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ヴァンドル・バード  作者: 天猫紅楼
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リンゴの思い出

 一方ヤツハは、木の根に力なくもたれて浅い息をしているサクを目の前に、何も出来ないでいた。

「こんな時なのに何も役に立てないなんて……あたしは毎日、一体何をやってたんだろ……」

 時折サクの額に滲む汗を拭いてやりながら、ヤツハは泣きそうな顔をしていた。 すると、サクの手がヤツハの指に触れた。

「?」

 サクの顔を覗くと、彼は脂汗をかきながらも笑顔を作って見せた。

「サク?」

 ヤツハは涙を堪えながらサクを見つめた。 小さく頷くサクに

「そうだね、サクも辛いんだよね……ごめんね、あたしがしっかりしなくちゃ……」

 そう言って、ヤツハは涙を拭いてサクの手をしっかりと握った。

 

 

 

  ――

「お前、名前は?」

「……ヤツハ……」

 見上げるサクに震える声で答えたのは、八年前のヤツハだった。

 

 サツフゥル村――

 サクとヤツハの生まれ故郷だ。

 山に囲まれ、広い敷地内では牛や羊がのんびりと過ごしている。

 人口100人ほどの、広大な敷地を持つ村。

 

 二人はこれが初対面だった。

 

 

 消え入りそうな泣き声に偶然気付いたサクが駆け付けると、真っ赤に熟れたリンゴがいくつも成っている木に、必死でしがみついているヤツハを見つけたのだった。 たいして太くない木の幹に腕を巻きつけて、ヤツハは登ることも下りることも出来ないでただ泣いていた。 涙をこぼし続けるヤツハに、サクは両手を口の横に沿えて声をかけた。

「ヤツハ! ゆっくり右足を下の出っ張った所に乗せるんだ!」

「う……」

 涙で視界が遮られ、足元もおぼつかない。 だが、サクの言葉を頼りに少しずつ足を動かした。

「そうそう! 次は左足をその下にーー」

 その時、ヤツハの小さな足がズルッと踏み外し、ヤツハの体は木から離れた!

 

「きゃぁっ!」

 ドサッ!

 

「いってぇ!」

 ヤツハの体の下で、サクがうめき声を上げた。 サクは落ちてくるヤツハを受けとめようとしたが、勢い余って倒れてしまったのだ。

「ご、ごめんなさい!」

 ヤツハは慌ててサクの上から下り、涙で真っ赤になった目で頭を下げ、謝った。 サクはむくりと起き上がると、ヤツハに笑顔を見せた。

「こんなの、何でもねぇよ! それより、なんで木になんて登ってたんだ?」

「お母さんにあげようと思って……」

 ヤツハは木を見上げた。 葉の間から差し込む陽の光に照らされながら、真っ赤なリンゴの実が揺れている。

「この木、バロンおばさん家のだろ? 見つかったらすごく怒られるんだぜ!」

 サクが身を縮めた。 何度か怒られたことがあるのだろう。 思い出し奮いをしている。

「でも……」

 

 

 ヤツハには、家で寝たきりになっている母がいた。

 父は、ヤツハが生まれてすぐに仕事で遠いところへ行ってしまったのだと母から聞かされていた。 女手一つでヤツハを育てていたが、もともと丈夫な体ではなかったので、無理がたたって倒れてしまったのだ。 七才のヤツハが頑張って働いたところで、日々を生きるのに最低限の稼ぎにしかならない。 少しでも栄養をつけてもらいたくて、叱られるのを承知で他人のリンゴの木に登ったのだった。

 

 サクは理由を黙って聞いた後、おもむろに木に手をかけた。

「……あ、ねえ?」

「オレはサクってんだ。 そこで待ってな! あのリンゴ、採ってきてやるよ!」

 そう言って、サクは慣れた手つきで木を登っていく。 あっという間にリンゴの成る枝にまたがると、その一つをもいだ。

「ほらっ!」

 放り投げたリンゴは弧を描いてヤツハの手におさまった。 小さな手には充分ほどの大きさと重さがある。 ヤツハはひんやりしたリンゴの重さを感じながら、胸が熱くなるのを感じた。

 次の瞬間、木の枝がメキメキッ!ときしむ音がしたかと思うと、サクが勢い良く落ちてきた。

 

 

 ドサッ!

 

「いってぇぇ!」

 しこたま尻を打ち、顔をしかめて押さえるサク。 そのすぐ横に、枝が落ちてきた。

「だ、大丈夫?」

 驚いて駆け寄るヤツハに、サクはさすがに苦笑して

「だいじょう――」

 と言いかけたが、途端に怒号がそれを消し去った。

「誰かまた、あたしのリンゴの木に登ったのかいっ?」

 見ると、近くの家から恰幅のいい女性が出てくるのが見えた。

「ヤツハは隠れてろ!」

「え、でも……」

 ヤツハの体をリンゴの木の裏へと押しやったところへ、バロンが体を揺らしながらやってきた。

「まぁたあんたかい! 何度言ったら分かるんだい? この木はあたしらが丹精こめて育てて、熟した実は売り物にするんだ! 二度とするんじゃないよ!」

 バロンの大きなげんこつがサクの頭上に降った。

「いっってぇぇ!」

 サクはバロンがまだ肩をいからせながら去っていく後ろ姿にアカンベーをしながら、頭を両手で押さえて痛みを堪えながら振り返ると、ヤツハに笑顔を見せた。

「だ、大丈夫?」

 心配して眉を寄せて駆け寄るヤツハに、サクは笑った。

「こんなの、なんでもねえよ。 それよりほら、早く母ちゃんに持って行ってやれよ!」

「ありがとう!」

 ヤツハは、両手でリンゴを大切に持ち、家へと駆けていった。

 その後ろ姿を、満足そうな笑顔でサクが見送っていた。

 

 

 

「母さんはそれからしばらく経って死んでしまったけど、間際にこう言ったの。 『あのリンゴ、とても美味しかったよ』って……あたしね、サクと母さんのあの時の笑顔、ずっと忘れられないでいるのよ。 それから、あなたのいつも傷だらけの体もね……サク、お願い、死なないで……」

 ヤツハは祈るように、汗の滲むサクの手を自分の額に押しつけた。

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