02 サレント自治領
北へ。
秋の深まる街道を一台の馬車が進んでいく。
北へ。
カーセスタ王国最後の関所を越えると、植物の生態は少しずつ変わっていく。見慣れた美しい紅葉は、次第に影を潜めていった。
北へ。
調律院の紋章――調律院式双理交織象紋――を控えめに記した車体は簡素で、「カーセスタ王国の公用馬車であること」と「騒がれたくないこと」を同時に主張していた。
「統理官様、間もなく南門です」
御者席からミアンナに声をかけたのは、ラズト支部の臨時官だった。普段は別の仕事をしているが、調律院の召集があれば応じることになっている。
「公用の馬車が入るには、手続きに何日かかかるので……」
「聞いている。適切な場所まででいい。帰りは外交使節所の応理監が手配する」
ラズト支部からサレント自治領に向かうとき、通常であれば準備をしてから訪れる。どういう理由でどこの誰に会うか、何を持ち込むか、そうしたことを事前に連絡し、自治領の許可をもらってからラズトを出る。許可が出ないようなことはまずないが、これは必要な「形式」なのである。
ヴァンディルガ側も、公式の使者が出入りするときは同じ手順を踏む。そうすることで、サレントの自治を尊重していることを主張し合うのだ。
「少し冷えてきましたね。日が出てないせいかな」
窓の掛け布をずらして、リーネは外を見た。
「準礼装にもマントがあって助かりました。公式訪問中に、ちょっと上着を羽織るって訳にいかないですもんね」
何でもないように話す理報補官の声は、少しだけうわずっている。そう気づいたミアンナは首をかしげた。
「何故?」
「はい?」
「緊張しているように見える」
「うっ……緊張しますよう、そりゃあ」
「不要だが」
「不要だって思って緊張しなくなるものでもないんです!」
情けない声でリーネは反論した。
と、馬車が止まる。南門の番兵が過剰に警戒しない程度に離れた地点だ。ミアンナは御者をねぎらうと到着書類に署名をして持たせ、領境地帯からラズトの町へと帰した。
「……イゼリア応理監って、どんな人ですか? 厳しくて怖い方だって聞いてますけど」
遠ざかる馬車を心細そうに見送りながら、リーネが尋ねる。一方のミアンナは自治領の門を見ていた。
「厳しいという評価もよく聞くが、妥協しない、筋を通す、なども同じように聞く」
言いながらミアンナは門のほうへ歩を進めた。リーネも慌てて続く。
「そう聞くと、印象がちょっと違いますね……ミアンナさんは直接ご存知なんでしたっけ」
「彼女は理術士ではないが、理術士に構文を教えられるほど詳しい」
「すごいですね!? まさか、ミアンナさんも教わったんですか?」
「講義は受けた。それから何度か呼び出されて話したことはある」
「えっ、呼び出された!? ミアンナさんが呼び出されたんですか!?」
「応用理術監督官の階級は専理術士より上」
「そ、そうですけど……」
「ミアンナさんを呼び出すなんて不遜です」とリーネが言いたかったとしても、応理監が相手ではさすがに言えないようだった。
果てのなき広大なる世界、フォアライア。
世界に存在する三つの大陸の内、ここはラスカルト大陸にあるアレンズ地方。この地方の三大国家が、騎士の国として名高いナイリアン、武の国ヴァンディルガ、そして知の国カーセスタである。
ナイリアンは友好国で、カーセスタとの間に問題は――皆無とは言えないが、極めて少ない。
一方でヴァンディルガは、隙あらばカーセスタやナイリアンを狙おうとしている、という印象があった。実際、時の皇帝の資質によって、急に戦の機運が上がってくることもある。隣国たちが警戒するのは当然であった。
そのヴァンディルガとカーセスタの間で緩衝地帯として存在するのが、ミアンナとリーネが向かっているサレント自治領だ。
緊張をほぐすようにぽつぽつと話すリーネにミアンナが淡々と答える内、ふたりは大きな南門――の横にある通用門にたどり着いた。
峠の手前に位置する自治領の南門は、高い外壁で覆われている。手前に立つ門兵は、カーセスタの馬車が近づいてきたことや、二名が降りてきたことをきちんと見ていたし、ラズトから使者がふたりくるという連絡も受けていた。形式的な確認だけで、彼女らはサレント自治領に足を踏み入れる。
公式の使者であることが判明すれば身分は保障されている訳だから、検問でも提出書類の不備を確認されるだけだ。確認者たちは一様に驚いた顔をするが、例によってミアンナたちの年齢のためだろう。
簡単だが面倒に思える手続きを終えて外に出ると、再び視界が広がった。
検問所のある丘からなだらかに下っていく坂と、その向こうに点々と見える集落。それから建物の密集地――町だ。
「サレントの町までまだあるんですねえ」
リーネは肩を落とした。
「もう着いたかと思ったのに」
「一刻はかからない」
「うう、お腹空いちゃいますよう」
「はは、本当にもうすぐですよ」
そこに声がかかった。聞かれていた、とリーネは赤面する。
「調律院ラズト支部統理官ミアンナ・クネル閣下でいらっしゃいますね」
「ああ」
うなずいてミアンナは、相手をすっと観察した。
三十前後の男性で、階級は下級士官相当。統理官の出迎えに必要な地位と、案内を任せられる知識、それから数刻ほど業務を離れても問題が生じない程度の責任の人物。
「よろしく頼む、ナベル執務佐」
「は……」
名を呼ばれて男は目をぱちくりとさせた。
「小官の名を? 出迎えの者の名まではご連絡差し上げていなかったと思いますが」
「推測」
ミアンナは何の説明にもならない返答をした。リーネも少し驚いた顔をしているのは、ミアンナがこうした「推察力をひけらかす」ような真似をすることが珍しいからだ。
(この先は、「外」だ)
カーセスタの人物が相手でも、調律院本部やラズト支部とは違う。
(ちょっとしたはったりも必要)
内心でミアンナはそっと思った。
「は……ああ、失礼いたしました。そちらはリーネ・フロウド理報補官で」
「あっ、は、はい」
「馬車は向こうです。軽食もおふたり分をご用意していますので、よろしければお召し上がりください」
その言葉にリーネはまた赤面する羽目になった。




