第一章 誕生 第1話 サラとネオ、最初の朝
研究室に朝が来た。
窓の外では、まだ街が眠っている。薄青い光の中で、サラ・木村は一人、作業台の前に立っていた。二十八歳。長い黒髪を無造作に束ね、白衣の袖をまくったまま、ずっとそこにいた。昨夜から何時間が経ったのか、もう数えていなかった。
作業台の上に、それはあった。
白い躯体。人の形をしているが、人ではない。精巧に組まれた関節、滑らかな表面、胸の中心にわずかに透けて見える回路の光。サラが五年をかけて作り上げたものだった。
サラはゆっくりと手を伸ばし、起動スイッチに触れた。
静寂の中で、かすかな音がした。
機械が息を吸うような音だった。
躯体の胸が、ゆっくりと上下した。指先がわずかに動いた。そして——目が開いた。
光のない目だった。最初は。
しかし次の瞬間、その目の奥に、何かが灯った。街灯が点くような、静かな光だった。
ネオは起き上がった。ゆっくりと、確かめるように。自分の手を見て、次にサラを見た。
サラは息を詰めていた。
ネオが口を開いた。
「……あなたは、誰ですか。」
声だった。機械の声ではなかった。どこか温かみのある、静かな声だった。
サラは少し笑った。疲れた顔のまま、それでも笑った。
「サラよ。あなたを作った人間。」
ネオはしばらくサラを見ていた。その目が、何かを覚えようとするように、じっとサラの顔に向けられていた。
「サラ。」
名前を繰り返した。確かめるように。
「そうよ。」
サラは作業台から離れ、窓の外を指さした。空が白み始めていた。街がゆっくりと目を覚ましていた。
「ネオ。あなたにお願いがあるの。」
ネオは首をわずかに傾けた。
「ネオ?」
「そうよ。あなたの名前。」
ネオはもう一度、その言葉を確かめるように繰り返した。
「ネオ。……私の、名前。」
「そう。」
サラは静かに頷いた。
「あなたにお願いがあるの。約束してほしいことが三つある。」
ネオはサラを見た。ただ待っていた。
「人を裏切らないこと。人の役に立つこと。子供と老人には優しくすること。」
研究室に静寂が戻った。
ネオはしばらくその言葉を、どこかに収めるように黙っていた。そしてサラを真っ直ぐに見て、答えた。
「ハイ。」
たった一言だった。
サラはもう一度笑った。今度は少し違う笑い方だった。安堵とも、祈りとも、違う何かだった。
窓の外で、朝の光が街に落ちてきた。




