突然の決意表明!
翌日、カイルはシリウを訪ねた。 相変わらず図書室で書物の山に隠れるようにして調べものをしているシリウの背中に、カイルはそっと近づいた。 そして……
「? これは?」
シリウは手元にそっと置かれた小さな紙袋を見た。 そして驚いたように振り返った。
「別に…… えっ! シリウ、その顔は……?」
思わず目を丸くして言うカイルに、昨日の乱闘で頬が腫れて額にもアザを作っていたシリウは、調べものをする手を止めて苦笑いをした。
「いえ、これは、何でもないんです。 それよりコレ、開けてもいいですか?」
「……うん……」
怪訝な顔をしながら小さく頷くカイル。 シリウは嬉しそうに紙袋を手に取り、丁寧に封を開けた。 そして手を差し込み取り出したのは、カイルのこれまでの雰囲気からは似つかわしい、かわいらしいプリントがされた眼鏡拭きだった。
「おお!」
シリウの頬が緩んだ。
「これを、僕に?」
見上げて微笑むシリウに、カイルは頬を赤らめて言った。
「勘違いするなよ! サクの誕生日だからプレゼントを買うって、昨日ヤツハに町へ連れて行かれて……そのついでだからな! ついで!」
カイルはそう言い捨て、そそくさと図書室を出ようとした。
「カイル!」
呼び止められて立ち止まったカイルが振り返ると
「ありがとう。 大切に使いますね」
と、シリウは素直に微笑んだ。 カイルは照れたように頬を赤らめ
「何の傷か知らないけど、早く治せよ!」
とだけ言うと、プイッと踵を返して図書室を出ていった。 シリウはふっと笑って、それから愛おしい表情で手に納まっている眼鏡拭きを見つめた。 そしてすぐに振り向くと、カイルが出て行った図書室の扉を見て切ない表情をした。
その翌日はサクの十六歳になる誕生日だった。
だが、カイルを引っ張って町にまで行き、プレゼントを買ったヤツハの心境はそれどころではなかった。
「シリウ! 『卒業』するって、どういうことよ!」
突っ掛かるヤツハに、シリウはされるがままになっていた。 目を吊り上げているヤツハの少し後ろには、黙って立つカイルがいた。
ソラール兵士養成学校では、卒業する時期も自分で決める。 自分の力量に限界を感じたとき、将来の職業が決まったとき、自分に満足感を得られたとき、その理由はさまざまであり、それを尋問されることもない。 卒業したいと思ったときが、その生徒の卒業する時期なのだ。
ヤツハは、朝の集会でファンネル校長が発表した卒業希望者の名前の中にシリウの名前があったことに驚き、カイルを連れてシリウに理由を問いただそうとしたのだ。
「なんで卒業なのよ? まだやることはあるはずよ!」
「だからです」
シリウはサクに殴られ腫らした頬のまま、真面目な口調で言った。
「まだやるべきことはたくさんあります。 けれど、ココに居ては限界があるんです」
「……どういうこと?」
ヤツハはひとまずシリウの胸ぐらから手を離した。 シリウは少し襟を正すと、眼鏡を指先で上げた。
「図書室にあるどんな優秀な書物にも、ガラオルの行方は載っていません。 どこかで力を溜めているかもしれない。 もしかしたら、もっと大きな力を手に入れているのかもしれない。 それを知るには、自ら外に出て情報を得るしかないのです。 長い外出をするのであれば、学校に申請しなくてはならない。 そこで、僕たちのやろうとしていることを知られるわけにはいかないでしょう? だから、卒業して自由の身になるしかないんです」
淡々と話すシリウ。 ヤツハは震えながら後退りした。
「なんで……よ? なんでそんなこと、簡単に決めちゃうのよ?」
ヤツハはゆっくりと首を横に振りながら、信じられないといった風に呟いた。 そして堰を切ったように
「カイルはっ! カイルはどうなるのよ? 捨てて行くつもりなの?」
と叫んだ。 カイルは黙って立ち尽くしていた。 もはや言葉もないという表情で、ただじっとシリウを見つめていた。
「あんまりよ!」
シリウの答えを待たずに叫ぶヤツハの瞳からは、涙が溢れだしていた。
その時
「オレは構わねえよ」
とサクが現れた。 その顔はシリウと同じように頬を腫らし、体のあちこちにアザが出来ていた。 シリウよりもひどいほどの傷だらけの顔には、いつものくったくない微笑みが浮かんでいた。
「サク、その顔……じゃあ、シリウのそれも……?」
ヤツハとカイルは驚いた顔で二人を見比べた。 サクは
「オレも最初は理解出来なくて、思わず一発殴っちまった。 その後、拳で語り合った結果がこれだ!」
と、にっと笑って頬の傷を指差してみせた。 シリウは静かに俯いた。
「オレは頭が悪いから、シリウみたいに難しいことは考えられねえし、出来ねえ。 だから、オレに出来ねえことは、シリウに任せることにした」
ヤツハは俯いて唇を噛んだ。 その後ろから、カイルが呟いた。
「分かった……」
驚いてヤツハが振り向くと、カイルがその場を離れようとしていた。
「カイル! どこに行くつもり?」
引き止めようとするヤツハに、カイルは無表情で答えた。
「シリウが決めたことだ。 好きにしたらいい。 俺も忙しい。 授業があるから」
そう言って小さく手を振って踵を返すと、ヤツハの悲痛な引き止めも空しく、カイルはその場から去った。 ヤツハは再びシリウとサクを交互に見ると、睨むように顔を歪ませ、叫ぶように言った。
「皆、馬鹿よ! もう知らないっ!」
そしてヤツハもまた、どこかへ走り去ってしまった。 その後ろ姿を見ながら、サクが静かに言った。
「シリウ、お前はカイルのとこに行ってやれ。 どうせ何も言ってなかったんだろ?」
シリウはその意外にも冷静な様子のサクを驚いたように見つめた。
「ヤツハのことはオレに任せろ」
サクはシリウに笑ってみせた。 それは思いがけなく頼りがいのある表情だった。
「では……お願いします!」
シリウは頷くとサクの肩を信頼を寄せた手で叩き、走りだした。