表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感情を持たない婚約者は怪異の真実を知っている 〜第三王子と月夜の怪異事件録〜  作者: 葉月うみ
第1章 水鏡の魔女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/162

宵の女神

禁書区域の空気は、相変わらず冷たかった。古書の頁を捲る音だけが、静かな石室へ響いている。


ルシアンは腕を組んだまま、机へ広げられた記録を睨んでいた。


アルヴェリア暦523年。アルヴェリア暦609年。アルヴェリア暦643年。


時代は違う。だが、不気味なくらい共通点が多い。


水辺。失血。黒髪の女。そして、水鏡の魔女。


「……偶然にしちゃ出来すぎてる」


低く呟くと、フェリクスが肩を竦めた。


「だから面白いんじゃないか」


「兄上、人が死んでる事件だぞ」


「分かってるよ」


フェリクスは軽く笑ったまま、古書を閉じる。


「でもね、ルシアン。こういうのは怪異として見ると間違える」


「どういう意味だ」


「人は理解できないものを怪異にしたがる。特に二百年以上前はね」


フェリクスは椅子へ腰掛け、机上のランプを少し寄せた。橙色の灯りが古書を照らす。


「アルヴェリア暦500年代頃は、まだ教会の力が今ほど強くなかった時代だ。地方信仰も多かったし、魔術を本気で信じてる人間も珍しくなかった」


ルシアンは小さく眉を寄せる。


「魔術なんて昔話だろ」


「今ならね」


フェリクスは楽しそうに笑った。


「でも昔は違う。病気も、干ばつも、異常気象も、人ならざる力のせいだと思われてた」


そう言いながら、彼は別の古書を開く。そこには女神らしき挿絵が描かれていた。長い黒髪。水辺。三日月。そして、暗い水面。


「ノクシア」


フェリクスが名を読む。


「宵と水を司る女神。今では異端信仰扱いだけどね」


ルシアンは絵を見ながら眉を顰めた。


「……随分不気味な女神だな」


「教会はそう教えるからね」


フェリクスは頁を捲る。


「でも、もっと古い記録だと少し違う」


そこに描かれていたのは、先ほどより穏やかな女神画だった。月光の下、水辺へ祈りを捧げる姿。


「元々は豊穣や鎮魂を司る女神だったらしい。夜、水、死者への祈り。この辺りを管理していたみたいだ」


「管理?」


「当時の人間にとって、死は今より身近だったからね。だから死者を慰める神格は重要だった」


フェリクスは指先で頁を叩く。


「でも教会勢力が強くなるにつれて、夜や秘術を司る存在は危険視され始めた」


「……異端扱いか」


「そういうこと」


静かな声だった。


ルシアンは再び挿絵を見る。黒髪の女神。暗い水面。そして、魔女。


妙に嫌な繋がり方をしていた。


「黒髪の噂って、その辺が元なのか」


ルシアンが眉を寄せると、フェリクスは肩を竦めた。


「今じゃ本気で信じてる人間なんて少ないよ。せいぜい古い迷信だ」


「……だろうな」


「ただ、教会保守派とか年配貴族の中には、未だに気にする人もいる。ノクシアの色だってね」


ルシアンは小さく舌打ちした。


「くだらねぇ」


「まあ、普通は噂話で終わるよ」


フェリクスは淡々と続ける。


「でも、怪異事件と結びつくと話は別だ。人は急に昔の迷信を思い出す」


その言葉に、ルシアンの視線が自然とセレネへ向く。


黒髪。海色の瞳。そして、水鏡の魔女。


嫌なほど条件が揃っている。セレネは静かに記録を読んだままだった。だがルシアンは知っている。こういう視線に、こいつは昔から慣れている。


学院時代もそうだった。


目立つ。優秀すぎる。近寄りがたい。だから勝手に噂される。


本人は気にしていない顔をするが。


「……どこかで聞いたことがあります」


その時だった。セレネが、ふいに小さく呟く。


ルシアンが顔を上げる。


「何をだ?」


「夜を司る女神が、魔女として語られる話を」


静かな声だった。だが、その続きがない。セレネ自身、一瞬だけ何かを探すみたいに目を伏せる。


妙だった。


本当に、思い出しかけているみたいな顔だった。だが次の瞬間には、いつもの静かな表情へ戻っている。


フェリクスが興味深そうに目を細めた。


「意外だな。君、神話とか読むタイプだった?」


「……昔、少しだけ」


曖昧な返答だった。


ルシアンはなんとなく、それ以上聞かなかった。代わりに地図へ視線を落とす。


「結局、問題は地下水路だろ」


「そうなるね」


フェリクスは頷く。


「噴水。水音。歌声。そして月桂宮付近まで繋がる地下通路」


彼は地図の一角を指差した。


「特にここ。旧水門区域」


細い線が、中庭地下からさらに奥へ伸びている。


「今は封鎖扱いだけど、完全に埋められた記録がない」


ルシアンの眉が寄った。


「つまり誰かが使える可能性がある」


「そういうこと」


静かな沈黙が落ちる。古い石壁。揺れるランプ。禁書区域の空気が、やけに冷たく感じた。


その時だった。


遠くから、かすかな話し声が聞こえた。禁書区域の外。女官たちの声だ。


「……見たのよ」


「本当に?」


「黒いドレスで……足を引きずってたって……」


ルシアンの眉が動く。


足を引きずる。


その単語が頭へ引っかかった。


「また水鏡の魔女じゃないの……?」


「やめてよ、怖い……」


怯えた声が遠ざかっていく。禁書区域の中へ、再び静寂が戻った。


ルシアンはゆっくり目を細める。


足を引きずる。


その言葉だけが、妙に耳へ残った。


その時だった。


コツ、……ギ、と。


妙な音が響いた。


まるで何かを引きずるような足音。ルシアンが即座に振り返る。


「……誰だ?」


だが、次の瞬間には音は消えていた。静まり返った回廊には誰もいない。


ただ、石床に小さな水滴だけが残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ