第104話 スコットランド第二都市、グラスゴー
白雲がぽつぽつと浮かぶ快晴の下、精悍な白馬が馬車を引き石畳の街道を行く。
夏の日差しに曝される馭者は全身を茶のローブに包んだまま、暑苦しく見え汗一つ掻かず、難題を抱えていた。気流と温度の操作を魔法で行う魔女は、手綱を握りながら苦々しい顔で、避けては通れない問題にブツブツとしている。
「どうしたもんか……こんな事になるなんて思っても……。意地でも杖を失くすべきじゃなかったか」
「どうしたのヴィッキー? 何か心配事? ……熱いからローブの中、また入っても良い?」
心配しながらも熱さにダレるアメリアは、去年の様にヴィッキーのローブに避難を求める。とは言え今は馭者席のヴィッキー、危ないから大人しくしておけと少女は額を小突かれ荷台に戻される。
大都市リーズでの宴から丸五日、フィオン達は北への街道を進み、既にグラスゴーは目と鼻の先。治安の良いブリタニアでの旅は穏やかなものであり、道中は情報の整理や考察に費やされ、リーズ候や件の魔獣に対しては暫定的な結論が下されていた。
「やはりリーズ候に対しては敵では無いと見て良いかと。そのまま味方にまで転ずるとは保証出来ませんが、追っ手や監視の類が無く、何事も無く進めている事実は重要視すべきです」
貴重な情報を惜し気も無く渡してくれたリーズ候ガレンスに対し、シャルミラは彼を王側の人間では無いと見ている。仮にフィオン達が彼から聞いた事を漏らしてしまえば、リーズ候の権威には傷が付き大きな混乱も起きかねない。それらを承知の上で機密を明かし更に何事も無く送り出してくれたというのは、疑える余地を残していなかった。
アメリアとクライグもそれに同意しているが、フィオンは何か妙に感じた違和感に後ろ髪を引かれ、煮え切らない態度のまま馬車に揺られている。
「リーズを出た途端にバックリ……とかも考えてたがそれも無えしなあ。俺も大体同感なんだけど…………セレーネだっけ? あの美人のメイドさん……何だったんだろうなあれって」
食べ終わった料理の残骸を、セレーネの足元に落ちた骨を拾い上げたガレンス。
彼の気性のみを考えればおかしな点は無い。自身の不注意で落とした物を自身で拾う。それ自体には穏やかで気前良く懐の深いリーズ候の人間性に合致しているが、それがメイドの足元ともなれば話は変わる。
使用人の足元に跪きゴミを拾い上げる主人の姿。衆人環視の中で見せて良いものでは無く、彼女の仕事を奪う様な行為でもある。それをおくびも無く堂々と行い、双方共に特に何の言及も無いまま済ませた事。見事な一枚絵にも見える程しっくりと感じさせた事が、しつこい違和感となりフィオンを惑わせていた。
「体が弱いとか言ってたし、雑用をさせてるって訳じゃ無いんじゃないかな? 使用人の中には知識や技能を買われて雇われてる人もいるし……そういやそんな事を言ってた様な……」
「だったら最初っから宴に連れて来ねえんじゃねえか? あっちこっち回ってる時も連れ歩いて…………まあ誰も付けずに歩いてたらそれはそれで面目が立たねえだろうしなあ……」
クライグの指摘にフィオンも言葉を返すが、結論は出ずに二人分の唸りが上がるのみ。朧気な靄は晴らせぬまま、馬車はゆったりと道を行く。
リーズ候の言っていた通り旅に魔獣の影はちらつきもせず、王からの追跡やクライグ以外の密偵の気配も無い。依然クライグは王に裏切りがバレていないのか、各地の役所等で魔操具から通信を受けられており、それにも目立った動きや指示は見られないままだった。
間も無く一行の馬車は目的地に至り、そこからの賑わいの声は遠く離れた平原や街道にも響き存在感を放つ。
「あれがグラスゴー? リーズよりは小さそうだけどやっぱり大きいね……あそこがヴィッキーの故郷なんだよ…………ね?」
馬車から身を乗り出しアメリアが見やるのは、ブリタニア北部スコットランド領第二の都市グラスゴー。雄大な古式の城壁に囲われ、東の湾へ続くクライド川を備えた豊かな北領の要。巨大な南城門には行商人や旅人が集い、場外での商売や入場の許可申請を行っているが……
「……? ヴィッキー、城門ならあっちだけど……どうかしたのか? そりゃ東にも城門は有ると思うけど……そっちの方が実家とかに近いの?」
訝しむクライグには無反応のまま、ヴィッキーは手綱を操り右手の道に、グラスゴーを左に見つつ馬車を北上させる。
この近辺に来るのはヴィッキー以外は初めてであり、道案内に関しては全面的に頼むつもりであったが、明らかに様子がおかしい。一行を乗せた馬車はそのまま、グラスゴーの東城門も見送り北西へ、段々と北城門が視界に入ってくる。
察したとばかりにシャルミラが彼女の意図を代弁するが、無言の馭者によって間抜けな声が風に流される。
「なるほど、北城門から入るのですね。確かにそれなら入り組んだ都市内部を抜けるよりは早かったでしょう。しかし何故そんなにも黙ったま…………ま?」
車輪は無情にも淑女の発言を踏み潰し、五人を乗せた馬車は更に北西へ、完全にグラスゴーから離れて行っている。白馬スプマドールはいつも通り手綱に忠実に従っており、沈黙を貫くヴィッキー以外に妙な点は無い。
「なあおい、ヴィッキー? ……何か喋ったらどうだ? グラスゴー行く前に寄りたいとこがあるってんなら、ちゃんと言ってからだな……」
いい加減にしろとフィオンが説明を求めようとするが、正論の指摘には食い気味の抗議が、そのまま逆に何故だか怒られる。
「ッ…………心配しなくてもあたしの故郷に真っ直ぐ進んでんだよッ。……少し考えりゃ解るだろ!? あんなとこ住んでてどうやってダークエルフと接点が出来るってんだい!?」
しかし振り返った魔女の顔は、怒りではなく無くどこか罰の悪そうな、苦虫を噛んだ様に紅玉の左目は歪んでいた。
あんなとこと言いつつ指差された大都市グラスゴー。言われて見れば、城内に住んでいたのならば森の民であるダークエルフ達と接する機会は皆無であり、今までに見知っている彼女の情報と照合すれば、確かに、あんな所に住んでいたというのは色々とおかしな話であった。
「あんなとこ……じゃあヴィッキーの故郷ってグラスゴーじゃなくって……別にあるって事? なんでわざわざ嘘なんか……」
首を傾げたアメリアは悪気の無い追い討ちを仕掛けそうになるが、彼女の心境を察したフィオンはそれを止める。だがそもそもは彼女のしょうもない見栄に端を発するもの、必要以上のフォローを入れる事は無い。
「ぁー……アメリア、今は黙って見守ってて……いや、目を瞑っといてやれ。そういや何かにつけて田舎もんとかどうとか言ってたが……自業自得か」
馬車はそのままグラスゴーから北西へ、森の中へとデコボコ道の街道を辿る。
夏の真っ直ぐな日差しを浴びる深緑の森、少し湿った風が通る木々の隙間から、覗き出すのは森の中の長閑な村。
一行が程無くして到着したのは、グラスゴーやエディンバラへの材木の出荷で成り立つ、林業の村バロック。フィオンの故郷のリークよりは流石にマシだが、どう足掻こうともここの出身であれば、田舎者というレッテルは免れないであろう。
「…………ヴィッキー、私にも田舎者扱いした事無かったっけ? 最初はよく意味が解ってなかったけど……これはどういう……?」
「ッ~~~~……騙ってたのは謝るけどねえ、そいつは本当に覚えが無い冤罪だよ。……ったく、こんな事なら一人で帰って来るべきだった」
少女の訴えは退けられ、フィオン達は宿を取りスプマドールを休ませる。ヴィッキーが言うには杖の作成には一両日掛かり、一人で森の奥のダークエルフ達の集落へ向かうとのこと。その間四人はバロックの村で休養を取り、帰り支度の物資補給や帰路の策定を行う。
クライグとシャルミラは後者、帰り道をどうするかの情報収集を担当し、グラスゴーでの徴用や船の過密具合を聞いて回る。船が使えるのであればそちらの方が日程を短縮出来るが、小さな村での聞き込みはあっという間に、芳しくはない結論を二人に突き付けた。
「これは……帰りも大人しく陸を行く方が良いかもなあ。乗れたとしてもその手間暇に日数を掛けちまったら……結局変わらなくなりそうだ。リーズ領は安全そうだし来た道を戻るだけが良いかな?」
村と森の境い目の様な通り、木陰に腰掛けたクライグとシャルミラは地図を広げて意見を交わし合う。王の密偵として支給されている精巧なものであり、一般に出回っている物より遥かに高精度の代物。
村人達からの話によればノルマンとの停戦に伴い、北部での徴用は日毎に解消されつつあり、グラスゴーや西部沿岸からの船は民間への割り当ても増えているとの事。しかし、馬と馬車まで同乗ともなれば話は変わってくる。
「それが良いかと思います。グラスゴーやアーバインで見つかれば早まりますが、それ以上になれば……逆に日程が伸びてしまいかねません。最初から来た道を、東部の街道を通って行く方が無難でしょう。……リーズ候が敵では無いというのが助かりましたね」
馬車や馬までをも乗せれる船はまだまだ軍も重宝しており、民間に戻されている物は極僅か。商人達にとって死活問題で有り、倍率と相場は跳ね上がっている。
ブリタニア北部と南部を繋ぐ街道は、主要でしっかりとしたものは東部に集中している。西部の海岸線を巡り船が捕まらず、そちらへ戻るという目に遭えば只の無駄足になってしまう。
レクサムへの帰りは再び馬車の旅と、結論を出し腰を上げそろそろ宿へ戻ろうかと頷き合う。
「さて、フィオン達は買出しもう終わったかな? さっき市場でチラッと見かけたけど……」
「終わってないのでしたら手伝いを……そういえばヴィッキーは帰って来るのでしょうか? ダークエルフ達の所に泊まるのでしたら夕食は……!」
立ち上がったシャルミラは、スルッと腕を回しクライグの顔を引き寄せる。仲睦まじい男女の様に絡み合い、耳元に迫った瑞々しい唇に、年上でありながらもクライグはドキマギとしてしまう。
「シャッ……シャル、ミラ? ぇ、いやその……いや決して嫌とかでは無いんだけど、心の準備が……」
道行く人はそう多くは無いが目にした村人は思わず視線を逸らし、恋仲への様々な気持ちを軽く溜め息に乗せる。
しかし、狼狽えるクライグが受けるのは熱い接吻では無く
――――危急の時を報せる冷たい警告だった。
「森の中に不審な人影が、クライグ様の左後方二十メートル程に一人。動かずこちらを見張っています……十中八九、王の密偵と見て間違いないかと」




