さよならは言わない……卒業
ソラール兵士養成学校卒業希望生たちは、最後の試験に挑む。
これに合格しなければ、卒業を認められないのだ。 今回の卒業希望者は、シリウを含めて五人居た。 次々に名前を呼ばれ、試験に臨んだ。 普段の実技試験よりも難しい卒業試験に苦戦しつつも、どうにか卒業の道を手にした。 闘技場の中は興奮の熱気で溢れていた。
残すはシリウ一人となった。
「シリウ・ソム・イクシード。 これより卒業試験を行う! 闘技場中央へ!」
試験官のアナウンスに従い、シリウは闘技場の中央まで歩み行くと、ゆっくりと周りを見渡した。
闘技場を取り囲む傍観席には、卒業試験を見守る生徒たちで埋まっている。 勿論その中にはサクたち仲間もいる。
三人共に余裕の表情で座っていた。 皆、シリウの勝利を信じているのだ。
シリウは仲間達に見守られている安心感、そして、最後の闘技場を名残惜しむかのようにゆっくりと仰いだ後、指先でそっと眼鏡を上げた。
「対戦相手、前へ!」
審判員が言うと、闘技場の正面にある大きな鉄格子が重い音を立てて上がり始めた。 シリウの前に、シャルサム教官によって召喚された幻獣が姿を現した。
全身を厚い殻に包まれ、節足動物のような形をした巨体から突き出る二本の触覚のような先には、小さな球体が揺れている。 四本の長く頑丈そうな足が、地面を突き刺すように立っている。
「あなたが最後の相手ですか」
シリウの頭の中で数々の情報が動きだす。
「ガラナサの類でしょうか。 属性、無し。 弱点、特に無し。 対応するすべは、速さ。 さすがに卒業試験ともあれば、少々厄介ですね……」
シリウはあまり面倒でもなさそうに表情を変えぬまま、身構えた。 ユラユラと動いていた幻獣の球体が、シリウを捉えたかのように止まった。 シリウの三倍はあろうかという巨体から、堅い甲羅に包まれた太い足が振り下ろされた。
「速い!」
生徒の誰かが叫んだ。
卒業試験に出現する幻獣は、普段の試験よりも数倍強く、クセの強い幻獣が召喚される。 卒業希望者の心を試すことと同時に、外の世界へ出ることへの背中を押すためだ。 普段の実技試験に出てくる幻獣と似た姿をしていても、その実力は予想外なことが多い。
幻獣が振り下ろす足が土煙を巻き上げる中、シリウは涼しい顔で軽々とその攻撃を避け続けている。
「すごい……でも逃げ回ってるだけじゃ……」
生徒たちは息を飲んでシリウを見守っていた。
堅い甲羅には剣も通じない。 切っ先を手入れしている剣だとて、小さく火花が散る程度で傷ひとつ付けられない。
全身をドス黒い鎧で覆われた幻獣は、今日の卒業試験対戦相手の中では屈指の強敵のようだった。 シャルサム教官も、学校一優秀な生徒が卒業とあって、力も入っているのだろう。
シリウは攻撃を避けながら、冷静に様子を見ていた。
「どうやら、関節の辺りはガードが弱そうですね……」
シリウは堅い甲羅を繋ぐ関節に狙いを定め、足の付け根を目がけて懐に忍ばせておいたナイフを投げた。 風を切り裂いて放たれたナイフは、苦い音と共に関節を貫通した。 同時に、今までせわしなく動いていた足の動きが止まった。
「当たり、でしたね!」
シリウは動きの止まった一瞬を逃さず、幻獣の体を駆け上がると、小さな頭の首根っこに剣を突き立てた。
「いきます! 針剣華!」
シリウの気合と共に剣を通じて念が送り込まれ、その身体は内部から膨らみ始め、幻獣はまるで風船のように破裂した。
「わあああああっ!」
粉々に砕け散った殻の鎧と体液が降り注ぐ中、歓声と悲鳴が闘技場を包んだ。
いつもと変わらぬ表情で、けれども少し満足げな柔らかい目で見上げるシリウの視線の先に、笑顔で喜ぶサク、ヤツハ、そしてカイルの姿があった。
「ゆっくりしていけばいいのに……」
カイルは開け放たれた部屋の扉に寄りかかって、身仕度をしているシリウの後ろ姿を見ながら憮然として言った。 だが、長く居ればその時間だけ別れが辛くなる。 それは二人とも同じ気持ちだった。 だから、カイルの言葉もただの口上文句でしかなかった。 シリウは無言で少し大きめの斜め掛けカバンに少しの着替えと貴重品、書物などを丁寧に詰めていた。
その時、廊下の方が賑やかになった。
「?」
カイルが振り向くと、何人かの女子生徒が周りを気にしながら廊下を歩いてきていた。 本当は、異性の寮に入るのは固く禁じられている。 内緒で忍び込んだのだろう。 カイルの姿を見ると気まずい表情で立ち止まり、仲間同士で顔を見合わせた。 状況を察知したカイルは微笑み、優しく声を掛けた。
「シリウなら、中にいるよ」
小さく部屋の中を指差すカイルに、彼女たちは恐る恐る
「あの、このことは誰にも……」
と懇願するので、カイルは笑顔で頷いた。
「分かってる。 誰にも言わないよ」
彼女たちはホッとした顔で、そっと中を覗いた。
「シリウさん……」
振り向くシリウに、彼女たちはそれぞれに餞別の品を手渡した。
「どうかお元気で……」
「ありがとう。 あなたたちも、お元気で」
「私たちも、頑張ります!」
「はい。 無事に卒業出来る様に祈っています」
各々に声を掛けられ、その一人一人に礼を言うシリウ。 彼女たちは名残惜しむようにゆっくりと後退りしながら扉の所まで行くと、小さくお辞儀をして部屋を出ていった。 カイルは足早に帰っていくその後ろ姿を見送りながら、笑った。
「シリウ、あんな可愛い子たちに見送られて、泣くんじゃないよ?」
すると、シリウは驚いたような顔を上げた。
「泣くわけないじゃないですか!」
珍しく不機嫌そうに言って、貰った品々を一旦テーブルに置くと、カイルに近づいた。
「僕が泣く時は、カイルから幸せが失われた時です。 僕はこれから、あなたの幸せを取り戻しに行きます。 だから今は少しだけ、我慢してくださいね」
シリウはカイルが寄りかかる扉の柱に手を置いた。
「シリウ……」
見上げるカイルに、シリウはそっと唇を落とした。
「僕を信じてください。 どうか、悲しまないで。 僕にはそれが、一番の心残りなんです」
「信じてる。 俺は、シリウにたくさん助けられた。 今度は俺が助けられるように強くなるから。 シリウの方こそ、俺を信じて」
カイルは安心させるように微笑んで見せた。
数分後、人の気配が無くなって静まり返ったシリウの部屋を、カイルは一人で眺めていた。 シンプルな部屋の一角にあるばかでかい本棚には、たくさんの本が立て掛けられている。 シリウが残していったものだ。 必要最低限の物だけを持って、シリウは出ていった。
「手紙、書きます」
と、わずかな希望だけ残して……。
学校の門の辺りでは、人だかりが出来ていた。 皆、シリウを見送るために集まったのだ。
「大げさですねえ……」
門に近づきながら、シリウは苦笑いをした。 その人だかりに入ると
「元気でな!」
「あまり無理するんじゃないぞ!」
と教官たちがシリウの肩を叩いて激励する。
「お前が居なくなったら、この学校のレベルも一気に下がるよ!」
「シリウ先輩! どうかお元気で!」
生徒たちもそれぞれに言葉を掛ける。 中には、悲しさからか寂しさからか、涙を浮かべる女子生徒たちもいる。
ファンネル校長がシリウを見上げ、誇らしげに微笑んだ。
「シリウ、君は学校の誇りじゃ! 数々の試練をよくぞ耐えぬき、乗り越えたな! その経験を活かして、立派に生きていくことを願っておるぞ」
シリウは勿体ない、と謙遜し
「僕は、この学校で学ぶことが出来たことを感謝しています。 お世話になりました」
と微笑んだ。
「いいのかい?」
と言ったのはミランだった。 眼鏡の奥で、瞳が心配そうに揺れている。 たくさんの思いがこもったその言葉に、シリウはコクリと頷いた。
「人にはそれぞれに、思うところがあるのです。 それは、ミラン先生も同じでしょう?」
それはカイルのことなのか、シリウには話していないはずの自身の息子のことなのか、シリウの表情からは読み取れなかったが、ミランはシリウの決意だけは感じ取れた。
「分かった。 体には気を付けな!」
口調は変わらなかったが、いつもと違っていたのは、くわえ煙草が無かったことと、まるで子供を送り出すような優しく和やかな笑顔だった。
「シリウ!」
ヤツハが駆け寄った。 その目にはすでに、涙が溢れそうになっている。
「カイルが見つからないの……学校中探したけど、どこにも居ないのよ! シリウを見送るっていう大事な時なのに!」
切羽詰り焦った様子で言うヤツハに、シリウは微笑んだ。
「カイルには、今さっき挨拶をしてきました」
ヤツハは少し驚いた顔をしたが、すぐに安心したように息をついて微笑んだ。
「そうだったの……良かった!」
「シリウ!」
サクが近づいてきてシリウの前まで来ると、ゆっくりと拳を差し出した。 シリウは微笑みながら自身の拳を握り、サクのソレにコツンと当てた。
『頼んだぜ!』
『はい』
目で会話をするように笑顔を交わし、シリウは学校の門を一歩だけ出た。 そしてゆっくりと振り向き
「皆さん、お元気で!」
と高く手を挙げると、踵を返した。
誰もシリウの行き先を聞かない。
それは、この学校の昔からの風習だ。
もう会えないかもしれないし、もし次に会ったときは、相対する存在になっている……そんなことも、ざらにあるからだ。 自分の力を過信して、世間に飲まれ死んだ生徒たちも少なくはない。 見送る人々の瞳には、卒業し自分の願う道を生きることができるという憧れと、荒波に向かう背中を誇りに思う輝きが宿っていた。




