07 入出領者記録
文書棟の地下は、普段からそれほど利用者もおらず、あのときと同じようにせいぜい五名というところだった。
本来関係者以外は入れないので、アダワロがミアンナを客人として案内しているという体で、彼女たちは資料棚の立ち並ぶ空間へ足を踏み入れた。リーネは一階で待機だ。
「あのときは、個室の戸枠に射線の通る位置を考え、探した」
扉の新しくなったふたつの個室の前に立ち、ミアンナは棚を確認した。
「――この棚の、この高さで、右側より……右端から数冊ほどの場所だったはず」
それから歩を進めてひとつの棚を指すと、棚板のわずかに空いている部分をとんと叩いた。
「やはりそこでしたか。有難うございます」
「事情を聞けるだろうか」
アダワロがそれで済ませそうだったので、ミアンナは尋ねた。
「ああ、その……大したことではないのですが」
「答えられないことであれば、そう言ってくれてかまわない」
「いや、そういうことでは」
若い少女に気を遣われて、彼は慌てたようだった。
「総点検の前にひと通り確認する資料があったのですが、この棚にあったはずのものが数冊なくなっていて」
「……ほう?」
「そこで、例の式盤を設置するために無許可理術使用者が取り除いたのではないかという推測が上がりまして、正確な位置を確認させていただきました」
「一致した、と」
アダワロの「やはりそこだったか」というのはそうした台詞だ。ミアンナは眉根を寄せた。
「式盤を置きたい位置に入り込ませる隙間がなかったなら、確かに除いて設置することを考えるだろう。しかし、この一段下側はまだ半分近く空いているし、ここでも射線は通る」
角度で見ると少し効率は悪くなるが、誤差範囲だと思えた。
「一応申し上げますと、下の棚も確認しておりますが、そこに移されていたということはありませんでした」
「有難う」
アダワロの補足に、ミアンナはうなずいた。
「では、なくなった……わざわざ持ち去った、と?」
「何のために」。ざわり、と肌に粟が立つのを感じた。
「――どういった資料であるのか、伺っても?」
ミアンナは続けて質問した。
「実際には、ほぼ処分されることが決まっているものなので、問題はないと思うのですが……」
言い訳めいたことを前置きして、アダワロは答えた。
「五十年から六十年前の、古い入出領の記録です」
「十年分?」
「いえ、この頃は出入りも多かったので、一年でだいぶ厚いものになっていました。具体的には、五十七年前と、五十八年前のものになります」
ざわり。
「カーセスタ側? ヴァンディルガ側だろうか?」
静かにミアンナは問いを続けた。
「どちらのものも一緒にまとめてあります。この辺りをご覧いただければ」
アダワロは適当に取り出した一冊をミアンナに手渡した。開いて彼女が確認すると、前半が北の関所、後半が南の関所で、それぞれの記録を強引に綴じ合わせてある様子だった。
「年月日、時間帯、氏名、職業、訪問目的、滞在場所……この頃はいまよりもずいぶん詳細に記録していたのだな」
「二国の情勢が不穏な時期は、防衛のためにも厳重に残しがちでして……っと、失礼を」
「いや、問題ない」
大国の公務官は、気にしていないと手を振った。
「となると、ラーデン危機の頃も?」
「ラーデン危機?」
「五十八年前の、武力衝突が回避された出来事」
「ああ、まさにその頃は典型ですね。ちょうどそこがなくなっているので確認はできませんが」
アダワロは頭をかいた。
「参りました。邪魔だったなら捨ておいてくれればよかったのに」
文書棟管理者は思わずという様子で愚痴を呟いた。
「紛失という扱いでしょう。責は私が負うことになりそうです」
彼は話を終わらせようとそんなことを言ったが、ミアンナは首を振った。
「紛失ではない。……意図して持ち去った可能性が、十二分に考えられる」
―*―
無許可理術使用者――アダワロはテオザのつもりで言ったのか、それとも「対象十三号」のつもりで言ったのか判らないが、ミアンナからは明らかだ。
サレント自治領の言う「対象十三号」、テオザやケンブの言う「シャッハ」、そして彼女たちの言う「ハイム・トラルガ」。その男が、式盤を設置する際に、入出領者記録を持ち出した。
何のために。
何かを隠すため、ということが真っ先に思い浮かぶ。
では、その隠したいこととは何か。
(ハイム殿自身の記録があること? しかし、ラーデン危機の頃に彼がサレントを訪れていた記録は、カーセスタの方にも存在している。ここのものを処分しても無意味だ)
(訪問目的は、表面的なことが書かれていただけだろう。事実が書かれていたとしても、「演習のため」ということは判っている)
(カーセスタの記録に存在しない情報……滞在場所に問題があった?)
(可能性はあるが……)
そもそも、放っておけば来年には処分される資料だった。持ち出す理由は何か。
(むしろ保管したかった? いや、正当な理由があるなら、進言すればいいだけだ。必要だと判断すれば保存期限は延長される。引退していても彼ほどの人物なら影響力はあったはず)
(やはり、人目に触れさせたくなかった、処分前に最後の確認されたくなかった、と考えられる)
ミアンナはそうしていくつか考えの柱を作り、まずリーネに共有した。イゼリアの時間がすぐには取れなかったこともあるが、異なる目もほしかったからだ。
「ううん、そうですね……式盤を設置した人が意図して持ち去ったとするなら、どうして持っていったのかというのももちろん気になるんですけど、わたしが思ったのは『どうして式盤をそこに置いたのか』です」
考えながら理報補官は言った。
「下の棚が空いてたなら、そこに置けばよかったじゃないですか? 理術効率は変わらないんですよね?」
「私なら問題にしない誤差。彼でも同じだと思う」
「紙ではないものがあれば目立つから間に隠した、とするにも、やっぱり下の段でいいですよねえ」
式盤の分だけ横にずらして、間に置けばいい。リーネは動作を交えながら首をひねった。
「つまり、違う場所に置いていたら、資料を持っていったなんて思われなかったんじゃないですか? なのにどうしてそこに置いたんでしょう」
「そこについては、逆ではないかと思っている」
ミアンナは卓に片肘をついた。
「逆?」
「そう。これは、アダワロ殿が私に尋ねてきたから気づけたこと。文書棟では紛失として処理するところだった。『無許可理術使用者が式盤を置くために捨てた』という結論ならそれ以上捜索はしないし、廃棄予定であったのだからただそれが早まっただけ、と判断されて大きな問題にもならない」
「……なくなったことをはっきりさせておきたかった? 持っていったと知らせたかった、という『逆』ですか?」
考えながらリーネは問い、ミアンナはうなずいた。
「そこで『何のために』に戻る」
このところ飽きるほど繰り返している一語だ。
「何のために」。
「ただ、進んではいる。ハイム殿の行動が『何のために』であるかは、この資料を『何のために』持ち去ったかが関係すると見ていいのではないか」
「じゃあ……地下の式盤は囮? 目的じゃなくて手段だったってことでしょうか?」
「……考えられる」
リーネは顔をしかめ、ミアンナも同じような表情を浮かべた。
テオザに協力し、地下で人死にが出るかもしれない理術を行った。その目的がさっぱり判らないままだったが――手段であったなら、目的が見えないのは当然だ。
(そう考えれば、埋まらないままの「何のために」の枠がひとつ不要になる)
(ただ、爽快とはいかない)
万一のことが有り得た理術を「ただの手段だった」と解釈するのは、リーネのみならずミアンナの「気持ち」にすら、いささか厳しかった。
「そうすると、テオザさんをその……『口封じ』みたいにしようとしたのは……やっぱり彼が何かを知っているからでしょうか」
「それも考えられるが、テオザはまだ話を聞ける状態でないようだ」
幸いなことに、テオザは意識を取り戻したとのことだった。しかしまだ弱っていて、とても尋問を受けられる状況ではないらしい。
「テオザの件とハイム殿の件はひとまず切り分けよう。地下に設置された式盤は本当の目的……件の資料を持ち去ること、また、それがなくなったのは式盤設置者が持ち去ったからだと判断させること、この二点にあったと仮定する」
「気持ち」を横に置いてミアンナは提示した。
「そこの『何のために』に絞るんですね。何を隠したかったか……?」
ひとつうなずいてから、リーネは考えるように呟く。
「何らかが発覚することを警戒している。彼自身の失態と考えるのが自然だが、サレントにいたこと自体はほかの資料でも判る。カーセスタの資料を処分するなら引退前にできたはず」
ミアンナは使節所に戻るまでに考えていたことを話した。
「ハイムさん自身の情報じゃないなら――ユノレットさん、とか……?」
理報補官から出た名に、理術士はぱっと顔を上げた。
「あああすみません! 何も理報官がそんな重要だとか言おうとしたのではなく!」
「重要」
ミアンナはまず言った。「ハイムの元理報官」の意味でも「ミアンナの未来の理報官」の意味でも。
「――有り得る。以前ルカ殿に言ったように、理報官のことは記録されづらい。書かれたとしても『理術士誰それともうひとり』という形になりがち」
「でも入出領者記録なら」
「氏名から職業まで、しっかり書かれている!」
ミアンナの薄金色をした目が輝いた。
ぐん、と「何のために」の枠が重みを増した。空っぽだったそこに、重要なかけらが見つかった。
(しかし、まだだ)
(まだ推測に過ぎないし、第一……)
「ユノレット殿に関する情報が少なすぎる」
大まかな経歴や人物像はラズトで知ることができたが、そこまでだ。ラーデン危機の際ハイムに同行していたかどうかも定かではない。
「イゼリアにも話して、急ぎここを詰めよう。……もう日がない」
ハイムの予告した日付まで、あと二日に迫っていた。




