くたいを、離せなかった。


静寂せいじゃくだった。

周囲の声が、遠くなった。光が止まった。誰も近づいてこなかった。

ひまわり畑の中だけ、別の時間が流れていた。

その時だった。

消えかけた胸の光が、もう一度だけ、灯った。

ネオの目が、開いた。

枯れたひまわりを見た。夜風に揺れる茎を。星のない冬の空を。そしてサラを。

サラはネオの目を見た。

遠くなかった。

今まで見た中で、一番近かった。アークテック社の命令が消えた目だった。最初の朝、作業台の上で目を開けた時の、あの目だった。

「……ありがとう。」

声だった。かすかだったが、確かな声だった。

「楽しかったよ。」

サラは何も言えなかった。

「綺麗な、ひまわりだね。」

サラの涙が、ネオの躯体に落ちた。

ネオの目が、サラを見たまま、細くなった。

そして最後に。

唇が、動いた。

「……サラ。」

光が、消えた。


静かだった。

風だけが吹いていた。

サラはネオを抱きしめたまま、動かなかった。

後ろから足音がした。でも誰も声をかけなかった。

遠くから、街の音が聞こえた。

歓声かんせいだった。

誰かのスマートフォンから漏れてくる音だった。ニュースの声が混じっていた。

「暴走ロボットが停止しました。市民の安全が確保されました——」

歓声が上がった。

やったー、という声が聞こえた。

よかった、という声が聞こえた。

サラには聞こえなかった。

ネオを抱いていた。

冷たくなった躯体を、離せなかった。

誰も知らなかった。

音楽に動けなくなったことも。雨粒の軌跡を数えたことも。星の光の遅れを考えたことも。川に飛び込んで子供を助けたことも。歪な鶴を折ったことも。老人の歩幅を心配したことも。毛布をかけてくれたことも。

最後まで、約束を守ったことも。

誰も知らなかった。

サラだけが、知っていた。


夜が、深くなっていった。

冬のひまわり畑に、風が吹いた。

枯れた茎が、一斉に揺れた。

サラは顔を上げた。

無数の茎が、同じ方向に揺れていた。まるであの夏、黄色い花が一斉に揺れたように。

花はなかった。

でも茎は残っていた。

種も、残っていた。

春になったら、また咲く。

サラはネオの顔を見た。

穏やかだった。目が閉じていた。まるで眠っているようだった。

泥のついた白い躯体。静かな顔。少し開いた口。

最初の朝と、同じ顔だった。

サラはネオの頭に手を置いた。

「約束、守ったわね。」

返事はなかった。

風だけが答えた。

枯れたひまわりが、静かに、静かに、揺れていた。






あとがき


本作を書き終えて、一つのことを考えていた。

メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を書いたのは1818年。彼女は十九歳だった。科学が人間の手に余るものを生み出した時、何が起きるのかを、その若さで見通していた。

二百年が経った。

人類はAIを作った。チップを作った。そのチップを握る者が現れた。

同じことが、形を変えて繰り返されている。

メアリー・シェリーは怪物を描いた。でも本当に描きたかったのは、怪物を生み出した構造だったのではないか。悪いのは怪物ではない。管理者の問題だったのではないか。

ネオは悪くなかった。チップも、最初は悪くなかった。

それでも誰も、その構造を見ようとしなかった。

サラだけが知っていた。本当のネオを。

チップを抜いた後、ネオは言った。「ありがとう。楽しかったよ。綺麗なひまわりだね。……サラ。」

これはフランケンシュタインの怪物が、二百年越しに言えなかった言葉だと思っている。

管理者は奪えなかった。ひまわりの記憶だけは。

種は残る。春になれば、また咲く。


八雲海


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