零:鬼を使役する退魔師
麗らかな陽射しが差し込む日本庭園。
縁側に座って、池を泳ぐ錦鯉を眺めていた女は、深々と溜め息をついた。
年は十八歳。色素の薄い髪と、気の強そうな褐色の瞳が印象的な美女である。
名は葉月向日葵。
代々退魔師をしている暦家の分家、葉月家の当主である。
「……憂いごとか?」
ふと背後から声が掛かり、向日葵は仰反るようにして後ろを見た。
視界に逆さまに映り込んできたのは、艶やかな黒髪と、血を吸ったような深紅の瞳を有した、黒い和服姿の美しい青年だった。
彼の名は赫耀。長きに渡り暦家の敷地内に封印されていた悪鬼である。
つい先日、とある事件で封印が解けて出てきたものの、向日葵にボコボコにされ、使役に下ることになったのだ。
「……さっき、じーさんに呼び出されて、説教されたのよ。ったく、隠居の身で当主に小言を言うなんて……」
真底うんざりした様子の向日葵に、赫耀は困ったように眉を下げた。
「……すまん、俺のせいだな」
「違うわ。じーさんの頭が固いだけよ」
彼女がじーさんと呼ぶのは、葉月家の先々代当主である彼女の祖父、葉月芭蕉だ。
先代の本家、暦当主の代替わりに伴う《選定の儀》によって選ばれた真当主であり、先代の《鍵》の一人でもあったため、今でも一族の中で強い発言権を有している。
芭蕉は退魔師としても非常に優秀、かつ、妻を鬼に殺されてしまったという過去があり、妖の中でも鬼を特に憎悪している。
そのため、向日葵が暦の敷地に封印されていた悪鬼を使役にしたと聞いて、大激怒したのだ。
元々芭蕉は、強い霊力をもち才能に溢れる向日葵を誰よりも可愛がっていた。
実際、彼女が暦家の当主の代替わりと共に行われた《選定の儀》によって宝玉を手に、暦家の敷地内にある広大な入らずの森から出て来た時は、誰よりも喜び、誇らしげにしていたほどだ。
だからこそ、彼女が鬼を使役したという事実が、許せないのである。
「……まぁ、私が生まれる前に、おばあちゃんが鬼に殺されたらしいから、じーさんが鬼を恨むのも無理はないんだけど」
嘆息する向日葵に、赫耀は「そうか」と呟いて目を伏せた。
祖父のことはじーさんと呼ぶのに、祖母のことはおばあちゃんと呼ぶのか、と気になりつつも口にはしない赫耀である。
「……でも、赫耀はもう私の使役になったんだし、確かに鬼だけどその辺の鬼とは違うのに……暦の退魔師が鬼を使役するなんて、前代未聞だ、今すぐ祓えの一点張り。はぁー、面倒臭い」
向日葵は、縁側にそのままごろんと寝そべった。
軒の向こうに、青い空が広がっている。
「……祓わないのか?」
「何よ、祓ってほしいの?」
向日葵がむっとした顔で聞き返すと、赫耀は唇を引き結んだ。
「祓うつもりなら、最初から使役になんてしないわよ」
そう言いながら空を見つめる横顔に、赫耀はどうしようもなく目を惹きつけられた。
何故だか、その顔を知っているような気がしたのだ。
「大体、暦当主である樹が認めてるっていうのに、分家の隠居がそれを認めないなんて、意味がわからないわ」
苛立たし気にそう吐き捨てて、向日葵は寝ころんだまま赫耀に向けて己の隣をぽんぽんと叩き、座るように促した。
主の命令として受け取った赫耀は、大人しく彼女の隣に腰を降ろす。
それを横目で見た向日葵は、小さく呟いた。
「……違う」
彼女は、赫耀の襟首を掴んで無造作に引っ張った。
「ぐぇ」
首が締まり変な声を漏らしながら、赫耀が縁側に倒れ込む。ごん、と鈍い音がした。
「……おい」
少々不満げに目を眇めた赫耀に、向日葵は少しだけおかしそうにふっと笑う。
「主が寝転んでるんだから、貴方もやるのよ」
そう言われてしまうと何も返せず、赫耀は黙って空を見上げた。
封印されていた間あれほど焦がれた空の下で、自由とは言い難い人間の使役という状態に収まっている状態に、意外と居心地の良さを見出している自分に驚く。
「……これから、どうするつもりだ?」
「どうもしないわよ。当主は私なんだから。これ以上騒ぎ立てるなら、こっちだって受けて立ってやるんだから」
そう言って不敵な笑みを浮かべる向日葵に、赫耀は絶対にこの主だけは怒らせてはならない、と肝に銘じるのだった。
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