バートンの憂慮
治安維持警備隊の本部にて、ポルクスは懐に収まった子猫の温もりを感じつつ、誇らしげに尻尾を立てて前を行く子犬の後ろを歩いていた。
どうやらミソラが潜って出てこないことで、勝ったと得意になっているらしい。本当のところミソラは呆れて引っ込んだだけなのだが、それを言えばまたハルの機嫌が悪くなるので、黙っていることにした。
二匹の喧嘩は今に始まったことではないので、ポルクスは気にしないことにしている。
治安維持警備隊の第四部隊部署は、他の部隊に比べて明らかに大きい。市民の仲介役を担い、事務的な手続きを行う第四部隊は、隊員数も保管する書類も多いのだ。自然、部署の面積も広くなる。
長い廊下を歩き、第四部隊隊長の執務室まで辿り着くと、ポルクスはドアの前で大きく深呼吸をしてからノックした。ここへ来るときは、いつもこうやって深呼吸をしている気がする。
入室を促される声に従いポルクスが室内に入ると、第四部隊隊長バートンが、苦虫を噛み潰したような表情でポルクスを迎えた。
執務室には先客がいた。
華奢で小柄な少女である。漆黒の合わせの衣服を赤い帯で締め、黒髪で縁取られた白皙に赤い唇が映える。何よりも印象付けるのは、その大きめな瞳であった。
黄褐色の瞳の中に、瞳孔とは別に小さな破片が散りばめられている。その茶色の破片は、少女の瞳の中をゆっくりと舞っていた。この破片の一つ一つが瞳に封じられた妖魔であり、この少女こそハルの主であった。
東の辺境国ミズホ国の妖魔狩り『珠玉』コハク、ミズホ以外の国では東邦の魔女と呼ばれ、忌み嫌われる存在だ。
しかしポルクスにとってそんなものは関係なかった。初対面に東邦の魔女殿と、つい失言してしまったことはご愛敬である。
「久しぶりね、ポルクス」
元気そうな青年の姿に、コハクは内心でほっと息を吐いた。困ったことに今のポルクスには、様々な意味で価値がありすぎる。その為ハルを護衛に付けていたのだが、無事を確認すると安堵を覚えた。
「コハクさん! お久しぶりです」
垂れ目の新米隊員が、満面の笑みで人のよさそうな顔をくしゃりと崩した。つられてコハクの頬にも小さく笑みが浮かぶ。
「元気そうで安心したわ。ハル、ご苦労様」
『コハク! 久しぶりっ』
子犬のハルが尻尾を振って駆け寄ってきた。コハクの側に到達する前に子犬の質量が変わり、青年の姿になる。
「また小うるさい奴が戻ってきたか」
コハクの後ろに立っていた男がハルを見て舌打ちする。長い赤髪に黒目の整った容姿の男であったが、威圧的な物腰と鋭い目付きが近寄りがたい雰囲気を放っていた。
「なんだよっ! どいつもこいつも俺のことをうるさいだのなんだのっ」
赤髪の男、ホムラの態度にハルが地団駄を踏んで抗議する。
「なんだ。そこの小僧にすら馬鹿にされたか」
「ポルクスは俺のことを馬鹿にしないよっ! したのはあの生意気なひよっこだよっ!」
ハルが悔しそうに、ポルクスの懐に潜るミソラを指差した。すっぽりと潜っていた子猫が、ひょこりと顔を出して緑の目を細める。
『そこで大騒ぎするのが、自分の馬鹿さ加減を助長するのですわ』
「なんだってぇっ」
くわっとハルが後ろを振り返ると、子猫はポルクスの制服からするりと抜け出し、肩に飛び乗ってなに食わぬ顔で毛繕いを始めた。
頭に血を上らせたハルが、ミソラに文句を言おうと口を開きかけたとき、大きな咳払いが口論を止める。
「うおっほん!」
一同の視線がバートンへと集まる。水色の瞳を片方だけ開き、バートンが人差し指で机を叩いた。
「本題に入っていいか?」
隊長の執務机に腰かけたバートンが、半眼になってぐるりと皆を見渡す。バートンと目が合うと、ポルクスの背筋がぴんと伸びた。
「あらかたの事はミズホ国の『珠玉』殿に聞いた。三年前の妖魔を追って聖ルアノラ帝国へ行くそうだな」
白髪混じりの金髪、温和そうな顔をしかめて、バートンが机に置いた書類を持ち上げた。書類にはラナイガ議会長と、治安維持警備隊総隊長ザイーシュの印が押されているのが見える。
「はい。許可を頂けますか」
「ラナイガ議会長とザイーシュ総隊長の許可は出ている。後は第四部隊隊長の印を押すだけだな」
「許可を頂けませんか」
「ポルクス」
バートンの口調が強まり、金髪の青年が叱られた子供のように体を強張らせた。
「わしに言うことはそれだけか? マギリウヌにお前が行った時も肝が潰れたし、帰ってきたときは力が抜けた。今回のルアノラ行きだってわしは反対だ。隊長としてじゃないぞ、お前の叔父としてだ」
「叔父さん……」
「お前が行く必要があるのか。自分から古傷を抉りに行ってどうする。わしはもう、三年前のような事は御免だ」
疲れたように眉間を揉むバートンの様子に、ポルクスが青い垂れ目を少し潤ませた。俯きかけたが、顔をぐっと上げる。
「もしここにいて、父さん……いいや、今はアキカゲって妖魔だけど。もしアキカゲが僕のいないところでコハクさんに狩られたとしたら、僕はきっと後悔します」
バートンが眉間に当てていた手を下ろして、じっと青年の青い目を見る。ポルクスも目を逸らさなかった。
「前みたいに、妖魔になった父さんを殺さなきゃっていうんじゃないんです。ただ知りたい。あの時の父さんの思いを。妖魔は宿主が罪を犯す動機と経緯を、存在そのものに刻み込んで生まれるそうですから」
ポルクスの視線がちらりとコハクに向いた。コハクは青年の言葉を肯定してバートンへ頷いてみせた。
「妖魔と宿主は違う存在であるけれど、記憶を引き継いでいるわ。聞くことも可能でしょうね」
「無茶はしませんから、許可を下さい。お願いします」
ポルクスが勢いよく頭を下げる。バートンは水色の瞳を少し翳らせ、大きく息を吐いた。
「普段は素直な癖に、言い出したら聞かん頑固者だからな。お前は」
引き出しから新しい書類を引っ張り出し、署名してから印を押すとラナイガ議会長とザイーシュ総隊長の印が押された書類に重ねた。
「許可しよう。コハク殿、ポルクスをくれぐれも頼みます。こいつの無茶はしないは、あてにならんのです」
書類をポルクスへと差し出しながら、バートンがコハクへ頭を下げた。金髪の青年は何か言おうと口を開きかけて閉じ、唇を噛んだ。
「約束するわ。ポルクスは必ず守るし妖魔は狩る」
バートンの為にもこの青年を守らなくてはならない。この二人のやり取りを見て、コハクはそう思った。




