表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第三章 エメリード 結実の時
106/151

第105話 蜂蜜と蛇

 鼓膜が凍った様な感覚を受け、クライグはスッと、軍人としての己を呼び出す。

 余分な感情は消しシャルミラの行動を理解し、睦言に興じる優男を演じる。淑女の腰に軽く手を回し、灰の髪を優しく撫で、呟く様に自身の状況を伝達する。


「俺はナイフが一本だけ、帷子(かたびら)も着けてない。追っ手の姿は見えてる? それ次第で動きを決めよう」


 二人は腕を互いの肩首に絡め合い、愛を囁き合うか口付けを交し合うか、傍目には解らぬ振る舞いを見せる。目を薄っすらと細め見つめ合い、口許は互いの手指で蠱惑に覆い隠し、ふらふらと甘い世界に酔い痴れている様に見せ付ける。

 緑豊かな田舎村の、真昼間の往来の逢瀬。道行く老人はしつこく咳払いをし、林業に汗水垂らす労働者は聞こえる様に舌打ちを飛ばす。シャルミラはそれらを意に介さず、思わせ振りに細い身をくねらせ、一瞬捉えた森の暗がりを、紺の瞳に焼き付けた刺客を分析する。


「何かローブの類を纏っています、色は黒系。……武装は解りませんが、恐らくは片手剣かナイフか、任務に合わせた隠密性の高い物と思われます」

「なら直接やり合いたくは無いだろうな。……野放しよりも誘う方が良い。向こうの空き家の裏手に誘導しよう」

「ではリードをお願いします。体格的にそれが妥当かと」


 クライグはシャルミラの肩を抱き、少々強引に映る様に連れて行く。土固めの道を足早に過ぎ、連れ込んだ先は廃屋の裏。周りこむでもしなければ人目の届かない、正に打ってつけの情事の間。

 森の中から静かに追っていた刺客は通りから人気(ひとけ)が消えるのを待ち、幹に隠していた姿を表す。全身を包む暗緑のローブ、特徴的な形の湾曲した鞘。ハイカットのブーツは冒険者の様に使い古され、音も無く道を横切る。

 外套を深く被り直し、小屋の角から奥を探ろうと覗き込み――――


「――――動くな、ローブから見える様に両手を上げろ。それ以外の事をすれば容赦はしない」


 シャルミラの乾いた声が、ナイフと共に刺客の背中に突きつけられる。同時に正面からは手頃な材木を剣の様に構えたクライグが、冷たい殺気と共に躍り出る。

 廃屋の裏手に回った直後から演技を止め、刺客の裏手を取るべく静かに走っていたシャルミラと、挟み込むべく待ち構えていたクライグでの挟撃。前後から殺意を向けられたローブの男は、歯軋りをしながらも大人しく両手を上げた。


「壁に向かって張り付きなさい、大人しく質問に答えるのなら悪い様には……」


 背格好や肩の形、依然顔はフードで見えないが刺客は男だと判断出来る。

 シャルミラは尋問をすべく、廃屋の壁に向かい立つ様に指示を――――


「ッ!? シャル、右に跳べ!! 矢が――――」


 爆ぜる様にクライグが叫ぶのと同時に、シャルミラは右に向かって飛び退き廃屋に肩をぶつける。間一髪の所で、彼女の背後から放たれた矢は左足が立っていた地に刺さった。

 一瞬の隙を見い出した刺客は身を低く、地を滑る様な素早い挙動を見せ、クライグが振るった木の棒の下を掻い潜りその場を脱した。


「シャル、いけるか!? 射手は森の中、そっちは任せた!」


 シャルミラを庇う様に、クライグは立ち位置を変え刺客と向き合う。矢を放った敵は視認出来ていないものの、今の身のこなしから目の前の敵も、決して無視は出来ない手練れと即断する。

 その声に応えシャルミラも体勢を整え、廃屋から剥げ落ちた木の板を拾い上げた。大まかな方向しか解っていないが、次の矢を防ぐべく迎撃の構えを取る。


「っ……大丈夫です、私の後方ですね? 対応します、目の前の敵に集中を」


 刺客がローブの下から身構えるのは小型の盾と、柔らかな革の鞘から引き抜かれた目を引く形の刀身、ショーテルと呼ばれる両刃の曲剣であった。湾曲した刃は摩擦抵抗が少なく効率的に切れ味を発揮させ、直剣のそれよりも深い刀傷を容易に創る。鎌の様にしての引っ掻きや薙ぎ払う動作にも長け、習熟や保全の手間は掛かるもののそれに見合った脅威を秘める。

 初めて目にするクライグだったが男の構えや立ち姿、発する気から強敵であると再認識し、緑の瞳は言われた通り目の前の刺客のみに注がれる。

 状況は一転、見えない射手により逆に挟撃される形となったクライグとシャルミラだが、軍人としての経験は焦りを抑えさせ頭を巡らせる。今最も優先すべきは何か、環境と戦況を冷静に見据えさせ――――


「……ッ!!」


 声も無く最初に動いたのは、最も体格に優れるクライグ。シャルミラを背にしたままでは接近戦に巻き込みかねず、()()()()()()()()手早く取り押さえたい。

 鋭い踏み込みと共に繰り出される縦振りに、刺客の男は盾で受け流しながら身を翻す。隙無く素早い一撃は避けるには難しく、まともに受ければ腕力に負ける。流れるように渦巻く暗緑のローブ、その影から蛇の様に曲がった刃が、クライグの手首を掻き切りに迫る。

 クライグは冷静に持ち手を変え木の棒を剣に見立て防ごうとするが、鍔も何も無い無防備な柄では、手甲も何も無い素手を守る事は出来ない。


「ッデ!? っ……しまった、いつもの癖か……」


 指を刎ねられはしなかったものの、クライグは左の手首を掻き裂かれた。袖口は赤く滴り、満足に握力を発揮出来ず右手のみで木の棒を構え直す。

 しかし痛み以上にクライグの頭には、疑念が過ぎっていた。


「……どうした、向かって来ないのか? 自分で言うのも何だが今のはチャンスだったんじゃないか?」

「…………」


 追撃が来るのなら、ナイフを抜き組み伏せるか蹴りを見舞うかと目論んでいたクライグだったが、刺客の男は何もせず距離を取ったまま様子を見ている。敵意や殺意の類は発しておらず、それは練達故の自在な感情の操作かと考えていたが、落ち着いて観察してみれば妙な点が多い。

 依然森に潜伏している射手は沈黙を保ち、そちらへ注意しているシャルミラは微動だにしていない。手にしている木板を使えば正面からの矢は危な気なく防げるだろうが、それでも間断無く連射すれば彼女か自身のどちらかは矢を受ける事になるだろう。そもそも奇襲の一矢目が足というのもおかしなもの、まるで殺る気が感じられない。

 そして手首に受けた一撃もまた、まるで殺す事を避けている様な…………


「俺達を生かして捕らえたいのか? 見くびってるのか命令なのか……そいつはどういう意図で……」

「…………」


 クライグの言に刺客は無反応のまま、予期していた事態が発生する。

 そもそも真昼間の村の中で大立ち回りをやっておいて、誰かが気付かぬ訳も無いと、この場の皆も承知の上だった。


「お前らいい加減――ってこいつは、剣に……血? ……ダ、誰かああ!!」


 厳つい風貌の労働者。廃屋の裏の物音にいい加減に鬱陶しくなり覗き込むが、思わず野太い声で人を呼ぶ。よく響く声は森に木霊し村中に連鎖し、間も無く自警団か野次馬か、田舎には刺激的過ぎる剣戟の場に群がるだろう。

 出切ればこうなる前に捕えたかったクライグ達と、捕まる訳にも身元を明かされる訳にもいかない刺客達。ローブに身を包む男は睨み合いからジリジリと距離を置き、そのまま森の中へと消えて行った。

 クライグとシャルミラはそれを追わず、少し甘かった見立てを反省する。


「俺が単独だったから勝手に一人だと考えちまったが、射手がいた以上は他にもいるかもしれない。……深追いを避けて一旦帰還、それで良いんだよね?」


 木の棒を捨てながらクライグはシャルミラに確認を取る。一人であるならまだしも更に仲間がいるのであれば、追った所で返り討ちに遭う。この場で捕えるか敵が殺害に固執して居残るのであれば最良だったが、あっさりと逃げるのであればこちらも引かざるを得ない。

 シャルミラはクライグの手傷を労わりながら頷きを返す。幸い傷はそう深くは無く、これならばアメリアの癒やしで直ぐに快癒するであろう。


「この村に宿は一件のみ、尾けられていたのなら今から逃げ隠れするのは無駄でしょうね。早く戻って皆と対策を練りましょう、この場に留まっていては村人達から聴取を受ける事になります。それと…………」


 「次はプライベートでお願いします」淑女はそう言いながら男の手を取り宿へと走り出す。任務や演技であればある程度の仮面を張れるクライグであったが、不意打ちの艶やかな笑みには思わず息を飲み、先程とは真逆に、彼女にリードされながら走る事となった。

 宿に戻ったクライグ達は既に帰り着いていたフィオンとアメリアと合流し、事の報告と対応策を話し合う。他に泊まれる宿は無く既に夕方。ヴィッキーはダークエルフ達の集落に泊まり、明日の朝まで帰って来ない。

 今日の所は夜番を立てて警戒し、朝になったらヴィッキーを迎えに、村の最北西で待機しようという事で話は纏まった。


「曲剣の男と弓矢、最低二人か……ッチ、こうなると色々話が変わってくるが……。いつから尾けられてたんだ……」


 部屋を二階に変えてもらい窓の外を見ながら、フィオンは舌打ちしつつも追っ手に対し頭を回す。直に日が沈む茜射す森、窓からの光は狩人の顔を橙色に照らすものの、影は濃く表情は晴れない。

 クライグの治癒を終えたアメリアも、不安げな顔で相槌を打つ。ここまで上手くいっていたのは、もしかすれば見過ごされていただけではないのかと。


「いつでも対応出来るから今まで放っておかれてたのかな? ハンザさんの所も、もしかしたらバレてて…………もし今は大丈夫でもこのまま戻ったら気付かれちゃうよね?」


 ハンザの元に預けたエルフの老人。クライグはその報告を入れておらず故に王には露見していないと考えていたが、別の密偵に尾けられていたのなら――

 仮にまだ知られていないとしても、このまま帰れば追っ手を引き連れて行く事になり、更に言えば道中の安全さえも保証されていない。順調であった旅路に急に暗雲が立ち込め、部屋の中の空気は(にわか)に重苦しいものとなる。

 だが判明した事は何も悪い事ばかりでは無いと、宿へ戻って来る途中に話し合っていた両名は口を開く。


「差し向けられたのが軍じゃなく刺客って事は、スコットランド伯も王側じゃないって事だ。グラスゴーもエディンバラも直ぐ近くだし、軍が動いてたんならスコットランド領に入って直ぐに捕まってただろう」


 スコットランド伯が王側であるのならば、麾下の第四軍によってフィオン達は捕縛されていなければ辻褄が合わない。グラスゴーの各城門で互いに気付く距離まで接近していたが、まるでその様な動きは無かった。

 クライグに続いてシャルミラも、それを受けての案を出す。敵では無いのならば味方にすべきであり、一行にはそのツテを持つ者が、この部屋にはいないものの存在していると。


「明日ヴィッキーと合流した後にエディンバラに向かいましょう。こうなれば彼女には伯からプロポーズを受けたと言う事を……少々盛る位で使って頂きます」


 ヒベルニアで邂逅の折、紅眼の魔女に一目惚れをした若き辺境伯。つれない態度であしらわれたもののその返事は曖昧のまま、そのカードを以ってこの危地を脱すべきであると、同じ女性のシャルミラは提案する。

 案そのものには同意するものの、フィオン達はどうヴィッキーを説得するかと巡らせながら夜を迎える。幸いな事に、刃傷沙汰を報された村の自警団が夜を徹し動いていた甲斐も有り、平穏のままに朝を迎えた。

 物語は僅かに巻き戻り視点を変え、一行から一人離れ森の奥へと向かったヴィッキーに焦点を当てる。彼女の帰郷の目的は、あくまで魔道の杖を作り直す為だが

――――郷里に立ち返った魔女は、再び戦いの理由を心に刻み付ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー cont_access.php?citi_cont_id=124223369&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ