静かに刻み流れる
最後に影の描写を付け足しています。
その後の町の人々の話も、新聞売りの男と同じようなものだった。どんな人も愛想よく応じるが、一度神への信仰の話になれば途端に雰囲気を変える。
如何に神が素晴らしいか。神の教えが素晴らしいか。全てを捧げることの尊さと、信仰の厚さへの誇らしさを雄弁に語る。相槌を打とうものなら止まらなくなるのだが、肯定しなければならない空気がそこかしこに充満していた。
「正直、ちょっと怖いですね。僕には信仰を通り越して妄信のように思えます」
「そうね」
ポルクスの意見に同意してコハクは頷いた。買い物を利用して町の人間と世間話をして回ったが、アキカゲの情報は掴めずじまいだ。分かったのは狂信的な程のテンガ教への信仰具合で、他の宗教や信仰は悪し様にけなされてすらいた。ちなみに話を聞きだしたのは全てポルクスで、コハクは横で黙って聞くか、相槌を打つくらいが精々であった。
「行く先々で神様への賛辞を聞かされて、あれは呪いかなんかですか。もう洗脳のレベルですよ」
自分の腕を抱いて身震いしたポルクスの肩に乗るミソラが、黒い毛並み繕いをしながら言う。
『リルの通っていた学校にも、聖ルアノラ帝国出身の娘がいましたけれど、同じようなものでしたわよ。神様の為に良い子を演じていて、気持ち悪い、あなたそれで楽しいんですの? と言ってやりましたわ』
「それはちょっと言い過ぎじゃないかな」
ポルクスが力のない笑みを浮かべて子猫を撫でると、尻尾で青年の手を叩いてつんとそっぽを向いた。
『そうかしら? 自分の信念の為ならいいですわ。保身の為でも納得出来ますわね。なのに神に認められる為ですって? 自分というものがないんですの? 理解出来てしまうからこそ、気持ち悪く思いましたわね。両親に愛されようとして、美しくあろうとしたリルと同じでしたもの』
リルというのはミソラを生んだ宿主で、彼女は両親に求められる完璧な娘でいようとして心を軋ませ、妖魔のミソラを生んだ。
ミソラは緑の瞳を細めて、苛立ったように尻尾を忙しなく左右にくねらせた。細い髭が小さくそよぐ。
『今思えば下らない同族嫌悪でしたわ』
「そっか。そうだね」
ポルクスが一度引っ込めた手を出して、また黒い子猫を撫でる。ミソラも今度は嫌がらずに、優美に瞳を細めて撫でられるに甘んじた。気位の高いミソラと柔軟に受け入れるポルクス、コハクから見てもこの二人の相性はいい。
一先ず取った宿の一室で今、コハクはポルクスと共に備え付けのテーブルへ新聞を広げている。
新聞には世界のニュースや聖ルアノラ帝国であった出来事は勿論、各教会の礼拝時間やテンガ教の教義についてのコラム、購読者から寄せられた神への賛美や、如何にこの身を捧げているかの投稿話などが載っていた。
全体的に、テンガ教へ関係する記事が多い。これだけでもこの国のスタンスが分かるというものだ。
「それにしても、断罪使って敬われてるんですね。コハクさんたち『珠玉』はあんなに嫌われているのに」
ポルクスが眉根を寄せて不満そうに唸った。
「仕方ないわ。私たち『珠玉』は妖魔を使う。彼らにとって悪魔である妖魔をね。対する断罪使は神の使徒。神の力をその身に下し罪である妖魔を、悪を断つ。神の力を行使し、邪悪を祓い、人々を救うのよ。それに断罪使は神父の役目も担っているから」
どういうことかと首を傾げてコハクを見るポルクスへ、ミズホ国の長コンゴウから聞いたうんちくを話す。
「テンガ教がここまで信仰される理由に断罪使の存在があるのよ。いるかいないか分からない概念である神ではなく、現実に人間を救ってくれる神の使徒という断罪使たちがいる。神の奇跡を行使する彼ら自身が信仰を広めるのだから、容易く信じられるのでしょうよ」
小さく肩を竦めてから、コハクは新聞へと視線を戻す。
「そんなことより、今回の目的はアキカゲという妖魔よ」
「妖魔は人を殺さずにいられない。アキカゲが潜んでいるのなら、何かしら事件が起こっている筈だろう」
コハクの瞳から出たホムラが、腕組みをして広げた新聞を覗いて呟いた。子犬の姿になったハルは、興味なさそうにコハクの足元に寝そべっていた。
「それっぽいものは見えませんね」
一通り読み終えた新聞を、ポルクスが再度ひっくり返して目を通す。コハクも一緒に目で追うが、やはりそれらしい記事はなかった。
「別に毎日人を殺すなり、喰うなりしなくてはならない訳ではないもの。何日か様子を見るしかないわね」
「そうですね」
ふーっと大きく息を吐き、片手を目に当ててポルクスが椅子の背もたれへ体を預けた。明るい金色の髪が青年の顔に影を落とす。肩に乗る黒い子猫が、労るように青年の頬へとその身を擦り付けた。
「今日はもう休みましょう」
スズの背中に乗っているだけとはいえ、長旅は疲れるものであるし、町に入ってからは情報収集のために歩き回った。コハク自身の疲れもある。早めに休むに越したことはないだろう。
そう結論を付けて、コハクとポルクスは早めに就寝した。
妖魔は人間のように睡眠を必要としない。しかしコハクに使役されるハルたちは、コハクの瞳に入ることが人間の睡眠と同じような役割を果たしてくれる。
コハクの瞳に入るようにという促しを断り、ハルは子犬の姿で床に丸まっていた。窓から入る月光が、子犬特有の柔らかい毛並みと丸っこい体を青白く照らしている。生きている子犬と同じように規則正しく上下する腹が一瞬止まり、まろみを残す耳がぴくりと動いた。
物音もそもそも気配すら感じさせない影が一つ、宿の一室から消えていた。片目を薄く開けたハルはそれだけを確認し、どうでもいいとまた閉じる。夜の間にホムラがコハクの側を離れるのはよくあることだ。どうということはない。
眠る青年の布団の上で丸まる子猫が、尻尾をくねらせシーツの表面を掃除していた。子猫もまた、闇夜に緑の瞳を光らせてから、また閉じる。静かに流れる夜の刻の中、窓からの月明りがそれぞれの影を落とす。
その影がほんの微かに蠢いた。影からざわざわと無数の何かが眠る青年に吸い込まれていったが、今度は子犬も子猫も目を開けることはなかった。




