第17話
横浜市役所塗李区清掃課 ドブ掃除 千葉清次
「職場の先輩に、たくさん自慢させてくれ」
翌日の五日、桜田翔平に一通の電子メールが届いた。そのメールにはテキストや画像、3D動画などのファイルが添付されていたが、『思いっ切り戦ってください』という短い文章の末尾に、『あなたたちに敗北した野球部より』といった遠回しな署名が記されているだけで、差出人は不明だった。
翔平は添付されたファイルを、iSchool(クラウドコンピューティングを採用したタブレット型コンピュータ。中等教育以降、ほとんどの地方自治体で教科書やノート代わりに配布される)で開いた。そして彼は、萩大工学野球部の真実の姿を、それらのファイルに見たのである。
彼が抽選会で話したのは杉下晋一の双子の弟、杉下晋二だった。監督の娘はたしかに通院してはいるものの、その理由は彼氏に伝染されたクラミジアの退治のためだった。更には、野球部の年間の予算は塗李野球部の二十倍であり、OBに現市議会議員がいることで野球部が潰れることは向こう三年は絶対にあり得ないという。そしてこれらの情報の最も重要な部分は、充分に説得力のあるソース付きであったということだ。
翔平は皆を集め、それらを見せた。彼らの胸の内に、ほぼ同時に、同じような感情が沸々と込み上げていった。そして、『あなたたちに敗北した野球部より』という文末の署名は、彼らの中に眠っていた誇り高き戦士の心得を完全に呼び覚ました。昨日の宮沢といい、このメールの主といい、彼らは勝利者に、ただ夢を奪われただけではなかった。彼らは繋ぐバトンのように、その夢を次に託していたのだ。なんという美しい敗北者たち! 一八八校にも及ぶ野球部の兵共が、俺たちの背中を支えてくれている! 塗李ナインはそのことを確信すると、戦場に赴く理由が完全に整ったことを悟った。
「大義名分が立ったからには、やるしかねえな? おい」
これを言ったのはやはり喜与川八郎太。
「眼前の困難は王者の宿命、背後の屍は前進する動機だ。萩大工学! 俺たちのデクラレーション・オブ・ウォーを受けろ!」
桜田翔平のiSchoolから、宣戦布告の公式文書が、萩大工学野球部宛に送信された。
翌六日、塗李高校体育館で、野球部を励ます会が開かれた。会場には、即席で結成された後援会や応援団、吹奏楽部の面々がナインを励ますために出席していた。校長などからも励ましの言葉をもらい、ナインの士気はますます高まった。
会が終わると、彼らはすぐに練習場に向かった。野球部の意識の高さをまのあたりにした他の参加者たちは、半ばお祭り気分だった自分たちを恥じた。
新ローションの最終確認をするため、開会式前日だというのに、彼らは遅くまで練習に励んだ。そして翌朝の駅集合時間を確認し、彼らはようやく解散したのだった。
沢井と宿舎の確認をしてから、翔平は一番最後に学校を出た。すると校門を出てすぐの所で、彼は前キャプテンの千葉に会った。千葉は翔平を待っていたようだった。
「どうされたんですかこんな所で」翔平が驚いてそう尋ねると、
「大会前に、どうしてもお前に会っておきたかったんだ」と千葉は言った。
千葉は涙ぐんでいた。その涙が嬉し涙なのか悔し涙なのか、翔平には判然としなかった。
「キャプテン……」
「……何を言ってるんだ、キャプテンはお前じゃないか……」
彼はそう言うと、一つの白球を翔平に渡した。
「仕事があるから明後日の初戦は応援にいけないが、盆休みまで、なんとか持ち堪えてくれよ? そして職場の先輩に、たくさん自慢させてくれ」
それだけ言って、千葉は静かに、夏の夜に消えていった。翔平は独りになってから、渡されたボールを見た。それには、
『一球入魂』
という文字が、力強く記されていた。
投手 桜田翔平 (三年)
捕手 堀啓介 (三年)
一塁手 北田広太 (三年)
二塁手 木戸崇 (二年)
三塁手 高原利久 (三年)
遊撃手 結城裕樹 (三年)
左翼手 島袋鉄平 (二年)
中堅手 喜与川八郎太(三年)
右翼手 猿渡信吾 (二年)
補欠 宇賀神栄太郎(一年)
高校野球の常識を根底から覆し、後に伝説となる塗李のナインは、歴史に壮絶な傷跡を残すことになるこの大会のこの前夜、自分たちの運命の行方も知らぬまま、全員が示し合わせたように帽子のつばの裏に同じ文字を書き込んだ。
『一球ローション』
太陽は沈み、そしてまた昇る。
超絶、爆裂甲子園の開幕である。




