09 報告していないことは
支部に戻ると、待機役を買って出ていたレオニスがまず話を聞きたがったが、ひとまず概要だけ伝えて、詳細はジェズルが戻るまで待ってもらうことにした。そうする内にゾランやイストも戻ってきたので、ちょうどいいとばかりに彼女たちは顛末をまとめて話した。
「理術網で質量構文を検知しましたので、何か起きていると思い、向かうところだったんですが」
途中で信号を受け取り、安堵したのだとジェズルは話した。
「しかし、思っていたより危ういお話でした。必要な無茶ではあったようですが……」
「賞賛するか叱責するか悩ましいですな」
ジェズルに続いてゾランも複雑な顔をしている。まるでフィンを褒めて叱った自分のようだ、とミアンナは思った。
「理術を過信はしない。その上で、判断して行動した。ほかに手はなかった」
年上の男たちは何か言いたそうにしていたが、それでもミアンナの言葉が正しいことは認めない訳にいかなかった。ミアンナが兵士の到着まで待っていれば、ユラは拐かされた可能性が高い。
「いいでしょう、これ以上、親のような苦言はやめましょう。しかしひとつだけよいですかな、統理官」
「何だろうか」
「報告していないことはありませんか」
その言葉に彼女は瞬時詰まった。確かに、敢えて伝えていないことがあるからだ。
「リーネ殿?」
「えっ、わ、わたしは何も」
水を向けられたリーネは、フィンの初恋について一瞬だけ考えたが、そういう話ではないだろうと首を振った。
「言わずともよいですが、左腕を見せていただけませんか」
「……大したことじゃない」
嘆息してミアンナは左袖をまくった。
「えっ、ミ、ミアンナさん!?」
「うわ、やば」
手首の辺りは赤く腫れ上がっている。リーネは自分が怪我をしたかのように顔色を悪くした。イストも痛そうな顔をする。
「男に掴まれただけだ。折れた訳でもない。数日で治る」
淡々とミアンナは袖を戻した。
「冷やしましょう。熱量構文で氷を作って……」
ジェズルが立ち上がった。
「いいよ、お前は座ってな。さっき、パトフのおやっさんが氷で香り水を冷やしてた。もらってくる」
レオニスがそれを制して素早く食堂を出た。
「大したことじゃない」
彼女は繰り返したが、少々の困惑が混ざった。
「そうお思いなら何故隠されました? 失態を隠そうというミアンナ殿ではありますまい」
「負傷の度合いに対して見た目の印象が強いからだ」
彼女は思うところを答えた。
「では申し上げましょう。こうした場合、本人の判断は当てになりません。自分のことは自分が判るなどと言いますが、戯言です」
軍人は切って捨てた。負傷兵が無理を押すような局面を知っているのだろう。
「それにもしリーネ殿やジェズルが怪我を隠していれば? あなたも案じ、『何故言わない』と叱責するはずだ」
「む……」
「そういうことです」
結局ゾランは、親のような苦言を述べることになった。
「ほい、氷お待たせ! 救急箱から清潔な綿布も持ってきた気の利く俺を褒めてくれてもいいからね」
笑いながらレオニスは自分の仕事を主張した。
「俺が提案したんすけど」
イストが苦笑する。
「でかしましたよレオニスさん、イストさん!」
「おおっと、想定内のような想定外のような反応」
リーネがひったくるようにそれを受け取り、レオニスはおどけて笑った。
「氷に付けすぎてもよくない。布を厚めにし、一箇所ばかり当て続けないように気をつけること」
ゾランが手を添えながら助言する。
(やれやれ、大事扱いだ)
こうなることが推測できたから黙っていた、というのはあった。
(だが案外、悪くない)
リーネが真剣に氷を布でくるむのを眺めながら、彼女はそっとそんなことを思った。
「花火ですが、やはり当初の予定通り……いや、昨年同様、私がひとりで受け持ちましょう。その腕では式盤を持ち続けられない」
次にはジェズルが真顔で提案した。
「そこまでじゃない。本当に、見た目が悪いだけで」
「少しずつ効いてくるんですよ、そうした痛みは。数刻後は鈍痛が出ているはずです」
「しかし……」
「諦めて、ミアンナ嬢。ジェズルがこの顔するときは絶対譲らないから」
ひらひらとレオニスが手を振る。
「だが」
「ミアンナ殿考案の構文は使わせてもらいます。おかげで、去年よりずっと負担は軽いので」
「むむ」
「その分、予定より多く休暇をいただきます」
「――手当もつける」
統理官はようやく折れた。支部員たちは笑う。
「ちょうどいいじゃないか。リーネ嬢と一緒に、初めてのラズト花火を堪能しなよ」
気楽な調子でレオニスは手を振る。それを聞いたリーネは喜びと心配の混ざった実に複雑な顔をした。
―*―
ドン、ドン、という低い音が暮れゆく夕空に響き出した。
ラズト収穫祭名物、理術士による花火がまもなくはじまる合図だ。
慣れた者たちは早くからよい場所を取り、初めての者たちは慌てて高台を探した。警備の兵士たちは声を張り上げ、混乱が起きないように往来を調整する。
「いやー、ラズトにこんなに人間がいたんだって思いますね、毎年」
ラズト出身のイストは呑気に言った。もちろん余所からの見物人も多いが、それを除いたとしても、普段は町中に散らばっている住民が集中するのだ。「こんなにいたのか」という感覚は大して変わらないだろう。
「ほんと、こんな端っこでいいんすか? 入れてもらえますよ、招待席」
「最初から決まっていたならまだしも、余計な混乱を招きたくない」
調律院の専理術士がくる、となればそれなりの準備が必要になる。地元の支部の統理官、主理術士だとしても格式のある対応が求められるものだ。
ミアンナとしては望まなくとも、立場というものはいかんともしがたい。つまりミアンナ自身も「専理術士としての」「統理官としての」対応が求められる、ということになる。
「せっかく制服も着替えてきたから」
ミアンナは普段の私服に、簡素な支給品と王都から取り寄せた飾り気のないものを組み合わせることが多い。色はたいてい、白か黒か灰。装飾品はほとんど身につけない。装うことに興味がないと言うほどではないのだが、あまり重視していないのは確かだ。
もっとも今日は、リーネにもらった淡い緑色の羽織ものに、先ほど急遽購入した暗い黄色のショールを合わせ、下は飾りボタンのついた濃灰の脚衣と、いつもに比べたら華やかな格好をしている。制服を着ていてさえ驚かれるのに、こんな私服姿で統理官を名乗ればややこしいだけだ、とも思った。
「せっかく初めてなんだし、いい場所で見てほしいけどなあ。ま、でも立場上避けたいのも判るっすよ」
イストも、ラズト出身の若者として「ラズトにきたばかりの知り合いにいい場所で見てもらいたい」と「調律院の広報官として、眺めのいい場所を独占はできない」の狭間にいるようだった。
「とは言え、せめてもうちょい……」
「有難うございます、イストさん。でも充分ですよ」
どうも割り切れないらしいイストに、リーネが笑った。彼女もやはり先ほど買った、焦茶色をした頭からかぶる衣を身につけ、中は朱色、下は刺繍の入った生成り色の裳衣という組み合わせだ。ちなみにイストはいつも通り、半袖の上に緑色をした袖なしの胴衣、という見慣れた姿だった。
「毎年、この辺りで見ているのだろう?」
「まあ、見えんことはないですからね。……あ、セフィーヌ女史! こっちですよ!」
人混みのなかに技術官を見つけたイストは手を振った。淡い橙色の一枚衣をまとって髪をざっと編んだセフィーヌが近づいてくる。腰の編み紐が特徴的だ。
「みなさんこんばんは。統理官、手首のお加減はいかがですか」
「何ともない……と言えば嘘になる」
ミアンナは左手を軽く持ち上げた。
「ジェズル殿の言っていた通りだ。何かを持つ動作をすると鈍い痛みが出るようになった。式盤を持ち続けるのは厳しかっただろう」
「ひ、冷やしますか!?」
痛むと聞いてリーネは慌てたようだ。ミアンナは首を振る。
「冷やす段階は過ぎたはず。でも有難う」
ほどなくレオニスも合流した。襟のついた白い上衣は簡素に見えるが、かなり前を開けているのと、胸元に見える銀の鎖が目立つ。下はぴたっとした、光沢のある革の脚衣だ。腰にも何やらじゃらじゃらとした飾りがついていた。
ウィントンは資料塔から見る、マグリタは家族と見る、ゾランは警備、ということで集まる支部員は全員集まった。パトフの心遣いで冷やした香り水が人数分用意されており、この場にいない者たちにも届けられた。ウィントンには支部から直接、マグリタには家族の分も、ジェズルには差し入れとして。生憎とゾランにだけは難しかったが、支部のほとんどの者が同じ香りを楽しみながら夜空を見上げることになった。
「人が多いとこの時期でも暑いですね。上着、要らなかったかな」
「もう少しすれば冷える」
「暑い間の香り水っすよ。本当はゾランさんにも届けたいっすけどね」
「責任者が特別な差し入れをもらう訳にはいかない」
「ですよねー」
仕方なさそうにイストは肩をすくめた。




