卒業試験2
「サク、終わったみたいだな」
控え室で精神統一をしていたカイルがそっと目を開けて呟いた。 少し離れた所で、ヤツハも心を落ち着かせていた。
「次はあたしね!」
ヤツハは緊張を振り切ろうと、飛び跳ねるように勢い良く立ち上がると、カイルに微笑んだ。
「じゃ、行ってくるわね!」
軽く手を上げ、ヤツハは闘技場へと向かった。
「頑張れよ。 君なら大丈夫だろうけど」
呟いたカイルは、再び目を閉じて瞑想を始めた。
「ヤツハ・キナソン! 前へ!」
ヤツハはスタスタと闘技場に歩み出た。
その時
「せんぱーーい!」
一際甲高い声が、ヤツハの耳に届いた。 その方を見ると、大きく手を振っている後輩サリナの姿が見えた。 ヤツハは答えるようににこりと笑って小さく手を振ると、少し緊張した面持ちで対戦相手を待った。
「対戦相手、前へ!」
審判員の声で鉄格子が上がり、暗がりから一つの影がゆっくりと現れた。 やがて明るみに出ると、全貌が明らかになった。
「やだ、気持ち悪いっ!」
対戦相手を見た途端、ヤツハの全身に鳥肌が立った。 目の前に現われたのは、プラナァル系の幻獣だった。
名前こそ可愛いが、その体はヌメって黒光り、骨無しで手足もない容姿。 前方と思われる先端の両側についている黒い目が、ギロリとヤツハを確認した。 足跡の様にキラキラとしたヌメリを残しながらゆっくりと迫るプラナァルに、ヤツハは思わずたじろいだ。
「な、なんで、よりによってこんな奴なのよ?」
出来るなら華やかに片を付けて終わらせたかったと、若干の悲しみを感じながら、ヤツハは仕方なく身構えた。 プラナァルはヤツハの体の半分くらいの大きさで、あまり動きも早くなさそうだった。
「始めっ!」
審判員の声と同時に、ヤツハは闘技場の端にある武器棚へと走り、出来るだけ距離を保てるように長い細剣を手にした。
「さあ、いくわよ!」
ヤツハは剣を構えて向かっていった。 すれ違いざまに剣をプラナァルに突き立てると、一瞬刃を包み込むような柔らかい感触の後、その細長い体は一刀両断された。
「やった?」
ヤツハは振り向いて、プラナァルの様子を見た。
二つに分断されたプラナァルはヌメる体を動かしてしばらくもがいていたが、やがて動かなくなった。
「やったぁ!」
サリナの甲高い歓喜の声が響いた。 周りの生徒たちはあっけない終わり方に騒ついていた。
だがヤツハは固い表情で再び剣を構えた。
「まだよ……」
プラナァルの気配が消えていないことに気が付いていた。
「ヤツハ先輩?」
サリナは、いまだに身構えて動かないヤツハにただならない気配を感じた。 すると、あろうことかプラナァルは再び動き始めた。 動くどころか、プラナァルは二つの体になって再生したのだ。
「なんてことよ!」
ヤツハを、二体のプラナァルが襲い掛かる。
「いやぁっ!」
体が小さくなったことで、プラナァルの動きは若干早さが増していた。
「気持ち悪いっっ!」
ヤツハはほぼ泣き顔でプラナァルを切っていったが、切られるたびにその体は倍になって増えていく。 気が付くと、ヤツハは数十体の小型プラナァルに囲まれていた。
「マジでヤバいよね、これ……」
冷や汗がヤツハの頬を伝った。
「これしかないかな……」
ヤツハは両腕を交差させた。
「眠ってもらいましょう! 百花眠々(ヒャッカミンミン)!」
気をため込んだ腕が広げられると、紫色の花びらと共に風が生まれ、プラナァルたちを包み込んだ。 その途端に、せわしなく動いていたプラナァルの動きが止まった。 眠ってしまったのだ。
同時に、観戦していた生徒の何人かも眠ってしまった。 まだ実力がついていない生徒にも効いてしまったようだ。
「剣が利かなきゃ、邪魔だわ!」
ヤツハは剣を投げ捨てると、腕を上げて半月を描いた。
「これで終わり! 貧血になるからあまりやりたくないけど、最後だから特別ね! いくわよ! 月下海馬!」
ヤツハの体から蒼い気が放たれ、それは波となってプラナァルたちを押し流した。 気の波に飲まれ、翻弄される体は次第に小さくなり、やがて溶けるように消えてしまった。 波が消えると、闘技場にはヤツハ一人が残っていた。
「勝負あり!」
審判員が腕を上げた。 その途端、闘技場を囲む生徒たちの歓声が響き渡った。 その声でやっと目を覚ました生徒たちもいた。 予想通りに貧血でふらつくヤツハが精一杯の笑顔でサリナを見上げると、涙を溜めた彼女は大手を振って喜んでいた。
カイルはゆっくり目を開けた。 遠く歓声が聞こえる。 ヤツハの勝利を感じ取ると、小さく微笑んでゆっくり立ち上がり、静かな控え室を後にして闘技場へと向かった。
「カイル・マチ。 前へ!」
カイルはゆっくりと闘技場に進み出た。 生徒たちは、シリウに次いで優秀な成績を保ち続けているカイルの雄姿を見届けようと、歓声と共に見守っている。 カイルはそれを気にすることなく立ち、対戦相手が出てくる檻の鉄格子を静かに見つめていた。
「対戦相手、前へ!」
カイルと生徒たちは、重く響きながら上がる鉄格子の向こう側に目を凝らした。 だが……
「なんだ? 出てこねえじゃねえか!」
「シャルサム教官も、三体連続で幻獣をだすのはやっぱ、大変なんだよ」
「そうだよな、幻獣を創り出すこと自体、高等技術だもんな! 一体だけでもすげーよ」
生徒たちの騒つきのなか、カイルの目の前には上がり切った鉄格子とその向こう側の暗闇しかなかった。
「対戦相手は、カイルに怖気づいたんだ!」
誰かが叫んだその時
「始め!」
と審判員が号令を出した。
「何でだ? 何も居ないじゃないか!」
生徒が叫ぶように言った一瞬後、カイルは目の前に剣を構えて力をこめていた。 踏張る足元は、次第に後ろに押し戻されている。
「シャルサムも、いやらしいのを出してきたねえ……」
観覧席の後ろの方で、腕を組んだミランが椅子に座り足を組んだまま呟いた。
「擬態か……」
カイルは唇を噛むと、剣を持つ手に力をこめた。
「はあっ!」
振り切ると剣にかかる重さは消え、相手は離れたようだった。
「周りに合わせて自分の色を替え、まるで透明に見せる。 動きに合わせて、その色も微妙に素早く変える……」
分析しながら呟くカイルに
「なるほど、さすがに順応が早いな。 その通りだ。 ポイズ。 擬態幻獣だ」
とシャルサム教官が感心したように目を細めた。
「なんだ? 全然見えないぞ!」
生徒たちの大半は、ポイズの姿を捕らえられずに目を泳がせている。 まるでカイル一人だけで演武をしているかのように見えるのだ。
「特別難しい相手を当てるとは……シャルサムもカイルを高く評価している証拠だ」
ミランは静かに呟きながら、煙草に火を点けた。
「ここは禁煙じゃよ」
声と共に、隣から小さな缶皿が差し出された。 驚いて顔を向けると、ファンネル所長が微笑みながら立っていた。
「あ……すみません!」
慌てて缶皿を受け取り、火が点いたばかりの煙草を揉み消した。
「心配じゃろうが、あの子は大丈夫じゃよ」
ファンネル所長は、ミランの隣に座った。
「これまで本当によく耐えてきた。 あの子が一番入学してから変わった所は、自分を解放することが出来るようになった所じゃな」
「所長……?」
ファンネル所長は、目を細めて髭をさすった。
「先に卒業したシリウも、サクもヤツハも、本当によく成長してくれた。 あの子たちは、ソラールの誇りじゃ」
「ええ。そうですね」
ミランは微笑みながら、目の前で戦っているカイルを見つめた。
「いつかは皆、旅立っていく……」
「ミラン、あなたも、カイルをよく守ってきたのう」
「えっ?」
「わしは、いつバレるかとワクワクしておったのに」
楽しそうに笑うファンネル所長に、ミランは目を丸くしていた。
「知って……いらしたんですか?」
ファンネル所長は、目を細めた。
「それくらい分かるわい。 ここに入りたがる子たちは皆、心に何かしらを背負っておる。 責任であったり、遺恨であったり、絆であったり……それぞれ違う思いのもとに、集まって来ておる。 そうして、自分を押さえきれなくて自滅していった生徒も、何人も見てきておる。 隠し事もあって当然じゃ」
ミランはカイルを見つめた。
「あの子は過去をずっと一人で抱え、一人で解決しようとしていました……私は、それを見守る事しか出来なかった」
「立派に成長したものだ」
ファンネル所長は、嬉しそうにカイルを見つめた。
当のカイル本人はそんな会話を知るはずもなく、剣を構えて防戦の一方だった。
「姿は見えても、こう速くては受けるのが精一杯だ……!」
わずかな色の変化を捉え、迫る手だか足だかを避けたり受ける事に集中していたが、さすがに体が悲鳴を上げはじめていた。 一瞬遅れてしまう攻撃は、ポイズに当たる気配も無い。
「くっ!」
体を回転させて距離を取り、一呼吸置いたカイルは、体に受ける傷が打撃によるものだと気付いた。
「そうか……」
カイルはにやりと笑うと、おもむろに手にしていた剣を自分に向けた。
「なっ! 何を?」
ミランが乗り出す先には、自ら手足を傷つけ始めるカイルの姿があった。
「何をやってんだ?」
「気でも狂ったのか?」
生徒たちが口々に騒めきだす中、遂に剣を地面に投げ捨てたカイルの手足からは、赤い雫が伝い落ちていた。 激痛に耐えながらも、カイルは少し口角を上げていた。
「これでいい……はああっ!」
気合を入れて、ポイズに向かって走りだした。 そして、攻撃は肉弾戦となった。 攻撃をするたびに、カイルの体から赤い飛沫が舞う。
「カイル!」
ミランが立ち上がりそうになるのを、ファンネル所長が制した。
「まあ、待ちなさい」
「でもあのままでは……!」
心配気なミランとは対照的にファンネル所長は落ち着いた様子で、目を細めたまま微笑んでいた。 カイルの手足から飛び散った赤い飛沫は地面にも点々と落ちていたが、やがてカイルの前には赤い固まりが姿を現していた。 カイルはその赤い塊と戦っていた。
「だいぶ姿がはっきりしてきたな!」
ミランが思わず叫んだ。
「なんてことを! 自分の血液で、相手の姿を浮かび上がらせるなんて!」
ポイズは驚いたように後退りして、自分の体を見回した。 ポイズは、カイルと変わりない姿をしていた。
「手間をかけさせやがって……これで終わりだ!」
カイルは拾い上げた剣を上段に構えた。
「はあぁっ!剣舞四奏!」
カイルが振り下ろした剣から気が放出し、 ポイズ目がけて襲い掛かった。 それは逃げる暇さえ与えずにポイズを飲み込み、切り刻んだ。
「勝負あり!」
審判員の腕が上がった。
沸き上がる歓声の中、地面に剣を突き刺してもたれるように立つカイルの瞳には、それでも満足気な熱い輝きが宿っていた。