体に刻まれた決意
一方ヤツハは、カイル同伴ではなく、たった一人で戻ってきたシリウに違和感を感じていた。
「カイルはどうしたの? それに、ラディンもさっきそっちへ走っていったみたいだけど、会わなかった?」
ヤツハが尋ねると、シリウはただ哀しげな笑顔をみせた。
「? 何かあったのか?」
まだそこに居たサクはだいぶ眠気も覚めて、小屋の壁にもたれたまま夜風を気持ち良く感じていた。
「とにかく、カイルとラディンを探さなきゃ。 夜の森は危険だわ!」
違和感を感じたヤツハが不安にかられ、森に走っていこうとすると、前方から物凄い勢いで走ってきた影と遭遇した。
「キャッ!」
ヤツハを巻き込むように走り込んできたのはラディンだった。
「シリウ! てめえ!」
と言いながら、そのままの勢いでシリウに飛び掛かり、その頬に拳を叩きつけた。
「んっ! なんだなんだっ?」
「どうしたのよ? 二人共っ!」
驚く二人に気も使わずに、シリウに馬乗りになってなお殴りかかっていこうとするラディンを、慌てたサクとヤツハは二人がかりで引き離した。 サクに羽交い締めにされたラディンは、暴れながらシリウを憎しみのこもった熱い瞳で睨み付けていた。
「なあヤツハ! 一体、何がどうなってんだよ?」
「あたしにも分からないわよ! ラディン、落ち着いて!」
わけの分からないサクとヤツハは、ただただラディンとシリウを見るしかなかった。 ラディンは、シリウに向かって怒鳴った。
「シリウ! 服を脱げ!」
「「えぇっ?」」
サクとヤツハは驚いてラディンを凝視した。
「何言ってんのよ?」
「血迷ったのかっ?」
だがラディンは、シリウから視線を外すことなく言った。
「皆にも見せろよ! その背中!」
サクとヤツハはシリウを見た。 シリウは口元に滲む血を拭きながらうつむき、座り込んでいる。
「どうなんだ、シリウ! カイルにしか見せられないのかよ? 俺たちは仲間じゃねーのかよ?」
叫ぶラディンの怒りで火照った熱が、その体を押さえているサクにも伝わっていた。
「ちょ、ラディン、落ち着けよ!」
サクは自分より少し大きなラディンの体に隠れながらも、必死で捕まえている。 ラディンは背中に張り付いているサクに言った。
「落ち着いてなんかいられるかよ! カイルの気持ちを考えろ!」
「カイル? カイルに何かあったの?」
驚いたヤツハはラディンを見た。 そういえばカイルの姿がまだ見えない。 ラディンはシリウを睨んで言った。
「シリウの背中を見れば分かる!」
「おい、シリウ! お前の背中に何があるんだよ?」
理解できないままのサクが、ラディンの背中から覗くようにシリウに尋ねると、彼は静かに立ち上がった。 サクとヤツハが息を飲み、ラディンの荒い息づかいのなか、シリウは後ろを向くと黙ったまま衣服を脱いだ。
「! はっ!」
思わずヤツハが両手で口を押さえた。 何か分からない奇声を叫んでしまいそうだったからだ。 目の前で月明かりに浮かび上がったシリウの背中は、悪魔と天使の羽根が占領していた。
「な……なんだそれは……?」
驚きの余りにサクの両手から力が抜けたが、ラディンはそこに立ち止まったままでいた。 ラディンもまた、シリウの背中に刻み込まれた羽根模様のタトゥに衝撃を受けていた。
「間に合わなかったのか……」
ラディンはキトの言葉を思い出しながら、力なくヒザをついた。
次の瞬間、ヤツハは弾かれたように森の中へと走っていった。 誰もヤツハを追わなかった。 サクもラディンも、ただただシリウの背中に視線が張り付いたままだった。
しばらく背中を月明かりに晒していたシリウは、無言で衣服を戻した。
「どういうことだよ、それ?」
サクのかすれた声が静かな木々の間に響いた。 そして
「何したんだよ? その体!」
と言いながらシリウに近づくと、その両肩を掴んだ。 理解できない痛みがサクの中をかきむしっていた。
「何か言えよ! シリウ!」
サクに揺らされるままになっているシリウを見兼ねて、ラディンがゆっくりと立ち上がり、再び拳を握った。
「あんたが自分の体に何をしようが俺には関係ねえ。 だが、カイルを悲しませることに関しちゃ、許すわけにはいかねえ!」
シリウは何も言わずにラディンを見た。 その顔を目がけてラディンの拳が襲った。
「待て!」
ラディンの拳はシリウの鼻先で止まった。 振り向くラディン。
そこには、カイルが走り込んできていた。 その横にはヤツハもいる。
「カイ……ル?」
「やめろ、ラディン」
息を荒げながらも静かに言うカイルに、ラディンは唇を噛みながら拳を収めた。 カイルはシリウに近付き、サクをそっと引き離した。
「カイル! どういうことだよ?」
カイルは少し微笑んで首を横に振った。
「……皆、シリウを信じてやってくれ!」
カイルの言葉に、一同唖然とした。 シリウまでもが、思っても居なかったカイルの言葉に驚いていた。
「その代わり……」
カイルはシリウを見上げた。
「俺たちにちゃんと話をしてくれないか? 一体何があったのか! その背中のタトゥは何なのか!」
シリウは素直に頷いた。
五人は再び小屋の中に入り、シリウを囲んだ。 皆、シリウの言葉を息を飲んで待っていた。
「本当は、会ってすぐに打ち明けるべきでしたが……懐かしい皆さんの顔を見たら、どうしても言えなかったんです」
シリウは切ない顔をしたが
「でも、今から全てを話します。 どうか、僕を信じてください」
と覚悟を含んだ口調で言った。 一同は静かに頷いた。
「僕はある情報網から、ハアヤ村には命を掴むことが出来る術があるということを知りました。 それを確かめるために、ハアヤ村のゼド・シャーマンという人を訪ねました。 そこで僕は理由を話して、その術を施してもらったのです」
「命を掴むって?」
ヤツハが尋ねると、シリウは
「ガラオルの中にあるヤツハのお父さんを助ける為に、どうしても必要なんですよ」
と微笑んだ。 ヤツハはため息をついた。
「あたしの為に……?」
カイルはヤツハを見つめると、守るようにその肩を優しく抱き締めた。 シリウは小さく頷き
「それもありますが、それともうひとつ。 自分自身の為でもあるんです」
「シリウには関係ないだろ?」
サクは首をひねった。 シリウは首を横に振った。 そして少し戸惑いながら言葉を選んだ。
「僕には、家族を見殺しにした過去があります」
「えっ?」
それは誰も知らない話だった。
「僕は、自分の家族が死に逝くのを冷たい目で見ていました。 それは、自分の信じた正義の為だった。 今となっては、それもただの言い訳にしかなりませんけど……」
黙って聞いているヤツハの瞳には涙が溢れそうだった。 サクとカイルはシリウをじっと見つめ、ラディンは横を向いていたが、耳だけはしっかりとそばだてていた。 シリウは、多分初めて人に話すのであろう自分の過去を話しはじめた。
「僕の父は、国の保安に携わる仕事をしていました。 その上司が、税金を裏金として横流ししていたことを知り、父は訴えようとしたんです。 ですが、父は実行に移す前にこの世から居なくなりました。 組織に気付かれて、口封じの為に暗殺されたんです。 父の亡き後、部屋から見付かった日記が、すべてを語ってくれました。 母や僕には何も伝えずに、自分だけですべてを終わらせたかったようですが、その願いは、死んだ後に叶いました。 僕は裁判を起こし、父の日記を差出し、全ての真相はここにあり、これを最大の証拠として提出しました」
シリウの話はこれで終わらなかった。
「色々な人の助けを借りながらも、裁判には勝ちました。 でも僕は、そのままでは終わりませんでした。 僕は、どうしても父を殺した相手を許すことは出来なかった。 彼らは、罪は罪として償いました。 でも、僕の中で納得はいっていなかった。 正義が殺されたのを、どうしても許せなかったんです。 僕は母と弟が眠る部屋に火を付け、真っ赤に燃える窓ガラスを、外からじっと見ていました。 そして誓った……必ずこの思いを果たすと……」
「ひどいよ、シリウ……なんでそんなことを! 家族は関係ないじゃない! どうして自分の家族を……」
ヤツハは顔を真っ赤にして涙を流していた。 ヤツハには理解できない苦しみにもがいていた。 それは、そこに居るシリウ以外の心がそうであった。 シリウは静かに答えた。
「復讐の為です。 僕が復讐に動けば、家族に迷惑がかかると思ったからです。 僕のすることに、悲しむ人があってはいけなかった」
「!」
カイルの全身を衝撃が走った。 カイル自身、復讐に身を置いて生きている。 だが、シリウのそれは、カイルのモノとはまるで違っていた。 シリウは、家族の復讐の為に、自分の家族を消したのだ。
ヤツハは涙を拭きもせずに、叫ぶように言った。
「何故そんなことが出来るの? 家族は、なにがあっても離れちゃいけない! どんな理由があろうと!」
その肩を抱き締めながら、カイルもぎゅっと目を閉じた。 溢れそうな涙をグッとこらえた。 シリウは少し俯いたあと、顔を上げて微笑んだ。
「僕は復讐を果たしました。 誰にも知られずに、夜の闇に紛れながら復讐は無事に遂げることができました。 そして、家族の下に行くつもりでした。 あの時は、復讐を果たせば、家族は僕を褒めてくれると思っていました。 けど、その時になって気付きました。 血に染まった部屋、倒れている人々、そして人の命を終わらせた感触、全てが僕に教えました。 おろかな事をしたと……きっと死んだ後もし家族に会っても、叱られるのでしょう……逆に生き永らえるのは苦しすぎる……。 だから、この罪を背負いながら、少しでも仲間の為に行動を起こしたい。 仲間の笑顔を見たいんですよ。 僕なりのやり方で」
シリウは息をついて口を閉じた。 小屋の中が重苦しい空気に包まれた。 ヤツハのしゃくり上げる声が小さく響いていた。 それを打ち破ったのはサクだった。
「で、それは取れるんだろ?」
やけに明るい声が不似合いに響いた。 シリウは驚いたようにサクを見つめたが、やがて微笑んで頷いた。
「はい。 ゼドは僕の将来を心配し、事が無事に終わった時には必ずまた術を解きに来ると約束しなければ、術を施さないとまで言ってくれました。 ガラオルの件が終われば、僕たちの旅は終わる……そうなったら、背中の羽根は消してもらうつもりですよ」
「そっか! じゃ、安心だ!」
「サク!」
まだ涙を流しているヤツハが、あまりにあっけらかんとしているサクに納得がいかない様子で睨んだ。
「そんなに簡単に信じていいの? そのゼドっていう人だって、得体の知れない人じゃない!」
「お前、シリウのこと信じられねーのか? 仲間のこと、信じられねーのかよ?」
サクは、それこそ信じられないといった顔をした。 ヤツハははっとした顔をしてシリウを見た。 彼もまた、ヤツハを優しく見つめ返していた。
「そうよね……シリウはずっとあたしたちの仲間なんだもの。 嘘を言うはずが無いわよね」
その時、ラディンは静かに立ち上がって外に出ていった。
「ラディン?」
ヤツハと共に静かに閉められた扉を見ていたシリウが、立ち上がって外に行こうとした。
「シリウ……」
カイルが心配そうな顔をすると、シリウは微笑んで言った。
「大丈夫ですよ。 もう騒ぎは起こしませんから。 僕は全部話しました。 何か疑問に思うことがあれば、何でも聞いてください。 僕はもう何も隠しませんから」
小さく手を挙げて、シリウはラディンの後を追って扉を静かに閉めた。
「大丈夫よ……」
今度はヤツハが、カイルの肩を抱き締めた。 それでもまだその瞳には涙が残っている。 俯くまつげが小さく震えていた。
「ん……」
カイルはヤツハの気持ちを嬉しく思いながら、心配そうに扉を見つめていた。 サクはゴロンと寝転ぶと、じっと天井を見つめた。