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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第十二章

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10 まだ、何かある

(ミアンナも調べているんだろうな。僕の知らない、カーセスタの空の下で)

(調律院を信じる彼女が、同じ理念を抱いたはずの相手を追うことに心を痛めていないといいが……)


「あっ、ミアンナくんのこと考えてる!」

「考えるだろう、いまの流れなら」


 軽く返したものの、イゼリアの笑みが一瞬また冷えたように思った。おそらく気のせいだろう。


「タマラ嬢が妹を助けようとサテラ氏の式盤を使ったのはたまたまだ。たとえシャッハが天才でも、そこまで操作はできまい」


 淡々とイゼリアは語った。

 強引に辻褄を合わせれば「サテラ家の棚に細工していた」だのと考えられなくはないが、現実的ではない。だいたい、倒れた棚に幼い妹が閉じ込められるよう調整したり、タマラに式盤を使う決意をさせるようなことは不可能だ。


「となると、サテラ氏とのつながりは知られない前提だったはず。しかしあらかじめシャッハを名乗る周到ぶり……頭が下がる思いだ」

「実は本名、ということは……ないですよね」

「少なくとも調律院の名簿にはないな。カーセスタで聞かれる名前でもない」

「ヴァンディルガでも聞きません」

「此方もー」


 ツァフェンの「国」がどこになるにせよ、聞かれないということらしい。「よくある」と言われなくてよかった、とルカは思った。


「テオザとの接触も五年は前です。それ以前から計画していた……そこも何だか、すっきりしない」

「動機問題だな。自己顕示欲とすれば、わざわざミアンナという専理術士がいるときに術を使うなど、普通なら避けそうなことを行なっている理由も説明はつくが」

「ですが違和感があります。テオザに行わせたのは大した術ではない。文書棟の地下の件も、戸枠の『凍結』が問題だったら、たとえミアンナがいなくても個室の人々を助け出せた」


 湯を運ぶくらいのことはルカでも思いつくし、彼らが遅れても、死者が出るには至らなかったのではないか。


「騒ぎを起こすことは目的だが、見せているほど凶悪犯ではないように感じます」

「危険な考えだ」


 イゼリアは警告した。


「人が好すぎる」

「ルカくんは聖人だからねー」


 ツァフェンが陽気に言う。


「もちろん、命の危機がなかったのだから問題ないなんて言うつもりはないです。閉じ込められたという恐怖は、のちのちまで残ることだってある」

「ふふ、ミアンナも同じようなことを言っていたな」


 思わずという様子でイゼリアは呟いた。


「しかし、このどうにも曖昧なシャッハの動機がラーデン危機と関わりそうだ、というのは大きな前進だ」

「動機に関わるんでしょうか」


 ルカは首をひねった。


「ラーデン危機のことは僕がたまたま調べただけだ」

「だが、きっかけは近いところにあったかもしれない。貴殿は総点検を前に、資料が失われることを警戒したんだろう?」

「そうか、日付……」


 ルカは思い出した。総点検が本格的に開始されるのは、両国の立会人がやってきてからだ。


「『同僚の死を前に開発を促進した』は整いすぎているという話もあったが……そうだな、一連の騒動に『ラーデン危機を風化させないため』という想定が加わればどうだ?」

「まどろっこしー!」


 ツァフェンが行儀悪くもナイフを皿に叩きつけた。


「それなら意味判んない日付じゃなくて、総点検が狙いって最初から書いとくべき! 誰も気づかなかったら無意味じゃんね!」


 その前の皿にある上質な肉は、無体にもぐずぐずにつつかれて哀れな細切れになっている。


「確かに、そうであれば目的を隠す意味がない。むしろ喧伝するべきだ。どこかで派手に印象づけるために隠しているのであれば、それは『演出効果』を狙う自己顕示的な発想に戻ってしまう」

「なんだー、イゼリアくんも判んなくて揺れてるだけかあ」

「認めざるを得んな。ツァフェンにシャッハを視てもらいたいというのは私の本音だ」

「ほんとだ。本心言ってる。ウケる」


 魔族は食べ物をいたずらする手を止めてイゼリアを眺め、面白がった。


「シャッハとラーデン危機は、『当時、実際に関わりがあった』という以上のつながりがある。その話をするときにわざわざ偽名を使っているのが証拠のようなものだ」


 イゼリアは話しながらも器用に食事を続け、きれいに肉を平らげた。


「シャッハの候補は引退した元理術士、老人と言われる年代。仮に老けて見えるとしても五十代以上というところで、それほど多くはないが決して少なくもない。しかし、『ラーデン危機に関わり、〈同期律整式〉の開発に携わった人物』となれば――多くて数名、おそらくはひとり」


 くいっと彼女は杯の中身を飲み干した。


「早速特定を進めよう。本当に手柄だぞ、ルカ」

「そのお言葉は、シャッハを特定できて、捕らえることができたのちに、いただきます」


 真摯に若者は返した。イゼリアは目を細めてうなずいた。


「さて、今宵はここまでだな。貴殿らもあまり長居はできまい。そろそろテリヴァス鋼監将が不在を不審にも思おう」

「鍛錬と言い張るには、だいぶ遅くなってしまったな」


 ルカは呟くように言った。昼から出かけているのだ、気づかれていないことはないだろう。その上でどう言い訳をしたものか、決めていなかった。


「何、最初に言った通り、カーセスタの応理監に強引に連れて行かれたことにしろ。会っていたことを隠すのは露見したときに最悪だ」


 イゼリアが軽い調子で告げた。


「貴殿は何か聞けないかと期待したが、事件の話にはならなかった。カーセスタは、理術関係者が事件を引き起こしていることから自国の印象をよくしようと考えて、若造の自分に声をかけたようだ。と、この辺りでどうだ」

「痛み入ります」


 感謝するのは、イゼリアが状況を提供してくれたことだけではない。彼女は、ルカが不利益を被らないように、彼女自身と彼女の国を下げてよいと許可をくれたのだ。


「くれぐれも言うが、考えすぎて隠そうとだけはするなよ。何と言ったか、曾祖父君は」

「グラースです。グラース・アールニエ」


 不要な情報かと思って名前までは特に伝えていなかったのであり、イゼリアが忘れた訳ではない。


「そう、グラース殿のことを思い出せ。悲しいかな、一度貼られた評価は容易に消えないこと、貴殿はよく知っているのだろう」

「……はい」


 神妙にルカはうなずいた。


「ではすまないが、これで失礼する。会食があると言って無理に出てきたが、私の署名を待っている書類がまだいくらかあってな」

「お忙しいなか、本当に……」

「かまわん、かまわん」


 さっとルカが立ち上がるのをイゼリアは軽く手で制した。


「長居するなと言ったが、食後菓も出る。私は戻るが、貴殿はそこまで楽しんでいけ。絶品だからな」


 それからどうにも慌ただしくイゼリアは席を立った。かなり無理をして時間を空けてくれたのだろうと判り、ルカは立ち上がってそれを見送ったあと、少しその場で考えをまとめた。

 邂逅は思った以上に、いや、理想的に進みすぎて怖いくらいだった。手玉に取られた感じはあるが、そこは経験の差だと理解している。


(とは言え、問題はまだこれからだ)


 鋼監将にどう言うか、などは些細なことだ。ルカが考えているのはシャッハと日付のことである。


(何のために、か)


 届きそうで届かない答えに、ルカ・アールニエもまた、悩まされた。


―*―


 ――かちゃり、と扉が開かれた。


「戻ったか」

「はい。念のため、裏口をご案内して退店を」

「至れり尽くせりだ」


 ふ、とイゼリア・ホウランは笑った。


「それにしても、ラーデン危機か」


 そしてその顔から笑みが消えた。


「ハイム殿が関わっていたというのは十二分にありそうだ。十代で専理術士になったのはミアンナで二人目。一人目は、彼だからな」

「クネル理術士は『伝説の再来』などとも言われますね。トラルガ元理術士が『伝説』でしたか」


 ワコはいつものように髪を結い上げた姿に戻って、応理監の前に立っていた。


「〈同期律整式〉を促進したのがハイム殿だったかどうか……これは王都ですぐ調べられるだろう。朝になったら伝書鳩(ルワク)だ」

「承知いたしました」

「それから」


 イゼリアはそこで少し言葉を止め、顔を上げてワコと目を合わせた。


「調べてほしいことがある」

「何なりと」


 ワコは姿勢を正す。


「グラース・アールニエについて調べてくれ」

「先ほどの彼の、曾祖父」

「ああ」


 イゼリアはうなずいた。


「ラーデン危機の頃に密偵の疑いをかけられたと言うが……六十年近く家系を見張るのは、過剰反応に思える」


 指で卓をとんとんと叩きながらイゼリアは続けた。


「カーセスタ人と接触したと言うが、そもそも、皇軍はどうしてそれを把握していた? もともと彼は見張られていたのか? だとすれば何故だ?」

「もしや応理監は、本当にその人物が密偵だったと?」

「そうは言わんが」


 ワコの質問に、イゼリアは両腕を組んだ。


「どうもきな臭い。……ここにはまだ、何かあるぞ」


[第十三章へつづく]



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