第102話 災い転じて
「良い白馬だ、我が軍にもこれ程のものはあまり……おっと、口は閉じてい給え。失礼をする訳にはいかないからね」
リーズ候ガレンスは慣れた手つきで、白馬の鬣や首筋を愛ですっかり上機嫌となっている。撫でられているスプマドールも、主であるフィオン達の心境は察せず、気持ち良さそうに低く穏やかな嘶きを発していた。
フィオン達が道中最も出会いたくなかった、現円卓最強の騎士リーズ候。それが目の前で敵意無く振舞っている様は、背筋を凍らせるには充分なものだった。
「君達は行商人には見えないが、旅人か冒険者というものかな? こちらの美人にはどこで巡り会えたのか、私にも教えてくれないかね?」
「そいつは、ぇーっと…………ヒベルニアのダブリンで偶然……。そこの厩舎の人から譲ってもらえまして……それ以上は俺達もちょっと」
オドオドと答えるフィオンに、ガレンスは爽やかな笑みを向けそれに応える。
フィオンやクライグの事情を知っているのなら間違いなく最悪の敵であり、今の状況は虎の口に飛び込んでいるに等しい。
見て取れる気配に危ういものは見られないが、演技かもしれないと疑っているフィオン達にとっては気が気では無い。その腰の軍刀と周りの兵士達の槍が、いつこちらに向けられるのかと目を血走らせ、荷馬車の四人は見えない様に、得物と共に覚悟を握り締め――――
「――――閣下、お時間の方がそろそろ……明日には王都に発たねばなりません。領都の政務も滞っております」
近衛の一人が主であるガレンスに声を掛ける。臣下としてその態度に瑕疵は見られないが、どこかその声音は、冷たい色を帯びていた。
声を掛けられた主は、その様子に特に反応する事は無い。
「おや、もうそんな時間かね。では彼らに何か……と言っても金品は先に送ってしまったか。ふむ、手ぶらで帰してしまう訳にも……」
「い、いえいえお構いなく! 俺達は別にそんな褒美とか……ちょっと先を急いでますんでこれで失礼を……」
ガレンスは謝礼に関し考え出すが、フィオン達としては一刻も早くこの場を立ち去りたい。とは言え、ガレンスが馬車の前を退かなければ動く事も出来ない。
ガレンスは困った様子で一行に目を這わせるが、フィオン達としてはどこか品定めされている様な、まな板の上に置かれている様な心地。ここまでは何事も無く穏便に進んでいるが、どこに不運が潜んでいるか解ったものでは無い。
ヒベルニア、ダブリン、南から来た冒険者風の者達。リーズ候は得られた情報につぶさに頭を巡らし、考えは一つの予想に行き当たる。そのまま爽やかな声で、フィオン達の心を丸裸にする。
「ひょっとして君達は……エクセター戦で従事していた傭兵ではないかね? 戦に一区切りが付いて暇を出されたとか、私もその隙にこちらに帰って来た口だが」
「ぇ? ぁ、えっと…………そう、ですね。少し前までウェーマスの方に……その後は別の戦地に行ってましたが……そいつがどうか、しましたか?」
ずばり言い当てられてしまい、動揺を顕にしてしまったフィオンはそのまま包み隠さず明らかにした。無理に隠し通そうとすれば怪しまれると、ならばせめて相手が不穏を疑わぬ内に、はっきり喋ってしまう方が良いと考え。
答えられたガレンスは「ほぉ……」っと思わせ振りに呟き、候としての褒美と実益、双方を兼ね備えた良案を出す。
「現地の情報は魔操具で受け取ったが何とも簡素なものでね、詳しい情報を知りたいと思っていたのだよ。今夜リーズで私の帰還を祝い宴が催される。君達をそこに招待する事で謝礼とするのはどうかな? 無論、宿から何まで全てこちらで……そして私も貴重な情報を得られる、悪い話では無いと思うのだが?」
「え? 宴って……いや、ちょっとそれは、何とも……?」
思っても無い話にフィオンは答えに窮し、背中を突つかれて後ろを見やる。
振り返った先にはヴィッキーが、虎の口に入ったのならばいっそ虎子を得ろと、受け入れてしまえと囁いてくる。
「やる気があるならスプマドールを奪われてとっくにやられてる筈だ、宴を台無しにする様な事もわざわざしないだろう。……願っても無い話だ、こっちも情報を引き出す好機だよ。失敗しても旅費が浮くってもんさ」
「こんな時まで金の話してんじゃねえッ。…………わーった、こうなったらなる様になれってんだ。やってやろうじゃねえか」
腹は決まったと、フィオン達はリーズ候ガレンスの招きに応じ大都市リーズへと同行する。今回の戦争、カリングとノルマンの戦線から最も遠い地に在りながら、多くの恩恵を得ている一大都市。ブリタニアの南北を繋ぐ絢爛な都市には行商人を中心に多くの人と物が行き交い、それは利益と賑わいを齎していた。
フィオン達は候から手配された宿で体を休め、宴までの時間を過ごす。普段よりも上等な宿であり、五人分の個室と大部屋一つまでをも用立てられた。
「妙な事態になっちゃったけど……俺は軍人って名乗りでなくても良いよな? 後でバレちまったら面倒な事になりそうだけど、このまま隠し通せるならその方が良いだろうし」
五人は用意されたゆったりとした絹の衣装に身を包み、大部屋にて寛ぐ。説明によると酒宴は肩肘を張ったものではなく気楽なものであると言い、既にこの宴席を逆に利用しようという覚悟は出来ている。
クライグとシャルミラも傭兵であると思われており、身元は依然バレていない。
リーズ候が何かに気付いた様子は無かったが、明かすか伏せるかはどちらも一長一短。一頻り意見が交わされた後、結論は伏せで意思統一される。
「王の密偵とは知らねえ様だし、他軍団の尉官を一人一人覚えてるって事は無えだろ。バレたら名乗るタイミングが無かったとかで誤魔化せば良いさ」
フィオン達はリーズに至るまで馬車を第二軍団に付き添われてはいたものの、リーズ候との接点は陣の中での一幕のみ。
ガレンスは騎馬で移動中にも政務か軍務か、大量の紙束に目を通しながらのものであった。スプマドールを愛でていた際の部下の催促通り、仕事が立て込んでいるというのは本当の様である。
「クライグ様は首席卒業ですので一応偽名を使うべきかと思います。候であれば士官候補生の割り振りや引き抜きにも関与していますし、もし名前を覚えられていては面倒です」
「偽名、か。……ン゛~~~~……考えておくか。シャルミラ、ちょっと手伝ってくれよ。やっぱこういうのって頭文字は同じに……」
クライグとシャルミラは偽名に関して考え出し、残った三人は引き出したい情報を、机を囲み案を出し合う。
諸々を鑑みるに、宴席に於いてリーズ候とゆっくり話せるかは不明瞭。只でさえ多忙を極める身であり、当然ながらフィオン達以外にも話を交わしたい人物は山程いる。向こうからエクセターの戦いに関し聞きたいという以上、好機は必ずや回ってくるが、こちらから話を切り出せる機会はそう多くないと考えるべき。
ヴィッキーは求めるべき事柄を書き出し整理するが、具体的にどう聞くかの方法は、直ぐには出ない。
「異形の魔獣、エルフ、魔獣が入ってるとかいう魔操具……王が何考えてるかってのが一番だけど、漠然とし過ぎてるね。率直に聞けば怪しまれるし回りくどく聞いてる時間は無いだろうし……思ったより面倒だねこいつは」
「そもそも知ってるかどうかも……リーズ候ってどれ位偉い人なの? 候や伯って……王様を合わせて六人だっけ? 偉い人の方が色々知ってるよね?」
ドミニアには王の他に、候が三人と伯が二人、計六人が六地域を管轄し治めている。元々は王が一手に権限を握る絶対王政であり、各地の候伯はあくまでその手足に過ぎなかったが、長い年月を経た今ではほぼ独自統治にも近い。
現円卓の内部での力関係は本人同士にしか与り知らぬ領分だが、一般市民でも知っている常識の範疇で、リーズ候ガレンスの名声は王であるウォーレンティヌスを遥かに凌ぐ。
「そりゃあ偉いさ、リーズ候の方が王より人柄も人気も……実際会うまでは俺も眉唾だったけどありゃ本物だな。多分今の円卓で一、二位のどっちかだろう。王の考えを全部知ってるかは解んねえが……色々知ってんだろ立場上よ」
「……悪い人には見えなかったけど、立場、かあ……。そういえば一番最近まで王都にいたのもあの人だっけ。なら本当に、知ってるのかもね……」
今までにフィオン達が会って来た候や伯は、直接の接点を持ったヒベルニア辺境伯イーヴァンとリーズ候ガレンス、遠目に何度か見た事がある程度ではエクセター候レーミスとウェールズ候ベドウィル。
彼らに関しても未だ灰色の部分は多いが、一先ずイーヴァンだけは味方であろうと思われる。命を助けられた上ヴィッキーに求婚まで行い、それらが演技か思惑があったのならば人間不信に陥りかねない。
尚、当の熱い想いを捧げられた魔女は、彼の事をそう重くは見ていなかった。
「クライグの情報だとイーヴァンの奴はエディンバラにいるんだっけ? あいつに色々聞くって手が…………いや、多分何も知らないか。中央からは遠いし父親の内紛を考えれば……ったく、何も使えないだろうね」
「…………」
「…………」
イーヴァンへの無言の同情が募りながら、宴席での打ち合わせが進む。
やがて話の方向は、直接も回りくどくも出来ぬのならば、一芝居打つかと転がっていく。聞くべき事も魔獣と王の思惑に絞られ、役割分担やガレンスを引き止める算段が練り上げられる。
「……そういえば、リーズ候の祖先…………円卓の騎士ガウェインはモードレッドが原因で亡き者になったとか。……まあ、あくまで物語の話ですけれど」
「脅かす様な事ボソっと言ってんじゃねえッ、物語の話だってんなら大ジイは冤罪だし俺にも関係ねえ! ……いや待て、向こうが物語を信じ切ってたら……つーか殆どの人はそう思ってて……面倒臭えもん抱えちまったもんだ」
シャルミラの独り言に噛み付くフィオンだったが、どちらにせよ何かしらの尻尾を捕まれれば全てが破綻する。彼らが虎の口に入っている事には変わりない。
程無く夕刻を過ぎ、迎えの馬車に乗り一行は宴席の場へ。
大都市リーズの中央、広場を全面に使っての酒宴。芳しい香りと仄かな酒精、陽気な喧騒が舞い踊る中で、策謀に満ちた杯が酌み交わされる。




