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禁書区域②

「やあ。遅かったね、ルシアン」


軽い声だった。


灯りの向こうで、大量の本を抱えた男が楽しそうに笑っていた。柔らかな金髪。王家特有の、蒼と金橙が混ざる夕空の瞳。だがルシアンよりも柔らかく、どこか掴みどころのない雰囲気をしている。


白衣にも似た長衣の袖は少し捲られ、指先にはインクの汚れまで付いていた。王族らしからぬ姿だ。それなのに、不思議と気品だけは隠れない。


「……兄上」


「そんな嫌そうな顔しなくてもいいだろう?」


フェリクス・アルヴェリア。


アルヴェリア王国第二王子。そして王立自然学研究院の中心人物でもある男だった。


フェリクスは抱えていた本を片腕に寄せ、まずセレネへ視線を向ける。


「へぇ。君まで来るってことは、かなり厄介な事件みたいだね」


セレネは静かに一礼した。


「ご無沙汰しております、フェリクス殿下」


「相変わらず硬いなぁ。学院時代から思ってたけど」


ルシアンは即座に口を挟む。


「絡むな」


「別に絡んでないよ。ただ、君がわざわざ夜の図書塔に来るってことは、本気で気になってるんだろうなと思って」


フェリクスは楽しそうに笑った。


ルシアンは、その笑い方が昔から苦手だった。軽い。適当そう。何も考えていなさそう。なのに実際は、誰より人の反応を見ている。フェリクスはそういう男だ。


その視線が、ふと後ろへ向く。


「……ああ」


少し意外そうな声だった。


「君が最近ルシアンについた補佐官か」


エドガーは静かに一礼した。


「エドガー・ベルンです」


「へぇ」


フェリクスは面白そうに目を細める。


「静かな人だね」


「よく言われます」


「何考えてるか分からないタイプだ」


「兄上」


ルシアンが低く止める。


「初対面で失礼だぞ」


「褒めてるつもりなんだけどな」


フェリクスは悪びれもせず肩を竦めた。そう言いながら、彼は図書塔の奥へ歩き出す。


「それで? 水鏡の魔女の記録を見に来たんだろう?」


ルシアンは眉を寄せた。


「なんで知ってる」


「王城の噴水で騒ぎがあった。女官が倒れた。しかも君がセレネ嬢を連れて夜の図書塔に来た。ここまで揃えば、だいたい分かるよ」


「本当に可愛げねぇな」


フェリクスはくすりと笑う。


「兄に可愛げを求める年齢でもないだろう?」


図書塔の中は、古い紙と革の匂いがした。壁一面に本棚がそびえ、上階へ続く螺旋階段が暗がりの中へ伸びている。高窓から差し込む月明かりと、机上の灯りだけが、ぼんやりと本の背を照らしていた。


夜の図書塔は妙に静かだ。人の気配が少ないせいか、足音だけがやけに響く。


フェリクスは奥の机へ本を置いた。


「禁書区域の鍵は借りてある。ルシアンについた補佐官――ああ、さっき自己紹介したエドガーから連絡があったからね」


ルシアンは小さく眉を寄せる。


「もう話通ってたのか」


「さすがに禁書区域を勝手には開けられないからね。連絡が来た時は少し驚いたけど」


フェリクスはちらりとエドガーを見る。


「補佐官になって数か月で禁書区域申請なんて、普通はやらない」


エドガーは静かな顔のままだった。


「必要と判断しました」


「へぇ」


フェリクスは少しだけ笑う。


「嫌いじゃないよ、そういう判断の早さ」


そう言って鍵束を持ち上げる。金属音が、静かな図書塔へ小さく響いた。


「こっちだ」


フェリクスの後を追い、四人はさらに奥へ進む。


図書塔の最奥。そこには、重厚な鉄扉があった。普通の閲覧室とは空気が違う。冷たい。古い。まるで、この場所だけ時間が止まっているみたいだった。


フェリクスが扉の前で足を止める。


「……と、さすがにここから先は制限付きだ」


その言葉に、エドガーが静かに顔を上げた。フェリクスは軽い口調のまま続ける。


「禁書区域は王族か、許可された研究者しか入れない。悪いけど、補佐官はここまで」


ルシアンは小さく眉を寄せたが、異論はなかった。王城の禁書区域は、それほど扱いが厳しい。エドガーも特に反論せず、一礼する。


「承知しております」


「資料を持ち出す時は手伝ってもらうかもしれないけどね」


「その際は対応いたします」


静かな返答だった。


フェリクスは満足そうに頷き、鍵を差し込む。錆びた音が響き、ゆっくり扉が開いた。


中から冷気が流れ出す。ルシアンは思わず眉を寄せた。


「……相変わらず気味悪ぃな」


「禁書区域なんて、そんなものだよ」


フェリクスは平然と中へ入っていく。セレネが静かに続き、ルシアンも後を追った。


扉が閉まる直前。ルシアンは何気なく後ろを見る。


廊下の灯りの下で、エドガーが静かに頭を下げていた。表情は変わらない。だが、その瞳だけが一瞬、ゆっくり閉じた気がした。


なぜか妙に、それがルシアンの記憶へ残った。

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