11 今日は私が
収穫祭は一応三日間だが、三日目はほぼ残り香のようなものだ。
閉会は昼過ぎであるため、余所からの見物人はあまりいない。宿泊した者もだいたい帰途に着く。催しはほとんど予定されておらず、大道芸人も見かけられはするが二日目ほどの活気には欠けた。
地元の屋台だけがもうひと稼ぎと精を出して、それほど混んでいないならと地元の住民が少し繰り出す。前日ほどの大騒ぎを期待すれば物足りないが、祭りの感じは十二分にあるし、日常に帰る準備としてはちょうどいいだろう。
調律院ラズト支部でもそれは同じで、今日は挨拶も頼まれていないし、理術でどうにかしてくれという悲鳴も上がってこない。昨日ほぼ手をつけられずにいた日常業務を少し触る者も出はじめた。あとで少しだけ買い物に行こうかな、といったのんびりした雰囲気だ。
ただしゾランだけは合同警備隊の解散のあと、軍兵たちに同行して砦に顔を出してくる予定で、まだ日常は遠い。
統理官を兼ねていた去年はラズトを離れられなかっただろう。ミアンナに任せられるという彼の判断は、「気持ち」をあまり重視しないミアンナにとっても誇らしく思えるものだった。
「ミアンナさん、左手どうですか」
リーネが心配そうに聞いてくる。ミアンナは左手を握ったり開いたりした。
「少々の違和感はある。曲げ伸ばしをすればいくらか痛むが、普通に動かす程度なら問題はない」
「ほんとですか?」
「嘘をつく理由もない」
肩をすくめてミアンナは答えた。
「嘘だと思う訳じゃないですけど、昨日の『大したことじゃない』がありますからね」
本人の判断は当てにならないってゾランさんも言ってました、と続いた。
「大事を取って式盤は非常時でもなければまだ触らない」
誓うかのように右手を上げてミアンナは告げた。
「よいでしょう」
リーネは教師を気取るかのように両腕を組んで、こくりとうなずいた。それから嬉しそうに笑う。
「じゃ、区切りついたらまた行きましょうよ! 昨日は結局、屋台もほとんど見られませんでしたし!」
腹ごしらえに買った握り飯串は美味だったし、即席で買った肩掛けもいい品だったが、楽しさとは縁のない買い物だった。今日はしっかり楽しみたい、ということらしい。
「そうだな。『鳳凰揚げ』を食べられていない。これを片付けたらすぐ出よう」
「――あー、ごめんね、お嬢ちゃん! 鳳凰揚げは終わっちゃったんだよー」
店主はすまなさそうに両手を合わせた。最終日だ、売れ残りのないよう、少なく見積もって準備する屋台主も珍しくない。
「そう、か……」
「ミ、ミアンナさん、む、向こうにも美味しそうなのが!」
慌ててリーネは適当な方角を差した。
「……来年の予約はできるだろうか」
「は?」
「ミアンナさんっ!」
きょとんとする店主に愛想笑いを浮かべ、リーネはミアンナを引っ張った。
「残念ですけど仕方ないですね」
いつもとまるで立場が逆である。
「そもそもどんなのだったんでしょうね。形かな? それとも味? 香辛料で真っ赤とか」
「一昨日見かけたものがそれだと思う。鶏腿肉を薄く伸ばして大きいまま揚げたものだ。端を引っ張った状態で熱が通り、まるで首を伸ばしたような形に見えるのを鳳凰と言っているのだろう」
気を取り直してミアンナは推測を話した。
「では、リーネの気になった屋台へ行こう」
「えっ、あ、ええと」
慌ててリーネはきょろきょろとする。
「あれ、どうですか! 羊の香辛料焼き!」
「興味深い」
「あ、こっちは星入り炭酸水だって。可愛くないですか?」
「では私は柑橘味で」
「わたしは苺にします!」
「今日は私が支払おう」
「えっ!? な、何でですか!?」
ミアンナの言葉にリーネは驚いた顔をする。
「山羊毛の羽織り物のお返し」
祭りの初日にリーネから、ミアンナに似合いそうだと贈られた淡い緑色の上着。礼をしたいと考えていたのだ。
「あっ、えへへ……じゃあ、ご馳走になります」
少し照れたようにリーネは笑った。
そんなふうに少女ふたりは、残り少ない祭りの時間を満喫した。
食べ物、飲み物、ちょっとした小物を見ては、休憩を兼ねて吟遊詩人の歌を聞いたり、踊り子の演舞を楽しんだり――。
「……あれは」
「えっ、ミアンナさん!?」
リーネが驚いた声を出す。そうして再び歩いていたとき、ミアンナが急に見知らぬ誰かの元へ駆け寄ったからだ。
「――すまない、あなたは昨日、この辺りで装飾職人と話していなかったか」
「へ?」
彼女が話しかけると、相手はキョトンとした。
「あー、あの職人か。頼まれてた色粉が入ったんで売ったが、それが何か?」
「色粉」
「金属風に仕上げたいもんがあるのに、手持ちじゃうまくいかねえんだと」
たいして興味なさそうに色粉売りは言った。
「お嬢ちゃんも何か欲しいのかい」
「いや。話を有難う」
何が気になったのか――。思い返しながらミアンナは、色粉商人が去るのに任せた。
「ど、どうしたんです?」
慌ててリーネが追いついてくる。
「少し気になることがあった」
ミアンナは説明にならない説明を返した。リーネは首をひねったが、それ以上の答えがないと判ると、特に追及はしなかった。
(いまの男にやましいところは何もなさそうだった)
(色粉を売ったというのはきっと本当)
装飾職人が祭りで、普段手に入りにくい色粉を買った。特におかしいことはない。
『魔術道具で大変な目に』
『酷い話でしょう』
『事故が起きりゃ、道具の持ち主のせいじゃないですかね』
『持ち主が悪いとしか、おれには思えねえな』
引っかかっているのは、櫓の上で交わした会話だったろうか。
(道具の持ち主が悪い、と私に言わせたがっていたように感じた)
ミアンナが誘導されなかったので、自分で言ったかのような。
(昨日の受け渡し。職人のほうはまるで早く離れたがっていたようにも見えたが、これは考えすぎかもしれない)
(近隣で起きた魔術道具の事故……気に留めておくか)
「あれっ、向こうにいるのパトフさんじゃありません? 買い出しかな?」
リーネの声がミアンナを思考から引き戻した。
「何か抱えている様子もない。祭りを見ているんだろう」
「あ、ロロさんも一緒ですね、微笑ましいなあ」
支部の料理人パトフが十二、三歳ほどの少年と一緒に、楽しげに屋台をのぞいていた。たまに食材の運び込みを手伝って支部にやってくる、彼の孫ロロだ。
「ミアンナさん?」
ふっとミアンナが黙り込んだためだろう、リーネが彼女を呼んだ。
「パトフ殿はこの三日、不定期な勤務を自主的に行ってくれたろう。手当について考えていた」
「わ、よかった! 気になってたんです」
「あー、ミアンナ姉ちゃんにリーネ姉ちゃんだ!」
ロロのほうでも彼女たちに気づいた。手を振りながら駆け寄ってくる。
「ねね、おれ、あとで支部に行ってもいい?」
「何か用があるのか?」
ラズト支部の出入りに厳しい決まりはなく、食材を運ぶ手伝い程度は許容されているが、それでも「雇い人の孫」は関係者とは言いがたい。統理官は念のために確認した。
「爺ちゃんが、鳳凰揚げ作るんだって! おれも食いたい!」
「パトフ殿が……!?」
ミアンナは目を見開いた。
「えーっ、やりましたね、ミアンナさん!」
リーネも嬉しそうにする。
「あの屋台主は知り合いでしてな。統理官が食べ損なったと知りました」
ゆっくり追いついてきたパトフが、少し笑ってそう言った。
「腕によりをかけましょう」
「願ってもない」
言って、彼女は辺りを見回す。
「必要なものはあるだろうか。支度を手伝わせてもらいたい」
「何もお気になさらず」
老パトフは穏やかに笑んだ。食事を楽しみにしてもらえる、美味しく食べてもらえるということは、料理人にとって大きな喜びだ。
「ねえねえ、行っていい?」
「ご両親の許可をもらうこと。パトフ殿と一緒に帰ること。これを約束するなら」
もう少しすれば治安のいいラズトの町に戻るだろうが、まだ不審者がいるかもしれない。ミアンナはそこを気にかけた。
「約束する! 手伝うね、爺ちゃん」
「頼もしいの」
無口なパトフだが、孫を可愛がっているのはよく判った。
「では、またのちほど」
「ああ、楽しみに、している」
一語一語区切って告げると、ミアンナは力強くうなずいた。
「パトフさんの鳳凰揚げかあ……絶対、絶品ですよねえ……」
老人と孫を見送りながら、リーネは早くもよだれを垂らさんばかりであった。
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